後編


 黄金おうごん林檎とは。


 明治時代に、青森県大鰐おおわに町の一部に渡った、黄色い林檎を品種改良し、根付かせたものである。酸味が少なく、柔らかな食感、何よりも名前の通りの美しい金色が魅力的な林檎で、人気もあったが、害虫や日照りなど、弱点も多く、作る農家は年々減っていった。

 工藤家の農園は、最後に残った黄金林檎の栽培地であった。しかし、世話の難しい品種ゆえに、例年の猛暑で次々枯れてしまい、とうとう、今年何とか実らせた最後の一本も倒れてしまった。


 道孝みちたかさんは、明治時代から続いていた黄金林檎を途絶えさせてしまったことを、深く悔いていた。「もしも私が、農園に残っていたら……なんてことを、九月の初めから、ずっと考えてしまうんです」——そう、穴の底を覗くような暗い顔で、道孝さんは語った。

 僕は、道孝さんの悔恨に同調するように頷きながらも、やはり、彼を苦しめる悪霊は、と考えていた。事務所に帰って、すぐにA.A.のホームページに、道孝さんから聞いた話を書き込んだ。


 それに対するA.A.からの返信は、「その可能性は、大いにあります」であった。長く同じ地に生えていた木々の魂が集まり、精霊と化することがある。それが死に絶えたことによって、人に仇をなす悪霊と転じることも。

 悪霊の正体が判明したので、A.A.は桔梗さんと協力し、今夜、除霊をするという。これで、僕の仕事はおしまい、だったはずなのだが……。


『 全然違うじゃないですか』

「へっ」


 月曜日の朝いちばんに来た電話で、A.A.がそう言ってきた。機械音声なので分かりにくいが、どうやら怒っているらしい。

 事務所で寝泊まりしている僕も、あまりに唐突で、変な声が出てしまった。後ろを振り返り、姿見で薄い青色のシャツに着替えた自分を見る。多分、A.A.も同じものを見ているのだろう。


「もしかして、除霊に失敗した?」

『 大失敗です。 前もって、木の悪霊を祓う呪文を用意していたのですが、全く効きませんでした』

「うーん。僕は、結構自信があったんだけどなぁ」


 頭を掻きながら、失敗は自分ではなく、A.A.に原因があるんじゃないかと考えていた。


「あのさ、あんまり言いたくないけれど、君の術が、悪霊に及ばなかったって、ことじゃないの?」

『   』


 急にA.A.の言葉が途絶えた。「もしもし?」と声をかけてみると、


『そんなことはあり得ません。こちらは、様々な制約を持って、霊力を極限まで高めているのです。本気を出せば、あなただって名前を聞いたことのあるような有名な悪霊や妖怪でも、一瞬で祓うことが出来るのです。こちらの力が足りなかった、という事態は、天地がひっくり返ったって起こりえないのです』

「わー、ごめんごめん、僕の悪かったから、落ち着いて!」


 堰を切ったかのように、A.A.が喋り始めたので、思わず謝ってしまった。淀みなく言葉が流れてくるので、さっきの変な間は、これをタイプする時間だったらしい。

 相手の性別も年齢も分からないけれど、かなりプライドが高いようだ。僕は、言葉に気を付けながら、「じゃあさ、」と提案してみる。


「君が直接、道孝さんを見てみるのはどうかな? 正体を知られたくないのなら、僕らが隠すのに協力するからさ」

『 確かに、そうするのが手っ取り早いのはよく分かっています。 しかし、そちらにはすべてを見透かすものがいますので、このような秘匿によって霊力を上げる霊媒師とは、相性が非常に悪いのです』

「……なんか、さらっと恐ろしいこと言っていない?」


 「全てを見透かすもの」とは何か、僕が言及しようとしたが、A.A.はすぐに『 ともかく、道孝さんに関して、また何か分かったらお知らせください』と言って、一方的に電話を切ってしまった。

 僕も電話を置く。ため息をつきながら、所長用の椅子に座る。背もたれを大きくのけぞらしながら、「またふりだしかぁ」と声に出してみた。


 ここから、どうしようか。悪霊の正体を探るためには、やっぱり道孝さんの故郷である青森に行くしかないのだろう。

 僕一人で行くとしたら、ポケットマネーで何とか……。移動時間も含めて、日帰りで調査できればいいけれど、泊まる必要があるんだったら、事務所の方は枝野さんに任せて……。


「お、おおおはようございます」


 そんなことを集中して考えていたので、出勤してきた枝野さんが、僕を見るとぎょっと足を止めた。慌てて、作り笑顔をする。


「くく、黒田さん、どどど、どうしたのですか?」

「いや、ちょっと考え事していて」


 眉間の皺を手で伸ばしながら、ちょっとビビっている枝野さんにそう返す。僕は、実のところ人相が悪い。普段は、そんなこと気付かせないように、意識してにこにこしているが、考え事をしていると、笑顔を忘れてしまう。

 ふと、枝野さんが取っ手付きの白い小さな箱を持っているのに気が付いた。


「それってケーキ? 珍しいね。買ったの?」

「いい、いえ、ももらったんです。シシシ、シーハウスの、安木さんに」

「ああ、あの子ね」


 今年の六月、商店街のケーキ屋・シーハウスで働く若い女性の安木さんが、ストーカー被害に遭っていると相談しに来た。最近、何者かが安木さんのマンションの一室の新聞受けに、直接「ラブレター」を投函してくるようになったという。

 警察に相談したいが、安木さんのマンションはオートロックではなく、監視カメラもないため、ストーカーの正体が分からない。そこで、僕と枝野さんが交代で見張り、証拠を集め、警察に提示した。


「あああ、あの時は、助かりましたって、ここ、このケーキをくれたんです」

「僕らは依頼をやり遂げただけなんだけどね、でも、また感謝されるのは嬉しいよ」

「そそ、そうですよね。ここここ、これ、ひ冷やしてきます」

「ありがと。おやつに食べようか」


 キッチンに行った枝野さんを見送って、最初にうちへ相談に来た時の安木さんの様子を思い出す。連日の「ラブレター」に、彼女はかなり参っていたようだったが、ストーカーが捕まって、元気を取り戻したみたいだ。

 確か、安木さんのストーカーは、一度ケーキ屋に来たお客さんで、普通のやり取りをしただけなのに、「彼女は俺に惚れている!」と思い込んだらしい。それから、本人は愛を示しているつもりで、「ラブレター」をしたためたのだから、安木さんにとっては非常に恐ろしかったのだろう。


「……愛情がひるがえって、恐怖になる」


 突然、そんなフレーズが浮かんだ。パッと回路がつながるように、シナプスのあちこちが光っていくような気がする。

 僕は、すぐに机の上のパソコンを起動させた。キッチンから居間に戻ってきた枝野さんが、またぎょっとして足を止めたのも構わずに、真剣な顔で操作していく。


 そのまま、僕はA.A.のホームページを開き、自分のひらめきを応募フォームに書き込んでいった。






   〇






「黒田さん、枝野さん、その節は本当にありがとうございました」


 ソファーに座っていた道孝さんが、わざわざ立ち上がって頭を下げると、隣の桔梗さんも同じように頭を下げる。僕と枝野さんは慌てて、「いいんですよ」と二人をなだめた。


 九月二十四日、火曜日のことだった。午前中の時間帯にやってきた道孝さんと桔梗さんが、悪霊騒動の顛末を教えてくれた。

 僕が予想したとおり、道孝さんの夢に現れたのは、黄金林檎の精霊で、彼を苦しめるためではなく、感謝を伝えるのが目的だった。鏡越しのA.A.の仲介によって、精霊の本当の気持ちを道孝さんが理解すると、精霊はすっきりした表情で成仏したらしい。……木の表情というのが、想像できないけれど。


 『 林檎の木が、人間に感謝するなんて本来あり得ないんですよ。 だって、食べられているんですからね』というのが、今日の朝いちばんにかってきた電話でのA.A.の言葉だった。

 『 長いこと、一つの土地で根付いていた林檎の木は、自分の実を食べさせる代わりに、自分を保護してもらっている、ということを理解していたのでしょうね』と、黄金林檎の精霊の本意を想像していた。


「うちの八百屋は、この辺りで唯一、黄金林檎を売っている店なんですよ。お客さんからの評判も良くて、それを兄に伝えて、また兄が林檎のところで話して……という風に、伝わっていたのでしょうね」

「だから、道孝さんのことを恨んではいなかったんですね」


 人と林檎の木の不思議な関係に、僕もしみじみしながら頷く。道孝さんは、少し俯き加減になりながらも、微笑んで続けた。


「林檎の木が枯れてしまったことは事実ですし、私の後悔は、いつまでも残ると思います。でも、私は自分に出来る範囲で、林檎のことを守ってきたのは、誇らしく思います」


 最後に、「どうぞ、お二人で食べてください」と、段ボールいっぱいの林檎を置いて、道孝さんと桔梗さんは帰っていった。僕と枝野さんは、それを見下ろしながら、苦笑を浮かべる。


「ありがたいけれど、二人で分けたとしても、すごく多いよね。僕、料理は不得意だから、カレーの隠し味にするくらいの調理法しか思いつかないけれど」

「し、し下の、ほほ、堀寝具店にも分けましょうよ」

「そうだね。本当は、A.A.にもお注分けしたけれど、どこにいるのか分かんないからなぁ」


 林檎を段ボールから出しながら、枝野さんとそんなことを話す。これは、堀さんにもっていってと、分けながら、A.A.の言っていたことを思い出す。


『 悪霊の祓い方をしても、効かないはずですよ。 そもそも、悪霊ではなかったのですから。 それ以前に、そちらの夢を食べるものが対策をしていない時点で、気が付くべきでした』


 「夢を食べるもの」なんて、非常に気になるワードだ。聞き返しても、またはぐらかされてしまったが。

 あともう一つ、気になることがある。僕は、隣に立つ枝野さんの方を見た。


「枝野さんさ、昨日、安木さんからケーキをもらったって言ったよね。でも、六月の時点で、枝野さんは安木さんと、直接会っていなかったよね?」


 枝野さんが、事務所に来たお客さんと対応するようになったのが、二か月前の七月。安木さんが訪問した時も、奥の方に引っ込んでいたはずだ。

 さりげなく問いてみると、枝野さんは、なんだそのことかというような反応をした。


「シシ、シーハウスの開店準備をしている、や、安木さんと、ゆゆゆ、由々菜ちゃんが話しているところを、ぼ、ぼ僕が通りかかりました。そそそそ、その時、ゆ由々菜ちゃんが、べべ、便利屋の枝野さんだと紹介してくれて、やや、安木さんと、スストーカーの話になりました」

「……つまり、由々菜ちゃんが、枝野さんと安木さんを引き合わせたってこと?」


 枝野さんは大きく頷いた。僕は、顎を触りながら、桔梗さんとの会話を思い出す。

 便利屋に身辺調査を頼むなんて、あんまりしないことだろうと、どうしてうちを選んだのか聞いてみたことがあった。すると、桔梗さんが、「話の流れは忘れたけれど、由々菜ちゃんから、ここの便利屋は探偵みたいなこともしているって、言っていたのよ」と、ニコニコしながら教えてくれた。


 A.A.は、ここには「全てを見透かすもの」がいると言っていた。それが実は、由々菜ちゃんなのだろうか? 普通の女子高生にしか見えないのに? と思ったが、第六感のない僕の判断なんて、あてにならないだろう。


「この商店街には、全てを見透かすものがいるかもしれない」


 そんなことを呟いて、急に暗澹たる気持ちになってくる。孫悟空がどんなに大暴れしても、結局はお釈迦様の掌の上だった、という徒労感を覚える。

 しかし、枝野さんを見ると、意外にも安堵したような笑顔を浮かべていた。


「枝野さんは、気にならないの?」

「そっ、そそ、そうですね。い、今の僕が悪いことなんてしないで、がが、頑張っていることも、みみみ見ていてくれるので」

「そっかぁ。そういう考え方もありだな」


 思考を百八十度回転させてみる。今回の依頼で学んだことじゃないか。

 僕も愉快な気持ちになり、持った林檎を撫でながら、枝野さんの一言に頷いた。




















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黄金林檎の落つる頃 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ