第2話 現状と救世主あらわる

 教科書を片手にオレは――いや、オレの身体を動かしているクソったれは校舎の中を歩いていた。小一時間ほど身体を返せと喚いたものの、頑として受け入れないこいつの態度に舌打ちをかましながらもさすがに理解した。


 このヒーロー様は本当に身体を返す気がないのだと。


 オレは長期戦を覚悟した。一朝一夕ではこの頑固なヒーローを説得することはできない。長い時間をかけて説得するか、それとも改心したと思わせて身体の所有権をあいつから返してもらうか。何にせよ、そう簡単にはいかないことは間違いないだろうがこちらにはハーレムがかかっているのだ。諦めるという選択肢はない!!


『せいぜい、この世界を楽しんでおくことだな!!』


(うんうん。そうだね)


 こいつはこちらを見向きもせずに心のなかで生返事をした。



 オレの体はいま現在、この漫画のヒーローの意思のもと動いている。オレはこうして自分の身体の周りをプカプカと浮いているわけだが、まったく体の感覚がないというわけではなくなった。


 なんと、奴が触ったものや食べたものを自分がそうしているかのように感じることができるのだ。

 これは奴が「さすがに何も感じとれないのは可哀相だからね」という慈悲をくれたのでこうなっている。正直なところ、最初にそうであったような何も感じ取れずに浮かんでいるだけというのはきついものがあった。だからといって身体を奪っているこいつに感謝なんてものはしてやらないが……。


 そんなわけで、体の操作権はないもののただ浮かんでいるだけではないという形になっている。

 とりあえずは自分を操作してくれる便利なAIがいるくらいに考えることにした。そうでなければ、頭がおかしくなる。

 加えて、オレとこいつは心のなかで会話ができる仕様になっている。奴が心のなかで話した言葉は自然と頭のなかに聞こえてくるようだ。


 幽体離脱して身体の周りを自由に移動できるというのも謎だし、不思議な会話機能まであるのも意味がわからない。けれど催眠能力ならなんでもありだと言われたら納得してしまう説得力がある。それに少女の漫画の主人公というキャラクターに身体を乗っ取られている時点で意味がわからないので、オレはそのことについて深く考えるのはやめたのだった。



 上履きに履き替えた、オレたちはついに教室にたどり着いた。こいつにもオレの記憶が流れ込んでいるらしく、今までの学校生活の様子はわかっているのだが変なことをしそうで心配で仕方ない。ハラハラとしながら、もう一度忠告する。


『おい、絶対に変なことはするなよ!!』


 念押ししようと思って、ふと名案を思いついてしまった。


『……いや、待て!! 催眠能力を使え!! そしたらなにをしても許してやる!!』


 それだったら恥もクソもありはしなくなる。天才なオレの発想は、


(変なことなんてしないさ。それに催眠能力も使わないから安心して)


 こいつには届かなかったらしい。


『クソクソクソが――ッッ!!』


 そんなオレを無視して、ヒーローは教室の扉を開けた。爽やかに微笑みを撒き散らしながら口を開く。


「おはよう!! 今日から二学期、頑張っていこうね」


 教室にそんな言葉が響き渡った。


『おい――――っっ!! やめろ!! やめてくれ』


 体のうちから変なものが出そうになるほど魂が揺さぶられていた。


 オレはもちろんこんな性格ではない。クラスにひっそりと生息している生徒の一人で、間違っても誰に向けたでもない挨拶を振りまくような人間ではない。


『マジ、なにしてくれとんねん!! 教室の空気が凍っちまってんじゃねーか!! どうしよう。誰か返事をしてあげてみたいな視線のやり取りがすごいんだけど!!』


 過去一に声を出してこのバカにツッコミをいれた。


(初めの一歩は誰でも怖いものさ)


『なら、お前も怖がれ!! いや、お前が怖がれ!! あーもう、催眠能力を使ってくれ』 


 そんな地獄のような教室に救世主が現れた。


「おはようございます。命賀さん」


 不審者に向けられる顔などではなく、クラスメートに向けるいつもの笑みだった。それだけでオレは救われた。


『うひょ――――っっ!! やっぱ最高だぜ天塚さんは!! おっぱい揉みたいぜ!!』


 そんなオレの声を無視しながら、こいつは天塚さんに向けて微笑みを返した。中身がこいつに変わっただけで普段の数倍カッコよく見える。これが少女漫画のヒーローの力なのだろうか。

 なんとも納得しがたいものを感じていると、再び名案を思いついてしまった。


『なあ、お前なら天塚さんを口説くこともできる!! どうだ、やってみないか!?』


 こいつが触ったものの感触はこちらにも伝わってくる。つまりはこいつが天塚さんのあの豊満な至宝を触ったとする。そうしたらその感触はオレにも流れ込んでくるというわけだ。これはオレが彼女の胸を揉んでいるのと大して違いない!!

 というわけで彼女を口説くというのを提案してみたのだが。


「はあ」


 そんなものはお見通しだと言わんばかりにため息を吐かれてしまった。


 こいつの目は節穴なのだろうか? すでにバレてしまっているようだし直球で唆す。


『あの、豊満な身体が見えてないのか!? それに完璧な顔! すらっとした手足! それでいて清楚! 完璧オブ完璧なんだぞ! お前が落とすに足るヒロインじゃないのか!!』


 ありったけな思いを込めてヒーローに熱弁した。こうして言い表すと天塚さんは、漫画の中から飛び出してきたかのような要素が満載だ。本当に元のこいつのヒロインになっていてもおかしくないほどに。――なら、説得の余地はある!!


(ボクは女の子を見た目で判断しないよ。人柄が大事だと思っている)


『またまたー。そんなこと言って、かわいい女の子を取っ替え引っ替えするのがお前らヒーローのやり口だろ?』


(そんなことはしないよ、ボクは。それに君の身体にいる間に恋愛はしないさ。さ、この話は終わりだ)


 教科書に目を落としたヒーローを見下ろしながら、オレは微笑んだ。見た目では判断しない。なら、性格が良かったのならばコイツの心を動かせるかもしれないということを意味するのではないか。

 天塚さんは裏があったらわからないが表面的には性格は悪くない。ヒーローと天塚さんが深い関係になる可能性はゼロではない。いや、オレが唆せば可能性はだいぶ上がる。いくつもの案と彼女の身体が頭のなかに浮かび上がってきた。


『はははは――っっ!! 天才だ、オレは!!』


「聞こえてるよ、バカ」


 賑やかさを取り戻しつつあった教室にため息が一つこぼれたのだった。

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催眠能力を手に入れたオレは、少女漫画のヒーローに身体の支配権を奪われる ななし @32ddtd

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