第4話

 翌日。

 面倒臭い俺用に用意されたストレッチャーに乗せられ、緊急手術を受ける病人のように連れられ、とある研究施設を訪れた。ここで人間を木にするプロジェクトの研究が行われているのだという。

 今回は体験版という事で、既存の木に俺の意識を移す事で、木として一日過ごしてみるというシミュレーターのモニターも兼ねているそうだ。

 宇宙に行くのと同じで、木になる前には、この様なトレーニングを受けてから「異常がない」と判断されたものだけが木になるそうだ。

 俺は研究員の人が渡して来たヘッドギアを頭に付け、日焼けサロンのタンニングマシンみたいなカプセルの中に入れられ、気付いたら眠ってしまい、次に目を覚ますと木になっていた。


「おお、本当に木だ」


 どこかの樹海か森の中らしく、太陽の光が木漏れ日として降り注ぎ、小鳥の囀りや虫たちの鳴き声があちこちから聞こえてくる長閑な場所だった。

 例えるならキャンプにいた山奥でハンモックで寝ている様なヒーリング効果もあり、快適な環境である。

 光合成やら根っこからの吸い上げで食物は自然と体に吸収されるから、どれだけボーッとしていても空腹も喉の渇きも感じなかった。

 太陽は人間の時よりも友好的に感じ、暇になると小鳥やら虫やらが俺の身体に遊びに来て、話し相手になったり、孤独を感じる事もない。


 何よりも人間の時に感じていた社会に取り残されるような焦りが微塵もなかった。


 それは周りの木も鳥も虫も何もかもが急ぐ事なく、今よりも良い物を作ると言う考えがなく、のんびりと生きているからだろう。


 田所の言う通りかもしれない。

 俺にはこう言う環境が向いているかもと、気になって暫くして、俺はこの生活を気に入ってしまった。


「お前、新人か?」


 俺がボーッとしていると隣の木が話しかけて来た。かなり年寄りらしく俺の木よりも倍以上太く、大きな木だ。


「なんか小鳥やら虫やらがお前さんの事を噂しているぞ。あっちに人間みたいな変な木がいるってよ」

「俺は人間なんよ。今日一日だけ木になってるんだよ」

「なんで、そんな事をしているんだ」


 俺はこれまでの出来事を木に説明した。


「ほう、それでお前さんが木になるか、ならないのかの最終試験をしておるのか」

「周りは俺みたいな面倒くさがり屋は気になった方が良いって言うんだ。もう、人間として生きていても苦しいだけだから、ってさ。ていの良い厄介払いでもあるんだろうけど、こうやって木をしてみると、それも良いかなって思い出してるよ」


 俺がそう言うとその木は笑い出した。


「情けないだろ。三十年も生きてて、社会で生きていく術を何も身につけていないんだよ。本当、自分でも嫌になる。でも、成長したくても、行動したくても怖くて何も出来ないんだよ。笑うしかないよな、こんな落ちこぼれ」

「いや、そうではない。ワシがおかしいと笑ったのは、人間で生きられないからってなんで木では生きられると思ったんだ? と言う話だ」

「なんでって……木だったら、こうやって毎日、のんびり暮らせるから俺みたいな面倒くさがり屋でも生きられるって事だよ。人間みたいな競争も無いだろ? だから木になった方がマシなのかなって話だよ」


 そう言うと木はまた大笑いした。それに釣られて俺の周りの木々、鳥、虫も大笑いした。


「何を笑ってるんだよ、お前たち」

「そりゃ、笑うに決まってるだろ。そうやって生きたいなら、なんで人間でその生き方をしないんだ? なんで、わざわざ木になるなんて面倒くさい事をしないとダメなんだ? 人間のままのんびり暮らせば良いじゃないか。なんで、そんなチンケな事の為にわざわざ木になるんだ?」


 木がそう言うと周りの森の仲間たちも釣られて笑った。


「お前らには分からないんだよ! 人間は……成長しないと生きていけないんだ。俺みたいな成長しない怠け者は人間の世界では、置いてけぼりになるんだ」

「確かに最近の人間の社会は異常だな。ワシは千年近く人間社会を見て来たが、こんな天気の良い日に、お前さんの様に何かに追われるように深刻な顔をして生きておるものばかりだ。どうしてもっとのんびり、太陽の温かさを感じないんだと不思議に思う。

 だから、お前さんはのんびり生きれば良いじゃないか。まだ若いんだろ? 人生をもっと楽しめばいい」

「俺は若く無い。もう三十歳、立派な大人だ。なのに何もできない」

「まだ30歳じゃないか。ワシから見たら、ただの若造だ。それよりも何故そんなにも歳をとる事を恐れている?」

「え?」

「ワシはこの世界を長いこと見て来た。だから確実に言える事がある。『歳をとる事を喜べない人間は絶対に幸せにはなれない』逆に言えば『歳をとる事さえ、喜べたらどんな状況でも幸せになれる』どうだ?」

「でも……三十歳なんて喜んでる奴、いるかよ。もう、歳なんて俺を追い詰めるカウントダウンにしかなってねぇよ」

「子供の頃の人間は誰でもあんなに歳をとる事を喜んでいるではないか」


 木に言われて、「言われてみれば」と俺は思った。小学校くらいまでか、あの時は誕生日になるのが待ち遠しかった気がする。

 中学くらいからだろうか……何かと周りと比べる事が増えて、気付いたら誕生日なんてどうでも良くなって、社会に出てからは焦りでしかない。


「大人になるとみんな、歳を取る事を恐れ出す。何故だ? 人間は何を恐れている?」

「それは……こんな歳なのに成長してない自分を見るのが、みんな恥ずかしいんだよ。子供の頃はもっと立派になってると思ってたのに、実際大人になったら、こんなガキだから。歳をとっても、人として成長してないと、歳をとるのが嫌になるんだ」

「それを言ったらワシは千年も生きているが、何にも学んでおらんぞ。でも、見ろ。幹はこんな太くなったし、葉っぱはこんなにも生い茂って、根っこなんてこんなに長い。どうだ?」

「それは……」


 俺は返事に窮した。


「人間だってワシを見て「立派だ」って感動してるじゃないか。

 木を見たらそれで感動する癖に、身長が伸びるとか、髪が伸びるとか、髭が生えるとか、お前さんだって毎日立派に成長しているだろ。何故、それをもっと誇りに思わないんだ?」

「え?」


 俺はそう言われ、ハッとした。

 子供の頃は身長が伸びただけで、大人に近付けたと思い、あんなにも嬉しかった。いつからか、そう言う成長なんて、目にも止めなくなっていた。


「ご飯を食べたら、体は大きくなるだろ? それは成長じゃないのか?」

「それは……」

「そう言う自分の成長を誇りに思えん奴が何を学んだって、どんな仕事をしたって、結局、大した者にはなれん。お前みたいに何もやらんで家でゴロゴロしてて正解だ」


 そう言うと木は大笑いをした。


「今のお前さんが人間を辞めても一緒だぞ? 木になったって、いつか周りの木や鳥の視線が気になる。ワシよりも幹が細い事に引け目を感じる。自然を甘く見るなよ、小僧」


 森の奴らは一斉に俺を笑い出した。


「アイツ、自分の事、自分で馬鹿にしてるぞ」

「自分の良いところもロクに見つけられないのかよ」

「カッコわる」

「あんなにいっぱい、良いところあるのに勿体無い」


 そこでハッと目が覚めると、カプセルの蓋が開いた。俺の意識は田所たちのいる研究所に戻っていた。


「終わったか?」


 ゴーグルを外し、明るさに目をしかめると、田所の着ている背広のネクタイが変わっていた。


「一日、経ったのか?」

「ああ、丸一日だ」


 俺は寝ていたベッドから起き上がった。

 立ち上がると異変に気付いた。


「あれ? 田所、俺より、背低かったっけ?」

「あ? 高校くらいでお前に抜かされたぞ。気付いてなかったのか?」


 そうだったのか。


「なんで、言わないんだよ?」

「背を追い抜かされて、わざわざ言うかよ」


 ずっと猫背で下ばかり見てたからだろうか?


 俺、田所に勝ってる所があったのか。


──身長が伸びるとか、髪が伸びるとか、髭が生えるとか、お前さんだって毎日立派に成長しているだろ。何故、それをもっと誇りに思わないんだ? ──


「田所、俺、木になるの止める」

「本当に良いのか?」

「今の俺は木になっても一緒だ」

「そうか。わかった」

「田所。ありがとう。お陰で踏ん切りがついた気がする」


 何気なく顎を触ると髭が伸びていた。

 昨日よりも俺の体は知らないうちに成長している。


 俺は笑ってみた。

 うまく笑えなかったが、必死で全身に「笑え」と命令した。


「なんだよ。気持ち悪いな、お前」


 俺のぎこちない笑みを見て、田所が怪訝な顔で言った。


「木にみたいに生きてみようと思ったんだ」


 俺はボソッと呟いた。


「お前、まだ言ってるのかよ。そんな意味不明の事。なんも成長してねぇな」


 田所は俺を見て笑った。


「良いんだ。俺は木みたいに生きたいんだ」


 いつか、あの木みたいに、髭が伸びる事を素直に笑えるようになれるだろうか。










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行列のできる面倒くさがり屋 ポテろんぐ @gahatan

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