イオンモールを揺蕩う

奈良ひさぎ

イオンモールを揺蕩う

 イオンモールに行くのが好きだ。


 正確に言うと、イオンモールだけではなく、あの手の大型ショッピングモールであればだいたい年甲斐もなくワクワクしてしまう性分だ。イオンモール、あるいはイオンタウンはどこにでもある。本当に小さな都市であってもどこにでもあるので、大型ショッピングモールを代表してイオンモールと呼ぶことにする。


 私がどの程度イオンモールが好きかというと、たとえ旅行先であってもイオンモールを行き先の一つに選んでしまうほどだ。広大な敷地に呆れるほど大きな駐車場、家から一番近いイオンモールに行ってもだいたい同じような景色が広がっている。珍しくもなんともない。しかし裏返せば、そこには地元の人の生活が確かにある、ということなのだ。特に地元の昔ながらの商店街を淘汰してしまったイオンであれば、なおさら。


 古き良き、あるいは伝統的な全国各地の商店街を潰してしまった巨大企業として、イオンはしばしば槍玉に上げられる。一定数のイオンにおいて、それは事実だ。規模、資金力、集客力。全てにおいて地元の商店街に勝っているのだから、最初から潰す気があったかどうかはさておき、日々の買い物をする場所としてイオンが台頭するのは当然の帰結である。そして、一度は幅を利かせたはずのイオンですら寂れ、駅前一等地であるにも関わらず影薄く佇んでいる(「イオン○○店」にこのケースは多い)のを見ると、たとえイオンが進出しなかったとしても同じ未来が待っていたのではないか、と私は思ってしまう。これまで私が行った中で具体的な店名を挙げるとするならば、鳥取店は特にそう感じた。イオンがあってもなくても、駅前商店街はシャッターまみれになっていたのではないか、ということである。

 ゆえに、イオンだけを悪者にするのはお門違いなのではないかと思う。テンプレートなフードコートにレストラン街、どこの店に行ってもだいたい同じ匂いのする紳士服・婦人服売り場。そして一昔前の筐体が鎮座していたりするゲームコーナー。それらに良し悪しは当然あれど、大人にとって日用品を買い求めるための場所であり、子どもにとって貴重な屋内の遊び場でもある。人口減少が何かと叫ばれるこの時代に、人口維持、自治体としての”力”を維持できている市町村があるとすれば、それが中心部に建ったイオンのおかげであるところも少なくないだろう。休日に家族連れでにぎわうイオンを歩いていると、地方都市の矜持というものを感じさせられる。


 その自治体を代表するという気概があってのことなのか、イオンタウン、イオンモールのレベルになると、基本的に何でも揃っている。家電量販店や家具店、ホームセンターといった、ロードサイド型の広い敷地を要する店までイオンモールに含まれているケースすらある。そうでなくても、隣や道路を挟んだ向かい側にそれらがあることがほとんど。つまりイオンモールに行けば生活用品、食料品その他何でも揃う、まさしくひとつの”街”が形成されているのである。歩いているのはあくまで屋内の一つの店の中なのだが、未知の世界を冒険しているような気分にさせてくれるのはそのおかげかもしれない。

 イオンモールと一言に言っても、場所によってその形態は大きく異なる。ただ広大な敷地を楽しみたいだけであれば、家から一番近いところをひたすら歩き尽くし、時代の流れとともにテナントの変遷を見守るだけでも楽しいだろう。しかし階層や駐車場の形態、テナントの広がり方が細かく異なること、それを体感するのが旅行先のイオンモールをわざわざ訪れる意味なのかもしれない。よりメタな話をするならば、旅行先で目的の店が存外に閉まっていたりして、食事にありつけず困った時にイオンは重宝する。比較的小さなイオンのフードコートでも十分にありがたいが、これがイオンモールになると夜遅い時間になってもレストランを選ぶことすらできるのだから涙を禁じ得ない。たとえサイゼリヤやマクドナルドでも、旅先で出会えばどこか新鮮に感じてしまう。


 では同じイオンモールで好き嫌いがあるかと問われると、これが不思議と存在する。のんびりと歩いて、店をのぞいてみたりなんかして、出てきた時にこのイオンモールは楽しかったなと感じる時と、そうでない時がある。その線引きがはっきりとつかめているわけではないのだが、思うところはいくつかある。


 まずはイオンモール全体を見渡した時、立体駐車場があるかどうかである。そもそも徒歩やら自転車で来る客には駐車場の形態など何ら関係ないし、敷地内であるにもかかわらずスピードを出す車に辟易しているかもしれないが、私は案外駐車場に惹かれているのではないか、と最近思うようになった。ごく最近まで私も徒歩、あるいは自転車で敷地の端に申し訳なさそうに場所を取る駐輪場に乗りつけ、モール内を闊歩していた側なのだが、車を持ち一ドライバーとしてイオンにやってくるようになると、その認識が徐々に変わってきた。

 その昔、家族と一緒にこの手の大型ショッピングモールに来ていた頃、車が立体駐車場に入るとどこかワクワクしていたのを思い出す。煙と何とやらは高いところが好きと言うので、そちらだった可能性ももちろんあるが、ただ天日干しされるだけの平面駐車場と違い、あの入り組んだ立体駐車場の構造がよかったのかもしれない。屋上があったりなかったり、1フロア当たりが広大であるにもかかわらず5階建てだったり、出口用と入口用の通路が複雑に交差していたり。危ないので歩き回ることはできないのだが、思わず歩いてみたくなるほど入り組んだ構造には不思議と惹かれる。加えて、店舗への入口がいくつもあったり、柱に書かれている「4H」のような記号を覚えるか、写真でも撮っていないと車に戻ってこれないほどに広い立体駐車場であればなおよい。そういう意味では、平面駐車場しかなかったイオンモール今治新都市はそれほど惹かれなかった。敷地はそれはもう広大なのだが、どこか物足りなさを感じた記憶がある。


 立体駐車場はしばしば、店舗本館と連絡通路でつながっているが、それが例えば「駐車場2Fと店舗3F」「駐車場4Fと店舗3・4F」というように、フロアがずれているとなお面白い。当然各フロアの天井までの高さの違いがこのずれを生んでいるのだが、これも冒険心をくすぐってくれるのだ。

 その店舗のフロア構成も、関係しているように思う。だだっ広い2階建てよりも、少し広い5階建ての方が好きだったりする。歩き回るにも1フロアが広いと疲れてしまうし、夏場の飲み物のように、ふと差し迫って必要なものが出てきた時に水平移動が多いと面倒でもある。”ちょうどよい”ショッピングモールとは、少々垂直移動もあるような場所を指すのかもしれない。


 そんなわけで、あちこちのイオンモールに訪れるうちに、だんだんと好きなイオンモール、(観光客目線では)いまいちなイオンモールの違いが分かってきた。そしてこの歳になって、館内を歩いているだけでワクワクするというのは、子供心というか、無邪気で純粋な気持ちが私の中にもまだ残っていることの証左だろう。薄汚れた世界の常識に染まり切っていない、と言い換えることもできる。いつまでこんな気持ちで楽しむことができるだろうか、今はそれを楽しみの一つにしておきたいと思う。

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