Incubus

 ドアを抜けた先には長い廊下があり、そこをさらに進むと、屋敷のエントランスと思しき場所があり、そとの日光が差し込んでくるのが見えた。

 出口だ。

 いよいよ外に出られる。


 エントランスは瀟洒しょうしゃな邸宅といった表現がぴったりで、陶製の壺や風景画で飾られていた。訪れた人はまさかあんな恐ろしい老婆が眠っているとは夢にも思わないことだろう。

 それにしても、あの老婆は一体何なんだ?


 ここまで、歩いてくる途中僕の脳裏には二文字の言葉がよぎった――悪魔と。


 エントランスホールには外に面した大きなガラス扉があった。

 剣を打ちつけると、ガラス扉には僕が通り抜けられるくらいの大穴があいた。


 屋敷の外は暴力的なまでの自然でみちあふていた。みだりに枝を伸ばす樹木。腰の高さまで伸びた草。

 エントランスの外の道はアスファルトが荒廃していて、雑草に侵食されている。


 アスファルトのえぐれたところに泥がたまっていて、そこにはタイヤのあとが残っていた。

 見れば、バイパス道には車が止まっていた。トヨタのセダンタイプ。

 自動車のそばには、真新しいタバコの吸殻が落ちていた。

 吸い口に、ピンク色の口紅のあとがついていた。


 運転席に女が乗っていた。髪の長い、肩を出したレザーワンピースの女。

 ホテルであった女だ。

 怒りが湧いてきた。

 あいつが僕をこんな目にあわせたのだ。

 僕と目が合うと、女は後ろに向けて急発進した。


「待て!」

 僕は怒鳴りつけた。

 車は遠ざかっていく。

 それから手に持っていたものの存在を思い出し、車に向かって投げつけた。

 鋭い剣先が、前輪のタイヤに突き刺さった。

 途端に車の態勢が大きく前方に傾斜する。

 女は驚いた顔で僕に視線を向けてきた。


 運転席まで接近すると、僕は運転席のサイドガラスを殴りつけた。何度も。何度も。キャアアアーッ。運転席の女が悲鳴を上げた。

 窓ガラスはやがて粉々の破片と変わり、僕は運転席へと手を差し込んで、女の首根っこをつかんだ。


「お前! お前! どうして僕をここまで連れてきたんだ!」

 僕の声は咆哮ほうこうに近かった。

 ぎりり……手に力が込もる。

「あんたが……あんたが心配になって戻ってきたのよ」

 女はぜいぜいと言った。

「僕が心配だというのか? なぜこんなことをした!」

「知らなかったの……こんなやばいところだって。でも金払いがよかったからつい引き受けちゃって」


「ふざけんなよ!」

 つい力が入りすぎたのかも知れない。

 ぐきっと嫌な音がした。

 女はだらしなく首をたれ、白目を向いた。

「お、お前……」

 興奮して加減を忘れてしまった。

 僕はひとりの人間を殺してしまったのだ……。 


 ミシ……。

 どこかから地鳴りが響いてきた。

 あの老婆はまだこの屋敷のなかで生きている。

 こうしては突っ立っているわけにはいられない。

 荒れ果てた道を、僕は走り出した。 

 死んだ女を置いて。



END


・スタート地点にもどる

https://kakuyomu.jp/works/16818093085371501586/episodes/16818093085373197789

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