第7話 大団円

 理沙が、相沢の仕事先を、派遣先として現れた時はびっくりした、

 確かに理沙であったが、すっかり、老け込んでいるようだが、明らかに理沙だということは、最初こそ分からなかったが、分かってしまうと、

「どうしてわからなかったのだろう?」

 と思うほどであった。

 理沙は、

「本当に、俺のことが分からないのだろう?」

 と思った。

 もし、覚えてくれているのであれば、いろいろと聞きたいこともあった。ただ、今の時代は、

「セクハラだ」

 などと言われるので、余計なことをいえるわけではない。

 相手が気づいてくれなければ、余計なことをいうわけにはいかないのだ。

 そんなことを考えているうちに、相沢も、いよいよ、定年退職を迎えるようになった。

 しかし、相座は、

「せっかく定年退職を迎えるにあたって、会社の上司から面談を受けた際に、言われた理不尽なころに驚愕させられた」

 ということであった。

 2回、そのことについて、別の上司から聞かされたのだが、最初は、

「給料の3割カットの、契約社員扱いで、さらに、いずれは、夜勤がなくなる」

 ということであった。

 その理由というのが、

「会社が、親会社のシステム部に吸収合併される」

 ということだったのだ。

 だから、今までの社長であっても、取り締まり役であっても、どうすることもできないということだった。

 そんな、自分の会社の事情はさることながら、

「基本給の3割カットはつらいですが、今のままの仕事が続けていければいいと思います」

 というと、面接をしてくれた社長が、

「悪いけど、夜勤も近い将来なくなることになる」

 と言われた。

 さらに、その翌週、今度は別の取締役に呼ばれることになった。

 それまでは、ショックで、お金の計算ばかりしていた。

 基本給の3割カットで、さらに、夜勤手当がなくなるということは、手取りが半分以下になるということであった。

 それを踏まえたうえで、もう一人の取締役が面談をするということで、

「何だろう?」

 と思い、面談を受けた。

 その上司は、普段からとても優しく、怒られるようなこともなかった。

 それなのに、今回は、相当な厳しいことを言われた。

「今度から、今の昼の人と、同じ仕事をしてもらう」

 ということであった。

「それは、どういう?」

 と聞きながら、

「まさか、最悪のことはないだろう?」

 と思って聞いてみると、

「SEだよ。プログラム作成はもちろん、会議にも出席し、担当も持ってもらうし、出張もある」

 というのだ。

 これは、契約社員の立場で、正社員の仕事をやれ」

 ということであり、完全な、

「無茶ぶり」

 でいうことである。

「そんなことできるわけがない」

 という心の声であり、唇をかみしめたが、その心境は、この仕打ちに対しての、怒りと理不尽さを感じたのだ。

 さらに、

「今までやったこともないことなので、できるかどうか、今すぐ、日勤をしてもらって、こちらが判断する」

 と言い出したのだ。

 そして、その判断で、

「不合格」

 ということになれば、

「定年退職後の再雇用はない」

 という、実に厳しいものだった。

 そんな話を聞かされて、さすがに、

「はい、そうですか」

 といって、辞めることは簡単だが、まったくの選択肢がないわけで、その判断を、

「今しろ」

 というのも、恐ろしいことであった。

 しょうがないので、それを受けたが。考えてみれば、

「この会社にいて、自分の未来は一切ない」

 ということだ。

 そもそも定年退職ということのはずなのに、何をとち狂った、こんな目に遭わなければいけないかということで、さっさと辞めて、他を探せばいいのではないか?

 ということであった。

 しかも、この話が、理沙が入ってきてから、少ししてから起こったことであり。

「何を二人そろって、こんな目に」

 ということであった。

 彼女の方も、

「せっかくきたのに、もろとも切られる」

 ということであった。

 それを感じた時、

「そういえば、かつて同じような感覚を味わったことがあったな」

 と感じていたが。それがどうも、

「理沙と一緒にいたころだ」

 と考えてみると、

「理沙と最後に一緒だったのは、あの童貞喪失の時だった」

 ということを思い出すと、あの日は、まだ何か続きがあったことだったはずなのに、それが何だったかを思い出せなかったのだ。

 その内容が、簡単には思い出せないが、会社から理不尽なことをいわれ、自分と、理沙が、

「もろともに、ひどい目に遭う」

 ということだったのを考えると、

「何か、お互いに、理不尽さを感じたことだった」

 と思うようになった。

 そして、最近になってから、自分の人生を、ずっと果てしなく、

「気が付いたら、思い出そうとしている」

 ということなのだと思うと、

「人生が、輪廻しているのではないか?」

 と感じたのだ。

 そこに、何かしらの印遠があり、それが、一種の、

「因果応報」

 ということではないか?

 というものであった。

 死んで生き返る時を、

「輪廻転生」

 というが、この輪廻は、生きている間に繰り返させるものであり、

「輪廻転生」

 とは違い、

「自分の知らないところで、罪深いことをしてしまったことで、逃れられなくなり、それが。罪の意識の代わりに、自分に降りかかった災難のようなものだ」

 と感じるのだった。

 理沙には、堕胎経験があり、それが、相沢の子供だったのだ。

 それを知らずに生きてきた相沢だが、これまでの災難。

 いや、

「因果応報だったことは、それこそ、

「輪廻する因果応報」

 だったのだといえるのではないだろうか?


                 (  完  )

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輪廻する因果応報 森本 晃次 @kakku

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