第6話 結婚

 相沢と彼女は、そのあたりから、関係がぎくしゃくしてきたのだった。相沢とすれば。

「何とか父親を説得したのだから、これで自分の株が上がった」

 と思っていた。

 そもそも、父親が、

「会わない」

 といっていたのは、息子の仕事のことを考えてのことだったので、それも仕方がないと彼女は思ったのだ。

 それは、

「父親のいない彼女からすれば、父親がいるだけで羨ましい」

 と思っているところ、

「親子で、ここまで温度差がある」

 ということがどういうことなのかということを考えると、それは、当然、

「息子のわがままだ」

 と思うことだろう。

 だから、今回会ってくれたのは、相沢が説得したわけでもなんでおなく、父親の一存ということで、相沢の手柄でもなんでもない。

 万が一、息子が説得したということであれば、それは、あくまでも息子の手柄ではないだろう。

「親子の間での意思の疎通ができただけだ」

 ということで、本来ならあるはずのものだと思うだろう。

 それを今まで築いてこなかった、親子間というものに問題があるのであって、彼女はそれくらいのことは分かっているので、別に相沢の手柄でも、なんでもないと思っている。

 それなのに、相沢は、

「まるで、自分の手柄」

 という態度に出てくるから、もう感情も、愛情も、冷めてしまったといってもいいだろう。

 女というのは、

「何かを口にする時は、すでに覚悟が決まった時だ」

 ということを言われることがある。

 相沢は、そんな女ごころなど知る由もなかった。

「相手が何も言わないのは、何もないからだ」

 としか思っていない。

 それこそ、

「便りの無いのは良い便り」

 と言われるのと同じであった。

 それを考えると、

「この温度差は、埋まるどころか、どんどん広がっていくことしか考えられない」

 というのも同じであった。

 彼女は、そんなことを考えていると、相沢のことが、鬱陶しくなってきた。

 そうなると、もう相沢がどうするか?

 ということであるが、彼女から見ていて、相沢は、

「もう、どうしようもない」

 ということになり、

「最後通牒を出すしかないだろう」

 ということで、

「別れましょう」

 と言い出した。

 相沢という男は、大学時代にも、

「少しだけ付き合って、別れを迎えた」

 という女性が結構いた。

 それは、数人いたのだが、いつも相手から、

「別れましょう」

 と言われて、

「どうして?」

 といっても、その理由は話してくれないということが多かったのだ。

 というのは、本当に毎回のパターンで、中には、何も言わずに、消えようとする女性もいたくらいで、今では、

「ストーカー行為」

 ということで、警察案件になるようなことも、当時は、そんな法律もなく、

「相手の帰りを待ち伏せしたり」

 などということを繰り返していた。

 それを考えると、本当は、

「顔が真っ赤になるくらいに恥ずかしいことをしていた」

 という意識は、もはやない。たった数年しか経っていないのに、忘れてしまっているのだ。

「都合の悪いことはすぐに忘れる」

 という意味でも、相沢という男は最悪な男だったのだ。

 そもそも、

「うまく父親を引きずり出せた」

 と思っていたのに、しかも、

「それが自分の手柄であり、その手柄が、どうして彼女には分からないのだ?」

 といういらだちになると、

「可愛さ余って憎さ百倍」

 という言葉があるように、

「彼女のことを本当に好きだったんだろうか?」

 と思ってしまった瞬間。まるでメッキが剥がれるように、相沢の気持ちも、冷めてきたのだった。

「それであれば、自然消滅でも仕方がない」

 というはずなのに、そんな簡単にはいかなかった。

 相沢の方が未練たらたらで、どうしても、簡単にあきらめることができなかった。

「なぜなんだ?」

 と自分で考えるくらいだったが、それは、

「本当に好きだったのか?」

 それとも、

「彼女が父親もいない」

 ということになれば、

「同情だったのではないか?」

 と考えられ、

「前に付き合っていた男性がいた」

 ということであれば、

「その男に対する嫉妬」

 だったのかも知れない。

 そう考えると、

「俺は、彼女に対しての気持ちは、そんなに強くなく、やはり、メッキが剥がれただけなのではないか?」

 と考えると、

「この未練は、彼女でなくとも、誰にでも持ったのかも知れない」

 と思うのだった。

 それから10年以上経って、

「ストーカー」

 なる表現が出てきて、

「これは俺がやっていた行動ではないか?」

 と思うようになったが、果たしてそうだったのだろうか?

 そんなことを考えてみると、次第に、相沢は、

「自己否定」

 というものをするようになってきた。

 それが、ちょうど、30代後半くらいになってからだろうか。

 それまでに、

「一度結婚して、離婚した」

 という経験があった。

 もちろん、結婚するくらいなのだから、

「好きになった女性」

 ということは当たり前のことであるが、

「なぜ、結婚にこぎつけることができ、数年で別れるということになってしまったのか?」

 ということが、自分でもよく分かっていないのだった。

 そもそも、結婚相手と出会ったのは、ちょうど、結婚をしようと思った彼女と別れてからすぐのことだった、

 最初は、ずっと落ち込んでいたのだが、ショックを和らげるつもりで、あまり飲めないくせに、一軒のスナックに立ち寄って、そこで友達になった人がいたのだが、その人と飲み歩くうちに、一組の女の子と知り合った。

 そのうちの一人の女の子のことが、少し気になったので、友達が、その様子に気づいたのか、自分たちをくっつけようとしてくれた。

 一種の、

「援護射撃」

 ということで、うまく仲良くなれて、お互いに、気持ちが通じたようで、二人は付き合うようになったのだ。

 彼女は、あまり口数の多い人ではなく、相沢も、

「俺が好きな女性って、こういう感じなんだ」

 ということを感じるようになったのであった、

 相沢は、

「好きになった女性のことを思い出してみると、大人しめの女の子が多かったのだ」

 ということを思い出していた。

 考えてみれば、

「賑やかなタイプは、結構苦手だったな」

 という思いがあった、

 賑やかというわけではなく、明るく癒しになるようなタイプで、一見、

「天然ではないか?」

 と思えるような女性であれば、好きになったような気がしたのだ。

 さらに、

「清楚系」

 と呼ばれる女性も、タイプで、その代表例が、

「前に付き合っていた彼女だった」

 といってもいい。

 今から思い出しても、自分が唯一ひとめぼれをしたのが、彼女だった、

 その女とうまくいかなかったのは、

「運が悪かった」

 と思っていたが、

「自分が悪かった」

 と思うことができるまでに、少し時間が掛かり、その時間がそのまま、彼女への未練として残った時間だったのだ。

 だから、結構することになる女と付き合い始めた時、まだまだ、

「前の彼女のことで尾を引いていた」

 といってもいいだろう。

 それを思えば、

「俺には、彼女と結婚するまでに、いかに付き合っていたのか?」

 ということを忘れてしまっているような気がしてならなかったのだ。

 そんなことを思うと、

「前の彼女と別れてから、ずっと、自己否定ばかりしていたな」

 とは思ったが、

「そう思うことはマイナスでしかなく、プラス思考ではない」

 と分かってきたのだった。

 マイナス思考になってしまうと、どうしても、自分ばかりを否定してしまう。

 好きな相手が誰であれ、

「本当は、相手によって、態度を変えなければいけない」

 ということは当たり前のことなのだろうが、実際には、

「基本的なところで、ブレてはいけない」

 ということも言えるであろうことは、当たり前のことであった。

 だから、結婚を考え始めた時も、自分からではなく、彼女の方から、

「私たち、このままなの?」

 と言われて、

「急に我に返った」

 というのが、本音だということになるのであろう。

「相手から言われて、その気になる時点で、本当に結婚を意識していたのかということも怪しいものだ」

 ということである。

 結婚してから、最初は普通によかった。

 しかし、少しずつ中が怪しくなってきたのだ。

 最初は、

「結婚してからも、新婚気分でいようね」

 と言い合っていたり、

「お互いに共有するところは共有して、それでいて、プライバシーは守ろうね」

 という話をしていた。

 だから、相沢も、家事の手伝いを、少しだけだがしていたのだ。

 というのも、たまに食事を作ったり、会社の帰りに買い物をしてあげたり、などという、いわゆる、

「自分にできることで、さらに、好きなこと」

 というのが、最優先だった。

 当時は、まだ今ほど、

「家事を手伝うのは、男性として当たり前」

 などという風潮ではなかった。

 今であれば、当たり前のことで、

「イクメン」

 と呼ばれる人種が現れたり、会社などで、

「育児休暇」

 というものが、女性だけでなく、男性にもあったりと、社会が、

「家族を大切にする」

 という、海外のいい部分を、

「やっと受け入れた」

 ということになるのであろう。

 ただ、これも、

「政府の何かの意図が働いているのかも知れない」

 と思わないわけでもない。

 経済政策として、

「国民の休日を増やしたり」

「休日を変動式にして、月曜日にもっていくことで、3連休を作る」

 などということで、

「旅行やレジャーで金を使わせる」

 というやり方である。

 そういう意味で、この、

「男性の育児参加」

 というもので、特化することとして

「育児」

 というものに、大きな焦点が当てられているということを考えると、その政策の意図が見えてくるというものだ。

 その一番の理由としては、

「少子高齢化」

 ということであるのは間違いないだろう。

 この問題は、非常に大きく、これが、年金問題などの、

「社会保障」

 というものに、大きく結びついてくるということだ。

 これと同じくして、最近の、

「人手不足」

 の問題であったり、会社でどこまで真剣に考えていることなのか分からないが、

「新人を取らない」

 という会社が、中小企業などには多かったりするのだ。

 そうなると、どうなるのかというと、

「皆同じくらいに入ってきた人がほとんどだとすれば、一人が定年を迎えると、皆定年になってしまうことになるということで、下手をすれば、2,3年で、誰もいなくなる」

 ということになるわけだ。

 そうなってしまうと、会社は終わりである。その会社が、まわりにどれだけの影響を与えていたかは分からないが、そこが潰れると、

「連鎖倒産」

 などという問題が起こらないとも限らない。

 それを考えると、

「社会問題には、いくつかのツボがあるだろうが、そこの根幹には、つながっているものがあるはずだ」

 ということである。

 それが、

「かつての、社会問題なのか?」

 あるいは、

「それに対しての政府の政策が、今になって、問題として表面化してきた」

 ということになるのかも知れない。

 結構政府の政策で、今の時代に大々的な影響をおよぼしていることも少なくない。

 特に経済政策などは、ずっと尾を引くもので、特に、

「民営化」

 などというものであったり、

「社会保障へのテコ入れ」

 などというものの政策が、

「20年近く経った今になって、暗い影を残している」

 といっても仕方がないということになるだろう。

 ただ、一番の問題だったのは、

「バブル崩壊からの、今につながる時代」

 ということであろう。

「失われた30年」

 などと言われていたりもするが、今の時代になると、まだまだ、

「尾を引いている」

 ということが多かったりする。

 それが、10年くらいにあった問題が、その象徴だったかも知れない。

 どういうことかというと、あれは、金融だったか、証券会社だったかが倒産した時、会社が行った政策として、

「派遣キリ」

 というのがあった。

 これは、

「派遣社員というものが、簡単に首切りができる」

 ということで、リストラの対象になったのが、派遣社員ということで、結局、派遣社員を大量に切ったことで、街に失業者があふれ、公園で炊き出しをボランティアの人がするなどする、

「派遣村」

 などというものが、できた次第であった。

 これは、バブル時代から、世間的に変わったこととして、大きなことの中にあったのが、この、

「非正規雇用の採用」

 ということであった。

 今まで正社員がやっていた雑用や単純作業を派遣社員やバイトにやらせることで、経費節減というのが、主な目的だった。

 そして何よりも、

「非正規雇用」

 というものは、

「首を切りやすい」

 ということで、こんな、

「派遣村」

 などと言われる社会問題が起こってきたのであった。

 結局そのことが、

「終身雇用」

「年功序列」

 などというそれまでの常識を壊していったのだった。

 さらに大きなこととして、それまで神話だといわれてきた、

「銀行不敗神話」

 というのがあったが、それを防ぐ、あるいは、救済措置として行われてきた、

「吸収合併」

 ということである。

「銀行は絶対に潰れあい」

 と言われてきたことが、簡単に壊れてしまった。

「バブルの崩壊というのは、そういう時代だったのだ」

 ということである。

 結局、結婚した相手は、途中で、何も言わなくなり、それが最初は、

「それほどのことはない」

 と思ったのが間違いで、それが、実は、女性側からいう、

「SOS」

 だったということに気づいていなかったのだ、

 それを考えると、

「別れも必然だった」

 といってもいいだろう。

 奥さんになった人は徹底的に争うつもりからか、実家に戻った後で、こちらが説得に行っても、会おうとはしない。それが、お互いのストレスになりかかった時、相手から、

「調停」

 というものに持ち込まれ、調停委員から、

「もう奥さんの気持ちは固いので、お互いにこれからの人生を考えたら?」

 と言われた時、

「ああ、これで、もう完全に切れちゃった」

 と、相沢は感じたのだった。

 だから離婚して、実際には、それから少し、

「女性と付き合うのはつらい」

 ということで、1年ほど、一人でいたが、

「やはり寂しいな」

 と思ったことで、他に好きな人を探してみた。

 だが、実際に、そんな人がいるわけもなく、さらに数年は、

「女性の友達がいたが、付き合ったり、ましてや、結婚などという人は現れなかった」

 ということである。

 それでも、少し気になったという人もいた。

 40代中盤くらいから、定年となるこの年までの間、

「これほど、短いと思った時期はなかった」

 特に、40代というと、昔は、

「不惑」

 と言われ、

「惑わない」

 と言われる年齢だったという。

 確かに、惑わないといわれるような年齢ではあるだろう。ただ、それは、今の時代には、言い表せない。

 昔のように、

「40代というと、仕事では、ちょうど係長から課長あたりという、会社的には、会社側の人間という管理職になっていて、家では、子供が、小学生か、中学生くらいで。家庭的には、一番充実している頃だということなのだろう」

 しかし、今は、

「終身雇用でも、年功序列でもないので、同じ会社にいることもないかも知れないし、同じところにいても、実力主義で、若い連中に追い抜かれている可能性だってあるのだ」

 という時代である。

 家庭においても、

「そもそも結婚しないという人が増えていて、今の収入で、子供を作ることなどできるわけはない」

 というそんな状況で、会社など、うまくいくはずがないではないか。

 ということになるのであった。

 そんな年齢で、

「惑わない」

 とはどういうことなのか?

 一つ言えることは、

「今の時代は、孤立の上に成り立っている」

 といってもいいかも知れない。

 特に企業は社員には厳しく、特に、身障者などの、

「弱者には容赦しない」

 といえる。

「精神疾患になった」

 というだけで、会社が平気で首を切る時代だ。

 そもそも、その原因は、

「どこが作ったのか?」

 ということである。

 離婚してからの数年というものは、

「彼女がほしい」

 と思い、今でいう、

「婚活パーティ」

 のようなものに出かけたが、なかなかカップルになれることもなく、

「やはり、主役は若い人たちだよな」

 と思うと、嫌になってきたのだ。

 実際に婚活パーティといっても、

「もし、カップルになっても、同じ人が翌日のパーティに出席しているのを見て、がっかりした」

 ということがあった。

 それは、こっちも同じなので、人のことはいえないが、やはり気まずいものである。

「前もって申し込んでおいたから」

 といってしまえばそれまでで、主催側も、

「一度カップルになった人は、参加できない」

 という規定を作れない。

「カップルになっても、結局気が合わないとかいうことで、別れてしまうということが、普通にあるからである」

 といえるだろう。

 だが、

「意外と第二の人生の方がうまくいくことが多い」

 という話を聞いたので、何度か通いづけたが、結局、カップルになることもほとんどなく、諦めたのだった。

 そのうちに、

「別に結婚などしなくてもいいのではないか?」

 と考えるようになり、結婚をするということが、どういうことなのかということを、頭の中の記憶を紐解くと、

「もう、あんな思いをしたくないな」

 と思ったのだ。

 あの時のように、調停委員に諭されたように、

「まだ、若いんだから、やり直せる」

 という言葉は通用しない。

 それよりも、

「好きなことをしながら過ごしていく方がいいんだ」

 ということで、仕事も適当(といっても、やることだけはやるが)で、そんな状態において、

「時間を有効活用」

 ができる部署にいるじゃないか?

 と思ったのだ。

 正直、仕事は、

「時間時間のポイントを押さえていればいいだけで、それ以外は、自由な時間がある」

 ということだったので、他の人も、適当に時間を使っていた。

 そこで、相沢は絵を描くことが好きだったので、さすがに、油絵や、水彩画などができるわけもないので、

「鉛筆デッサン」

 をしていた。

「人物画」

 を描いたり、

「お城」

 を描いたりしていた。

 それが、相沢の趣味であり、

「今までの人生の中で。一番充実した毎日ではないか?」

 と感じるようになったのだ。

「もし、人生をやり直すことができるとすれば、いつからやり直したい?」

 と聞かれたとすれば、皆それぞれに意見があるだろう。

 しかし、相沢は、

「今のままでいい」

 といえるだけの人生を歩んでいくことになるのであった。


    

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