目が眩むような夏の日
狩人の天文台
目が眩むような夏の日
夏は嫌いだ。
夜はまだいい。天の川がよく見えるから。
だが、昼はダメだ。
鳴き止まない虫たちの声、灼熱の太陽が意識を朦朧とさせる。気を抜いたらついついぼうっとして、人の話し声が耳に入らなくなる。
高まった体温で身体は大量の汗をかく。余計にどうしても汗の匂いが気になる。
そして何より、太陽が眩しすぎて立っているだけで目が眩んでしまうから。
「うるさいなぁ」
ジージーと虫がうるさく鳴くそんな夏の頃、夏休みに入っているにもかかわらず、今日も俺は学校にいる。
フェンス越しにグラウンドの運動部たちの練習姿が目に映る。
燃えるような日の下のこの猛暑で今日も彼らは必死に練習に励んでいる。
「野球部は、まだやってるな。いつ休憩入るんだろう…」
いつものように俺は練習中の野球部を眺める。
いつものように彼らは真剣に己の技量を高めようとしている。
自分には到底できない話だ。
俺の名前は
夏休みに入っても学校に来る理由は大体部活絡みだ。だが、昼のグラウンドとはまったく縁遠い存在である天文部の俺がここにいるのはちゃんとした理由がある。
決して誰かを覗き見に来たわけではない。
野球部の人に用がある。ただそれだけだ。
一年中ほぼ毎日ここに来てはいるが、それはそいつに用があって仕方なく足を運んでやっているだけだ。
野球部で同じクラスの日下部が今日は模擬戦だと言った。
この炎天下でも野球部の人たちは毎日練習に励んでいる。その努力の姿勢は見ているだけで心を沸き立たせ、野球に関心がなくてもつい応援したくなってしまう。
灼熱の太陽にも負けないほどの情熱、と呼ぶべきだろうか。
聞いた話だと今度はあの甲子園に出場するらしい。
高校野球にとっての憧れだ。あいつも結果を聞いた後は興奮が止まらず、一週間くらいその話題につきっきりだった。
昔から野球部バカだからそういうのは大分慣れてきたが、喜ばしいことであるのも事実。あの夜は好物をたくさん作ってやったな。
「あ、ヨウちゃんの番だ」
思い出に耽りながら模擬戦を眺めていたらついに当の本人の登場だ。
ヨウちゃん、
俺とあいつは小学校の頃からの知り合いだ。
あいつのお父さんとうちの両親は昔からの知り合いで、近所に住んでいるからおじさんが海外主張しに行く間はいつもうちが代わりに面倒見てあげている。現在進行形で。
正直あいつのことは苦手だ。
やかましいくらいエネルギー溢るるその声は嫌でも注意を引く。いってきますからおかえりまで、あいつの声はいつまで経っても頭に残ってしまう。
練習帰りはいつも汗臭いのにすぐに風呂に入ろうとしない上に、「今日の夕飯は何?」とせびりながら抱きついてくる。
休みの日はゆっくりと家でのんびりしたいのに、部活休みになったらすぐ無理矢理に外に連れ出そうとする。
迷惑この上ないやつだ。
だが、あいつの野球に対する情熱には尊敬する。部活が休みでも練習を欠かさない。
俺は野球のルールとかは詳しく知らないが、人一倍頑張っていることくらい俺にも理解できる。
腐っても昔からの付き合いだ。その努力をできるだけ応援したいという気持ちは至って普通なことだ。
だからあいつが楽に野球に打ち込める環境を保つためにも、海外出張のおじさん、仕事で忙しいお父さんとお母さんの代わりに今も俺はあいつの身の回りの世話をしてあげている。
知られたら絶対調子に乗るから死んでも口には出さないが。
ヨウちゃんを目で追いながら野球の模擬戦を鑑賞する。模擬戦でもあんなに激しく攻防を繰り広げるものなのだろうか。
一つ一つの動作が絵画のように視界を釘付けにする。
かっこいいという単語が今の自分が引き出せる唯一の言葉であることが何より悔しい。
湧き出る汗、上昇し続ける体温、迫ってくる喉の渇き、高まる心臓の鼓動。
今日も太陽が眩しい。
「あぁ、またクラクラする…」
「…ソ…ちゃ…?」
誰かが呼んでいる。
「おーい。ソウちゃん?」
聞き慣れた心地いい声が耳に響き渡る。
「…」
「小日向蒼くーん」
「うん…? ヨウ、ちゃん…?」
気が付くと目の前には心配そうにこちらを見つめるヨウちゃんがいる。模擬戦はもう終わったのだろうか。
「ヨウちゃんだヨウ? なんちゃって。どうしたんだ? こんとこに突っ立って」
どうやら熱でついぼうっとしてしまったようだ。危なかった、熱中症になりかけたのかもしれない。
「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた」
「大丈夫か? ってか来るならベンチ来ればいいのに」
「いや、練習中だったし、なんか入りづらい」
ダメだ。思考が定まらない。弁当箱を渡しに来ただけだ。さっさと渡して家に帰って休もう。
「それより、ほれ、これ。また弁当忘れただろ」
「お、ありがとう。わるいな、助かったよ!」
「…」
「何ジロジロみてんだよ。俺の頭に虫でも付いてんのか?」
「いやあ、このためだけに暑い中わざわざ会いにきてくれたんだなと思うと、ソウちゃんってほんと優しいなー」
まったく、反省もなしにまた調子乗ってくる。本当にどうしようもないやつだ。昔からの付き合いでなければ、弁当すら作る義理はないというのに。
「バカ言え。部活のついでだ。お前のためだけにこんな炎天下で外歩いてられっか!」
「あと、ほれ。はちみつレモン。疲労回復にいいって本に書いてあったから家を出る前に作ってみた。それじゃ、練習頑張れよ」
暑い。心拍数が上がってくる。意識が遠のいていく。余計なことを口走る前にさっさと撤退しよう。
「…ッ!」
「ソウちゃんッ! こんなにオレのことを心配してくれて、もうオレんとこの嫁に来いよ〜!」
「うるせっ、バカ! 男同士結婚できるわけねぇんだろ、アホ! それにな、お前に何かあったら面倒を見るのは俺だっつうの! つうか、汗臭っ! 抱きつくな!」
こいつの抱きつきは本当に心臓に悪い。いつ飛んでくるかはわからないから心の準備のしようがない。
この能天気なノリが本当に苦手だ。自分のペースが乱されてしまう。カッとなって自分の内心を吐き出してしまう。
「ほほう。お二人さん、今日も相変わらずお熱いですね〜」
「あ、部長…⁉︎ 違います! おい、そろそろ離せっ!」
「星河先輩こんにちはっす」
文化部の部室がある校舎はグラウンドのすぐ側だ。ここで騒いでたら嫌でも部員の人に目撃される。そして今日もまた部長に目撃されてしまった。部長のこのいじりも何回目になるのだろうか。
「よっ、信太くん。久しぶりだね。甲子園出場おめでとう。元気でやってる?」
「ありがとうございます。ソウちゃんがいつも面倒を見てくれるおかげでいつも元気でやってるっす」
「そうかそうか。しっかし、信太くんも大変だね〜。うちのアオイくん、気難しい子でしょ?」
「問題ないっす。むしろそういうとこも含めて可愛いと思うっす」
「ほう。惚気かい」
「そりゃあ毎日自慢したくなるくらいっすよ」
「おい、聞いてるぞ」
本人がいる前で本当によくそんな冗談が言えるな。こういうやり取りももう何回目かはわからないからスルーするのも選択の一つだが、どうにも癪に障る。
「それより部長、俺に用事があるとかってわけじゃないんですか?」
「いや? 遠くで騒いでるの見てたからからかいに来ただけ。気が済んだし。じゃ、アタシもう行くわ」
「部長…」
「あ、星河先輩。天文部の合宿の件、オレと野球部何人かが手伝いに行くって決まったっすよ」
「おっ、ほんと? うちの部員、ひょろいのばっかだからね。マジ助かる〜。じゃあ、星見先生に伝えておくねー」
「部長、そんなこと頼んでたんですか⁉︎」
こいつ、大事な試合が近いというのに。また余計な時間を無駄にする。
「これ以上夫婦のイチャイチャを邪魔するとバチが当たりそうだし、アタシこれで退散とするわ〜」
「だから違いますって!」
「あ、昨日も言ってたけど、今日整理するものもうあんまないから部室来なくていいよ〜」
「ちょっ! 部長!」
そう言い放って、部長は鼻歌を歌いながら小走りで部室棟に向かっていった。
「行っちゃったね」
「部長ってば…」
それより先に問い詰めなければ。
「ヨウ。こんなことに時間使って本当にいいのか? 甲子園近いだろ!」
「いいっていいって。気分転換も大事だって監督も言ってるし。むしろソウちゃんが勉強会を開いてくれたおかげでオレも含めて部員たちが補習を免れたんだし、お礼くらいしないと」
ヨウちゃんは極度の野球バカだ。野球に関しては群を抜いて優れた選手であると野球について詳しい人たちが皆揃って言っている、俺自身もそう思っている。
だが、野球以外のことになると全く以てダメダメだ。だからこそ他のことに気を回させないためにも俺は色々と面倒を見てきた。なのにこいつはいつも。
「はぁ、まったく…練習不足で試合に負けてもオレに泣きつくなよ」
こいつは約束をしたら絶対に破らないやつだ。部長に承諾された以上やるなと厳しく言ってももう意味をなさない。
仕方ない。せめて変な怪我をしないように見張ればいいだろう。実際、最近は練習漬けだ。本人も休息が必要だろう。
「大丈夫大丈夫! 二、三日で落ちるような腕だったらオレたちもここまでは来れねぇ。それに山の中で自主練できるって考えると逆にわくわくする!」
「結局ただの野球のためじゃねぇか!」
こいつといるとすぐ調子が狂ってしまう。だが、そういう素直で優しいところもお前のいいところだよな。
「ただし条件だ。今度の野球部の合宿、俺もそっちに手伝いに行く。勉強会なんて元はお前のついでだ。お礼をされるほどのことじゃない」
ヨウちゃんが俺のために時間を使ってくれるというのなら、俺は倍にしてヨウちゃんのために貢献する。それが俺が立てた誓いだ。
「ソウちゃんはほんと真面目だなー。わかったよ。監督に伝えておく。それよりさ」
「何だ?」
「星河先輩、さっき気になること言ったような…今日部室来なくていいとかなんとか…」
「げっ」
またとんだ爆弾を残してくれやがりましたね、部長。
「げって、やっぱりソウちゃんってばわざわざオレに会いに来たんじゃん! もう素直じゃないからー」
本当に余計なことにばっか頭が回る。勉強でそれくらい頭が回れば苦労も少し減るのだが。
「あれっ、ソウちゃん、顔めっちゃ赤くなってんだけど。大丈夫?」
「痛っ! 何もデコピンすることもないじゃん! DVだDV!」
どうしたんだろう。また急に暑くなってきた。汗が滝のように流れて、全然止まる気配がない。臭くないかな。大丈夫かな。
「これで目が覚めたか、この寝坊助。勘違いすんなよ、オレはおじさんに色々とよくしてもらったんだ。お前の面倒を頼まれた以上、しっかりやるのが俺の流儀だ!」
それより、さっきから動悸が激しくなってる。息が苦しい。目がくらくらする。
「出た。ソウちゃんの照れ隠し」
「うっさいな。つうか! さっさと離せ! 幼馴染だからってこの距離感はおかしいだろ!」
ダメだ。これ以上だと頭が沸騰しちゃいそう。早く逃げないと。
「…」
「急に何だよ」
「幼馴染、な…」
「それが何かだよ」
「おーい。信太ー! 監督呼んでんぞー! 殺される前に早く戻ってこーい!」
日下部だ。いいタイミングで来てくれた。今度何か作ってあげよう。
「あ、小日向だ。今日も見に来たんだ。ベンチに来るか?」
「いや、大丈夫。今帰るところだから」
「…」
「ほら呼ばれてんぞ」
「チッ」
舌打ちなんて珍しいな。よっぽど模擬戦で何か嫌なことでもあったのだろうか。
今晩は好物でも作ってやろうか。
「…いってらっしゃいのチューは?」
「そんなもんはねぇよ。さっさと行け」
「チェー」
「…そうだ。今日の夕飯、肉じゃがだから期待しとけよ」
「…ッ! さっさと行くぞ、日下部!」
「えっ、ちょっと! 信太、走り早いって!」
同年代なのに、走っていった彼の後ろ姿ですら勇ましく見える。
あの頃は俺の方が身長高かったのに、気が付けばすっかり追い抜かされた。
今ではもう力でお前には勝てない。お前が本気を出したら俺は間違いなくお前の思うままになるだろう。
「…食材も買わないと。そろそろ帰ろう」
帰り際でもつい目で追ってしまう。
ああ…目が眩んでしまうほど、今日も太陽はまぶしかった。
目が眩むような夏の日 狩人の天文台 @Tdmboshi_DY
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