影響力と、真実も、疑惑も意のまま?

白鷺(楓賢)

本編

テレビの影響力は、インターネットが普及し、多様な情報源が増えた現代においても、依然として強大なものです。特に、災害時や緊急時には、即座に必要な情報を多くの人々に届け、命を守るための重要な役割を果たしています。また、ニュースや特集番組を通じて、社会問題や最新の知識を視聴者に提供するなど、日々の生活に役立つ情報も多く含まれています。


しかし、そんなテレビに対しても、時に疑問を抱くことがあります。特定のニュースや話題が過度に強調されたり、逆にほとんど報じられなかったりすると、「なぜこの情報はこんなに取り上げられるのか?」「なぜ他のニュースは触れられないのか?」といった疑念が浮かんできます。これが意図的な編集によるものなのか、単なるニュースの選別の問題なのか、視聴者としては判断が難しいところです。


情報の信頼性について考えるとき、SNSやインターネット上には誤情報やデマが多く含まれていることも事実です。ネット上で得られる情報には、意図的に事実を歪めて伝えたり、過剰に感情を煽るものも少なくありません。だからといって、「テレビの情報だけは正しい」と無条件に信じることができるでしょうか?そうではありません。テレビもまた、伝える内容や伝え方によって、視聴者に偏った印象を与えることがあります。


例えば、ある事件やスキャンダルが繰り返し取り上げられると、「本当にこれほど重要なニュースなのか?」と首をかしげたくなることもあります。逆に、重大な出来事がほんの短い時間しか報じられないと、「なぜもっと詳しく伝えないのか?」と不満を感じることもあります。こうした報道の偏りが、情報の信頼性に疑問を抱かせる原因になっています。


また、テレビ出演者の言動が切り抜かれて、SNSで拡散されることも増えています。言葉の一部分だけを取り出して、元の意図とは全く異なる形で広まることで、誤解や炎上が生じるケースも少なくありません。これは、テレビ自体が悪いわけではなく、情報が切り取られ、歪められてしまうことが問題です。しかし、その切り取りの元になる素材を提供しているのはテレビであり、放送内容の影響力がそれだけ強いことも事実です。


さらに、精神障害や社会的弱者に対する報道や特集に関しても、テレビと当事者の感じ方には大きな隔たりがあると感じることがあります。報道の意図は理解できても、どこか現実とズレた内容だったり、過剰に悲劇的に描かれたりすることがあり、「これは本当に私たちを理解して伝えようとしているのだろうか?」という違和感を覚えます。このように、どんなに優れた報道であっても、全ての視聴者にとって満足のいく内容になることは難しいのかもしれません。


情報というものは、送り手と受け手の間で常にズレが生じるものです。送り手が「正しい」と思って伝えた情報でも、受け手の状況や感情、経験によって、全く違った解釈をされることがあります。だからこそ、情報を受け取る私たちは、常にその情報の背後にある意図や編集方針、そして他の視点をも考慮しなければなりません。つまり、「この情報が伝えたいことは何か?」「他の視点ではどう伝えられているのか?」といった、批判的な視点を持つことが重要です。


今は、誰もが多様な情報に簡単にアクセスできる時代です。しかし、その分だけ誤った情報や偏った見方も氾濫しています。だからこそ、私たち一人ひとりが、情報をしっかりと精査し、理解し、自分なりの判断を下すことが求められています。テレビもSNSも、ただ信じるのではなく、自分の視点で見極め、正しい判断をすること。それが、これからの情報社会を生き抜くために必要な力なのだと思います。


影響力の大きさに振り回されることなく、常に冷静な視点を持ち続けること。そのためには、日々の情報収集や学びを怠らず、広い視野を持つことが大切です。情報は善にも悪にもなり得るものであり、それをどう受け取り、どう行動に移すかは、私たち自身の意識にかかっています。真実を見極め、疑念にも耳を傾け、賢く情報と向き合っていきたいと思います。

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