第24話聖アンディに乾杯

「今週の末が聖夜ですね」

「聖夜?」

「ええ、いい子にしているセラフィにはきっと聖アンディのプレゼントが届くと思いますよ」


 セラフィは意味がわからなくて首を傾げた。


「聖っていうのは、珍しい光魔術の称号だよね。アンディって誰?」


 魔術の本で見たことはない。


「……セラフィ、聖アンディを知らなかったのですか?」


 セラフィは、アレクシスの声音に驚きを感じた。皆が知っていることなのだろうと気付いて赤面した。

 セラフィは秋に九つになった。春にアレクシスと出会うまでセラフィは家族や信頼できるもののいない世界で暮らしていた。今は家族だけでなく、アレクシスという信頼のおける護衛騎士見習いやカリナやエドアルドという魔術の先生がいて何不自由なく暮らしているが、その前は偏った知識を植え付ける教師しかいなかったのだ。


「知らない」


 知らないことを責める人がいなくなっても、セラフィはその言葉を告げるとき、緊張で身体が固まってしまう。鞭で打たれる心配などないとわかっていても、記憶は簡単に消すことができなかった。


「セラフィ様、知らないことは識ればいいだけです」


 セラフィが緊張するとアレクシスはそっと抱きしめてくれたり、手の甲を大丈夫だというようにトントンと叩いてくれる。そうすれば身体のこわばりが溶けて、セラフィは微笑むことができた。


「アレク、教えて?」

「ええ。明日、本を持ってきますね。今は簡単に説明しますね」

「うん。アレク、お膝にのっていい?」

「いいですよ」


 アレクシスは難しい本ばかりを読むセラフィに「絵本も楽しいですよ」と言って毎日のようにもってきた。アレクシスは兄弟が多いせいか、絵本を読むことが上手だった。弟や妹にするようにしていいですか? とセラフィに許可をとって、膝に乗せて読んでくれるのだ。耳の後ろから聞こえるアレクシスの声は臨場感に溢れていてセラフィはアレクシスが絵本を読んでくれることを心待ちにするほどだった。


「聖アンディはね、昔の人なんです。彼はそれほど裕福なわけではなかったけれど、街の恵まれない……親がいなかったり、食べ物に困っている人たちに食べ物を分け与えました。彼は魔術師として働いたお金をすべてそのために使っていたそうです。お仕事が終わってから家に帰り、沢山料理をつくって……、魔法で空に光を掲げました。それが合図なんです。その光が見えたらお腹の空かせた子供達は彼の元に集まりました。皆でわけるのでそんなにあるわけではなかったでしょうね。でも彼の優しい気持ちは周りの人を動かし、やがて神殿をも動かしました。そこから、神殿での施しが始まったとされています。彼は亡くなると神殿から聖人としての称号を受けました。彼が亡くなった日を聖夜とし、その日は彼の功績と人柄を称えるんです。街でも神殿でも沢山のご馳走を用意して子供達を迎えるんですよ」

「ご馳走?」

「ええ、ご馳走です」


 想像するだけで楽しそうだ。沢山の人がいて、ご馳走が並んでいて……。


「いいなぁ、僕も……」


 その次の言葉をセラフィは飲み込んだ。行けるわけがない。言えばアレクシスを困らせるだろう。


「僕も?」

「何でもない! アレク……、勉強の時間だから、行くね」


 まだ少し早いけれど、セラフィはそう言ってアレクシスの膝から飛び降りた。


「セラフィ様!」

「アレクも勉強の時間でしょ。また明日!」


 まだ見習いのアレクシスはセラフィに付いていられる時間はそう長くない。騎士としての勉強は離宮だけではできないからだ。


「セラフィ様……。もっと我が儘を言ってもいいんですよ」


 人よりも精霊の祝福の多いセラフィは、そんな呟きさえ聞こえてしまう。寂しげなアレクシスの声に、セラフィは胸が苦しくなるのを感じた。



「アレク、見て。光が灯ったよ」


 王都の聖アンディの灯りは光魔術師が灯す。光が輝けば、それが祭りの合図だ。 

 初めて聖アンディの話を聞いて、街の祭りに参加した日のことをセラフィは覚えている。魔術が使えなくなる(本来は拘束具)ブレスレットと髪の色を染める魔術を用いてセラフィはアレクシスとカリナに連れられて街に初めて出かけたのだった。十年以上昔のことだ。


「セラ、駄目です。迷子になりますよ」

「大丈夫だよ。僕にはアレクが聖アンディの光よりももっと輝いて見えるから」


 セラフィとアレクシスは変装をして街の祭りに参加していた。セラフィと呼べないのでセラと偽名を呼ばれているのが少し照れくさい。


「ほら、走るから頬が赤いですよ」


 それはアレクシスがセラと呼ぶからだ。何故なら、時折セラと呼ばれることがあって、それは大体閨の中なのだ。


「アレク、もう僕は子供じゃない。そんなに心配しなくても大丈夫だ」


 今は魔術師団の一員として魔物を狩っているのだ。


「子供なんて思っていませんよ。それは私が一番知っていますからね」


 そう言ったアレクシスの顔がそれこそ昨日の夜と一緒で、セラフィの頬はさらに赤さを増すのだった。


「もう、ほら。鶏食べたい!」

「いい匂いですね。いくつ食べますか? 五本……いや八本かな?」

「あの子達の分もですね」


 焼き鳥屋さんの周りで匂いにつられてきた子供達が涎を垂らしている。


「親父、五本と……あと焼けてる分全部だ」

「ああっ! ありがとうございます!」


 驚いた焼き鳥屋の親父は声を裏返らせて、端から勘定していった。


「ほら、お前達このお兄さんにお礼を言え」


 親父の声を遮って、アレクシスがこちらを指さした。


「あっちのお兄さんからだ。聖アンディの祝福を」


 アレクシスの言葉に、皆が「聖アンディの祝福を」と復唱してこちらに向かって手を振ってくれた。

 

「焼き加減が最高だ。アレク、食べないの?」

「手を塞ぎたくないので」

「アレクはもう護衛騎士じゃないのに。僕の旦那様なのに……」

「セラフィを守るのは私の役目……役得? ですからね。誰にも譲りませんよ」


 自慢げに言われて、セラフィは笑った。


「じゃあ、僕が食べさせてあげるね。ほら、アレク、あーんして?」

「あーん……なんてだれが教えたんですか?」


 一瞬でアレクシスの目が凍ったように見えた。ただでさえ夜は冷えるのに、止めて欲しい。アクレシスはきっと氷の精霊とか雪の精霊に祝福を受けていると思う。


「兄様が、アレクにしてやれって」

「あの人は……。本当に私達を揶揄うのが好きですね」

「兄様、アレクのこと好きだよね」


 あーんしてあげたのに、アレクシスは口の中身を噴き出した。アレクシスらしくない。


「すみません。せっかくあなたに食べさせてもらったのに……」

「大丈夫だけど」

「あ、セラ。あそこに甘いものがありますよ」

「うん、食べたい」

「いくつ食べますか?」

「あれは一つでいいよ」


 小麦と玉子を薄焼きした皮でクリームとジャムや果物を包んだお菓子だ。


「一つでいいのですか?」

「今日は魔法を使ってないから大丈夫だよ」


 魔法を使うと何故か甘いものが食べたくなるのだ。魔法使い全般の症状だから、魔法を使うときに栄養素を使っているのだろう。


「わかりました」

「あの周りにも子供が沢山いるから」

「わかっております」


 アレクシスはパートナーになった今でもセラフィに丁寧な口調を崩さない。それはセラフィを大切に思っているからだとわかっているけれど、少しだけ寂しいと思うのは贅沢なのだろうか。


「随分羽振りがいいじゃねーの」

「俺たちにも恵んでくださいよ~」


 明らかに酔っているとわかる若い男に背後から声を掛けられてセラフィは振り向いた。柄が悪いけれど、強そうにも見えない。一瞬アレクシスを呼ぼうかと思ったけれど、セラフィは止めた。子供達の沢山いる場所でボコボコにするわけにもいかないと思ったからだ。


「うわ、こいつめちゃ可愛い」


 髪の色は変えているから魔法使いだとばれていない。


「あっちに行こう」


 木の陰にセラフィは男達を誘った。


「ひょー、相手してくれんの。五人もいるからあんた潰れちゃうぜ」


 相手は相手だが、喧嘩の相手だ。誤解しているようだが。セラフィも魔法学校を経て魔法師団に勤めて、どこにでもくだらない男がいることを知っていた。


「全部つるっぱげにしてやるよ」


 隠しもっているいくつもの魔方陣のメモに魔力を注げば魔法は完成する。五つ分の魔力を魔方陣に込めて叩きつけた瞬間、男達は吹っ飛んでいった。きっとつるっぱげになっているはずだ。


「ぐぁあああ!」


 魔獣のような声は男達から聞こえて、瞬間セラフィの目には暗闇が広がった。それがアレクシスの掌だとわかる。


「何故私を呼ばない!」


 雁字搦めにされて、セラフィはアレクシスの体温を感じた。


「アレクを呼ぶほどのことじゃ……」

「私はセラフィの護り手だ」


 アレクシスから怒りを感じた。普段と違う言葉遣いにドキドキしながら、セラフィはアレクシスの拘束をやんわりと解いて抱きついた。


「アレク、ドキドキする」

「怖かったのですか?」

「ううん、怖くないよ。アレク、キスして」


 ドキドキはドキドキでも違うドキドキなのだ。


「セラフィ……。あっちにいきましょう。ここはうるさい」


 チュッと唇に触れるだけのキスに物足りなさを感じたけれど、後ろでなにかうめき声が聞こえてるし我慢しないと。


「殺してないよね?」

「聖アンディに悪いので、殺してません」


 そうか、聖夜じゃなかったら殺されていたのか。


「なら行こう」


 この男達は聖アンディの聖夜に相応しくない。


「お兄ちゃん、ありがとう。これお兄ちゃんの分ね」


 アレクシスが戻ると、子供達がアレクシスに巻き巻きお菓子を渡そうとしてお礼を言った。


「これはこちらのお兄さんからだよ。渡してあげて」


 アレクシスはセラフィの背を押した。

 ソッと手渡されたお菓子はとても美味しそうだった。子供達はあちこちにクリームをつけて美味しそうに食べている。


「ありがとう。お嬢さん」


 女の子はセラフィが受け取ると、真っ赤になって駆けていってしまった。


「僕、何かした? 怖かったのかな?」

「いえ、あれは照れてしまったんでしょう」

「そうかな。それならいいんだけど」


 パクッと食べると、真っ白なクリームが沢山はいっていた。そして色々な果物やチョコレート。


「美味しい」

「よかったです。私にも味見させてくれますか?」

「うん、いいよ。はい」


 差し出すとそれを片手にもったまま、アレクシスはセラフィを抱き寄せた。


「え? んっ!」


 アレクシスの口は巻き巻き菓子でなく、セラフィの口に押しつけられた。


「んぅ……っ!」


 アレクシスは唇を押しつけるだけでなく唇の中まで入ってきて、セラフィの舌を絡め取った。

 甘いのはクリームだけではないような気がする。


「あーチュウしてる!」

「チュウだ!」


 子供達のはやし立てる声にハッと意識が戻ってきた。


「アレク!」


 慌てて離れると、アレクシスがクスッと笑った。


「キスしてほしいって言ってたでしょう?」

「だって、アレクが怒って……凄く格好良かったから。ドキドキして」

「格好いい?」

「何故私を呼ばない! とか、私はセラフィの護り手だとか。普段のアレクの口調も好きだけど、いつもと違って……」


 それを聞いていた子供が「ギャップ萌えっていうんだよ、お兄ちゃん」と叫んだ。


「ああ、なるほど」

「アレク、ギャップ萌えが何かわかるの?」

「わかりますが……、私のアイデンティティが……」


 酷く複雑な顔をしたアレクシスに何故か笑いがこみ上げてきた。


「アレク、家に帰ろう。僕、アレクにもっとキスしたいし、してほしい」

「……眠らせてやらない。覚悟して……覚悟しろ」


 胸が痛い。好き。


「うん……」


 お兄ちゃんがんばれ~と子供達の声援をもらいながら帰途についた。

 その後のことは想像におまかせする。聖アンディに乾杯! 


                        【Fin】


 


 




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諦めたはずの騎士からの愛情に溺れそうです さちさん @sinonomesati

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