第6話

愛でお腹は膨れないし、期待すれば馬鹿を見る。


彼がこの結婚を自分の利益のために選んだことは明白なんだから、こっちもそういう腹積もりでいれば、これ以上自尊心は傷つかない。


甘い夢に浸りかけて裏切られた拗らせ大人女子舐めんな、と言いたい。


それなのに。


「明日香、長く家を空けることになってごめんね?変わりない?別宅は俺と明日香の家なんだから、なんでも好きにしていいんだよ?人の手は足りてる?家のことは使用人に任せて、明日香は好きなことをして過ごしていいからね?」


境界管理の忙しさは知っているし、ただでさえ人手不足の業界なので、しっかり働いてもらいたい。


だから、定期連絡は不要です、と何度も伝えているのに、彼は毎日のようにこうして電話を架けてくる。


一緒に暮らし始めてからずっとだ。


すぐに遠方調査の仕事が振られたのは、明日香的にはラッキーだと思ったのに。


こうも毎日電話が来たら、どうしたって気持ちがかき乱されてしまう。


しかも、テレビ電話がいい、顔を見ないと安心できないと言われて、ほんとに頼むから私を好きな振りはやめてくれと叫びそうになった。


顔出しNGなんで、とどっかの芸能人みたいな逃げ文句でどうにかごまかして、普通の電話で勘弁してもらっている。


「使用人の人にあれこれ頼むほうが不便なので、自分で出来ることはやります。っていうか、この家、無駄に部屋数多くありません?パーティーとかする予定があるんですか?」


客室が4つもある豪邸は初めてだ。


主寝室に独立したシャワーブースがあるだけで驚きなのに。


これで別宅なのだから、本邸のなかは、もっとすごい部屋数なのだろう。


応接しか見たことがないので詳しくは分からないが。


「昔は財界人とか、海外のゲスト招いて迎賓館代わりに使ってたんだよ。俺たちにその予定はないから、まあ、将来の子供部屋だな」


「子供っ!?」


一番二人から縁遠いはずの言葉が出て来て、明日香は目をむいた。


「なんでそんなに驚くの?俺たちは夫婦だし、明日香だっていつかその気になるかもしれないでしょ?うちの親はまあせっついてくるだろうけどね。二人ともまだ若いし待たせておけばいいよ」


「そ、そういうのは他所の女性とされてはいかがでしょうか!?私は、愛人とそのお子さんも喜んで受け入れますし!なんなら、私が別の家に移っても」


昼ドラでよくあるパターンではないか。


愛人が我が物顔で家の中を仕切って、本妻が拗ねて出ていくやつ。


いや喜んでポジションチェンジしますけど、と前のめりになれば。


「何言ってるの。俺と明日香の愛の巣に、ほかの女なんて入れないよ」


「愛の巣」


どうしよう、ものすごく不可解な言葉が聞こえてきた。


「あ、もしかして、明日香も俺の勝手な噂を信じたりしてる?そりゃあね、仕事柄そういう女性とお近づきになることもあるよ。あるけど、俺そこまで奔放じゃないからね?きみと結婚するって決めてからはそれはもう身ぎれいにしてて、ほんとに最近ご無沙汰で…って、明日香、聞いてる?」


「………ここって、愛の巣なんですか?」


「スイートホームって呼ぶほうがいい?」


愛の巣もスイートホームも、どこか別世界の言葉だと思っていたのに。


どうして嬉しそうにその単語を碓井が口にしているのか。


明日香のことなんて、これっぽちも好きじゃないくせに。


さすがの明日香も、これでは勘違いしてしまいそうだ。


緩んできた心を引き絞るように強く握った拳で胸を押さえる。


「そうじゃなくって……私、ほんっとにそういうの、期待してませんから!」


「期待してもらわないと困るよ。俺の頑張り損になるでしょ」


しれっと言われて、さらに混乱が増した。


「え、でも、この結婚は」


「俺が望んできみを選んだ。明日香には悪いけど、離婚するつもりはさらさらないから、俺に愛される道しか、きみにはもう残ってないよ」


俺は仮面夫婦にはならないから、ちゃんと歩み寄ってね、と言われて、見えないはずのハートマークが脳裏に浮かんだ。


え、待って、いま私碓井惺に口説かれてるの!?


無理無理無理!!!!!


「ひいいいいいいっ」


頭を抱えてベッドに突っ伏したら、碓井が興味津々の声音で尋ねて来た。


「え、それって嬉しい悲鳴?ねえ、ほんとに顔見たいんだけど、どうしてもだめ?」


もう何日も明日香の顔見てないよ、とぼやかれても困る。


「ダメに決まってるでしょ!」


こちとらどすっぴんな上、ベッドでじたばたもがいて髪もぼさぼさの状態なのだ。


「俺は、明日香はちゃんと俺のことを信じてくれてると思ってるから」


「なに勝手に希望的観測を…」


「だって、明日香、俺の事好きだよね?」


「………う、っううう碓井さんって、実は馬鹿なんですか!?」


もうほんとになんなのこの人。


涙目で夫になった男をなじったら。


「これでも一応国立大出てるんだけどね」


至極真面目な返事が返ってきて、明日香は途方に暮れて天井を見上げた。

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仮嫁のススメ〜格差婚の仮初め妻は夫の本音がわからない〜 宇月朋花《2026年秋頃閉店予定》 @tomokauduki

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