終章「四方の海のきらめき」
「八〇年前の第二次世界大戦では、日独伊三国の枢軸国は、植民地に乏しかったため経済が行き詰まり、既に多くの植民地を持っていた強者である米英仏などの植民地帝国に挑戦しました。秋丸機関の予測に基づき東南アジア及び環インド洋資源帯を手に入れた枢軸国は連合国に伍する実力を手に入れましたが、ドイツは自民族優位のイデオロギーを主張し、生き残りを賭け植民地のみを求めていた日本と袂を分かちました。ドイツの影響力の下、イタリアも離反し、二カ国は新たな枢軸を形成しました。一方、日本は連合国と講和し、新連合国となり、新枢軸と対立しました。そして、一九四三年九月のニコラエフスクの戦いを機に、新連合は徐々に反転攻勢を強め、一九四五年八月、ドイツ・ヒトラー総統暗殺事件を機に、新連合国と新枢軸国は講和に至りました」
二〇二五年。あるうららかな五月の日、千登勢玲香(ルビ:ちとせ れいか)は、ほとんど居眠りをしながら授業を聞いていた。
「さて、講和はどこで結ばれましたか? 千登勢さん」
玲香は急にあてられ、慌てて立ち上がった。
「えっと、モスクワです」
「そうですね。シベリア戦線で新連合が攻勢を強め、モスクワまで攻めたところでドイツが講和を打診してきました」
「一九四五年八月には、もう一つ重要なできごとがあったはずですね、はい、プリシラ・ブラッドフォードさん」
プリシラはイギリスからの留学生だ。調理実習でいつも味がしない料理を作ること以外は、眉目秀麗、文武両道でとても頼りになるクラスの人気者だった。
「スペイン風邪ワクチンの完成です。このとき以降、二〇年にわたっていびつであった男女比は元に戻っていきました」
「はいよくできました。授業では第一次・第二次世界大戦を分けて教えていますが、この時期は世界にとってあらゆる意味で困難な時代であり、一つにまとめる考えもあります。事実、この時代以降、インド洋憲章に基づき各国の植民地は安定的に自主独立の道を歩みつつ発展し、世界は平和を保っています」
そこでチャイムが鳴る。
「はい、それでは今日はここまで。今日の内容はクラウドフォルダにありますから、おうちでも復習しておいてくださいね」
「玲香、一緒に帰らないか」
プリシラが誘ってくる。留学してきた日から、このプリシラという少女は、なぜか玲香に「なついて」いる。
「いいけど。でも栗花落屋のフィッシュアンドチップスはだめだからね」
「そうか……」
少ししゅんとした。
「いいけど、あれあぶらっこくて味がしょっぱくてだめなのよね。糖菓子キャンディーにしようよ、あるいは糖菓子アイスでもいいけど。あれは後を引く味で好き」
「まあお主の好きにすると良い」
プリシラはしぶしぶといった様子で従う。
樺太庁、大泊市。
二人は海の見える眺めの良い丘で、八〇年以上の伝統を誇るという糖菓子アイスをなめていた。
宗谷海峡の海がきらきらと輝き、北海道まで見通せるように、空気が澄んでいる。
「プリシラはなんで留学してきたの」
「英国はもう安心だと思ってな」
「安心?」
「いや、妾は生まれてからずっと、英国の家族と一緒にいたのだが、もう妾がいなくても安心だと思えるほど平和になったということだ。そうすると、日本という国が見てみたくなった。ある女がかなりこだわって守りたがっていた国だったのでな。その女はまだ古い約束にしばられていて、妾と一緒になろうとせん。ならその女のことをあらかじめよく知っておくため、日本に来るのも良いと思ったのだ」
「ある女? 守る? ときどき意味が分からないこというね、プリシラは」
「たぶん妾の日本語が変なんだろう。しかし文法は間違っていないはずだ」
「そう? それならいいけど」
「日本は好きか」
「――まあね。そこそこ安全だし、食べ物はおいしいしね。あ、でも世界中がそうか。だったら世界のどこでもいいかもしれないけど、家族がいるのは日本だからね。そうだなあ、私がいて、家族がいて、日本があって、世界がある――私はそういう世界そのものが好きなんだと思う。日本だけじゃ、寂しいからね」
すん、と隣で鼻をすする音がした。
「なに? 急にどうしたの? 泣いてるの?」
「いや、なに、良かったなと思ってな。妾はときどき、心が摩耗して、何のために生きているのか分からなくなるときがある……だが、こういう瞬間には、本当に妾が戦い、守ったものが残っていて、良かったと思うこともあるのだ」
「変なの。アニメの話?」
「いや、歴史の話だ」
プリシラは、そうつぶやき、それから急に玲香の肩を抱いて、ゆったりと頭をなでてきた。まるで祖母か、もっと遠い祖先のように。
玲香は目を細めた。
奇矯な振る舞いだが、プリシラはいい匂いだし、悪い気分ではなかった。
彼女の視線は、海を、そして、もっと遠い世界を見はるかす。
かつて困難な時代があった。
それが今の平和な時代に変化したのは、自然な成り行きではなく、そのために血を流し、努力してきた人々がいたからなのだと、プリシラの言葉から、ふと連想した。
「ありがとう」
誰にともなく、玲香は告げた。
了
吸血姫の密約 〜吸血鬼になってしまった私が、女子ばかりの日本軍を指揮して第二次世界大戦を戦い抜きますっ〜 山口優 @yu_yamaguchi_
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