第9話

「ーーーー!」


 恒矢は目を見開く。


「今の、は……」


 思い出した。

 今のは、久澄恒矢の最後の記憶だ。

 思い出したいと思っていた記憶。

 だが……今は、激しい後悔が心を埋め尽くしていた。


「俺が……渚さんを……」


 戦場は流動的で、状況を完全に予測することなどできはしない。

 だが、間違いなく渚の死の原因になったのは自分の行動だったのだ。


 それを思い出してしまった。


「そんな……」


 混乱する恒矢の耳に、さらなる混乱を招く声が届く。

 

「恒矢……さん……?」


 下を見る。

 天音雫。

 先ほどまで血を流して倒れていた彼女の口から、漏れ出た声。

 彼女は上体を起こす。

 その身体には何の負傷もなかった。 


(『治癒』が、他人に……?)


 あるはずの無いことが立て続けに起きた。

 使えなかったアーツが使えるようになったうえ、そのアーツが本来起こせないはずの結果が生まれた。

 わけのわからない事態に驚愕したのはしかし一瞬。

 次には恒矢の心に安堵が生まれた。


「……良かった……」


 依然笑えるような状況では無いが、とにかく雫の命が助かったのだ。

 恒矢は雫に向けて手を伸ばす。

 何とかして状況を打開しようと、そう言うために。


 だが、


「いやっ……!」


 雫は恒矢の手を払った。


 瞳にはっきりと拒絶の意思を浮かべていた。

 荒く息を吐きながら恒矢の顔を見る。

 

「……恒矢さん、が、お姉ちゃんを……」


 その言葉を聞いて恒矢は悟った。


 理由は分からない。

 他人に作用した『治癒』の影響かもしれない。


 自分が先ほど見た光景が雫に伝わっている。

 姉の死に様と、その原因が。


「そう、だったの……」


 雫が両目を腕で覆った。


 覆いの下から、涙が流れていく。

 その唇から、「ああ……」と吐息が漏れる。


「……ば……のに」


 最初は小声でぽつりと。

 そして次に、はっきりと雫は言った。


「お姉ちゃんの代わりに……あなたが死ねば、良かったのに……」




***

 



 沈黙が落ちる。

 

 そこまで長い時間では無かったはずだ。

 

 悠長にしていられる暇は無いのは、瓦礫の壁から断続的に響く衝突音からも明らかだろう。


 もうすぐあの化物は自分たちの前に姿を現す。

 

 だが恒矢は動くことが出来なかった。


 雫の言葉が恒矢の動きを止めていた。


 戦場は流動的で、状況を完全に予測することなどできはしない。

 だから自分は悪くない。

 あんな状況で責任を問えるはずも無い。

 夢かもしれない。

 位置が悪かっただけ。

 

 次々と生まれる言葉達は、脳の外縁まで浮上し弾けて消える。

 

 取り繕うには軽すぎるのだ。

 渚の死の原因になったのは自分の行動だったと認めているから。


 敵の腕が瓦礫の壁を崩壊させた。

 

『ミツケタ……カエシテ……』


 わけのわからないことを喋りながら、化物が恒矢の身体に腕を振り下ろす。

 潰すためでは無い。

 捕まえるためだ。


 恒矢は抵抗しなかった。

 掴んだ身体を持ち上げて、化物が口を開ける。


『ヒトツニ』




***




 恒矢が喰われるところを雫は見ていた。

 ただ見ているだけだったのは理由がある。

 唐突に情報を流し込まれた脳は正常なはたらきをしなかった。

 目の前で起きていることに反応することができなかった。

 要するに呆けていたのである。


 まともな思考が出来るようになったのは、恒矢が喰われる前に振り返って雫の方を向いたためだ。


 恒矢は言った。


「……死なないよ」


 直後に言葉通りのことが起きた。


 恒矢の頭を口にくわえた化物。

 その動きがピタリと止まった。

 そしてぶるり、と震えたかと思うと、その身体が輪郭を失い始めたのだ。


 戦場に出たことのない雫には分からないことだったが、それはエーテルの光だった。

 化物の身体がどんどん薄れ、光の粒子となる。

 そして粒子は恒矢の身体に吸収されていく。


 輝きが収まった時、既に化物の姿は無かった。

 そこには普段通りの恒矢が立っていた。


 しかし変わっていたのは。


「……お姉ちゃん?」


 恒矢の隣に、一人の女性が立っていた。

 渚だった。




***




 恒矢が掴まれ、喰われると思ったその瞬間。

 全ての時が静止した。

 そのように恒矢は思った。

 

 拘束された自分。

 腕を持ち上げる化物。

 ぼんやりとそれを見ている雫。 


 全てがその瞬間で止まっている。

 そして、頭の中に声が響いた。


『間に合いました』


 次の瞬間、恒矢は吹雪の雪原に立っていた。

 夢で見た、記憶で見た景色だ。

 これは死の刹那に垣間見た走馬灯なのか?

 しかしこのリアリティは、とても夢や幻想の類いとは思えない……。


 恒矢の頭を疑問符が埋め尽くそうとしたところで、吹雪の向こう側から誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。


 黒い制帽と制服。

 凜とした表情。


 何よりも記憶に焼き付いた天音渚の姿だ。


「こんにちは、恒矢」

 

 だからこそ恒矢はすぐに気付いた。

 天音渚の姿をしたこの女性が、天音渚ではないことに。


「君は……誰だ?」


 すると渚ではない何者かは、微笑を浮かべる。


「私はあなたたちの言葉でプラキドールと呼ばれる者。

 『統率者(オペレーター)』です。

 この姿は、あなたに馴染みの深いものとして模倣しました」


「『統率者(オペレーター)』……」


 久澄量河が破壊したはずの?

 そんな恒矢の疑問を先取りして、彼女は答えた。


「私は二代目です」


 そして空に向けて指を鳴らす。


「順を追って説明しましょう」


 その瞬間、景色が一変した。

 極寒の雪原から、豊かな実りを抱えた農園へ。


「最初の統率者……『母』がどうして生まれたのかは分かりません。

 高次元のエネルギーによる低次元接触用のインターフェイス……と言ったところだとは思いますが」


 農園の作物をかき分けて白銀の身体、翡翠のスリットが特徴的な生物が現れる。


「『母』の目的は『接触(コンタクト)』。

 だから人の近くに現れた」


 農園に現れた異物に、作業に従事していた金髪の男が気付いたようだ。

 彼は弾かれたように近くの自宅に飛び込むと、しばらくして銃を構えて飛び出してきた。

 そして発砲。

 弾は異形の生物の身体に当たるが、何の痛痒も受けた様子はない。

 男は怒声をあげながらさらに多くの弾を撃ち込む。

 しかしいずれも、白銀の身体を傷つけるには至らない。

 しばらくして男は歯噛みしながらまた家に戻っていった。

 異形の生物は一瞬、首をひねるような動作をした後で空気に溶けるように姿を消す。

 男がさらに武装を強化して戻ってきたとき、そこには誰もいなかった。


「『接触』は成功しました」


 隣に立つ少女がそう言うので、恒矢はつい、


「失敗してたろ、どう見ても」


「『母』にとってはあれで良かったのです。

 これで『母』は『接触』の方法を学んだ。

 人に対しては、あのように接すればいいのだと」


 場面が次に切り替わる。

 崩壊する都市。

 人々の悲鳴が飛び交う中プラキドールが無言で街を歩いて行く。

 見つかった人間は突かれ、斬られ、潰され、射られて倒れていった。


「攻撃することが『接触』だと思ったのです」


「それは……」


 なんとも稚拙だな、と恒矢が考えたところで、


「幼稚でしょう?

 私もそう思います」


 彼女がまた指を鳴らす。


 次の場面もまた崩壊した都市。

 ただし今回はいくらか様子が違う。

 人々はただ蹂躙されるだけではない。

 プラキドールに向かい合った男の手に光が収束して、放たれる。

 エーテル・アーツがプラキドールの核を貫いて、崩壊させた。

 その後も多種多様なアーツが放たれて、プラキドールは次々と討ち果たされていく。

 

「『母』がこの次元に持ち込んだ法則。

 エーテルによって一部の人類が『セカンド』に進化した頃。

 『母』は自らの行動に疑問を持ちはじめました」


 また場面が変わる。

 今度は、狭い空間だ。

 淡い輝きを放つ異形に対して、対峙している青年がいる。

 量河だった。

 量河が振り上げた手に光が収束し、異形に対して放出される。

 異形はそれを正面から受け、全身を粒子化させて砕け散った。


「追い詰められた『母』はあなたの兄……久澄量河に滅ぼされた。

 私はその時に『統率者(オペレーター)』の役割を受け継いだのです」


 場面が変わる。

 恒矢の目の前に、自分と渚が雪原を歩いて行く姿が映し出された。


「初めの私は『母』に作られた索敵用個体『探知者(サーチャー)』でした。

 私はたまたま見つけたあなた達二人の位置を全体に共有していたのです。

 しかし久澄量河が『射出』のエーテル・アーツを行使し、『母』の核にそれが届くまでの〇・〇二秒の間に……二つ、意味を追加された。

 一つは『母』を継ぐ新しいプラキドールの統率者。

 もう一つは『母』の疑問……『なぜ、自分は人類に負けたのか』に答えるため、人類の側にいて理解することでした」


 場面が変わる。

 『空襲者』の攻撃によって渚が致命傷を負い、恒矢が『治癒』を使おうとしていた。

 それを見ながら、『統率者』は胸に手を当てる。


「この時。

 天音渚さんを救うために、あなたは周囲のエーテルを吸収しました。

 自分の傷しか癒やせない能力の限界を超えるために。

 それは叶いませんでしたが、別の効果を生んだのです。

 役割を委譲されたばかりで不安定な存在だった私を、あなたはエーテルとしてその身体に取り込んだんですよ」


「え……?」


「あなたは私を吸収し、人とも、『セカンド』とも違う第三存在……言わば『サード』となった」


 雪原の風景が消える。

 二人の周りを暗闇が包んだ。


「ここまでの話は、おわかりですか?」


「……分からない。

 けど、君と融合しているからか?

 嘘を言っているんじゃ無いことは、分かる」


「そうですね。

 私にも、あなたの心が分かります。

 あなたの後悔。あなたの喜び。あなたの……喪失感」


 そして『統率者』の少女はおもむろに頭を下げた。


「だから私は謝らないといけません。

 あなたの記憶を消去したのは、私です」


「……そうなんだろうな」


「あなたに吸収された後、私はあなたの脳の中に居場所を作ることにしました。

 そこに以前からあったもの。

 最も脳の容量を支配するものを押しのけて。

 それがあなた自身の記憶と、他人に対する記憶だったんです」


「……今更言っても仕方の無いことだと思う。

 戻すことはできないのか?」


「できません。

 完全に削除されたものを戻すことは」


「そうか……」


 なんとなく、恒矢はそれについては予想していた。

 そして今は、気になることが一つある。

 だから記憶に関する話を一度頭の片隅に追いやり、


「どうして今、俺たちは襲われているんだ?

 あれは『統率者』……君の指示?」


 すると『統率者』の少女は首を横に振った。


「いえ。

 あれは私の『妹』です。

 『妹』の狙いは私です」  

 

 彼女は周りの暗闇の一点を見据える。


「私はあなたに吸収された時、統率者としての権限を失った。

 そしてその時……崩壊途中だったプラキドールの一体……私の『妹』が仮の『統率者』になりました」


 体中をぐずぐずに溶けさせたプラキドールが、闇の中から現れた。


「『妹』もまた私から引き継いで『なぜ、自分は人類に負けたのか』という問いを与えられていました。

 しかしその時、『妹』はすでにあなたと融合した私の姿を認識していた。

 だから『妹』はそれが理想であると考えてしまった。

 『妹』は『プラキドールと人類を同じモノにしてしまえば戦いはなく、したがって負けることはない』と回答したんです。

 だから、口のあるプラキドール……『捕食者(プレデター)』を生み出した。

 人と、一つになるために」


 そして風景は、最初に戻る。

 口を開けるプラキドール。

 飲み込まれようとしている自分。

 それを見ている雫。


 全ての時が止まった中で、恒矢の隣の空間に『統率者』の少女が浮いている。

 そして、恒矢を掴むプラキドール……『妹』を見て、哀れむように目を細めた。 


「私は、これを誤った解答だと思います。

 『探知者(サーチャー)』であったころから私は人を見てきました。

 その私は『母』の問いにこう答えます。

 『私たちは、争うこと無く共に在る』べきなのだと」


 『統率者』の少女は恒矢を見る。


「もうすぐ、時が動き始めます。

 あなたは死ぬことはない。

 所詮『妹』は臨時の『統率者』。

 これから存在を私は存在を確定させ、真なるプラキドールの『統率者』となります。

 その命令に逆らうことはできません」


「その前に、訊いてもいいか?」


「何ですか?」


 恒矢は雫に目を向ける。

 『統率者』が姿を借りた渚に、よく似た顔立ち。

 そこに傷はない。

 自分しか治せないはずの『治癒』が他人を治せたのは、自分と融合した『統率者』の意識が覚醒したためなのだろう。

 しかしエーテルを分け与えて傷を治した際に、記憶の一部が伝わってしまった……ということなのだと思う。

 その雫から言われた言葉がリフレインしている。


「俺が……死ぬべきだったのかな」


 恒矢は訊く。

 このまま現実に意識を戻した時にどんな顔をしていけばいいのか分からないから、少しでも気持ちを整理しようと思ってした問いだ。

 すると少女は一度きょとんとした顔をした後、ふふっと笑いを漏らした。


「私、あなたと融合しているとはいえ人外ですよ?

 まだ情緒を育てている最中の、言わば赤子。

 そんなの、ちゃんと答えられません」


「……うん、まあ、そうかもな」


 訊く相手を間違えた。

 そう思って目をそらした恒矢だったが、『統率者』の声がした。


「だから人外として答えますが。

 彼女の言葉は別に答えを期待してのものじゃないでしょう?

 それに、あなたがどういう思いであの行動をとったのかというのは、彼女の傷を治した時点で伝わっていますよ。

 だからあれはただの、膨張した感情の発露。

 仮に『死ぬべきだった』と言われてあなたが『そうだ』と肯定したとして……それで彼女の気が晴れると思いますか」


「…………」


「そもそも、あなたにだって死ぬ気はないじゃないですか。

 私に感情は隠せません。

 それはあなたが、彼女の言葉が本質的に無意味なことを悟っているからですよ」


「……そんなことは……!」


「私はこう思います。

 命を落とすことは仕方の無いこと。避けられない運命。そこで失われる命はたしかにある。

 けれど生き残ったのなら。

 その命を捨てることは愚かで、価値のないことです。

 死ぬべき命というものは、存在しない。

 だからあなたは、死ぬべき命では無い」


 『統率者』の嘘偽りのない言葉が伝わる。

 それを聞いた恒矢はしばらく沈黙した後ふっと息を吐き、


「……人外として、なんて言っておきながら……ずいぶん熱が入った答えをありがとう。

 でも結局のところ、『生きるか死ぬかはただの運』ってことだよな?」 


 わずかに笑みを浮かべながら言うと、『統率者』もまた笑う。


「言ったでしょう。

 情緒を育てている最中なんです。

 あなたの心に住むうちに、そんな無機質な答えを飾れるくらいには成長したということですよ」


「そうか……」


 恒矢は頷き、顔を上げる。

 迷いはもう無かった。


「ありがとう。

 時間を動かしてくれ」


「分かりました」


「……ああそうだ。

 ちょっと待ってくれ。

 その前に一つ、頼みが在る……」




***




 夏の日差しは暑い。

 恒矢は自室で着替えていた。

 それはここ半年親しんだ『セーフティ』の制服ではない。


「恒兄さん、支度できましたか?」


 階下から沙那の声がする。

 

「ああ」


 恒矢は鞄を肩に引っかけ、降りていく。

 

 と、居間のテーブルで、朝食のトレーを並べていた沙那が振り返った。


「似合いますね!」


「そう?」


 恒矢が照れくさそうに笑うと、キッチンでフライパンを振っていた量河も、


「いいんじゃないか?」


 そう言って笑う。


 恒矢が着ているのは半袖のワイシャツに、黒いスラックス。

 今度再会された学校の制服だった。

 沙那が、


「いいですねえ。

 私も学校、行きたいですけどもう少し後になりそうです」


「でも、もう仕事を納める目処はついたんだろ?」


「まあ、そうですね。

 もう『セカンド』同士が争う必要は無くなったわけですし」


「『強化』だけは残ってて良かったんだがなあ。

 あれ簡単に物を運べるからけっこう便利だったんだよ」


 量河が伸ばした腕を眺めながら言う。

 それを見て恒矢は、


(……そういうのって可能だったの?)


 心中で訊ねると、


(そんな都合よいことできるわけないじゃないですか。

 全部消すか全部残すかだけですよ)


(まあ、普通にそうか)


 脳のスペースを貸し与えている『統率者』の声に、恒矢は答えた。



***




 あの後。


 病院を崩壊させた『妹』は消え、恒矢と雫は救出された。

 死者数十人を出した惨事はしかし、局所的な地盤沈下によるものとして処理される。


 『妹』が消滅してしまった以上、正確な経緯は判然としなかった。

 不自然な点は数々あったが、それはあまり問題視されなかった。


 同時に起きたある一つの事態の影響が大きかったために、埋没したのである。


 全ての『セカンド』がエーテル・アーツを使用不能になったのだ。


 これによって、『セカンド』を前提とした治安維持体制などの仕組みは見直しを余儀なくされた。

 しかし元々人類には過ぎた力だったという認識も強かったため、多少の混乱はあったものの世界は次の体制に……つまり、プラキドールが現れる前の姿に戻りつつある。


 


***




「行ってきます」


 恒矢は家を出る。

 道を歩いていると、バスが傍らを通り過ぎていった。


(ずいぶんバスの本数が増えましたね)


(そうだなあ。

 今や一時間に10本は走ってるもんな)


 それに加えて復興は進み続け、今は建設ラッシュだ。

 久澄邸だけが悪目立ちすることも無くなっている。


(武装集団がいなくなって治安も良くなった。

 やっぱりエーテル・アーツ、無くなって良かったよ)


 アーツを消滅させたのは『統率者』の力だった。

 エーテルというエネルギーの管理権を持った彼女が、その力を人類から取り上げたのである。


(しかし一つ気になるんだけど……君の『母』はなんで自分の時にはそれをしなかったんだ?

 アーツが無ければ勝っていたんじゃないのか?)


(『母』は消滅の寸前まで、自らが攻撃をすることしか考えていなかったからです。

 本当に、幼い命だったんですよ。

 『母』が仮初めながらも知能というものを獲得しだしたのは、私たち『探知者(サーチャー)』を創り出してからのことでした)


(……なるほど……)


 心の中で『統率者』の話を聞きながら歩いていると、曲がり角から一人の少女が現れる。

 

「……あ」


 その少女は恒矢に気付くと、ぺこりと頭を下げた。


「おはようございます、恒矢さん」


「ああ、おはよう」


 少女……雫が自らの足で歩み寄り、恒矢の隣に並ぶ。

 その身に纏うのは、恒矢と同じ学校の制服だ。


「雫は学校、初めて行くんだよな?」

 

「初めて……っていうわけじゃないですけど、まあ、おおむねそうですね。

 小学校の入学式しか行ったことないですから。

 だから、ちょっと緊張します」


 雫が胸に手を当てるが、


「……でも、負けてられませんよね。

 せっかく普通に学校に通える身体になったんです。

 がんばらないと」


「その意気だな」


 恒矢は笑った。

 雫が前を向いていることが嬉しくなったからだ。


 それはやはり、あの日のことがきっかけだったのだろう。



***




「お姉ちゃん……?」


 雫は、恒矢の隣に浮かぶ渚の姿を見た。

 

「…………」


 渚は無言で笑みを浮かべている。


「お姉……ちゃん……」


 雫は起き上がり、ゆっくりと姉に近づいていく。

 足が動いている、なんてことは思考から消えていた。

 

 渚の前に立つ。


「…………」


 すると渚は、両手を伸ばし……雫を抱いた。


「あ……ぅ……」


 雫の唇がわななく。

 そして、目尻から涙が溢れた。

 強く、強く、姉の身体を抱きしめ返す。


「うっ……うああああああああ!! お姉ちゃん! お姉ちゃん……っ!!」


 堰を切ったように溢れる慟哭。

 それはいつまでも、止むことはなかった。




***




(ありがとうな)


 恒矢は『統率者』に感謝した。

 あの日、『統率者』は恒矢の頼みを聞き、姿を現してくれたのだ。

 

(正直、ちょっと困りましたけどね。

 姿を真似ているだけでしたし、結局何も喋れませんでしたし)


(いや、それでも良かったんだよ。

 それに、君が目覚めたから使えた『治癒』で、雫の足を動かせるようにできたんだ。

 本当に感謝してる)


(ダイレクトに感情が伝わってきますよ。

 照れくさいからやめてください)


(悪かったよ)


「何か笑ってます?」


 雫が恒矢の顔をのぞき込む。


「なんでもないよ」

 

「そうですか。

 ……そういえば、恒矢さんって同じ学校に通うんですよね。

 恒矢先輩って呼んだ方がいいんですか?」


「……いや、今まで通りでいいよ。

 それに、校舎は同じだけど課程は高校と中学で違うしな」


「たしかにそれはそう……ですけど……せっかくだからそう呼びたいなあ。

 お姉ちゃんから話を聞いてたんですよね。

 学校の作法みたいな、そんな話……」


「……渚さんのことだから、ちょっと盛ってたりしてたんだろうなあ」


「だから私は今から、答え合わせをしに行く気分なんです」


 そう言って、雫は歩いて行く。

 その足取りには、しっかりと力があった。

 

 恒矢はそれを見て、歩いて行く。


 『統率者』と融合した自分は、今や普通の人間とは違う。

 その歩みの歩幅は、もしかしたらいつかずれてしまうのかもしれない。


 けれど、歩き続ける。


 命が続く限り。


 生きている限り。

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プラキドール・ドミネーション 雨後野 たけのこ @capral

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