第8話
「恒矢……」
声が聞こえた。
「恒矢!」
また、声が聞こえた。
ゆっくりと目を開ける。
「平気か?」
そこに……渚の顔があった。
「……隊長……」
恒矢がつぶやくと、渚はほっとした顔をする。
「何が……起きたんですか……?」
「覚えてないか?
今は最終作戦の途中だよ」
「……ああ……そうか……」
そうだ。思い出した。
今、人類は存亡を懸けた最期の戦いの幕を切って落とした。
量河率いる本隊がプラキドールの『統率者(オペレーター)』に攻撃を仕掛けている。
その露払いと、後方から来る敵の迎撃が自分たちの役目……。
「そうだ……あの時、空から『空襲者(エアレイダー)』とそれに乗った『銃撃者(ガンナー)』と『強撃者(ストロンガー)』の襲撃を受けて……」
「ああ……恒矢、頭を殴られて倒れてたんだよ。
咄嗟に使った『治癒』が間に合ったみたいでよかった」
恒矢は周りを見回す。
雪原に、黒い服を着た人間が何人も倒れていた。
倒れている場所の雪が、血に染まっている箇所もある。
「プラキドールはなんとか撃退した。
……だが、小隊は崩壊した……」
渚が歯噛みする。
その髪の隙間からツウと血が流れた。
「隊長……それ」
「ん? ああ、心配ない。
『銃撃者(ガンナー)』の弾がかすっただけだ」
笑う。
しかし直後に顔を顰めた。
やせ我慢なのだろう、と恒矢は思う。
だが、渚は強い意志を持った瞳で、
「こんなの気にしてる余裕はない。
恒矢、悔しいがこの戦線は崩壊した。
他の小隊に合流しよう」
そう言って渚が雪原の先を指さす。
「……いいんですか?
ここががら空きに……」
「今出来ることは無いよ。
エーテル・アーツの連続使用で私もそろそろ限界が近い。
味方と合流するべきだ」
そう言って渚が恒矢を見る。
「それに、私は生きたい。
生きて、妹の……雫の顔を見たいと思う。
私の……願いだ」
「……分かりました」
恒矢は頷き、立ち上がった。
この戦域を維持しなければ、味方にさらなる被害が出る可能性はある。
だが、現実問題としてもう自分たちにはその能力が無いのだ。
「よし、行くぞ」
雪原を走り出した渚に続いて、恒矢も走り出した。
その刹那、空気に閃光が駆け抜ける。
「ッ!!」
恒矢のふくらはぎを、焼けるような痛みが襲う。
「恒矢!?」
足がもつれて、雪原に倒れ伏した。
前を行く渚が立ち止まって、振り返る。
恒矢の後ろから、『銃撃者(ガンナー)』が現れる。
「大丈夫か!」
「隊長!
傷は『治癒』ですぐに治せます!
立ち止まらないで、走ってください!」
「だが……」
二条の閃光。
恒矢のもう片方の足に風穴が空くと共に、渚の腕から血が噴き出る。
「くっ……」
「行ってください!
『銃撃者(ガンナー)』一体なら俺でも何とかなります!
隊長は妹さんに会うんでしょう!」
「……すまない、恒矢!」
渚が恒矢に背を向ける。
それを見届けた恒矢は、振り返って『銃撃者(ガンナー)』を見る。
ーーそして、雪の向こうに見え隠れする数十体のプラキドールの姿も。
プラキドールは集団で行動することが多い。
後続がいないわけがなかった。
……当然、渚もそれに気付いていたはずだ。
だが、それでも渚は恒矢を残して撤退することを選択した。
(隊長、ありがとう)
恒矢の望み通りに。
集団で来られれば、消耗した自分たちには為すすべもなくまとめて押しつぶされてしまう。
ならば一人が足止めして、もう一人が逃げる時間を稼ぐべきだと思った。
そしてその役には『治癒』のアーツを持った恒矢のほうがふさわしい。
全滅しないための合理的な戦略。
渚と恒矢はそれを言葉も交わさずに瞬時に共有して、行動したのだ。
(…………なーんて、ただの取り繕いだな)
恒矢は微かに苦笑する。
本当は。
恒矢はただ、渚に生きて欲しかった。
自分が家族に対して純粋な好意だけを持てていないと自覚しているからこそ……それを持っている渚に、生きて家族に会って欲しかったのだ。
「……うおおおおおお!」
恒矢は雄叫びをあげて目の前のプラキドールに飛びかかった。
***
パラリ、と瓦礫が崩れ、小石が顔に当たる。
「う……」
そのおかげで、恒矢は意識を取り戻した。
昏い、廊下。
完全な暗闇では無いのは、非常灯の明滅によるものだ。
背中には瓦礫。
ごつごつとして、とても心地良いとはいえない感触。
「なんだ……ここ……」
病室の床に穴が空いて、落下したのは覚えている。
では、ここは病院の中か?
何階かすら分からない。
「……!」
はっと起き上がる。
一緒に落ちた雫は……と辺りを見回すと、
「う……」
その身体が、恒矢の隣にあった。
一見したところでは、目立った傷はない。
「雫さん! 起きてくれ」
恒矢がその身体を揺さぶると、雫がうっすらと目を開ける。
「……恒矢さん……いったい、何が……?」
「分からない。
分からないけど……すぐにここを離れよう」
なんだろうか。
さきほどから胸騒ぎがする。
それは時間が経つにつれて、どんどん強まっていた。
一刻も早く場所を移動した方が良い。
「恒矢さん、でも……私、足が……」
「俺がおぶる」
そう言って恒矢は雫の身体を背負った。
そして立ち上がり、歩き出す。
「っ……」
痛みは思ったよりも無かったが、全身の関節が固まってしまったかのようだ。
それでも一歩一歩進んでいく。
「病院自体が崩れた、ということなんでしょうか……?」
雫が背中から問う。
「そういうことだと、思うけど……」
恒矢は考える。
大穴が開く前の地響きは、何だったのだろう。
もしあれが地震だったのだとしたら、病院だけでなく街自体に相当な被害が出たのでは無いだろうか?
「とにかく、外に出よう」
恒矢は床の瓦礫を踏まないように気をつけながら、廊下を進んでいく。
「……他の人の姿が、見えません……」
雫が気付いたことを言う。
それは恒矢も考えていた。
崩壊によって病院の中にいた人が巻き込まれたはずだが、その姿が見えない。
しかし、廊下の脇辺りにはペンや財布、それに上衣などが散らばっていた。
持ち主はどこへ行った?
「あ、恒矢さん……」
角を曲がったところで、雫の声。
廊下の途中に、うっすらと階段が見える。
「たぶん、ここは地下の階じゃないかと思うんです。
あそこから上に上がりましょう」
否やはない。
そちらに向かう。
「……?」
何か変だ、と思ったのは、階段に近づいた時だ。
階段の灯りは消えていない。
その灯りが廊下に落ちて、階段にある物の影を映しているのだ。
その影が、蠢いている。
そして、階段を下りて恒矢たちのいる階に近づいてきている。
やがてその全身が露わになった。
「え……」
それは、人間では無かった。
白銀の身体。
緑色のスリット。
そこまでは夢で見たプラキドールの姿と重なる。
だが、そこから先が違った。
その生物には、口があったのだ。
口があり、歯があり。
そして、巨大な胸の核(コア)が透けていて、中が見えていた。
見えてしまっていた。
「ーーっ」
背中の雫が息をのむ気配。
透明な核の中は、赤い血で染まっていた。
そこに、元は人間の一部であったことが瞭然な体組織が詰め込まれていたのである。
驚きはさらに続いた。
化物が口を開き……
『ミ……ツ……ケタ……』
と声を発したのである。
瞬間、恒矢ははじかれたように振り返り、元の道を走った。
逃げることしか頭の中に無かった。
だが、化物はそれを許さなかった。
振り上げた拳を床に叩き付けると、その場所が崩壊すると共にものすごい振動が生まれる。
床に大穴が空いた時と同じ揺れ方。
恒矢は病院の崩壊がこの化物によって引き起こされたのだと瞬時に悟る。
同時に、足をもつれさせた。
化物は同時に爆発的な加速を行い、恒矢の背中に迫る。
(まずい!)
攻撃が当たる前に、恒矢は振り返った。
直後、胸から腹にかけてすさまじい衝撃が襲う。
「ごふっ……」
吹き飛ばされた恒矢は廊下の壁に激突した。
しかし、背中にはそれほどの衝撃は襲わない。
なぜか。
それは背中に背負っていた雫がクッションになったからだった。
恒矢と壁に挟まれる形となった雫。
直後に恒矢の肩に赤い液体がかかる。
雫の吐いた血だ。
「し……しず……ごふっ」
恒矢自身も血を吐く。
化物の拳が内臓をシェイクしていた。
恒矢たちを吹き飛ばした化物は、さらにこちらに迫る。
だがその時、廊下の天井が崩落した。
度重なる衝撃に耐えられなくなったのだ。
それは化物と恒矢たちの間に即席の壁を創り出す。
瓦礫と瓦礫に挟まれた空間。
そこで恒矢はよろよろと雫を降ろした。
「ぶふっ」
喉からのぼってきた血を吐く。
雫の方は完全に意識を失っていた。後頭部から血を流しているうえに、口から滝のように血が流れていく。
「な……」
何が起きたのかも分からない。
けれど死にかけている。
どうして、なのかは分からないが、いずれ自分たちは死ぬ。
外傷によって。
もしくは、化物に喰われることによって。
「い……」
その時、恒矢の頭にあった『生きたい』という感情では無かった。
ただ、痛みを逃れたいという本能だった。
それを願っているうちに、本当に痛みが薄れていくから不思議だ。
あまりの重傷に脳内麻薬でも出ているのか……と最初思った。
だが、次第にそうではないことに気付く。
「……?」
血が止まる。
失われていた力が戻ってくる。
傷が……治っていく。
これにあたる現象を、恒矢は知っていた。
エーテル・アーツ『治癒』。
(でも……俺は使えなかったはず……)
だが、実際に傷は治った。
立ち上がることも問題なく出来る。
そして、恒矢にはその疑問を深掘りする余裕はなかった。
「雫さん!」
雫の身体を改めて確認。
素人目に見ても、かなり危ない状態であることが分かった。
「死ぬな!」
声をかける。
無駄だと言うことは薄々分かっている。
「死ぬな!」
声をかけ続けるしか無い。
『治癒』は自分の傷しか治せない能力だ。
もう、どうしようもない。
「……!」
それが分かっているのに、恒矢は強く念じた。
この身体を、治したいと。
その願いは、本来ならば何も起こし得ない。
そのはずだった。
直後、抱きしめる恒矢の腕が、白い輝きを帯びた。
そして……恒矢の意識が、飛んだ。
***
恒矢は目の前の『銃撃者(ガンナー)』に対峙した。
エーテル弾を掻い潜って至近距離に到達。
振りかぶった拳を全力で核(コア)にぶつける。
ゴギリ、と硬い感触。
指の骨にヒビが入った。
『治癒』。
再び拳。そして『治癒』。
回復と破壊を繰り返しつつ拳をぶつけ続けるうち、コアに亀裂が走り、砕け散った。
その瞬間に『銃撃者(ガンナー)』は粒子化する。
「……っしゃあ!」
気炎を上げたのもつかの間、続いて白銀の影が現れる。『強撃者(ストロンガー)』が巨大な腕を振り上げた。
回避。
したその先に、鋭利な輝き。
『刺突者(スティンガー)』の腕が恒矢の脇腹を抉る。
「っあ!」
『治癒』。
しかしバランスを崩し転倒。
そこに、『刺突者(スティンガー)』が腕を振り上げる。
狙いは額。
『治癒』がどれだけ速くとも、脳を貫かれれば人は死ぬ。
「ッーー!」
思わず目を閉じる。
しかし、直後に鳴ったのは甲高い金属音だった。
目を開ける。
「……隊長!」
そこには、『切断(カット)』のアーツを使って『刺突者(スティンガー)』を両断した渚の姿があった。
「無事か」
「も、戻ってきちゃ駄目でしょ!」
「ああ……もちろん駄目なのは分かってるんだが……」
なんというか、と渚が頭を掻く。
「雫に会わせたくなったんだ、恒矢を」
渚の腕に光が集まる。
『強化(エンフォース)』で強化された力で、倒れた恒矢に集まりだしていたプラキドールの核を的確に破壊していく。
「よく考えたら、手紙に書いてたんだ。
『帰ったら雫のところに恒矢を連れて行くよ。最近はすっかり溶け込んで、毎日小隊を沸かせてるから期待しててね』……って」
「大嘘!
なんでそんなこと書くんですか!」
「うるさいうるさい!
とにかく私は約束を守る!
だから恒矢、一緒に生きて帰るぞ!
あとなんか面白い話を考えておけ!」
「無茶振りがひどいな!」
叫んで、立ち上がりながら、恒矢は笑いがこみ上げてきた。
「……ああもう、分かりましたよ!
この戦いを生き延びたら、笑い話なんていくらでも用意してあげますよ!」
「その意気だ」
渚が恒矢の肩に触れる。
『強化』の輝き。
目の前に迫るプラキドールの核(コア)を拳で撃ち抜く。
一撃でプラキドールの身体が崩壊した。
『治癒』だけで戦った時とは雲泥の差の威力だ。
身体が動く。
恒矢は渚と背中合わせになり、時に向かい合い、自分たちを包囲するプラキドールを屠っていく。
(いける……)
かもしれない。
恒矢は思う。
自分が『強化(エンフォース)』の恩恵を受けているから、だけではない。
敵の動きが鈍く感じる。
明らかに動作が重く、ぎこちない。
(もしかしたら……今、『統率者(オペレーター)』が攻撃を受けているからか……?)
別の場所で戦う兄と妹のことを考える。
(……頼む。勝ってくれ……!)
自分のためなのか、兄妹のためなのか分からない。
それでも恒矢は願った。
その時。
「!」
空に白銀の輝きが見えた。
『空襲者(エアレイダー)』が空から高速で落下してくる。
狙いは……渚。
背後の空から迫る脅威に、渚はまだ気づいていない。
(ッ……!)
叫んで知らせる?
いや、こちらの声を聞いて一瞬でも硬直してしまったらかえって危ないしそんな猶予もない。
すぐに行動しなければ間に合わない。
とれる手は一つだ。
「隊長!」
恒矢は渚に向けて手を伸ばした。
「恒矢!?」
その身体を突き飛ばす。
これでいい。
これで『空襲者(エアレイダー)』の軌道上にいるのは恒矢の方だ。
攻撃を食らったとしても、致命傷でなければすぐに『治癒』を使える……。
そう、思った。
ぐらり、と『空襲者(エアレイダー)』が空中で軌道を外れた。
意図的なものではない。
唐突にバランスを崩し傾いて、落下する。
しかし、その速度と衝撃は、直撃すれば十分に危険なもの。
そしてそのプラキドールは。
恒矢に突き飛ばされた渚の上に、墜ちた。
「………………………………え?」
舞い上がる雪が視界を覆う。
それが晴れた時に恒矢が見たもの。
それは、虚ろな瞳で横たわる渚の姿だった。
「……隊長……?」
よろり、と恒矢が歩み出す。
周囲のプラキドールは一斉に動きを止めていた。
「隊長! 隊長!」
周囲からエーテルを集める。
『治癒』。
『治癒』!
しかしこのアーツは、ただ自らの傷を癒すためのアーツでしかない。
「『治癒』! ……『治癒』!」
それでも、恒矢は必死でアーツを発動する。
無意味なことは分かっているのに。
空撃ちによっても疲労は蓄積していく。
恒矢の視界が次第にぼやけていく。
だが続ける。
脳に強烈な痛みが走った。
痛みにゆがむ視界の中で、周囲のプラキドールが一斉に粒子と化して空に溶けた。
その瞬間に悟った。
『統率者(オペレーター)』が倒されたのだと。
プラキドールとの戦いが終わったのだ。
けれど。
(けれど……!)
『統率者』があと一秒でも速く倒されていたのなら。
いや違う。
自分が。
余計なことをしなければ……!
「隊長……渚さん……!」
目の前の人は死んでいなかった。
「うわあああああああああ!!!!」
エーテルの粒子の光が空に向けて拡散していく中で、恒矢は叫び……そして、意識を失った。
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