第7話
「お疲れ様でしたー」
一週間が過ぎた。
その日『セーフティ』の仕事を終えた恒矢が席を立つと、
「あ、恒矢、ちょっといい?」
隣の席の日向が訊ねる。
「ん? 何?」
「いやさ、恒矢もそろそろここに来て一週間になるじゃん?
そんで、よかったら歓迎会も兼ねてちょっとメシでも食わない? っていう誘い。
恒矢が来るなら、篠崎姉妹も誘おうと思うんだけど」
「……あー……」
恒矢が頭を掻くと、
「……駄目か?
何か用事ある?
ここ一週間、ずっとすぐに帰ってるもんな」
「……悪い、実はそうなんだ」
申し訳ない気持ちになる。
しかし今の恒矢には、何より優先したい用事があった。
「……まあ、それなら仕方ないか。
でも気を付けろよ」
「ん?
何を?」
「ほら、例の猟奇殺人の件だよ」
「ああ……」
それは、その週の明け方にカレンによって告げられた情報。
『セーフティ』本部からあまり離れていない区画において、大量の血痕が発見されたのだという。
それから週末に至るまでの間に新たな事件は起きていないが、犯人はまだ捕まっていないという。
恒矢たち『セーフティ』は注意して任務にあたると共に、もし犯人に遭遇などした場合はただちに本部に連絡し、周囲の民間人の安全を確保することが求められていた。
「頭に留めとくよ」
そう言って恒矢は『セーフティ』の建物を後にした。
***
恒矢が病室の扉を開けると、雫が笑顔を向ける。
「恒矢さん、ようこそ」
「ああ。
お邪魔します」
恒矢はベッドの脇の椅子に腰掛ける。
馴染みのある感触だ。
恒矢はここ一週間毎日、仕事が終わると雫の病室に通い続けていた。
渚の話を聞くために。
「じゃあ……今日もよろしく」
恒矢が言うと、雫がシーツの上にあらかじめ置いてあった手紙を持ち上げる。
「はい。今日はこの手紙からですね。
お姉ちゃんがオーストラリアに行ってしばらくしてからのものです」
「それ、俺は出てくる?」
「ふふっ。
とうとう出てきますよ。楽しみにしてください」
雫と、渚の手紙についての話を始めてから一週間。
いよいよ話は渚と恒矢が出会うところに差し掛かった。
なぜ最初からそこから始めなかったのかと言うと、面会時間の制限があるためにあまり長い話はできなかったのと、自分とは関係ない渚の話も知りたいのだと恒矢が希望したのである。
渚が大切そうに封筒から手紙を取り出す。
仕草はとても丁寧だが、封筒や手紙はところどころがよれてしまっていた。
きっと、何度も、何度も、読んだのだろう……。
「えっと、ここは恥ずかしいから飛ばします。
……これも駄目です。
……うーん、これはいいでしょうか……でもやっぱりちょっと……」
雫が手紙に視線を落としながら、思案顔を見せる。
ちなみに話の内容は完全に雫のチョイスに任せている。
いくら恒矢が渚の話を聞きたいとはいえ、姉妹の間だけでのみ共有しておきたいこともあろうということで、そうなった。
「……じゃあ、恒矢さんと会った時のお姉ちゃんの第一印象から」
結局、それ以外の部分は全部飛ばすことになったらしい。
どうも渚はなかなかはっちゃけた手紙を書く人だったようで、ここ一週間の話を聞いていると、手紙の枚数に比べて明らかに話の分量が少なかったりする。
相当、心で検閲しているのだろう。
とはいえ恒矢としてはそこからも天音渚という人物の人間性を感じられて、なんとなくうれしかったりしたのだが。
「『今日は私の小隊に新しい隊員が加わったよ。
名前は恒矢くん。なんだか苗字をあんまり知られたくないみたい。
でも、なんとなく理由は分かるかなあ……。
なので、本人の意思を尊重して手紙にも書いてません。ごめんね』」
「……そんな意思があったのか、その時の俺」
「そっか、覚えてないんですよね」
「うん。
……まあ、なんで名前を知られたくなかったのかは分かるけどな。
たぶん、コンプレックス的なもんがあったんだろうな……兄妹に」
恒矢は、この前見た夢の中での自分の言動を思い出しつつ言う。
雫はうなずいて、
「私も手紙で恒矢さんの苗字を知った時はびっくりしたんですよ。
久澄量河さんと沙那さんって、みんな知ってますからね」
「そういう状況にいて自分だけ凡人だったら腐っただろうなあ。
まあ、俺はもうそういう時何を感じてたのかもう思い出せないんだけど。
……というか待った。
次の手紙で苗字を知ったの?」
「はい」
「『本人の意思を尊重して書いてない』って部分は?」
「普通に書いてありましたよ。
私も『あれ?』って思ったんですけど……まあ、お姉ちゃんってそういうところあるんで」
雫が困ったように笑う。
「続けますね。
『恒矢くんはまだ隊に馴染めていないみたい。
ご飯を食べる時も、他の隊員と会話しないでずっと下を向いてる。
話かけてもあんまり返事は返ってきません。
めんどくさそうな目を向けてくる。
でも、私は小隊長だし頑張って隊に溶け込んでもらわないと!』」
「う……」
な、なんか扱いづらい奴だな、俺……! そう思った恒矢が雫を見ると、
「……なんか扱いづらそうな人ですね、恒矢さん」
「……君のお姉さんに迷惑をかけたみたいで申し訳ない」
「いえいえ。
この手紙はこんなところです。
次の手紙を読みますね。
えーと。
『ご飯の時に話しかけてたら恒矢がなんだか色々話してくれた。
久澄って苗字にプレッシャーがあるらしい。
『そんなに気にすることはない。恒矢は恒矢だ』と言ったら笑みを見せてくれた』」
恒矢は顔を覆う。
最初は壁を作っていたようなのに、絆されるのが速すぎる。
自分のことだという実感は湧かないとはいえ、気恥ずかしい。
「……チョロい」
「はあ、まあ……正直私も読んでてそう思いました……すみません」
言って雫は、恒矢のことを見る。
「……でも。
私はこの一連の手紙を見て、恒矢さんって私にちょっと似てるかも……って思ったんですよ」
「俺と君が似てる?」
「ええ。
うちのお姉ちゃんはですね、本当にすごい人なんです。
昔から何でも出来る人で……戦争が始まってからも、人よりずっと強いエーテル・アーツが使えて。
正直私、コンプレックスありましたもん。
特に私は、人よりずっとできることが少ないですしね」
「……そんな言い方は」
「いえ、そうなんです。
プラキドールが現れてから、私もエーテル・アーツに目覚めましたが……それは『跳躍』のアーツ。
足の動かない私が持っていても、何の意味もなさない。
……せめて攻撃系のアーツなら、と戦時中は何度も思いましたよ」
自嘲の笑みを浮かべて、動かない足を撫でる雫。
「立派な家族がいて、自分がそれに追いつけないもどかしさ。
私にはそれが分かる気がします」
……その気持ちを、今の恒矢は共有できない。
当然、雫もそれは分かっているはずだ。
それでも気持ちを言葉にしてくれたのは、今ここにいる自分のためだ。
だから恒矢は、雫に感謝した。
……いや、正確には、感謝しようとした。
だがそれは出来なかった。
「……?」
床が揺れている、気がする。
低く、重い地響きが。
雫も気付いたようで、きょろきょろと周りを見回していた。
「何でしょう……」
そして次の瞬間、ドンと突き上げられるような衝撃が走る。
「きゃっ……!!」
建物が大きく揺れる。
床に稲妻のようにヒビが入る。
そして、それは雫のベッドの真下まで達し……直後、床が崩壊した。
「天音さん!」
「恒矢さん……!」
咄嗟に恒矢は雫のベッドに飛びつく。
滑り落ちる雫の身体を腕に抱いた。
そして次の瞬間。
恒矢と雫は、床に空いた大穴に飲み込まれていった。
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