第6話
街に、夜の帳が下りている。
人々の誰もが寝静まった深夜。
一人の男が路地裏を走っていた。
昼間に『セキュリティ』が捉えそこねた武装集団の一人。
彼は戦後に勢力を伸ばす反社会的勢力の一員だった。
手柄を立てれば組織内での立場が上がる。
手っ取り早いのは敵対組織にダメージを与えることだ。
しかし、そのやり方を簡単に考えられるほど頭は良くない。
そんな自覚があったその男は、代わりに抗争で実行部隊として手柄を立てることにした。
抗争自体は『セキュリティ』によって潰されたが、男自身は運良く拘束を免れ逃げおおせる。
しかし、今後はどうするか。
すぐに思いつくことではないので、男はとりあえずの方針だけ決めることにした。
都市部を離れ、復興の進まない地方に身を潜める。
針路は定まった。
あとは目立たない夜に移動するだけだ。
路地裏を走る男はしかし、途中でピタリと足を止めた。
「…………?」
狭い路地の奥に、白い輝きが見える。
あれはなんダロゥ
見えたものに関して考える時間は男には与えられなかった。
直後に男の身体が細切れの肉片と化したからだ。
ドチャリ、と地面に男の身体が広がった。
やや時間を置いて、ぺちゃぺちゃと水音が響いたが、やがてそれも聞こえなくなった。
街には再び静寂が戻ってきた。
***
起きる。
周りを見る。
沙那がいた。
「おはようございます、恒兄さん」
「……おはようって、今、朝?
……ここは?」
「朝ですね。
兄さん、昨日倒れてずっと眠ってたので。
あとここは恒兄さんの部屋です」
言われて周りを見回して納得した。
たしかに自分の部屋だ。
一瞬気付かなかったのは、この部屋が自室になって間もないからだろう。
あんまり印象に残っていないのだった。
「あー……悪い。
あの、日向とか、アリス? とかに迷惑かけたろ」
あの状況で運ばれるならあの二人によるものだろう。
想像は当たっていたようで、沙那がうなずく。
「でも、お二人とも特に迷惑な様子はなかったですけどね。
むしろ心配してくれてましたよ、恒兄さんのこと」
それはありがたい……が、我ながら情けないと恒矢は思った。
記憶を取り戻したいとは思っていたが、名前一個思い出すだけで倒れるほどショックを受けるとは。
よっぽど脳みそが繊細なのか……もしくは、その名前がそれほど重要なものだからか。
後者であると思いたい。
夢の中で見た久澄恒矢は、渚とはそこそこ気の置けない間柄に思えた。
恒矢は思う。
自分の記憶を取り戻す鍵は、あの天音渚という人間にあるのではないか。
失ったものは、きちんと取り戻したい。そのために、渚についてもっと詳しく知りたい。
「沙那、教えてほしいことがある。
最終作戦で俺の所属していた小隊についてだ」
恒矢の真剣な顔つきを見て、沙那もまた居住まいを正した。
「なんでしょう」
「その時の上官の名前を思い出した。
天音渚……で合ってるよな?」
そう言うと、沙那はしばらく沈黙したあと、こくりとうなずいた。
「はい、間違いないです。
恒兄さんの小隊を率いていたのは、天音渚さんでした」
「悪いけど、その人について、教えてほしい」
「悪い? どうして悪いんですか?」
「そりゃあ……家族のことは思い出せないのに申し訳ないなあ、と……」
「そんなことは気にしないでください。
恒兄さんが記憶を取り戻せるのなら、私は何でもお手伝いしますよ」
沙那はしかし、そのままうつむいた。
「でも……その人のことについて話して、大丈夫なんですか?」
沙那は心配そうに言う。
恒矢には理由が分かった。
「……小隊は俺以外全滅したって言ってたよな。
だから、天音渚という人はもう……この世にはいないんだろ?」
「……はい、そうです。
天音曹長は名誉の戦死を遂げられました」
「そうか……分かった」
予想していたとはいえ、そのこと自体には特に感慨が湧いてこない。
不思議なものだ。
この前、夢を見たときは、その顔を見ただけで涙をこぼしたというのに。
記憶の混乱が情緒も乱しているのかもしれないな。
そう思った恒矢は、改めて沙那に問う。
「じゃあ、もう一つ知りたい。
天音渚……隊長の家族について……」
「家族?」
「ああ。
実は、少し思い出したんだ。
小隊にいた時の記憶を……」
「え……本当ですか!」
「うん。
その時、渚さんは手紙を書いていたはずなんだ」
そして、恒矢のことも書いていると言っていた。
ならばその手紙の行く先を追えば……渚のことが分かる。
その目から見た自分のことが分かる。
夢の中で渚が言っていたことをたどると、そのはずだ。
その時、沙那の制服から音が鳴った。
「あ、ちょっとすみません、恒兄さん……」
気まずそうに携帯電話を取り出す沙那に恒矢は無言でうなずく。
沙那は『セキュリティ』でも相当に高い地位にいるようなので、連絡を無視することができない。
それくらいはわかる。
「…………え? 死体?
管轄区で?」
電話で話している沙那の顔色が変わった。
「はい。はい……分かりました。
……すぐに、向かいます」
電話を切った沙那が立ち上がった。
「すみません、兄さん。
ちょっと、事件が起きて……緊急で呼び出されました。
私は行かなければなりません」
「ああ、分かった……」
「だから、手短に言います。
天音渚曹長の家族は、現在都内の病院に入院しています。
病院の連絡先を書いておきます。
……会うことが恒兄さんのためになるとは分かりませんが……。
それでも良ければ」
急いで書いたメモを渡し、早足で部屋を出ていく沙那。
恒矢はそれを見届けて、身体を起こした。
歩くことは問題なさそうだ。
慣れない自宅を歩き、玄関に向かう。
「……行くか」
恒矢はその日、仕事を休んだ。
***
一時間後。
バスを降りた恒矢は、目の前の建物を見上げた。
沙那のメモにあった病院。
人の往来が多い。このご時世だからな……と思って恒矢は進んでいく。
やがて受付にたどり着いた。
「すみません。面会を希望したいのですが」
「予約はありますか?」
「……いえ、特には……」
怪訝な目で見られる。
恒矢はその眼圧に負けず、
「どうしても、会いたいんです。
問い合わせてみてもらえませんか?」
「……分かりました。
患者さんのお名前は?」
恒矢はメモを取り出す。
そこに書いてあった名前は、
「天音……雫さんです。
お願いします」
***
白いリノリウムの廊下は、消毒薬の匂いに満ちていた。
階段を上がって三階にたどり着いた恒矢は、病室の番号を見上げながら廊下を進んでいく。
「……ここか」
面会受付票に記載された部屋の前で、恒矢は立ち止まった。
……天音雫。
天音渚の妹の病室。
恒矢が出した面会の希望に対して、回答はじつに迅速に返ってきた。
当然、断られることも覚悟していたものの、結果は可。
あっさりと返ってきたその答えに、恒矢は逆に困惑している。
向こうからすれば渚の手紙で名前を知っているだけの、赤の他人のはずなのだが。
(まあ、考えても仕方ないな)
とにかく、会ってみなければ話は始まらない。
恒矢は扉をノックした。
『どうぞ』
少女の声。
恒矢は扉を開ける。
部屋の中は非常にシンプルな内装だった。
キャビネット以外には目立った調度品は無い。
自分が入院していた時のことを思い出しつつ、窓際に据えられたベッドに向かう。
そこでは、一人の少女が上半身だけを起こして恒矢のことを見ていた。
「久澄さん、ですか?」
だいたい恒矢よりも一つか二つ歳下だろうか。
落ち着いた雰囲気の少女が頭を下げる。
「初めまして、天音雫です」
「久澄恒矢です。
あー、……俺と会ってくれてありがとう」
「なんか、ずいぶん直接的な言い回しですね。
おかしい」
「……どうして、俺に会ってくれたんだ?」
「え? だって、別に用事は無かったし……」
きょとんとした表情を見せる雫。
そして脇のキャビネットの上に積まれた本の上に手を置き、
「入院していると、基本的に勉強しかやることが無くて暇ですしね」
「入院っていうのは……なんの……いや、ごめん。
立ち入った質問をした」
「別に構いませんよ。
そんなに隠すようなことは何もないです」
そう言って雫はシーツをめくった。
そこにある二つの足を示して言う。
「私の足は生まれつき動かないんですよ。
動かないだけじゃなく、免疫機能も普通の人より低い。
だから私は、プラキドール戦役が始まる前からずっとこの病院にいます」
「……それは」
なんとも返事をしづらい答えが返ってきた。
恒矢が何か考えているべきか考えていると、雫がキャビネットの二段目を開ける。
そこから取り出したのは、何通もの手紙の束だった。
「だから、お姉ちゃんから送られてくる手紙は私、すごく楽しみにしていたんです。
お姉ちゃんは戦争が始まる前から私のことをずっと気にかけてくれました。
戦地に行った後も、ずっと手紙を送ってくれていました。
どんなところに行ったのか。
どんな人と出会ったのか。
……戦争中の出来事なんて、本当は愉快なものになるはずがありません。
でも、お姉ちゃんの手紙からは全然、それを感じませんでした」
雫は笑う。
その笑みが、夢の中で見た渚の笑みに重なった。
この子は本当に姉のことが好きなのだなと、そう思った。
と、雫が頭を下げる。
「ごめんなさい。
用事が無かったから会ったというのは、嘘です。
本当は恒矢さんに、お姉ちゃんのことを聞きたかった。
ずっと同じ小隊にいたあなたに」
顔を上げた雫は、笑みを浮かべていない。
真剣な目で恒矢を見ていた。
だから、恒矢は心が苦しい。
自分が彼女の望みを叶えることができないのは、恒矢自身がよく分かっているのだから。
***
「記憶喪失……ですか」
雫に己の事情を話した恒矢。
雫は最初驚いていたが、今は平静な様子でじっと恒矢を見ている。
「すまない。
俺がここに来たのは、君を通して、君のお姉さんがどういう人間だったのかを知りたかったんだ。
俺が自力で名前を思い出せた唯一の人だから」
そう言って恒矢は軽い自己嫌悪に陥る。
姉を思う雫の気持ちと比べ、恒矢は家族すら覚えていない。
ただ自分のためだけにここに来たのだ。
「謝らないでください、恒矢さん。
むしろそんな大変な時にここに来てくれて、ありがとうございました」
年下の少女にそんな気を遣われるようなことを言わせてしまうのも、なんとも居心地悪く感じる恒矢。
その時、壁の時計が11時を指した。
「あ……」
恒矢は面会受付票にちらりと視線を落とす。
そこに面会時間の上限として定められた時間が、11時だった。
「今日は面会、終わりみたいですね」
「……そうだな。
悪い、結局、俺の事情を話すだけで終わってしまった」
「いえ。
戦争前はもっと病院も外部の方の出入りに寛容だったんですけど、今は色々な制限ができてしまって」
恒矢は立ち上がる。
この子はもしかしたら、自分の記憶に繋がる手がかりを持っているかもしれない。
でも、恒矢の方からは雫に対して何も渡せるものが無いのだと、実際に会ってみて気づいた。
自分は何も話ができないのに、向こうからは話をしてほしいなんて、虫がいい話な気がする。
またこの病院に来てもいいものか、恒矢が悩んでいると、
「あの、恒矢さん。
よかったらまた来てください」
「……いいのか?
俺は君のお姉さんのこと、何も覚えていないのに」
「いいんです。
私は誰かとお姉ちゃんの話をしたい。
それに、話すことで恒矢さんが記憶を取り戻すきっかけになれば。
私は私の知らないお姉ちゃんの姿を、恒矢さんを通して知ることができるかもしれないから」
「……分かった。
また来るよ」
恒矢がそう答えると、雫は微笑んだ。
***
久澄沙那は、街の一角を訪れていた。
その場所には封鎖線が張られ、一般人の立ち入りを禁止している。
「こちらです、久澄少尉」
『セキュリティ』の隊員に伴われて封鎖線の内側に入る沙那。
そこから一つ進んで角に曲がると、このようなものものしい封鎖がされた原因を目の当たりにした。
「……っ」
鼻をつく酷い臭いに思わず顔をしかめる。
雑居ビルの壁や地面の上が、どす黒い血で染まっていた。
「……これは?」
「電話でお話しした通りです。
発見された時にはすでにこの状態でした。
……いえ……その時は肉片なども飛び散って、さらに見るに耐えない状態でしたが、それは既に回収されています」
「被害者の人数は?」
「血の量から言って一人でしょう」
「現場に何か素性の分かるものは?」
「これが」
血に染まった袋。
「昨日、『セキュリティ』の拘束を免れた武装集団の服だと判明しました」
「ふむ……そうすると仲間割れ、もしくは敵対集団との戦闘になった可能性は…………無い、でしょうね」
沙那が言うと、『セキュリティ』の隊員がうなずいた。
「昨日の深夜から今日にかけて、こちらではなんの戦闘音もありませんでした。
何より、この現場の状態は……」
隊員が広範囲に染み付いた血の跡に目を遣り、沈黙する。
沙那はその先の言葉を引き継いだ。
「……まるで、人ではなく獣の仕業のようですね」
「まさか……プラキドール?」
「いえ。
彼らは最終決戦以降、一度として地球上で姿を発見されていません。
それにプラキドールの仕業なら」
「死体が残っていないのはおかしいな」
と、沙那と隊員の会話に割り込んだ者がいる。
「く、久澄中尉!」
隊員が慌てて敬礼する横で、沙那はその青年ーー量河を見上げる。
「お疲れ様です、量兄さん。
式典は終わったんですか」
「ああ。
本部に戻ろうとしたら、沙那がここに来ているって聞いてさ」
そう言った量河が地面を見る。
「プラキドールが人間を害する方法について、俺たちは誰よりも詳しい。
プラキドールはこんな殺し方をしないはずだ」
「そうですよね。
……では、どうします?」
「大型の獣が迷い込んだか、もしくは人間による猟奇殺人か……現時点では分からないが、態勢は強化しておく必要があるな。
各隊に『感知』能力者を増員したほうがいい。
『セーフティ』と連携しよう」
「では私が連絡しておきます」
「ありがとう……ところで沙那、ちょっといいか?」
『セキュリティ』の隊員が現場を検証している最中、量河は少し離れた場所に沙那を呼ぶ。
「恒矢のことなんだが……天音渚曹長のことを思い出したんだってな」
「はい」
「で、沙那は彼女の家族について恒矢に教えた」
「……はい」
沙那が頷くと、量河はビルの隙間からのぞく空を見上げた。
「……あまり恒矢に関われない俺は沙那の判断を否定するつもりはない。
ただ……それでも、大丈夫なのかと思ってな」
量河の目が沙那を見据える。
「……天音曹長が亡くなった時の状況……。
それを鑑みると……」
「量兄さん」
と、沙那が量河の言葉を遮る。
「私も、最善が何か、ということは分かりません。
けれど、恒兄さんが記憶を取り戻すために、私はできることを全てしてあげたいと思いました」
「…………そうか、分かった」
量河はしばらく沙那を見つめたあと、頷いた。
「恒矢に任せよう。
何があっても支えてやろう。
あいつが覚えていなくても、俺たちは家族だからな」
「ええ、兄さん」
そして沙那もまた、首肯した。
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