第5話
天音渚。
名前だけ。
思い出せたのは名前だけだ。
だが、それが自らの手ですくい上げた唯一の記憶のひとひら。
調べよう。
そう思い立った恒矢はしかし、それをすぐに実行に移すことはできなかった。
理由は単純で、ショックを受けた恒矢はそのまま意識まで飛ばしてしまったのである。
「おーい! 久澄くーん!?」
「恒矢!」
遠くから声が聞こえてくるが、それに応えることは叶わず。
恒矢の意識は深い闇に沈んでいった。
***
雪原に、二つの黒い点が見える。
吹雪のせいで見えづらいが、よく眼を懲らしてみると、それは黒い軍服を身に纏った人間だった。
前を行く少女は、以前に夢で見たあの少女だ。
天音渚だ。
改めて見ると、目鼻立ちがはっきりした、綺麗な顔の造りをしていることが分かる。
そして、その後ろを歩いているのは一人の少年。
こちらは少女とは対照的に、良くも悪くもない顔立ちをした、あまりこれと言った特徴の無い少年。
前を行く少女が振り返る。
「恒矢、平気か?」
「正直、ちょっと辛くなってきましたねえ。
隊長、おぶってくれません?」
「馬鹿言うなよ。
逆に恒矢が私を背負うべきだろ、男だろ」
「男だから女だからという決めつけは良くないですよ」
「うんまあ、たしかに。
恒矢、私より弱いもんな。
エーテル・アーツも一つしかないし」
「……『セカンド』の九割はアーツ一つしか使えませんって。
うちの兄や妹や、隊長が例外なんですよ。
……で、その隊長の『感知』だと、しばらく接敵はなさそうなんですよね?」
「ああ。
この道を進めば安全に味方と合流できるはずだ。
急ごう、恒矢」
……謎の光景が目の前に広がっている。
言葉にすれば簡単だ。
天音渚と久澄恒矢が話しながら雪の中を行軍している。
しかし不思議なのは、俺がそれを第三者の視点で見ているということだ。
つまり、あそこで天音渚と話している恒矢は、俺とは違う存在ということである。
(……まあ、夢の中だしな)
そういうことで納得した。
それに、この感覚には覚えがある。
自分の記憶をまるで本を読むかのように思い出す。
経験がただの知識に変わってしまったかのような感覚だ。
と、しばらく進んだところで渚が顔を上げる。
「……ところで恒矢、悪い。
こう言っちゃなんだけど、私の『感知』にはあんまり信用置かないほうがいいぞ」
「えっ?」
「『切断』『強化』『感知』が使える私だが、『感知』は正直……レベルが低い。
索敵できるのは一方向だけだし、精度もあまりよくはない。
君の妹とは比べものにならない」
「……まあ、沙那は人類最高レベルの『感知』能力を持ってますからねえ……。
感知方向は全方位、そんでその範囲も何キロって感じですからね。
化け物ですよ、ありゃ」
そうやって恒矢が笑うのを見て、俺はなんとなく違和感があった。
なんだろうな。
「……妹を化け物なんて呼ぶもんじゃない」
天音渚がそう言うと、恒矢は笑んだまま制帽の端を掴んだ。
「おっと、そうですね。
すみません」
そして直後に顔を上げると、
「……で、隊長。
なぜ急にそんな話を?」
「『感知』の精度が低いぶん、耳を鍛えたんだ。
で、その、なんだ……三時方向」
渚が指さした。
恒矢がそちらを向くと、何やら白っぽい影が見える。
……それも、幾つも。
「……『強撃者(ストロンガー)』!
隊長ォ!
全然安全じゃないじゃないですかー!」
「だから悪いって言っただろ!」
渚と恒矢が走り出す。
と、俺の視点も自動的にその二人についていく。
途中、後ろを振り向いてみた。
そこにいたのは、怪物だ。
つるっとした白銀色の肌に、全身を流れる翡翠色のスリット。
両腕に両足のあるシルエットはまるで人間のようだが、違いはその腕の太さにある。
まるで丸太のような大きさだ。
そんな怪物が十体以上、渚と恒矢の後から追ってくる。
夢の中だから実物とは違うのかもしれないが、あれがプラキドールってやつか。
渚と恒矢、そしてプラキドールの進む速度は一見同じ。
しかし雪で足をとられるのか、二人の足はだんだんと遅くなっていく。
一方プラキドールの方はその様子がない。傾斜があるわけでもないのに、走ると言うよりも滑ると言った方が正しそうな様子で二人を追っていく。
距離が詰まっていることには二人も気付いたらしい。渚が言う。
「恒矢、仕方ないから戦おう。
いつものやつで」
「……あれ、痛いから嫌なんですけど」
「上官命令である」
そう言った渚が恒矢の肩に手を置いた。
その手が光を帯びて、そしてその光が恒矢の方に移動していく。
「やってやれ」
恒矢がプラキドールの方に飛び出した。
すぐにプラキドールが恒矢を囲み、その巨大な腕を持ち上げる。
轟音と共に降り積もった雪が舞い上がる。
地面に大穴が開くほどの一撃。しかしそれを受けるはずだった恒矢の姿は無かった。
いつの間にか、プラキドールの一体の後ろに移動していた。
まじまじ見ていた俺にすら分からないほどの速度だった。
久澄恒矢すごいな。
ぶっちゃけ、俺には出来ない。夢の中だから盛ってるとか?
いや、多分さっきの光が関係しているんだろう。
「アアぁ!」
と、恒矢が後ろからプラキドールを殴りつけた。
パリン、と陶器の割れるような音がして、その拳がプラキドールの背中から胸にかけて貫通する。
と、その瞬間にプラキドールの全身のスリットから翡翠色の輝きが失われ、直後にその身体が無数の粒子と化して空に消えた。
「もう一丁!」
返す手で恒矢が後ろにいたプラキドールを殴る。また甲高い破壊音が鳴り響いて、粒子が飛び散った。
「やるな」
渚も恒矢から少し離れた場所で戦っている。
腕を振るうと、プラキドールの身体がその軌跡にそって裂かれた。これは前にも見た。エーテル・アーツ『切断』。
「う、お」
と、恒矢がバランスを崩した。
どうやら戦っている最中に雪に足を取られて滑ったらしい。どうにか転ばずには済んだようだが、体勢は崩れる。
そこに向かって、プラキドールの豪腕が振るわれた。
ボギリ、と嫌な音がした。
咄嗟に顔の前にかざした恒矢の腕から鳴った音だ。
腕は妙な方向に折れ曲がっている、もう使い物にはならなさそうだ。
「っあー! クソ!」
恒矢が叫ぶ、そして直後にその腕を……目の前の敵に向けて振った。
破砕音と粒子。
恒矢の腕は正常に動いている。何も痛痒を受けた様子もなかった。
戦いはそれから一分もせずに決着がついた。
プラキドールの身体は死ぬと消えて残らないようだ。
だから、戦いがあったという事実は荒れた雪だけが教えてくれる。
それすらも吹雪によってすぐに消えていこうとしていた。
「お疲れ様です。
……早く移動しましょう、また絡まれたら大変ですし」
「そうだな」
そして、それからしばらくして二人は駐屯地らしき場所にたどり着いた。
渚と恒矢はいったん分かれる。
どうやら渚は何かの報告をしに行くらしく、恒矢は休憩のためにテントに向かうらしい。
渚の方の様子が気になったが、俺の視点は恒矢の方についていく。融通が利かないなあ。
椅子に座って休んでいるだけの恒矢を見ていても面白くないなあ、と思ったところでテントの入り口が開き、渚が顔を出した。
「お疲れ、恒矢」
そう言って何やら茶色い棒のようなものを差し出す。
携帯食料的なものだろうか。
受け取った恒矢は、
「ありがとうございます。
あとさっきの『強化』……ありがとうございました」
「そんな不満そうな顔で言うなよ」
「だって治せるとはいえ、攻撃食らった瞬間はめちゃくちゃ痛いんですよぉ……」
渚が恒矢の前に座る。
「そう言わないで。
恒矢が『治癒』持ちだから出来るんだ。
そうじゃないと、『強化』をかけただけで力に耐えきれず、筋肉や骨が崩壊しかねない」
「……でも『治癒』なんてそれくらいしか出来ない能力ですし」
恒矢が視線を自らの手のひらに落とす。
「せめて他人の傷を癒やせれば違うのになあ……。
『治癒』持ちはみんなけっこうコンプレックスあるんですよねえ。
自分の傷を癒やすのがいくら速くても、戦いにはあんまり役に立ちませんよ」
「私からすれば、十分すごいと思うけどな」
「気休めはやめてくださいよ。
うちの兄なんか空を飛ぶわ機関銃みたいにエーテル弾を撃ち出せるわ……。
腕を振るだけで視界に映ってるプラキドールを全部倒せるんですよ?
俺なんかとは比べものにならない」
それを聞いた渚は笑う。
「そりゃ、比べる対象が悪いだろう。
『英雄』だぞ」
「そうは言っても兄ですからね……」
テントの天井を眺めて言う恒矢。
憂鬱そうな表情。
それを見た渚は、
「……なんだ、また誰かに何か言われたのか?
恒矢」
「……いや、別にそういうわけじゃないですけど……」
「じゃあ、自分で勝手に卑下しているだけ?
そういうのはやめた方がいいぞ」
「でも」
と、渚が恒矢の頭に手を置いた。
「私は恒矢が同じ隊で助かってる。
これからもよろしく頼む」
二人のやりとりを、俺はなんとも言えぬ気持ちで見ている。
俺はこういう人間だったのか?
記憶を全部失ったから分からないが……なんか、あれだな。
ちょっと情けない感じがするな。
二人で協力して敵を倒して戻ってきたんだから、もう少し喜べばいいのに。
「さて、私はそろそろ行くよ」
渚が立ち上がる。
恒矢が顔を上げる。
「ああ……また、手紙を?」
「うん。
いつ戦いが終わるか分からないしね。
私がどうしてるのか、あの子も気にしてるんだ」
「……とは言っても、もうかなり手紙を出してますよね?
プラキドールと戦ってるだけだし、書くネタが尽きませんか?」
「それは大丈夫。
小隊のみんなの話とか、色々あるから。
一番書いてるのは、恒矢のことかな」
「うえ……やめてくださいよ」
「どうして?」
「恥ずかしいし……向こうも興味ないでしょ」
「そんなことないけどな。
『お姉ちゃんは面白い人と一緒にいるんだね』って喜んでくれてる」
「俺、自分が別に面白い人間じゃないって自覚はあるんですけど……どんな書き方をしたんですか」
「ごめんね、けっこう盛ってる」
はあ、恒矢がため息をついたところで、渚が笑ってテントの入り口に向かう。
「じゃあな、恒矢」
そして手を振って、外に出て行った。
その瞬間、俺の意識が急にこの場面から離れていく。
この感覚は……知っている。
夢から醒める。
その感覚だ。
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