第3話 腹黒王子の独白

  ◇◇◇


 母は美しい人だった。


 大国トットランドの王女として皆に愛され、護られ、掌中の珠のように育てられたせいか、いつまで経っても繊細な少女のような人だったという。生まれ落ちたときから隣国の王太子妃にと望まれ、嫁いだあとは、誰もが王妃となることを疑いもしなかった。


 だが、嫁いでみれば王太子には、誰よりも寵愛している娘がいた。王太子付きのメイドとして仕える、身分の低い男爵家の娘。父よりもずっと年嵩の、大人の色香を纏ったメイドの手練手管に、若かった父は夜も昼も溺れていた。


 すっかり爛れきった閨に慣れてしまった父は、美しいけれど、箱入りだった母を物足りなく思ってしまったのだろう。


 申し訳程度に初夜を過ごしたあとは、変わらずメイドを寵愛し続けた。やがてメイドが懐妊し、正式に側室として迎えられたとき、初めて母はその女の存在を知ったという。


 その時点で、母の運命は大きく狂った。懐妊したのが姫だったなら、まだ救いはあったかもしれない。けれども、生まれたのは王子だったから。


 ラグランドでは、王の最初の男児に王位継承権第一位が与えられる。


 母親の出自に関係なく。


 国の重鎮たちは頭を抱えた。このままでは、トットランドに顔向けが出来ないと。どうして王太子妃の懐妊を待たずに手を付けたのかと。


 臣に諭された父は仕方なく、母の閨に通った。懐妊するまで。そして、無事に第二王子である私を産むやいなや、愛する側室の元に戻ったのだ。


 その頃には、母はとっくに壊れていて。


 幼い私は、母に抱きしめられた思い出も、名前を呼ばれた記憶もない。たまに面会が許されたときは、ベッドの上でぼんやり窓の外を眺める母の横顔を、ただ眺めていた。だが、少女のように微笑む母には、私のことなど見えていないようだった。


 けれども幼かった私は、淡い想いを持ち続けていたのだ。いつか私に振り向いて、その名を呼び、抱き締めて微笑みかけてくれるのではないかと。


 けれど、その日は永遠に訪れなかった。ある日呆気なく、母は帰らぬ人になってしまったから。


 皆が口々に噂した。王妃の手のものが害したのではないか、いや、王が直接手を下したのではないかと。


 けれども私だけは知っていたのだ。母にはとっくに、生きる意志がなかったことを。


 ろくに食事もとらず寝たきりの生活を送っていた母は、雪の降る寒い朝に死んでしまった。死因は多分、衰弱死だろう。


 結局私は、母からの愛を一度も受け取ることなく、母に別れを告げた。


 それからの日々はただ退屈で。誰も私を愛さない。必要としない。期待もされなければ罵倒されることもない。


 何のために生きているのかわからなかった。


 ただ、目的もなく生きる日々。だが、皮肉なことに私は兄よりもよほど優秀だったらしく、気が付けば兄を害し、私を担ぎあげようとする貴族の勢力も増えていた。


 王位には興味はないが、ろくに会ったことのない兄に対する情などもない。どうせ退屈な人生ならば、担ぎ上げられるまま王となるのもいいかもしれない。この手を同族の血に染めたとしても、何の感慨も起こらないだろう。


 親の愛を知らずに育った私は、どこか人としての感情が欠けていて。このままずっと、誰かを愛することなどなく、ただ朽ち果てていくのが私の運命なのかもしれない。


 そう、思っていた。彼女に会うまでは。


 十歳の誕生日を迎えた春。その少女は、王宮の庭園の片隅で声を抑えて泣いていた。声を掛けたのはほんの気まぐれだ。たまたま視界に入ってしまったので、仕方なく声を掛けたに過ぎない。


「ねえ君どうしたの?どこか痛いところでもあるの?」


 少女ははっとしたように振り向くと、すぐに涙を拭き、とても優雅に淑女の礼をとった。


「……お見苦しいところをお見せしました」


「いいよ、楽にして」


「そういうわけにはまいりません。第二王子殿下でいらっしゃいますね」


 少女が私のことを知っているのは意外だった。表舞台に立つことの少ない私の姿を見ただけで、第二皇子であると分かる者は少ない。


「へえ、僕のこと知ってるんだね」


「もちろんです!あの、さきほどの殿下のバイオリンの演奏、とても素敵でした」


「……ほんの余興だよ」


 今日は同年代の貴族の子弟が集まるお茶会で、兄にいきなり何か余興をやれと言われた私は、仕方なくバイオリンの演奏をした。昔、母が好きだと聞いて必死に練習して覚えた曲だ。


 だが兄からは「男のくせに楽器の演奏とは女々しいやつだ」と罵倒された。兄が何かにつけて文句を言ってくるのはいつものことなので特に腹も立たないが。ちなみに兄は楽器はおろか剣も満足に扱えない。


「ご謙遜を。実はあの曲、わたくしの好きな曲ですの」


 彼女の屈託のない笑顔に、とくりとひとつ、心臓の音が響いた。


 それから私は、学園やお茶会の席で彼女の姿を見かけるたびになんとなく声を掛けるようになった。最初は緊張していた彼女が少しずつ打ち解けて、屈託のない笑顔を向けてくれるようになるころには、私にとって彼女は特別な存在になっていた。


 彼女といる時、私は初めてまともになれた気がした。


 だが、しばらくすると、彼女は兄の婚約者に選ばれた。優秀な彼女は無能な兄のサポート役として適任だったらしい。


 いやだ。彼女は私のものだ。誰にも渡さない。


 それまで知らぬ間に押さえつけていた感情が荒れ狂う。ああ、私は感情がないんじゃなくて、感情の出し方が分からなかっただけなんだ。


 彼女が側にいなけば、息をするのも苦しい。


 その日、私はこっそり母の国へ連絡を取った。


 母を溺愛していたという年老いた元国王は、私からの連絡を受けるとただちに手足となる者を送ってくれた。この国を手に入れるもよし、隣国に渡るもよし。


 最終決定は私に任せると言うことだった。


 最初は悩んだ。例えば隣国に渡るとして、彼女は私についてきてくれるだろうか。彼女には家族がいて、とても大切にしていたから。


 何もかもを捨てて私についてきてきてほしいとは言えない。


 けれど、この国で王太子の婚約者に決まった彼女を手に入れるなら、大掛かりな粛清を行う必要がある。


 兄を、父を、義理の母を、多くの者を手に掛けた私を、果たして彼女は愛してくれるだろうか?もしも彼女が私を見て、その目に恐怖を宿していたらそれだけで死にたくなる。


 彼女にとって私は、優しい優しい理想の王子様でありたいから。兄とは反対の。


 答えを先延ばしにする間にも、彼女はどんどん追い込まれていった。そしてある日、事件は起こったのだ。


 茶番のような婚約破棄劇。ああ、確かにそれは茶番でしかなかった。全てが仕組まれたものだったから。兄の腕を掴んだ、公爵令嬢の真っ赤な唇が弧を描く。


 ───貰ったわ


 ああ、いいよ。この国は全部君に上げる。


 私には彼女だけでいい。だが国を出た後、なんの巡りあわせか私は隣国の王太子となった。傍らには、変わらず愛しい彼女がいる。


「精いっぱい、この国の民のためにがんばりますわ」


 そう言って微笑む彼女の笑顔が眩しかった。ああ、やはりこの国に来てよかった。


 そして、母国に残り兄と婚約した従妹にあたる公爵令嬢からは、母の遺品が多数送り付けられてきた。国が保管していた母の遺品を片っ端から貢がせたらしい。


「私には地味ですから。そちらの王太子妃様に差し上げますわ」


 国を出る際、何一つ持っていかなかった私に、せめて母の形見をと思ったのだろう。彼女はあれで、優しい人なのだ。このまま彼女が国に留まるかどうかはわからないけれど、彼女が側についているなら、兄の人生も案外悪くないかもしれないと思う。


 彼女を心から愛せたらの話だが。




 おしまい


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わたくし悪役令嬢の器ではございませんので、俺様王子殿下の婚約者の座は、わがまま公爵令嬢様に喜んでお譲りいたしますわ しましまにゃんこ @manekinekoxxx

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