第2話 公爵令嬢の裏事情
◇◇◇
「なあ、ティーナ、お前の望みは何だ?」
王宮の執務室でマクバリー公爵は頭を抱えていた。再婚相手の連れ子である義娘のティーナは、その美しい見た目と洗練された所作から社交界の薔薇と言われている。当然ティーナに懸想する令息は多く、婚約の申し込みは後を絶たない。
だが、ティーナはそのどれも突っぱねていた。ティーナがなかなか首を縦に振らないことから憶測が憶測を呼び、疑心暗鬼に陥った恋に溺れた令息たちがあちこちで決闘をしてはティーナの婚約者の座を争う始末。
娘をなんとかしてくれ!という声に「そんなの知るか!」と返してはいるが、いい加減うんざりしていた。義理とはいえ、年頃の娘を持つ父親とはこんなに大変なのか。世の父親たちに同情する。いや、俺に同情して欲しい。本当に、親の心子知らずとはこのことだな。
「あらお父様、そんなの簡単な答えですわ。わたくしは贅沢が好き。楽しいことが好き。そして、それをすべて叶えてくれる力のある男性が好きですわ。お父様のような男性なら喜んで結婚いたしますのに」
これだから。早くに母親を亡くしたからと甘やかしたのが悪かったのか。いい加減親離れして欲しいものだ。娘という生き物はいつ親離れするんだ。
「俺とお前は親子だ」
「まあ、血のつながりはありませんでしょう?」
「それでもだっ!お前のことをくれぐれも頼むと、亡くなったお前の母親に頼まれたんだっ!」
「お母様もどうせ頼むなら『ティーナを嫁に貰ってやってくれ』って頼んでくれたらよかったのに」
「ぶっ!ご、ごほっ、ティーナ!いい加減にしろ!」
思わずむせたマクバリー公爵をみて、ティーナはふふっと悪戯っぽい顔で微笑む。
「ねえ、お父様。それでは私を隣国に留学させてくださいな。この国にいてはどの殿方を見てもお父様と比べてしまうわ」
「隣国に?駄目だ。お前も知っているだろう。ラグランドが我がトットランドに対してどんな仕打ちをしたか。両国の親善のためにと断腸の思いで嫁がせた妹がどんな辛い目にあったか。そんな国にお前を行かせるなんてとんでもない」
「あら、でも、お父様の大切な妹の忘れ形見であるジェームズ王子を奪還したいんでしょう?しつこく刺客を送っている割にろくな成果が上がっていないと聞きましたわ」
「くっ。あの野蛮な国と違って、我が国は事を荒立てずに平和的に取り戻すつもりなんだ」
「あらあら、でも、ぐずぐずしてるとジェームズ王子が暗殺されてしまうかもしれませんわよ?」
「お前が心配しなくても、すでに手は打ってある!」
最初の男児を産めず、次期後継者争いで負けた妹は王妃の手の者に殺されたに違いない。殺されないまでも、精神的に追い詰められていたのは確かだ。
妹の生んだ第二王子であるジェームズは、これまでスペアとして王妃でも手が出せない存在だった。しかし、王妃が生んだ第三王子が無事七歳の誕生日を迎えた今、そのスペアの価値は無くなったと思っていいだろう。
速やかに奪還しなければ。けれど学園に送り込んだ者はことごとくアーロンの婚約者であるリアナ・カレットの手によって阻まれていた。おそらくこちらの動きに気付いているのだろう。あのぼんくら王子にはもったいない、頭の切れる女だ。
「アレクは確かに腕の立つ男だけど、護衛のためにジェームズ殿下のお傍を離れられないでしょう?それに王太子を罠にはめたいなら、私の方が適任ではなくて?わたくしに任せてくださいな。悪いようにはしませんから」
ティーナが見惚れるような笑顔で微笑む。
「わたくしの魅力にあらがえる男など、いませんわ」
◇◇◇
「アーロン様、なんて素敵な方なのかしら。わたくしすっかりあなたに夢中だわ」
「ティーナ嬢こそ、なんてお美しい。トットランド一の美姫にお逢いできて光栄です」
「まあ、お上手ですこと。どうかティーナと呼んでくださいな。わたくし、アーロン様ともっと仲良くなりたいの。ダメかしら?」
王太子であるアーロンは、幼いころより優秀な第二王子と比較され、精いっぱいの虚勢を張ることで自分を大きく見せようとしていた矮小な男だ。自尊心をほんの少しくすぐるだけで、すぐにティーナに心を許した。
「本当はずっと、寂しかったんだ。王太子の座は俺には荷が重い。第二王子だったらどんなに気楽だったか。弟たちが、あいつがいつも羨ましくて、妬ましくて。いつも馬鹿にしたような目で俺を見る、あの女も大嫌いだっ。どいつもこいつも馬鹿にしやがって。ティーナ、俺の理解者は君だけだ」
「アーロン様。かわいいお方。大丈夫。これからはティーナが守ってあげるわ。アーロン様は楽しいことだけ考えてればいいの。嫌なことは全部、あなたの世界からわたくしが遠ざけてあげるわ」
「ティーナ!ティーナ!俺の女神……」
ほらね。簡単すぎてつまらないわ。さて、後はジェームズ殿下をお父様の元に届けるだけね。どうしようかしら。わたくしに不埒な行いをしたと、国外追放にしちゃう?それだと評判に傷がつくと怒られちゃうかしら。それとも、夢中にさせて思いっきり振ることで自分から隣国に渡るように仕向ける?でも、どうやらジェームズ殿下にはご執心のご令嬢がいるみたいね。それなら……
◇◇◇
「リアナ・カレット!王太子の婚約者であることを笠に着て傲慢な振る舞い。これ以上はさすがに目に余る。よって貴様との婚約は破棄する!そして、ここにいるティーナ嬢と新たに婚約を結ぶことを宣言する!由緒正しいトットランドの公爵令嬢だ。貧乏伯爵家の娘なんぞとは格が違う。元々あのような者が王太子である私の婚約者だったことがおかしいのだ。皆も文句はあるまい」
ティーナはアーロンの腕にわざとらしくしなだれかかりながら、リアナに視線を送る。
(ふ~ん、あの人がお父様を困らせてた人。そしてジェームズ殿下の意中の相手ね)
洗練された知的な雰囲気を持つプラチナブロンドに菫色の瞳の華奢な美少女は、悪役令嬢と呼ぶには迫力不足だった。
(アレクが上手く説得したって言ってたけど、どうかしら)
「そしてリアナ。貴様には国外追放を命じる」
「な、なぜでございますか?私はそのような罰を受けるような罪は犯しておりません……」
震える声で訴えるリアナの姿を、アーロンは面白くてたまらないと言うように嘲笑った。
「は、ははは!いつも無表情でつまらない女だと思っていたが、ようやく人間らしくなったではないか。俺の婚約者として社交界でいい気になっていたお前がいると、この国に不慣れなティーナが気にするだろう?俺は優しいからな。愛する婚約者に肩身の狭い思いをさせるわけにはいかないのだ」
くすり、とティーナは小さく笑う。本当は、この人のことが誰よりも好きなくせに。だからこそ、心を寄せてもらえなくて憎んだくせに。でもいいわ。これからは私が可愛がってあげるから。この人の分までね。
「アーロン様。なんて細やかなお心遣いができるお方なんでしょう。ティーナ、アーロン様のことがますます好きになりましたわ」
誰かを想う人を堕とすのは、最初から好意を向けてくる人を堕とすより、ずっとずっと面白いから。
ティーナはアーロンの腕に豊満な胸を押し当て、ちらりとリアナに視線を送った。
でも、彼女は知っているのかしら。ジェームズ殿下も大概いい性格だってこと。あの子をみる目、アーロン殿下にそっくり。どす黒い執着にまみれてて、怖いくらい。兄弟そろって随分こじらせてるみたいね。ここで退場するつもりかもしれないけど、きっと彼、あなたのこと逃がさないでしょうね。
「ティーナは本当に可愛いな。今まで氷のように冷たい女と一緒にいたから、愛らしいティーナといると心が安らぐよ。リアナ、わかったら荷物を纏め次第出ていくんだな。ああ、王宮にあるお前の部屋の荷物は適当に処分しておくから二度と足を踏み入れるな」
わざとらしくティーナに愛を囁くアーロンの姿に、自然と笑みがこぼれる。無理しちゃって。本当は、傍においてくれと縋りついてくれるのを、待っているくせに。それを嘲笑と取ったのか。
「お、お待ちください!このことは国王陛下もご承知のことなのですか!?」
かつてリアナの取り巻きだった令嬢たちが声を上げた。
(ふうん。意外と人気があるのね)
保身に走る者ばかりではないと言うこと。少しは骨のある令嬢もいるのかもしれない。
「ふん。父上には失恋で心を病んだリアナが自ら進んで国を出たと伝えておく。それで問題あるまい。なあ、リアナ。お前が居座ると、父親や弟の処遇が今後どうなるか考えることだな」
まあ、そんな嘘すぐにばれるでしょうけど。本人たちの意思さえ固まれば、すぐにでもこの国を出て隣国に渡ることができるよう、準備は整えてある。残念ね。彼女は二度と戻らない。
「では、失礼いたします。アーロン殿下。もう二度と、あなた様にお目にかかることはないでしょう。遠くからお二人の幸せを祈っておりますわ」
退出するリアナの後姿を食い入るように見つめるアーロン。ティーナの絡みつく腕が、戒めのように縛った。
◇◇◇
「ねえ、わたくし欲しいものがあるの」
「ティーナ、君は何が欲しいんだ?言ってくれ……」
わたくしが欲しいもの。それはあなたの全て。ぜんぶぜんぶ、わたくしにちょうだい。ほら、辛いことも全部、忘れちゃうといいわ。わたくしに溺れて。
「そうね、まずは、素敵な宝石が欲しいわ。とびっきり豪華なものじゃなきゃ、いやよ?」
おしまい
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