第2話 非接触感応 ノンコンタクト・サイコメトリー

「「リンゴ」は、民間の漁船に金をつかませて沖合の海上でブイの中に仕込んで引き渡した」


 薄暗い部屋の中で、年若い少年の声がコンクリートの壁に反響する。


「あくまでも漁に使うブイをうっかり落としてしまっただけ。そして、しばらくたってそこを訪れたもう一方の船もまた、たまたま拾い上げただけ、と。随分古典的なやり方だが、まあ確かに悪くはない手だ」


 取調室のようなその空間には、机が一つと、椅子が二つ。そして部屋の四隅に取り付けられた監視カメラのみがあり、声の主は手錠で机に固定された男の前で机に脚を放り出し見下すように椅子の背もたれを揺らしていた。


「こうしてアンタたちの組織は計画に必要な320グラムの「リンゴ」を確保した」


 明らかにこの場所にふさわしくない、10歳前後程度に見えるその少年は、資料の類を読むようなそぶりは見せず、ただじっと男の顔を見つめていた。


「その「リンゴ」は禁制品だ。計画まで隠し通す必要がある。公安当局も目を光らせてるわけだし、絶対にバレるわけにはいかないからな。……だからといってオッサンテトラポットの隙間はないだろ何考えてるんだ?」


 男は一言も発していない。ただ、意味が分からないといった様子で全身から汗をだらだらと流し、怯えたような目で目の前の少年を凝視していた。


「いやバレるバレないとかじゃなくて単純に取りづらいし普通に流され……ああ、なんで俺しか知らないことまで知ってるのかって? はぁ、毎度のことだから一々説明するのも面倒くさいんだが、ネタ晴らししてしまった方がか」


 少年は机の上の脚をどかっと組み替えて言った。


「俺は心が読める。お前が遠い昔に忘れ去っちまった記憶さえ筒抜けだ」


 その言葉を聞いて、男の顔から血の気が引いていく。


「む、むぅ~!む~~~!」


 慌てて何かを叫ぶが、それは叶わない。彼は声が発せないようにマスクを取り付けられていた。この取り調べにおいて、


「やっぱり喋れないようにしてもらえるといいな。ノイズが少なくて大変よろしい」


 少年はにこやかに微笑んで机から足を下ろし、立ち上がって彼に顔を近づけた。


「オジサンは楽にしていてくれ。死んでも話したくない計画の仔細についてはこっちで勝手に視せてもらうからさ」




◇ ◇ ◇



「……こうして見ると、恐ろしい能力ですね」


 眼前のモニターに映る取り調べの光景を前に、警視庁公安部特殊凶悪犯罪対策課所属の調査員、御前羽芳おまえばかおるはごくりと固唾をのんだ。


「頼もしい能力だ、と言ったほうがいいかなぁエヴァちゃぁん」


 彼はわれらの頼もしい外部協力者なのだからね、とその女は葉巻に火をつける。彼女は警視庁公安部特殊凶悪犯罪対策課の課長を務める女、犬錠姓いぬじょうかばねである。曰く、警察組織にいるだけの犯罪者。曰く、狂犬病に罹った犬。ろくでもない呼ばれ方で、公安内部からすら恐れられる狂人である。

 ぼさぼさに伸ばしっぱなしになり、目元も半分以上前髪で隠れた彼女は、その銀糸を左手でかきあげ、煙をふぅっと吐き出した。


「【非接触感応ノンコンタクト・サイコメトリー】。通常一般的に知られる【接触感応サイコメトリー】が、生物や物体に触れることでそこに残る思考や記憶を断片的に読み取るのに対し、彼の能力は全くもって驚異的だ」


 犬錠は、少し怯えたような顔をする彼女に笑いかけるように言った。


「触れることなく、というより、実際に目にする必要すらなく。彼の周囲、彼の能力の効果範囲内にある生物、物体は、あらゆる思考、記憶をすべて読み取る」


 まさに神の御業だな、と犬錠は不気味に笑う。


「彼の前ではあらゆるすべてがお見通しなのだよ。この世界に現存するあらゆるサイコメトラーは彼の足元にも及ばないだろう。彼の前では隠し事はできない。どれほど忠義心のあるものが口を閉ざそうと関係なく読み取られるし、情報を渡さないように自害したとてその死体からすら彼は情報を暴き出す」

「……ここに配属される前に、噂には聞いていましたが、これほどとは」


 御前羽は、何か恐ろしいものを見るような目でモニターに映る少年を凝視した。


『そんなに心配しなくてもアンタの心を盗み見るつもりはないから安心しなよ』

「うぇっ!?」


 モニターの向こうから話しかけられ、御前羽は驚いて椅子から転げ落ちる。


「も、も、もにた、ご、ごし、な、なんで」

「落ち着けってエヴァちゃん。別にモニター越しに心を読まれたわけじゃないよ」


 ほらあれ見て、と犬錠が画面を指さすと、そこには自分の耳元を指さして見せる少年の姿があった。


「……インカム?」


 気の抜けたような彼女の声を聴いて、画面の向こうで少年は肩をすくめた。


『一応はそっちの指示でそっちの知りたい情報を聞き出す仕事なんでね。指示を聞くためにその部屋の会話はこっちでも聞けるようになってるんだよ。え? これもしかして説明効いてない感じ? いや流石に説明くらいしてるよね? でもそうなると話聞いてないってことになるの? こんな大事な話を聞いてない新人かこんな大事な話を伝えてない上司かどっちかってこと? どっちも嫌だな勘弁してくれよ……』


 色々とひとりごちたあと、げんなりとした様子で机に突っ伏す少年。その姿からは、先程まで感じていた恐ろしいほどの凄味はなくなっていた。少なくとも御前羽の目には年相応の少年に見えた。


「おう、それより話は聞けたかいコロネちゃん」

『コロネって言うなよな……まあいいや、とりあえずアンタらの知りたがってた情報は全部まとめといた。よけりゃあこいつの中学生の頃にしたためてた懐かしのポエムまでまとめてやろうか?』

「いや、確かに犯罪者とはいえ流石にかわいそうだ。これまでに書いたラブレターをまとめるくらいにしておいてやれ」


 それはそれで酷くないか。御前羽は眉をひそめた。


「あの、ところでコロネっていうのは」

「ああ、コロネちゃんね。あの子のあだ名だよ。ニックネームさ。心根友人こころねゆうとだから、コロネちゃんってこと。ほら、エヴァちゃんだって御前羽芳だからエヴァちゃんって呼んでるでしょ?」

『……俺はあんましコロネってのは気に入ってないけどね』


 心根友人。それが画面の向こうに映る少年の名であり、現在この日本国が庇護下に起き管理している数少ない【能力者ギフテッド】の一人でもある。

 【非接触感応能力者ノンコンタクト・サイコメトラー】。それが彼に与えられた名であり、彼の能力を示す記号である。

 接触感応サイコメトリーと呼ばれる、いわゆる超能力というものがある。これは能力者の台頭前より広く認知されていたもので、度々オカルト番組などでも取り上げられ、公共の電波で紹介されたこともある。

 生物、物体に接触することで、そこに残された記憶や感情を断片的に読み取る能力。海外などでは古くから事件捜査などにも重用されてきたものだが、彼の能力はまさしく一線を画していた。

 触れる必要も、見る必要も、聞く必要もない。ただ、彼の知覚できる範囲にあるというただそれだけで、物体であれば数百年以上前、生物であれば、すでに忘れ去り思い出せなくなってしまった記憶までをも読み取る、異能の力。

 厳密には接触感応とは全く異なる力ではあるが、分類上それに近い能力であると判断され【非接触感応ノンコンタクト・サイコメトリー】という名を与えられたのだ。

 その力のあまりの大きさを考慮し、彼は齢12歳にしてこの警視庁公安部特殊凶悪犯罪対策課の外部協力員として度々こうして取り調べに参加しているのだ。

 彼の力は圧倒的で、彼の前ではどんな凶悪犯罪もたちどころに解決し、どんな凶悪なテロ行為も、こうして実行前にすべての情報を抜き取られて止められてしまう。

 彼の存在は公表こそされていないものの、法の手の及ばない裏社会においても恐るべき抑止力として機能していた。

 だからこそ、御前羽は恐ろしくてならなかった。

 もしも彼がこの力を、自分の意のままに、好き勝手に振るい始めてしまったならば、きっと簡単にこの社会は崩壊してしまうだろう。一定の距離内にいるだけで、自分自身すら覚えていないような出来事さえ、詳らかに丸裸にされ晒されてしまうのだから。

 そんなことになればプライバシーという概念は崩壊し、人々は疑心暗鬼の果てにパニックに陥り大惨事を招くだろう。いや、そうでなくてもこの力は使いようによってはあらゆる悪事を可能とする。銀行やカードの暗証番号も、強固な企業のセキュリティもまるで意味をなさないのだ。

 そんな彼が、こうして警察組織に協力的な姿勢を見せているという現状は、ほとんど奇跡のようなものなのだ。

 なにせ、彼は―――


『ま、こんな周りに誰もいない廃村に一人置き去りにされてるんだ。たまに話をするのはアンタらくらいのものだし、好きに読んでくれよ』


 そう。彼は、その能力を危険視した政府により、「保護」の名目で今はだれもいなくなった、舗装された道路は一本もつながっていないような忘れ去られた山奥の廃村に一人で軟禁されているのだ。

 一定範囲内の思考を読める彼の能力に対して、政府の下した判断がこれだ。

 あまりにも、ばかばかしい。けれど、この力を目の当たりにしてしまっては、この対処もやむなしと思えなくはない。だが、しかし、これは。


「彼は、能力者とはいえ12歳の子供ですよ。本当ならまだ小学校6年生です。ほかの子供たちと一緒に勉強したり、遊んだり、そういう年頃の子供なんですよ。それを、たった一人で置き去りなんて……」

『あー……』


 ぎゅっとこぶしを握り締める彼女の声に、彼は少し困ったようにはにかんだ。


『あーっと、新人さん。そんなに気にすることは無いよ。俺の力をみんなが怖がってるってことはわかってるし、この措置も、俺の居場所を隠して俺を守るためだっていうのは理解してるしさ』

「……ですが」


 それでも、と画面を見つめる御前羽に、犬錠は優しく微笑む。


「ま、そんなに気になるなら、たまにこうして話し相手になってやればいいのさ。それにコロネちゃんは別に一人じゃないだろ。ほら、世話係にうちのを一人そっちにやってるだろ」

『……橘さんのことは、まあその、なんだろ。うん』


 世話係の話が出たとたん、彼の表情が曇る。曇るというか、露骨に目が泳いだ。冷や汗も流れている。


「その、橘さんとは?」

「おお、説明してなかったな」


 御前羽の質問に、犬錠は葉巻をケースにしまいつつ答えた。


「うちは公安でもとりわけ秘匿性の高い課だからね。メンバー全員を把握してんのは私だけだし、基本的に絡みがない限り紹介することはないんだけど……まあエヴァちゃんは絶対関わってくるだろうし、いいか」


 犬錠は一枚の写真を取り出して見せた。そこに映っていたのは、艶やかな黒髪を後ろで束ね、凛とした瞳のどこか冷たい雰囲気を感じさせるスーツ姿の女性だった。


「バナナナちゃん。本名は橘奈々子。そう見えて剣道と柔道、あとは合気と空手で黒帯取ってるバリバリの武闘派で、貴重な公安の【能力者】だよ」

「能力者を、世話係に充ててるんですか?」

「それだけ彼が大事ってことだよ。それに、彼女の能力はコロネちゃんの仕事に必要なものだからね」


 仕事に? と首を傾げた御前羽に、犬錠はモニターを指さした。


「これを口外したらエヴァちゃんにはちょっと消えてもらうことになるんだけど。バナナナちゃんは貴重な転移能力持ちなのね」

「き、消え……って、転移能力ですか?」

「そ、転移。具体的には、指定した座標の指定した空間を取り換える能力だね。取り調べの時にはコロネちゃんは対象の近くにいなきゃいけないんだけど、かといってコロネちゃんのところまで輸送してたら居場所がバレちゃうでしょ?」


 犬錠はくるくるとライターを掌でいじりながら続ける。


「だから、向こうの施設と全く同じつくりにした部屋を用意して、バナナナちゃんの力で部屋ごと向こうに送ってるってわけ。向こうで生活するために必要な物資なんかも、バナナナちゃんの力でやり取りしてるのよね」

「な、成程」


 確かに、どれだけ山奥に隠したとしても、出入りする人間がいれば居場所はバレてしまう。そこを、転移能力を使って直接やり取りする形にすれば、居場所がバレるリスクを大きく引き下げることができるだろう。

 いやまて、それはそれとして、だ。


「そこはわかったんですが、どうして彼……コロネ君はバナナナさんの話が出たとたんに顔を曇らせたんでしょうか。もしかして、彼女に何かされているのでは?」

『あー、いや。うん。なにかされたりはしてないから安心してほしいんだけど。いや本当に何もされてはいないんだけど……』

「?」


 これ言っちゃっていいのかな? という目で監視カメラ越しに犬錠に目配せをする。犬錠は額に手を当ててうなだれた。


「あの、うん。なんだ。バナナナちゃんは全然悪い子じゃないしまじめに仕事もするし犯罪行為に手を出したこともないんだ……ないんだけどな」

「けど?」


 犬錠は遠くを見つめながら答えた。


「重度の……ショタコンなんだ」

「……はぁ?」


 御前羽は顎が外れそうになった。


「悪いやつじゃないんだよ。本当に。物腰も柔らかいって程じゃないし、冷たい印象もあるクールな奴だが、情に厚くてね? うん、本当いいやつ。いいやつなんだけど、こう。性的嗜好が偏っているというか、特殊というか……」

「え? え?」


 事態が呑み込めず、目を白黒させる。


『本当、悪いやつじゃないんだよ。そういう素振りを俺の前で見せたこともないし……ただほら、俺は心が読めちゃうから……』

「あ、あー……」


 大体理解できてきた。


「つまり、人格的にも問題のない人で、能力もすごくて、仕事もしっかりしてる人なんだけど、小さい男の子が好き……口には出さないしそういう行動もしない出来た人なんだけどもコロネさんは心が読めてしまうので表に出さなくても……という?」

「まあ、大体そんな感じだ」

「…………ま、まあ、誰も考えることは否定できないですし。言論の自由どころか思考の自由を奪うことなんてできないですし」


 いやな汗をたらたらと流しながら、まだ見ぬ先輩をフォローする。

 が、犬錠は何とも言えない顔で口をはさんだ。


「ひとつだけ問題があるとすれば、だ」


 本当にものすごく、今まで見たことがないような苦渋の表情を見せる犬錠。


「あいつだけが向こうにいる理由として、心を読まれ過去も含めてすべて知られる恐れがあるという条件に了承したのがあいつだけだったというのがあるんだが」

「だが?」


 犬錠は絞り出すような声でつづけた。


「あいつは自分の趣味嗜好や考えていることが全てコロネちゃんに筒抜けになっているということを理解したうえで卑猥な妄想全開でコロネちゃんの世話係を務めてるんだ」

「とんでもねえセクハラ女じゃないですか何で掴まってないんですかそいつ」

『考えること自体は罪に問えないから……』

「これが法の敗北……?」


 愕然とした表情でうなだれる御前羽。こんな、こんなのが自分の先輩なのか。というか今後仕事で顔を合わせることがあったとき自分は果たしてどんな顔をしてしまうのか。

 そんなことを考えていると、ふふっと笑う声が聞こえて御前羽は顔を上げた。

 犬錠だ。


「ようやく緊張がほぐれてきたね」

「犬錠課長」


 優しく微笑みながら、犬錠は葉巻に火をつけなおした。


「確かにコロネちゃんの力は普通ではないし、我々の仕事も普通ではないよ。でもね、今君の前に映っているコロネちゃんは、その力を除けば何の変哲もない12歳だ。こんな風に悩みを持っていたり、笑ったり困ったりもする」


 決して、理解の及ばない怪物などではないのだよ。そういって犬錠は深く葉巻を吸った。


「課長……」


 その姿を見て、御前羽は瞳を潤ませる。


「そうですね、彼は怪物でもなんでもなく。私たちが保護するべき12歳の普通の少年であり、頼れる協力者です」


 それを教えるためにそんな作り話で場を和ませたんですね。そう続けるが、犬錠と心根は遠い目をして答えた。


「いや、バナナナちゃんの話は別に」

『作り話とか、そういうあれじゃ、ないかな……』


 マジかよ。

 御前羽はそっと目を閉じた。

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