第13話「逃走と闘争 下」
心の中で決意を叫び、すぐに目の前の化け物に集中した。
部屋に入ってきた化け物の広範囲の薙ぎ払い攻撃を、自分の体を前に倒すことで躱し、体に迫る床を両手で強く叩いた。その動作の音を聞き逃さなかった化け物の叩きつけ追撃をそのまま横に転がる体勢のまま避けた。
化け物の一手先、二手先を読むことでなんとか戦いを成立させている。
そろそろ決めないと。
自分の体力の底が見え始めている。人体を完璧に使いこなせるこの状態なら数分も満たない運動で息が上がることは普通ありえない。
だが、この戦いでの動作の一つ一つは、人体に負担をかけ、無理をさせて達成した、超人の域のものだ。脳内麻薬や神経を操作できなければ、今も体に激痛が走っている。
体の調子を確かめている間に、化け物は距離を詰めながら両手の筋肉を膨らませた。その動きを見て、化け物の次の攻撃が予想できた。
チッ
考えられる中で一番厄介な攻撃が来ることに、脳が回避策のためにフル回転の作動をする。だが、絶対の答えを一瞬で導き出すことが不可能とすぐに気づき、思考を捨て、最善の選択をするために、直感に従った。
両足に力を入れ、空中に飛び上がった。
化け物の左手は上空を、右手は部屋の下方を高速で横切る。今まで一撃も命中しなかったが故に、部屋全体を狙った攻撃を繰り出したのだろう。両手の間からでしか避けられないこの攻撃を、体を横の一本線にすることで奇跡に躱わすことが出来た。
直感にしたがったことで躱わすことできたが、化け物が壁を破壊した両腕をそのままもう一度同じ攻撃に使おうと再び力むのが見える。
着地と同時に来るであろうその攻撃を、再び同じやり方で躱わすことは不可能だ。
だが、自分はそんなピンチに心を乱さず、空中で体を捻り、立っていた場所から少しズレた場所の方に、両足での着地をするように動かした。
化け物の攻撃は予想した通り、一度目の攻撃の軌跡を戻るように空気を切っていった。
空中の浮くことが出来なければ絶対に避けられない、そんな不可避の一撃は人体をひき肉に変えることなく、再び建物に損傷を与えた。
「ふー」
その攻撃を避けられたことの安心感に、小さく息を吐く。
地形を活用しようとした自分が、化け物が一階に降りてくる時に開けた穴を利用しないわけがない。
まだ続く鬼ごっこの戦いのために、そんな安心感を一瞬で切り替え、両足の着地と同時に、走り出した。
走り出して数秒、聞き覚えのある音が後ろから鳴り響いた。埃が空中に舞い、叫び声が鳴り響く。
さらにデカい図体に成ったから、最初に開けた穴を使わずにまだ床に穴を開けて降りてきたのか。
化け物の暴挙に、計画通りという感想だけが出た。
「ラストスパートだ」
そう言って、部屋に駆け入る。
化け物から距離を取れたことを確認し、振り返りながら構えを取った。使うアイテムの確認をその間に済ませ、見えない壁の向こうの化け物を見つめた。
その視線に応えたかのように、化け物は両手で壁をぶち壊して、部屋に踏み入った。
化け物は獲物の位置を確認したことを喜ぶように、怒り顔でニヤけ顔を作った。おそらく足音で判断していたのだろう。
「来いよ、当ててみろ。そのゴリラ図体は見せかけかい、それともそれを動かす脳がないのか」
最後の戦いの開幕に、挑発の言葉を化け物にぶつけた。
それを聞いた化け物の顔からは笑みが消え、純粋な殺意と怒りが現れた。化け物はそのまま殺意と怒りを体に乗せ、筋肉を膨張させて、両手を広げて突進の構えを取った。
その体からは漏れ出す力が感じ取れる。
霊感で化け物の体を覆う力の本質を見抜く。絶対に命中させる殺意が染み込んだその力の役割に悪寒が体に走る。
その攻撃の範囲と危険さを読み取った自分はさらに神経を研ぎ澄ませ、血の流れを速くし、次に来る攻撃に対応するために出来るだけ見える世界を緩慢にした。
拳の中に握った仏像のお守りと念珠の力を引き出しながら、再び無理をさせる自分の肉体に感謝の気持ちを告げ、足に力を入れる。
化け物の筋肉の動きを観察しながら、反応し続ける危機察知の微小な変化を見逃さないようにした。
来る!
その言葉が脳内に浮かんだと同時に、体は動いた。
両手を広げた、大きな体を生かした化け物の突進攻撃は、この部屋のほとんどの空間を破壊し尽くすだろう。
技術ゼロのまま、両手を線として使った攻撃の命中率とは違う。体を面として活かしたこの攻撃は普通の手段では避けられない。
なにより、全身全霊で攻撃を当てようとする化け物の意思が込められたこの攻撃は今までの攻撃とは種類が違う。
唯一の隙である上の空間を使った回避は不可能ではないだろう。
だが、この距離でジャンプする隙を見せるなんて死と同義。もっと速さを持っていたら隙見せずに出来るが、それならもっといい避け方を選択する。
今自分にできることは死から逃げることのみ。
両手を顔面の前に置き、頭部を守りながら、超低姿勢のまま踏み出す。攻撃が来るまで数歩動く時間もない、だから、最初の一歩に全力を注ぐ。
既に疲労が溜まり、休息が必須な身体になっているが、更に無理を強いる。両足の筋肉の限界を無視した動きを行う、両足とも使用不可になる状態を回避するために、左足に負担を優先させた。
時間にしておよそ0.2秒、床を蹴って突進した自分は衝撃を感じると同時に、地面、いや、壁に叩き付けられた。
衝撃の中、思考はただ身を守るためだけに動いた。突進のために膨らませた筋肉をそんまま守りに使うように引き締めて、硬化させた。
自分の身を守り切れたことを確認したことで、思考はようやく状況確認のために動き始めた。最初に考えるべきことは化け物の状態、追撃を許したら守りの努力も無駄になってしまう。
そう思い、視線を化け物が通った場所に向ける。
驚くことに、あれ程の突進をした化け物はそのまま家の外に飛び出ることはなかった。踏みとどまったのか、頭だけが壁に突き刺さった状態になっている。
それを確認し、自分の体に意識を向ける。体には大きな負傷はなく、あるのは体を酷使した疲労と痛みのみ。手の中にあった仏像のお守りは砕け、数珠の幾つかは粉々になって落ちていた。
自分の肉体のみでは攻撃を受け切れずに重傷になると判断して、俺はお守りの力を使って身を守ろうとした、それが成功したという結果にホッとする。
身を守りたいという純粋な感情がお守りの力を完璧に引き出した。
肉体の調子と残る呪符と数珠などを確認しているその時、上から木屑などが落ちてきた。
建物の全体から嫌な音が鳴り響く。落ちてくるものと壁や柱にあるひびが、この家が既に戦いの余波に致命傷を負わされたと教えてくれる。
「まぁ、計画通りって奴だ」
どのようにここから逃げ出すかは、戦いの中ずっと考えていた。身魂合一の状態になったことで、理想の方法決めることが出来た。
ただ背を向けて逃げるのはダメだ、小さな隙をついたところで、自分よりも速い化け物の前にそんな選択は確実性がない。
だから、化け物を疲労させ、大きなチャンスを作り、そして障害を用意した。
体を起こして、足を動かす。
化け物も既に頭を壁から抜け出し、こちらを向いている。
突進攻撃のおかげで、十分な距離は取れている。大きな攻撃をさせようと、挑発した甲斐があった。
目と耳で建物の寿命のカウントダウンを計り、再び挑発の言葉をかけるために口を開く。
「ふー、息が上がるな。でも見ての通り、俺は五体満足の元気健康状態。ちょっと頭を使ったところで、君の脳筋攻撃は俺に傷一つもつけられなかった。獲物を選ぶ判断もろくに出来てなかった君は、俺に目を潰される前から目が既に節穴だったようだな」
挑発に再び怒りを燃やし始める化け物を見て、小さく笑う。そして俺は足を地面に叩きつけ、戦いの構えを取って、言葉を続けた。
「そんなに怒っても僕に傷つけられないよ。毛の一本も生やしてない全身ハゲの化け物が狩人気取ってんじゃねぇ、お前には動物園の見せ物コーナーがお似合いだ。オラ、行くぞ。全力の一撃だ、歯を食いしばれー」
そう言って、俺は防御の構えを取った化け物から目を離して走り始める。
背後から聞こえる怒りの咆哮を笑い、小さく飛び、壁を蹴って天井の穴から2階に上がる。化け物の出遅れた足音を聞きながら殆ど残っていない床を助走に使い、窓に対して飛び蹴りをぶつけた。
強さと勢いコントロールしたおかげで、屋根から落ちずに着地できた。だが、着地と同時に建物は崩れた。
一瞬で、全体が崩れて倒れた。
その一瞬で崩壊に巻き込まれないようにジャンプをし、崩壊した建物の残骸の上に着地した。
「誘導しやすい化け物で助かったよ。怒らせて逃げれば、勝手に家を壊してくれる。中途半端に崩れても困るから、全体に損傷を与えるように走り回ったけど、こうも綺麗に崩れるとは。建築の知識とかもう少しあれば、身魂合一をもう少し活かせたな」
戦いの感想を述べながら、この敷地から出られる道に向かって歩く。
あの化け物はこの程度ではくたばるはずが無い。
いくら挑発して、全力で暴れさせて体力を削ったとこで、こんな建物の崩壊では軽傷を負わせられるかも怪しい。
だが、既に奴にとっての隠れ家はなくなり、戦いの物音もここら一体に響いている。
この世界に化け物退治する人が存在し、奴が街中で堂々と暴れずに、こんな場所で密やかに狩を選んでいる時点で、奴は逃走という選択肢を取らざるを得ない。
既に夕方に入り、闇に覆い尽くされる夜がそう遠くない。知性のある奴なら、早めの逃走を選択するだろう。
「ちょ、マジか。結構速く歩いてるのに、もう来るのか」
直感が伝えてくれた。
奴が起き上がる。
言葉を言い終えた瞬間、建物の残骸から爆発音が鳴り、今一番見たくない存在が姿を現した。悲痛な鳴き声を小さく口から出している化け物の体は木屑と埃まみれになっていた。
無駄にデカい体は、何にも邪魔されることなく、立ち上がっている。
3メートル以上、いや、4メートル以上だ。さっきより大きくなっている。さっきのは最大サイズではなかったみたいだ。
一番驚くことは、奴の左目には何か刺さっていた。既に穴になっていた目に何かが刺さった痛みに、化け物は痛みに耐える鳴き声を上げていた。
身魂合一の状態がまだ続いている自分は目のピントを調整し、そのものを見た。
「木材?建物のものか、家具のものかは知らんけど。ラッキーだ」
誰にも聞こえないように言いながら、振り返って再び歩き始めた。
充分戦ったし、今は家に帰って風呂に入りたい気分だ。
一歩 二歩
背後から叫び声が聞こえる。おそらく頑張って目に刺さったものを抜いたのだろう。
まぁ、あの様子だと脳みそまで届いているような気もするが、今の自分は神経を体の回復に使っている、そんなことは気にしたくもない。
だが、そんな油断と呼んでいいかもわからない思考が、危機察知に遮られた。
空気を切り裂きながら何かが飛んでくる。
背後から飛んできたものを避けるために体を動かすも、回復に転じていた体はすぐに切り替えられず。俺は体を伏せることで回避を図った。
スレスレで体の近くを飛んだ何かに、回避の成功を知った。
地面に膝をつけた俺は頭を上げ、地面に落ちていたものに目を向ける。
あれは、奴の目に刺さったものか。
予想外の遠距離攻撃に今日殆ど出なかった驚きを感じるも、こんなものに冷静さを剥がされそうになったことに笑いそうになる。
そして、体を振り返る。
化け物はものを投げ出した姿勢から立ち姿に戻ろうとしていた。本当に偶然生まれた攻撃なんだと感心する。
そして、その瞬間、強い風が吹いた。
建物の木屑と埃を乗せ、木々の葉や雑草を揺らす強い風が。
嫌な突風の中、俺は動かずに立っていた。
この距離とは言え、怒りの発散が終え、冷静さを取り戻し始めている化け物に足音を聞かれる可能性はある。
だが、再び動いた危機察知に嫌な予感をする。
俺の体に当たる風の音から判断したのか、化け物はこちらに目を向ける。
その瞬間、不気味な力が体を通っていった。その力の正体を、直感が当てた。それを悟り、動かない姿勢を諦め、立ち姿を変えて口を開く。
「はぁ、まぁ、落ち着けば、五感以外の方法でこっちの場所を探ってくるよな」
目や鼻が利かなくても、こいつは俺を確認する術は持っている。俺が罠に引っかかる前、こいつは屋敷の中にいるのに、俺の存在を確認できた。
「理性がなきゃ使えないと判断して、挑発をいっぱいしたのに、このタイミングで聴覚よりこっちを優先するのかよ。チッ、耳に浮気者と罵られるぞ」
化け物の顔はこっちの存在を確認したものになっていた。
だが、奴はすぐには襲って来なかった。その顔は考え悩むものなっていた、その顔のままあたりを見回すように頭を動かす。
「なるほど、どう逃走するか考えているのか」
だが、化け物は思い出すようにこっちに振り向く。長い沈黙の後、化け物らしくない長いため息を吐いた。
そして、化け物は攻撃の構えを取った。疲労のせいか、先程の力強さはその構えにはなかった。
その体からは既に殺気と怒りが薄れていた。逃走を優先しなければいけない状態でそんな感情を見せる程の愚物ではないみたいだ。
そして、その体から読み取れる意思と考えは一つ。
もう少しだけ。
そう、あれ程狩ろうとした獲物を逃すのは惜しいから、もう少しだけやってみたいという、ある意味、狩人らしい欲張りな精神だった。
「マジか、あともう少しだけって思っているの、お前。食いたいとか、殺したいとかではなく、ここまでやったから、あともう少しやろうと考えているの」
化け物の考えに呆れ、溜息を吐いた俺は、十数メートル以上離れていた化け物を見つめ笑った。
「なら、そんな愚行より逃げることを優先した方がいいことを教えないといけないな。お前の攻撃は当たらないし、俺は死なない」
そう言いながら、軽い背伸びと準備運動をした。10秒もないストレッチの時間だったが、建物の崩壊からそれなり休めたおかげで、少しくらい体力を得られた。
「ふー」
口から長いため息を吐く。そして体を動かす。
右手に鋭さがまだ残る水鬼の爪を、左手に数珠と呪符を。構えを取ったまま、少しずつ化け物の方に近づくように足を動かす。
少しずつ、少しずつ、距離を縮める。残りの体力を最大限に活かすために、助走などは選択肢から外す。
不動の静から攻めに、狙うのは左目。
戦闘を諦めさせるために、戦意を挫くには致命傷に近いものを負わせるのが一番。既に開いてある傷口を抉るのが最適だ。
あと、四歩 三歩 二歩 一歩。
カウントダウンは止まった。
5メートルはある間合いの手前で立ち止まった。化け物も動きを止め、既にない両目で俺を見つめた。
動かない。
化け物は学習していた。
取るべき行為は動の状態の獲物に対しての攻撃、来る攻撃に対応するための構えを取った獲物には、攻撃を命中させられないと。
だから、獲物が動くのを待っている。
攻撃に対する反撃を行うのも、確実に殺すための拘束をするのも、両足が地面についてない獲物に対するものが良い。
ここは蹴れる壁も、空いている穴もない。
化け物の考えは読み取る必要もない、わかりやすいものだ。
それを利用する。
俺は化け物に変化があるまでは構えを取りながら、体力の回復を図る。
化け物には体力の回復を行うという考えも余裕もない、ただ獲物に攻撃を当てるために全力の態勢を取っているだけ。
故に、俺の一方的な休憩というズルである
そんな時間が数秒、十数秒、数十秒経った頃。
化け物に変化が現れた。
愚直に力んだ態勢を取り続けた結果、逆に無駄に体力を消耗したのがわかる。動かない相手に化け物は苛立ちを覚え始めている。
その予想通りの事実に、俺は冷静さを失わないように最高の集中状態に入る。
そして、化け物の苛立ちがある程度増したことを確認して、始まる戦闘のために心を固める。
「はっ!」
大きな声と共に、強い敵意と戦意を化け物に飛ばす。両足に力を入れ、体を動かした。
「コッロス」
苛立ちを隠せなかった化け物は醜い声で言葉を叫びながら、両手をこちらに振り翳してきた。人体を容易に引き裂く攻撃が飛んでくる。
だが、化け物の顔にあった殺意は一瞬で戸惑いに変化した。
わかりやすい。
化け物の動きに俺はそう思った。
声を上げ、攻撃的な意思を見せ、体を前に進むかのように動かす。
俺が行ったのはそのような典型的なフェイントで、先攻を誘い出すための牽制だ。前に進むように体が動くなら、歩法使って後ろに下がればいい。
やって来る攻撃の軌道から外れた俺は、化け物を観察しながら、思考を続ける。
自分より速い攻撃を避けるなら、避けられる形に誘い出すのが一番。
その作戦が成功した。
予想外のことに驚いた化け物だが、すぐに顔の迷いを消し、腕の動きを変えた。当たらない攻撃の片方を放棄して、右手でそのままもう一度俺を狙い、左手を懐の方に戻した。
なるほど、片手を防御、反撃に使うのか。両手とも空振りしたまま放置したら、胴体ガラ空きになる。まさか、こんな化け物が俺の攻撃を警戒するとは。
右手の攻撃を避けて、化け物の間合いに詰めた俺は化け物の左手を観察しながら、次の予測をした。
その予測に応えるかのように、化け物の左手は迫って来る。すぐ間近から始まった攻撃だが、加速しきれていないその攻撃には速さが足りなかった。
俺は左手の攻撃を、飛び越えることで避け、その勢いのまま化け物に迫った。左手を突き出すように前に置いて、それを狙って化け物は最後の武器を使った。
鋭い牙を見せるように大きく口を開けて、手に噛みつこうと動いた。
想定内の攻撃に、噛みつかれそうになる左手で華麗な曲線を描いた。
化け物にぶつかろうとしたように見えたジャンプの力を使い、体を捻ってそのまま化け物の上を飛び越えた。
それと同時に左手は蛇のように化け物の横顔を通り、掴んであった呪符を後頭部に貼り付けた。
元始天尊、霊宝天尊、道徳天尊、玉皇大帝、
天に天将、地に地祇、天雷滚滚、地火炎炎、
賜る神光、降伏邪鬼、斬破妖魔
「急急如律令」
身魂合一の自分によって最大限に力を引き出された呪符、俺は思いついた呪言を心の中で叫び、口にした命で呪符の力を発揮した。
「ケッッギャーーーーー」
化け物は後頭部から襲い来る激痛に、言葉にならない叫びを上げた。そして、呪符を剥がすことより獲物を優先して、振り返って攻撃をしようと化け物は体を動かす。
「予想通り」
それに応えるように、着地した瞬間に走り、そのまま化け物の背中を踏み台にして、再び俺は空高く飛んだ。
攻撃が外れ、化け物は頭を動かし、上空にいる俺を見上げた。
回避の手段を失った獲物に、必中の一撃を当てられる好機を手に入れたと思った化け物だが、空から来たのは幾度も自分の体を傷つけた爪だった。
投げ出した水鬼の爪は見事に化け物の左目の奥に刺さった。
化け物は再び大きな叫びを上げて、両手で必死に顔面を触っていた。獲物を仕留める絶好のチャンスを逃すほど、余裕を失っている。
数メートル以上の高さからの着地を済ませた俺は、足の調子を確かめながら化け物を見つめた。
「おっ、いい感じに刺さったな」
しっかりと自分の怒りや日頃のストレスを煮詰めて、力を引き出したから、水鬼の爪は化け物の弱点を抉るように動いてくれているだろう。
目の前の化け物は目の奥に刺さった爪を取り出そうとするも、自分の鋭い爪で目の穴の肉を抉ってしまい、痛みにどうすればいいか分からない状態に陥った。
そんな困った状態で、後頭部の呪符がまだ力を発揮していることを思い出したかのように、非常に長い両手で頑張って呪符を取ろうとした。
熱いものを取るように、必死に手を動かして。
化け物にとって毒でしかない呪符は化け物の両手をも傷つけ、長い時間が経って、化け物はようやく呪符を剥ぎ取った。
しかし、呪符は力を使い果たし、使命を終えたように化け物の掌の上で灰となった。
完璧にその力を発揮し切ってくれた。
「クソー、クソッ、クソ、あぁっ、あっ、はぁ、はぁー」
暴言を吐く化け物は、手のひらの灰を投げ捨てるも、突然の風で顔面に飛ばされ、再び声を上げた。
「なんだ、思ったより喋れるんだな」
化け物の口からクソというワードが出たことに感嘆するも、化け物は俺の言葉を気にしなかった。
そのまま、行き場のない怒りを諦めるようにして、顔面の灰を叩き落とした。そして覚悟を決めるように息を吐き、目の奥に刺さった水鬼の爪を取り出そうと、化け物は慎重に2本の指を目の穴の奥に入れた。
数秒の肉をかき混ぜる不快な音と共に、化け物の目の穴から水鬼の爪が出てきた。
呪符と同じように力を使い果たし、崩れ去っていくと思っていた水鬼の爪の力は衰えることなく、むしろ艶と禍々しさが増していた。
そのサイズもさっきのより大きく、鋭利さも増加している。
「まじか、こいつの血肉を貪って強くなったのか。流石だな、怪異から作られた呪いのアイテムは」
別れを告げなければいけないと思っていた貴重なアイテムが残ってくれたことに強い喜びを感じる。
それと同時に、脳内で水鬼の爪の変化について分析を始めた。
水鬼の爪から血肉を喰らって強くなるような性質のものには感じ取れてなかった、お守り用として道士に加工された物だ、そんな邪な者に便利で邪悪な性質は残していないはず。
「同じく恐怖的存在である化け物の血肉に反応したということだよな。こういうことも起こり得るのか」
俺が水鬼の爪の分析をしている最中、化け物はまだ力を発揮する水鬼の爪を、俺の手に渡らないように後方に投げ捨てた。
刃物を握って壊すような自傷を伴う破壊より、簡単な方法を化け物は選んだ。
「まだやるのかい?」
俺は化け物の戦意の有無を確認するために、そう言った。
既に大きな傷を負って、疲労を感じている化け物だが、その腕力は変わらず人体を簡単に粉砕できるものだ。
既に屋敷から抜け出し、化け物に傷を負わせた俺は成果を得られたと思っている。予定通りの勝利まであと一歩のところだ。
しかし、その一歩を、化け物は再び立ち塞がった。
次の行動に迷う素振りを見せるも、化け物は両手を広げて攻撃の態勢を取ったのだ。
「なるほど、呪符も爪もないから、恐れることなく攻撃ができると思ってるのか。まだ念珠が残ってるぞ」
左手で念珠を突き出して化け物に見せる。だが、化け物は一瞬の戸惑いをすぐに隠して、攻撃の構えを継続した。
「念珠は脅威にならないと。まぁ、何個かの珠が粉々になって、効力が薄くなっているのは確かだな」
防御のために消耗された念珠では化け物にどれくらいの効力があるか、その答えは直感でわかる。だから、取るべき行為は一つのみ。
念珠を左手の拳に巻き付けて、戦いの構えを取る。
疲れ切った体、使い切ったお守り、化け物にとって、今の俺は脅威ではないだろう。虚勢でも、勢を張らないといけない。
「君が真に恐れるべきなのは、道具のお守りではない、使い手の俺だ。あまり人間を舐めるなよ、化け物退治の塾には通ってないから、君との個人レッスンで学ぶしかなかったが、色々とできるようになったよ。例えば、化け物の殴り方」
左拳の念珠の力を引き出しながら、意識を自分の魂に向ける。
悪霊などの存在に対して、純粋な物理攻撃の効果はそれほど良いものではないだろう。目の前の化け物のような実体のある存在には有効だ。
だが、それだけだ。実体という入れ物を無くしても存在を維持できるのが奴らだ。
だから、呪符やお守りのような、神秘的な力が宿ったものを有効打として使用した。しかし、道具だけなのか、人間が持つ武器は。
違う。
俺は知っている。あのお守りも呪符も、人の手によって作られたもの。そして、その力は作るだけのものではないと。
拳を握りながら、力を引き出す。使うのは肉体だけではない、心、信念、そして、魂。
今までは、魂を肉体に繋げて動かすだけのものとして使ったが、今は魂の力を引き出して使う。
俺には呪文や道術のようなものは使えない。霊力とか、そういう力の知識は何もない。
神社の人に、神職に就けば色々教えると誘われたが、強い信仰を持たない俺は断った。寺院の人にも僧侶になることを提案されたが、断った。
化け物のような力も生者の俺からは程遠い。
だから、自分に与えられた唯一の超常的な才能を使う。
魂
前世の記憶が流れ込んだ時にはっきりと知覚した魂、それをただ肉体を動かすために使うのではなく、こいつを倒すために使う。
初めての使い方に少し戸惑うも、上手くできている。
「肉体を失えば、霊となるのは魂。信仰や呪いなどとは違う、生きる人間等しく持つ、お前らに通じる力だ」
俺の体に流れる魂の力に、化け物は理解不能になったように、口を開いて、戸惑いの顔を見せた。
「今の俺にできる最強の一撃を」
最強の一撃。師匠から見た武には、そう讃えたくなるものが複数あった。しかし、状況次第で、最強というものは変わる。
今、俺に必要なのは、怪異を、化け物を、恐怖を、屠れる最強だ。
真似るのは、あの日の男の一撃。巨女の怪異を跡形もなく消し去った一撃。道場で何回も試そうとしていた、だが、あの高みは理解の届かないものだった。
身魂合一の今なら届く、理解できる。肉体だけを利用した攻撃ではない、超常的な力を乗せ、初めて達成する攻撃。
イメージはできた、1割の威力もないだろうが、できると直感する。
そして、この攻撃を化け物に当てるために、足に力を入れて、地面を踏む。
恐らく最後の一撃だろう。だが、この一撃に賭けるしかない。
帰って、家族に会うために、明日からも日常を過ごすために。
この一撃で勝負を決める。
拳を握り締め、魂の力を注ぎ、性質を与える。
怒りのような純粋な感情で力を膨らませ、そして、お守りに宿っていた力を再現する。化け物を傷つけたあの力を、ここに宿す。
力は、意味あるものに宿る。この拳に、この化け物を屠れる意味を与える。
体で燃え上がる力と共に、大きく声を上げる。
「死ねぇぇぇー、……え?」
俺の叫びは途切れた、拳も足も同時に止まった。目の前の突然の出来事に、驚いて。
俺の攻撃を見て、反撃の構えを取った化け物が消えていた。
いや、身魂合一の自分は見逃さなかった、見覚えのある光景だ。怪物を、音速に近い速さの攻撃が跡形もなく消し去ったのだ。
そして、あることに気づく。
傘を持った男が立っていた。
化け物がいた場所の真後ろに。
驚きにさらに驚きが重なる。
気づかなかった、今まで気づくことができなかった。男は気配も何もかも消していた、攻撃の時でさえ、周りの者が攻撃を繰り出す本人に気づかないようにしていた。
今、化け物を仕留めたことを確認して、初めて姿を現した。
透明にはなっていなかったはずだ、あれほど集中していた俺と化け物の意識の隙を通り抜けたのか?可能なのか?
そんな俺の驚きと分析に停止をかけたのは男の言葉だった。
「大丈夫か、少年」
聞き覚えのある声だ。
奇峯事務所の20代目~超常恐怖~ 七夜雨狸 @tiyotanu
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