首吊り村の死体

冬野ゆな

第1話

「あの村はとにかく、いわくばかりではっきりしねえ。だけどひとつだけわかってるのは、あの村にゃあ滅多な事じゃ近づかない方がいいってことだけさ……」

 すっかり酔いが回ったころ、ベン爺さんがそう口を滑らせた。

 ジャックはすぐさま耳を傾ける。酒場に集う老人たちのくだらない噂話を我慢した甲斐はあった。どこそこの娘が都会に出て行っただの、だれそれの息子が行きずりの女を妊娠させて結婚する羽目になっちまっただの、そんな他愛もない話に混じって、その村の話は密やかに語り継がれてきた。

 このあたりの炭鉱夫の中でもひときわ不気味で忌避される村。


 ――首吊り村。


 ジャックがその村に興味を持ったのは、仕事で訪れたこの地域を見回っていた時だった。このあたりの土地を探しているという客のために、ジャックは土地を片っ端から見回っていたのだ。客は田舎に別荘を建てる予定で、周辺に妙なものはないかを調べ上げ、いくつか良さそうな場所をピックアップしてほしいと依頼してきた。相手が一般人ならいざ知らず、名うての企業の社長となれば話は別。ジャックは車を飛ばし、それこそ足を棒のようにしてあちこち歩き回った。小さな村の酒場に入り込んで、どこか良さそうな土地はないかと聞いているうちに発見したのが、その「首吊り村」と呼ばれる村だった。

「あの村にはよ、ヘゼリムって名前があるんだ。だけどだれもそんな名前で呼ぶやつはいねぇ」

 首吊り村は、崖の間にできた小さな谷間のような窪地の中にある。

 地図によっては現在でもヘゼリム村、あるいはヘゼリム谷と表記されているが、それ以上はなにもない。高台から見える村は、小さな谷に挟まるようにして窮屈そうに古い家々が立ち並ぶ。家と家の間にはそれなりに畑があるらしく、四角い緑の地帯がいくつかあった。村の後ろ側は大きく伸びた谷で崖になっていて、まるで大きなゆりかごだ。緑や赤といった屋根の色は目立つのに、どことなく陰鬱な雰囲気を醸し出している。

 高台から村へくだるルートはひとつきり。ゆりかごの下側から、人間の道かどうかもわからない狭い獣道を進んでいくと、急に目の前が開けていく。村に続く道の先に、門がある。木造でつくられた簡素な長方形の大きな門が呆然と立ち尽くしているのだ。作りとしては他の村と変わらない。だが村の名前さえ無い入り口には、常に首吊り死体がぶら下がっているのである。

「俺は爺さんからこの話を聞いたとき、眉唾ものだと思った。海賊や山賊じゃあるまいし、街の入り口にそんなものを吊しておくわけがねぇ。それに死体がぶら下がっているっていうなら、政府や警察が放っておかねぇだろう。たぶんマネキンか人形だろうってな」

 ベン爺さんはそう言ってちびりとエールを飲んだ。

「だけど首吊り死体は、そのころからずっとあったっていうんだ。爺さんたちは炭鉱夫をしていたが、あのへんを通るときはいつも見ていたんだと。爺さんだって、最初は冗談の類だと思っていた。いくらなんでも、あんな風に首吊り死体をずうっと吊しておくわけがないってな。だけどあれを見た奴等は、間違いなく、それが人間の首吊り死体だと思い込んじまう」

 遠目から見ても、それが人間の首吊り死体だと思うらしい。

 シャツとズボンを身に纏っただけの簡素な男が、首を吊られている。

 まちがいなく首には縄がかけられて括られている。ずっとその状態なのだという。もしかすると腰あたりで固定しているのかもしれねぇ、とベン爺さんは続けた。

「だってよう、首吊りってな、ずっと首に縄があったら……首が伸びちまうっていうからな」

 ベン爺さんはそう言って舌を伸ばした。

 そしてその死体の異様なところは――その時代からずっとあることだ。

 いつ見ても、その死体はつり下がっている。だからこそ人形ではないかとも言われているのだ。そうでなければ、定期的に死体が交換されていることになる。腕のいい蝋人形の作り手がいるならともかく、そんな噂は聞いたこともない。

 しかし、しかしだ。

「それじゃあ、その死体は」とジャックは続ける。「ミイラなのか?」

「わからねぇな。なにしろ大事なのはそこじゃねぇからな」

 ベン爺さんは再びエールをあおった。

「大事なのは、その死体が偽物にしろ本物にしろ、呪われてるってことだ。あの村は昔から、盗賊の村だの、魔女がいるだの言われていた。あの死体のおかげでな。だけどな、本当に呪われてるのはあの死体だ――」

 なるほど確かに呪われているというのは本当かもしれない。

 死体を吊り下げておく――死体に見えるものを吊り下げておく――なんていうのは、村に入るな、村に入ればこうなるぞという意思表示に他ならない。他に理由がないならそれしかない。あの死体に近づいて戻れないのはじゅうぶんな理由になる。だがそんなものはすでに前時代的なものだ。この科学全盛の現代でそんなものがあれば、ベン爺さんの言うようにとっくに警察や政府が動くはず。

 ジャックはベン爺さんにエールをもう一杯、もう一杯と奢っていき、ついにはテーブルでいびきをかかせた。話したという記憶ごと抹消することを願う。ジャックは手帳をしまうと、さっそく車を飛ばしていった。

 くだらない。だが、興味はあった。売りつける土地としては最悪の部類だが、好奇心を刺激するには充分だった。線路伝いではないが、死体など滅多に見れるものではない。だが好奇心と同時に不安もあった。妙な村があるからこの話はなかったことに――なんてことになったら、せっかくの仕事がパァだ。ジャックは森の中へと車を走らせ、鬱蒼とした道を進んだ。両脇には細い木々が建ち並び、まだ夕暮れ前だというのに霧が立ちこめている。近くには立て看板すらないというが、しばらく道を行くと右側に曲がり道があるという。ジャックは車を飛ばしながら目を凝らした。霧のせいか前方は十メートルほどしか見えなくなっていく。

「くそっ」

 苛立たしげにハンドルを叩く。だがその瞬間、目線の端に右へと曲がる道が流れた。急ブレーキをかけ、車は音をたてて止まった。ゆっくりと振り向く。霧のせいではっきりしないが、やはりそこには森林の中へと続く道があった。

 エンジンをとめると、車を降りて右の道へと足を進める。道はあるが轍はなく、土の細い道が続いていた。ほとんど獣道に近く、周囲の茂みは剪定もされていない。しばらく人が通ったような跡さえ感じられなかった。しばらく道を進んでいくと不意に視界が開けた場所があり、高台に出た。その先にあるのは小さな谷に挟まった村だった。霧に沈んだ街には、屋根の色だけが浮かんで見えた。

「本当にあった……!」

 思わず目を見開く。死体が見えないかとあちこち見回したが、見えるのは薄暗い森だけだった。

「ああ、ちくしょう。ここからじゃ無理か」

 だがまるで宝物でも見つけたかのように、ジャックは周囲を見回した。下へと降りる道がまだ続いている。ジャックは慎重に道を行った。鬱蒼とした木々はすぐにさっきの光景を覆い隠してしまって、先ほど見た記憶すら隠してしまいそうだった。スーツが飛び出した枝に引っかかり、蜘蛛の巣が顔にかかる。本当にだれも通っていないらしい。炭鉱夫たちの時代にはこの道を使ったのかもしれないが、いまやそれはほんのわずかな糸くらいの道筋しか残されていなかった。だがジャックが坂道を滑るようにくだっていくと、こんども再び急に視界が開けた。思わず目線を前に向ける。そこには、霧の中に沈む村が立ちすくんでいた。村に着いたのだ。

 ジャックはほんの少しだけ躊躇ったのちに、村の入り口を見た。地面に落ちている影がある。音すらなく、それは地面に向かって垂れ下がっていた。

「死体……」

 確かに死体に見えた。

 門はほとんど朽ちかけていた。左右の柱は灰色になっていて、ペンキも塗られていない皮はあちこちひび割れてめくれている。中も食い荒らされているのか、小さく開いた穴の向こうは空洞になっている場所もある。本来なら柱の上のほうに備え付けられた看板があったりするだろうが、ここは長い枝をいくつも通しているだけだった。どれもこれもねじれた枝ばかりで、そこから朽ちかけたロープが吊されていた。ロープは確かに首と、死体の腰あたりにくくりつけられていた。ベン爺さんの推測は当たっていた。この死体はただの首吊りではなく、腰で固定されているのだ。揺れることもなく、ただ、そこにある。村の入り口にあるにしてはあまりの存在感だった。

 だがいざ実物を見ると、気味の悪さと、偽物ではないかという疑念が湧き起こってくる。忌避感がそうさせるのだろう。

 ――本物か?

 死体は、汚れた白いシャツに青色のズボンを履いていた。体を固定するためか布があちこちに巻かれていて、そのせいか遠くから見ると中世からこのまま吊られているような服装にも見える。顔は青白く、死んでいるのだとよくわかった。指先はそのまま、茶色い靴はだらりと垂れ下がっている。だが本物かと言われると――。恐る恐る、ぶら下がっている指先へと手を伸ばす。もしもこれを触って、ひどく冷たい手をしていたら。ジャックは手をひっこめた。いやまさか。人間だったらとっくに腐敗が始まっているはずだ。それこそ人骨が吊されていてもおかしくない。だからこれはきっと、やはりマネキンの類なのだ。

 ジャックは周囲を見回し、男の足の横をそろそろと通り過ぎた。そうして村の中へと入り込む。入り口から続く道は、緩やかに村の中央へと誘っている。家々に光はなかった。ジャックは携帯電話をライト代わりに道を進む。

 最初に見えてきた家は古びた石造りの家で、蔓状植物が半分ほど覆い尽くしていた。角の部分は僅かに崩れ、窓の中は真っ暗だ。無人の家に違いなかった。反対側に見えた家も、雑草と縦横無尽に伸びた植物に覆われていた。かつては綺麗に刈り込まれたであろう木々も生えるがままになっている。手入れされた跡は微塵も見えず、ジャックは少しだけ窓の中へライトを向けた。中には古びたテーブルと椅子がそのまま残されていた。人の気配は無い。また別の方向へとライトを向けると、木製の柵が雑草に飲まれようとしていた。どうやらかつては畑だったようだが、いまは名前も知らない植物が柵を飲み込もうとしていた。

 ――廃村なのか?

「すみません、どなたか――」

 ジャックは声をあげた。

 声は霧のなかに消えていき、静まり返っているせいか耳鳴りがする。ジャックはため息をつき、更に先へと進んだ。村の中を進むにつれて、よりいっそう暗くなっていく。霧のせいだけではない。村を包み込むような崖のせいか、夜の小さな光さえ遮っている。怪物の口の中を進んでいるようだ。道は曲がりくねって、それぞれの家の前を通って続いていたが、そのどれもに人の気配はなかった。家の前に置かれたポストは根元から斜めに生え、畑だったものはことごとくが草に支配されている。家々のひとつとして明かりはなく、外壁は剥がれかけ、玄関デッキのロッキングチェアは朽ちかけ、その上に置かれた毛布は腐り落ちていた。生きているものはなにもおらず、フクロウの声すらしない。携帯電話のライトが照らすものは、どれも朽ち果てていた。

 そうしてジャックはとうとう村の端までやってきた。目の前にそそり立つ崖は立ち入るのを拒むようでもあり、喉の奥へといまにも村を飲み込む怪物のあぎとでもあった。

 よく考えれば――警察が出動しない地域なんて廃村以外に考えられない。死体は昔からぶら下がっていたマネキンで、村は廃村。それがいちばん考えられる可能性だった。

 だが不意に恐ろしくなり、ジャックは踵を返した。急いで来た道を戻る。暗闇が村の中を満たしている。携帯電話のライトは相変わらず地面を照らしてはいるが、妙に心許なく感じる。照らし出されるのは朽ちた村と幻のような霧だけだ。聞こえてくるのは自分の息づかいだけ。人の気配など微塵もないのに、見られているような錯覚さえある。怪物の声でもした方がまだ安心できた気がした。どうしてここにはこんなに――何も無いんだ。

 足は自然と早まり、一歩ずつ道を引き返していく。とうとうジャックは走り出した。一刻も早くこの場所から逃げ出したかった。いまにも悲鳴をあげてしまいそうだ。彼は急いで村の入り口へと戻る。死体が見えた。死体の横を一気に走り抜ける。上に戻るための道を探して、ライトであちこちを照らす。やってきたときの景色を思い出しながら、高台に戻るルートを探した。それらしい場所に足をかけて、一目散に走り抜ける。枝か葉が当たったらしく、手や頬に微かな痛みがある。がむしゃらに細い道を駆け抜ける。この道を上までのぼれば、ここに入ってきたときの獣道があるはずだ。あのへんはきっとまだ走りやすいはずだ。自分の車が恋しい。飛び乗って、さっさとこんなところから出てしまおう。

 ジャックは勢いよく、高台までのぼった。

「……え?」

 息を切らしてたどり着いた先は、来たときと同じだった。

 急に開けた視界は高台ではなく、すぐそばに死体の吊り下がる門が見えていた。聞こえてくるのは自分の心臓の音だけだった。

 ジャックは悲鳴をあげて駆け出した。

 どこへ逃げても廃屋と朽ちた畑ばかり、何度高台への道をのぼっても、村に戻ってくるだけだった。聞こえてくるのはジャックがあちこちを駆け回り、喉の奥から続く悲鳴だけだった。携帯電話の電源が切れ、ライトが消えた。そうしてジャックが転がるようにして茂みを抜けた先に、何度目かの村の入り口の景色があった。

 振り返った先に、門があった。

 暗闇のなか、死体はいつの間にか無くなっていた。その途端、心臓を掴まれたような気分になった。汗と泥で汚れた背中を冷たいものが伝う。その下には見慣れないものがひとつだけあった。おあつらえ向きに、ぽつんと置かれた小さな梯子の椅子。それはジャックにはちょうどいい大きさだった。上にあがって、輪にかけるのにちょうどいい。

 目線の先には、枝からつり下がるロープがあった。

 その首吊り用の輪は、いまかいまかとジャックの首を待ち受けていた。

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