#13 ピアス
「ひろっ!?」
私の第一声はそれだった。
ここは夏鈴さんの家、あの公園から割と近い位置にある高級マンションの十階の部屋は一人暮らしとは到底思えない広さと綺麗さで驚かされた。大理石とまでは言わないがどことなく高級感漂う玄関からして既に広く、横の靴棚だけでも一体何足入るか分からない程の大きさだ。
「その……どうぞ上がって下さい」
「これが一流モデルの家か……お邪魔します」
恐る恐る靴を脱いで揃えて置き、先を歩く夏鈴さんに付いて行く。廊下を歩く最中トイレの場所とスイッチを教えられ、きっと隣は脱衣所と浴室だろう扉がある。向かい側には寝室と思しき扉と空き部屋か物置き部屋だろう扉もあるがそのままリビングの方へと向かう。
夏鈴さんがリビングの扉を開くと共に電気のスイッチを付け、明かりが灯るとそこはやはりとても広く開放的だった。電気屋でしか見た事の無い様な大きさのテレビモニターや音響、高級そうなソファーとローテーブルにふかふかなラグ。すぐ横を向けば広々としたカウンターキッチンがあり最新家電が並び数々の調味料が美しく整頓されていた。
「あのっ、ソファーに座ってて下さい。お茶……お出ししますので」
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
いかにもお高いですと言わんばかりのソファーを改めて見て息を呑む。思い切って腰掛けてみるとそれはとてもふかふかで座り心地は最高だった。バッグを横に置き、そわそわと部屋を眺めてみる。一通り見てみると雑誌のラックに観葉植物や間接照明、チェストがセンス良く配置されていてお洒落な部屋だ。部屋干しをしている形跡は無く洗濯物は乾燥機でも使っているのだろう事が伺え、何よりきちんと整頓され散らかってもいない。ロボット掃除機が部屋の隅に設置されていて家電も充実しているのが分かる。住み心地はとても良さそうだ。
「お待たせ、しました」
「ありがとうございます」
夏鈴さんが両手に持ってきたティーカップからは茶葉の良い香りが湯気と共に漂う。それをローテーブルに並べ、夏鈴さんが横に座る。匂いだけで淹れてくれた紅茶は良質な茶葉なのだろうとすぐに分かる程だった。
添えられていたスティックシュガーの封を切り、サラサラとカップに注ぎ入れる。夏鈴さんも同じ様にスティックシュガーの中身を入れてティースプーンで掻き混ぜていた。カップを持ちふうと息を吹きかけて一口啜るとふんわり柑橘系の香りが口の中に広がる。
「美味しい……」
「良かった。わたしが普段、取り寄せて飲んでるアールグレイで……お口に合って何より、です」
嬉しそうに微笑む夏鈴さんはやはり美しくて、広告に起用が決まった件もあり何度か個人的に夏鈴さんの事を調べたが物静かなクールビューティーという情報と写真ばかりでこんなに綺麗に笑う彼女は殆どその中には居なかった。ふと目に入った雑誌のラックにある一冊の表紙も紛れもなく夏鈴さんだがクールな表情だ。
「ずっと思ってたんですけど夏鈴さん、笑うと凄く綺麗なのにカメラの前だとあんまり笑わないんですね」
「……それ、は……その、わたし普段からあんまり……感情表に出せなくて。人見知りですし……」
「私の前だとこんなに笑ってくれるのに?」
「桃色さんだから、です」
静かに紅茶を啜り、呟く様にそう答えられる。それは果たして答えになっているのか、それともなっていないのか良く分からないが心を許して貰っていると受け取って相違ないのだろう。
「勿体無いなぁ……すっごい綺麗なのに」
「そんな事、無い……です」
「えー?鏡で見せてあげたい位ですよ。夏鈴さんの笑顔……っと、鏡で思い出した。ピアス開けに来たんだ」
「よっ、よろしくお願いします」
「消毒液あります?」
「今用意しま、す」
夏鈴さんがブランドのバッグから今日買ったばかりのピアッサーを二つ取り出してローテーブルに置いた後、一度立ち上がって壁際のチェストに向かいその中の一番下の引き出しから救急箱を取り出すとそこから消毒液のボトルを用意した。ローテーブルにはお洒落なケースに入ったティッシュがありこれで良いかと一枚引き抜いて折り畳む。
ソファーに戻って来た夏鈴さんから消毒液のボトルを受け取りキャップを開けると、折り畳んだティッシュにそれを染み込ませてボトルのキャップを閉めて置き再度座った夏鈴さんの横髪を掬って耳に掛けさせて貰った。余りにもさらさらとした絹の様な手触りにどんな手入れしてるんだろうかと驚くが任務遂行を優先する。
「よし、穴開ける前に消毒しますね」
「……はい」
消毒液で湿らせたティッシュでそっと夏鈴さんの耳朶を裏表両面優しく拭い、それを両耳分繰り返す。夏鈴さんはその間大人しくこちらを見ていた。
消毒を終えると使い終えたティッシュをローテーブルへと置き、代わりにピアッサーが入ったパッケージを二つとも取り封を開けて裏面の使用方法を念の為確認する。挟み込んで強く押すだけの簡単なものではあるが他人の耳にと思うと緊張が走った。
「じゃあいきますよ」
「いつでも……どうぞ」
互いに自然と近付いて行き、ピアッサーで夏鈴さんの耳朶を挟み込むと狙いを定めて一思いにカチッと押し込む。そっとピアッサーを外すと何とか綺麗にファーストピアスが付いていた。
「ふぅー……まずは片方良し。痛くないです?」
「大丈夫、です。意外と」
「なら良し!次いきますからね」
力強く意気込んでもう一つのピアッサーで夏鈴さんの逆側の耳朶を挟む。なんとかなれ!と再度強く押し込み貫通した手応えを感じると傷付けない様にまた外して左右見比べて位置を確認する。何とかほぼ対称に開けられたのを見て安堵した。
「良かったぁ……何とか綺麗に開けられましたよ」
「あの、無茶なお願いしたのに……ありがとうございます」
「まぁこれも何かの縁って事で。しっかし現役モデルさんのピアス開けるなんて貴重な経験しましたよぉ……緊張したぁ」
「ジュエリーの広告、オファー来たりするんで……思い切ってピアス開けたいって、ずっと思ってたんです。開けて貰えたのが桃色さんで……良かった」
ふっと照れ笑いする夏鈴さんに新しく添えられた透明に輝くスワロフスキーが嵌められたピアスは、安物のピアッサーのチタン製ファーストピアスでしかないのに高級なジュエリーの様にさえ見えた。
「見えにくいかもですけど、ほら。ちゃんと嵌まってます」
「……不思議な感じ……です」
はっと思い起ってバッグからコンパクトミラーを取り出し開いて夏鈴さんに見せる。目を丸くして鏡を覗き込みピアスが付いた耳朶にそっと触れる彼女はいつもと違って少しだけ愛らしく思えた。
「やっぱモデルさんともなると安物でも一級品に見えますね。けど折角ならもっといいやつにした方が良かったかもですね」
「でもこれが良いんです……桃色さんが、選んでくれたものだから。大切にします」
「ハハ、ほんっと大袈裟だなぁ……あ、定期的にちゃんと消毒して下さいね?」
「分かりました」
重大任務を無事に終えて一安心し、空のピアッサーをテーブルに置いてほんの少しだけ冷めた紅茶のティーカップを持ち中身を啜る。少々冷めたとはいえまだ充分温かいそれはじんわりと身体に染みて本当に美味しかった。
「あ、あの、良かったら……泊まっていきませんか」
「え?良いんです?」
「はい。あんまり……面白みのない家、ですけど。わたしのパジャマ、貸しますし」
「いやいや、こんな良い家に泊まれるとか中々経験出来ないんで逆に嬉しいって言うか……なんかお泊り会みたいですね。童心に帰ったみたい」
思い掛けない提案に目を丸くする。家はここからも近い為帰ろうと思えばすぐだが、酒の勢いもあって何となく今回はその話に乗る事にした。誰かの家に泊まるなんて滅多に無い為童心を思い出して心が弾む。
でも私はまだ分からなかった、この日が私達の関係を大きく動かす事になるとは。まだ何も、この時は知らなかった。
腐女子と腐女子の愛し方 川瀬川獺 @kawasekawauso
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