落とすは一瞬、得るには一世紀

 アントワーヌ・ローラン・ラボアジェ。彼は生まれながらの持てる者だった。

財産、(国王秘書官を父から相続したに過ぎないとはいえ)貴族位、高い職位と収入。すば抜けた頭脳と国際的な名声。健康と体力、優れた容姿と美しい妻。

一族の愛情と期待を一身に背負い、かつ応え続けられるだけの能力。

天与に甘えぬ猛烈な勤勉家でもあったが、ひけらかしはせずとも己が恵まれた者であることを隠しはしなかった。


 それが秘かに妬みや嫉み、僻みや疎みを呼び起こしていたのか、あるいは単純な怯懦きょうだからか、徴税請負人ちょうぜいうけおいにんたちが告訴された時、革命裁判所に対して嘆願の労を取った旧友は少なかった。

アントワーヌと実験や研究を共にしたかつての友人や弟子たちが、彼の逮捕の前後にそそくさと距離を取り沈黙を守ったことは夫妻の無力感をいっそう強めた。

中には国民公会の議員であり、ロベスピエールに直接願い出る伝手を持っている者も居たにもかかわらず。


 むしろ知り合ってから日の浅い同僚の方が(利害や必要性のなせる業だとしても)彼を自由にしようと尽力した。

度量衡制定委員会はロベスピエール一派の不興を厭わず、何度もラボアジェの釈放を嘆願し続けた。

「この大事業には彼の助けが必要だ!」

この頃にはアシニヤ紙幣の機能不全は明白になっていたため、貨幣委員会も通貨の改革のために彼の釈放と実験への復帰を懇願した。

「常に実験室で研究できるようにしてやらなければならない」


 だが最初から徴税請負人の有罪は織り込み済みで起訴されている以上、どんな努力も虚しかった。

彼らはポール・リーブル監獄からより劣悪な旧徴税組合事務所にまとめて移送され、全財産は差し押さえられた。監獄の中で文字通り心血を注いで作成し、提出した決算書は裁判の前に改竄された。

裁判の前後から面会は許可されなくなり、手紙の往来も厳しく制限されるようになる。

己の運命を悟ったラボアジェは自身の生涯に関する覚書を作成し、自著原稿の校正を急いだ。


 革命暦花月フロレアール19日(1794年5月8日)、一にして不可分の共和国の名の下に、元徴税請負人28人の処刑が革命広場で執行された。


 ジャック・アレクシス・ポールズが3番目。

敬愛する義父を目の前で見送ってから、アントワーヌ・ローラン・ラボアジェは4番目に断頭台へ上った。


 霧雨の止まぬ夕、群衆が見守る中、処刑は30分かからず終わった。

長居に不向きな空模様でも観客から不平の声が出ない早業、恐ろしいほどの効率の良さ。

革命広場のそれまでの日々、これから続くであろう未来と、何一つ変わらぬ光景。


 アカデミーの旧会員も在籍する工芸評議員会は、処刑の半月前にラボアジェの業績一覧を革命裁判所へ提出しており、そこにはこう記されていた。

「この一覧は、その数と重要性とがたった一人の人間の歴史に属するものとは容易に信じられぬ一連の事実を示している……。ラボアジェ氏は、その仕事が人間の認識の限界を広げることで、もっとも効果的に技術の進歩と国家の栄光に貢献した……」

この文書は検事の綴りに挟まれたまま、裁判で活用されることはなかった。


 『化学原論』の執筆と度量衡制定でラボアジェと一緒に研究を行い、友人でもあった数学者、ジョゼフ=ルイ・ラグランジュは嘆いた。

「ラボアジェの首を落とすのは一瞬で済んだ。だが、同じ頭を得るには百年でも足りるまい!」


 青年ラボアジェの最初期の論文の主題が、その若き日の問いが、「人間の記憶に、永遠にその名、その行為の数々を残したいという願望は、人間の本性、理性にかなっているかどうか」だと知ったら、彼らはどんな反応を示しただろうか。

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革命は止まれない 楢原由紀子 @ynarahara

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