さよならは早すぎる
1793年10月、王妃マリー・アントワネット処刑。
ハプスブルクの皇女さえ断頭台へ送る革命の苛烈さにヨーロッパが震撼する。
翌11月、一人の女性が同じ場所で命を絶たれた。
「女性は処刑台にのぼる権利をもつ。同時に女性は、演壇にのぼる権利をもたなければならない」
彼女の名はオランプ・ド・グージュ。自身の夜明けの歌そのままに。
11月の終わり、国王の
議長として、工芸評議員会で審議の最中だったラボアジェはその報に接するやいなや辞意を表明し、惜しまれながら退任した。
一旦身を隠し、いかにも彼らしい律義さで「徴税組合の最終決算と
回答は届かなかった。
諦観したラボアジェは、義父ジャックと共に出頭し、他の元請負人たちと共にポール・リーブルに収監された。
アントワーヌとジャックは同部屋になり、直ちに決算書作成に取り掛かる。
彼らの部屋はすぐに仲間たちの集会場になった。
二人とも几帳面な性質で部屋は清潔で居心地が良かったし、ジャックの人当たりの良さと聞き上手、アントワーヌの知識と論理的な思考、両人の卓抜な計算・起案能力の高さが皆に頼りにされ、義理の父子は一団の中心的存在だった。
――もう一度皆で一緒に仕事ができる!
監獄の部屋には奇妙な明るさが満ち、徴税請負人が即興詩人へ早変わり、同僚へ自作の詩を捧げる宵もあるほどだった。
「アントワーヌ。
「複数年契約が単年契約に変わって、収支がわかりにくくなっています。この明細でより詳しい
「ああ。確認しよう」
ジャックはほっと息をつく。目尻に皺を寄せ、義理の息子を頼もしそうに眺める。
「初めて会った時からずっと、君はいつも頼りになる。願わくばマリーと一緒に年を重ね続けてほしいが……」
老人は一瞬言葉を切った。表情に疲れを滲ませ、アントワーヌだけが聞き取れる小声で話を続ける。監獄の中には往々にしてスパイが潜んでいるからだ。
「一体、革命はどこへ向かうのだろうな……。戦争は途方もない金喰い虫だ。金持を片っ端から捕まえて財産没収すればどうにかなるものではなかろう」
「貴族だ役人だ怪しからんと働き盛りの男性を次々収監してしまったら、誰が指揮官や軍事顧問や外交官を務めるんだ?限られた
今は亡きミラボー、バイイ。行方も知れぬコンドルセ、シェニエ。
アントワーヌは黙って手元の紙に目を落とし、1789年に夢見たフランスの姿を想う。
「アントワーヌ、ずいぶん頬がこけているわ……ちゃんと眠れてる?」
「寝つけないわけではないのだが。どうにも眠りが浅くて……」
アントワーヌは苦笑いを浮かべる。マリーは胸が詰まる思いで、扉に開いた窓越しに夫を見上げた。
体は口より雄弁で、元々痩せぎすの彼は頬だけでなく顎も頸も肉が落ち、シャツの襟首がゆるんでいた。
「自制心を手放せないあなたが……可哀そうだわ。アントワーヌ、アントワーヌ!なぜあなたがこんな……!!」
アントワーヌは小窓から手を伸ばし、マリーの頬の涙を拭う。灰色の瞳は穏やかで哀しげだった。
「どうか泣かないでくれ。マリー、私の大切な……」
兄弟三人に先立たれたマリーは夫と父を釈放するため、ただ一人で八方かけずり回って請願したが、厳しい現実に直面していた。
アントワーヌの無罪と革命政府への貢献を強調することは父の釈放には全く役に立たず、徴税請負人の潔白を声を大にして主張することは、民衆の激しい反感を買う時勢だったのだから。
不公平な税を定めた王や大臣より、集めた税金を浪費した宮廷や軍隊より、面と向かって商人や組合から徴収していた請負人はより激しく憎み嫌われていた。
優しく家族思いの父、国家に貢献する頼りがいのある夫。
身内の二人が強欲な守銭奴として新聞雑誌で糾弾され、マリーが受けた衝撃は大きかった。
財務・税務畑の縁者が多いポールズ家で育った彼女は、革命が起こるまで気付かなかった世の風潮だった。
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