惜しみなく革命は奪う
8月、待望のメートル法が制定されたその同じ月に、アントワーヌの奮闘虚しく科学アカデミーの廃止が決定する。彼は独身時代から所属し、論文の大半をその紀要で発表してきた学問的・精神的拠点を失った。
「どうなさったの⁉一体何があったんです?」
帰宅したアントワーヌは紙のように白い顔色をしていた。ぎょっとしたマリーが尋ねる。
「ダヴィッドが……君に絵を教え、私たちの肖像画を描いたダヴィッドが……!!」
「先生が?」
「彼は国民公会で、こう演説したそうだ。『正義の名において芸術の愛、殊に若さを愛するが故に、今後あまりに害の多いアカデミーなるものは廃止しようではないか。アカデミーは自由なる政治体制の下では存続しえないのである』……っ!」
アントワーヌは喉を詰まらせ、右の掌で顔を覆う。左の拳は関節が白くなるほど固く握りしめられていた。
「自由。これが革命の追い求める自由なのか……⁉」
絞り出すような声で呻き、抑え切れない嗚咽が掌から漏れる。
これほど弱り切った彼の姿は見たことがない。マリーは傍らで言葉を失う。
大切にしていたものが次々崩れ去っていく。
アントワーヌが革命は穏やかで着実な改革などではなく、過去のものを悉くなぎ倒していく嵐であることを痛感したのはこの時だったのかもしれない。
かつてマリーに絵画の基本を丁寧に手ほどきし、夫婦の要望に合わせて根気強く肖像画を修正してくれた画家。その同じ人物が意気軒昂にアカデミー廃止を唱道した。
高い職業意識を持つ叩き上げの絵描き。弟子に親切な人情家の師匠。旧体制のエリート全てを敵視する攻撃的な国民公会議員。
どれも激情家ダヴィッドの一面だったのだろう。
彼はジャコバン派に属し、マラーの熱烈な信奉者であり、ロベスピエールの友人だった。
マラーが科学アカデミーに拒絶されたことを深く恨んでいたように、ダヴィッドも若い頃何度も落選を経験した王立絵画・彫刻アカデミーに含むところがあり、両者は体制への反感を共有していた。
マラーは持病の悪化で政治生命が危ぶまれる状態であったことを考えると、シャルロット・コルデーの蛮勇はジャコバン派、なかでもロベスピエールを中心とするモンターニュ派の急進化を招いただけだった。
徴兵に対する反発と教会の世俗化政策への反感が結びつき、激しい反乱を起こしたヴァンデ地方に対して革命政府の軍隊が虐殺に等しい鎮圧を行ったのも1793年だ。
9月、反革命容疑者法が成立する。この法律によって一たび反革命的であると嫌疑をかけさえすれば、たとえ証拠が薄弱でも容疑者の逮捕や収監は容易になった。
ダヴィッドも保安委員として数百通の逮捕令状に署名している。
法律の本来の目的は王党派・ジロンド派の弾圧、国内資産の流出を防ぐためだったとしてもー革命政府が発行するアシニヤ紙幣の価値は暴落し、物価の高騰が続いたー恐怖政治の三拍子のワルツは急速にテンポを上げた。
告発、逮捕、監獄へ。
裁判、判決、
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