第1章 -5話- 『大樹に眠る少女』

進む、進む、ひたすらに、突き進んでいく――


「はぁ、はぁ、は、ァ――、は、ぁ…っ」


その足は傀儡のように、その心は酔いしれたように、ただ、ひたすらに、あの空を覆う大樹の下へ、歩みを進めていく――


「は…っ、はは――、く、ハハ――ッ、はは、ハハハ――ッ」


行く手を阻む魔物の群れを無心で蹴散らして、ただ、ひたすらに、あの神秘的な光景をこの掌の内に収めようと、前へ前へと向かっていく――


「く、ハハハハハハハ――、ククク、はは…っ、ハハハハハハハハハ――っ」


先程まで、何か独り言を呟いていた気がするが、もう、思い出せない。

先程まで、何か強い感情に揺り動かされていた気がするが、もう、思い出せない。


「ひゃひゃひゃひゃ――っ、ひゃひゃ――っ、ぁ、あァァ――っ」


もう、俺の頭には、目の前のあの、人智を超越した、素晴らしい光景しか、なかった――




途中でスタミナが尽き、行動不能となって地面に突っ伏し、魔物の群れに身体中を啄まれても、俺は眼球をかっぴらき、涎をだらだらに垂らしながら、あの大樹へと手を伸ばし続けた。


「あァァ――、あァ――、あァァァ――」


何度リスポーンし、何度殺されても、痛みも、屈辱も、既にもうそこにはなかった。

脳裏の端から端までを占めているのは、あの指と指の隙間から垣間見た、幻想的な光景だけだった。




遠い。遠すぎる。

歩けど歩けど、まるでこの手に届かない。


砂漠の中で蜃気楼でも追いかけているかのように、その大樹はいつまでもあの地平の彼方の遙か先で、俺のことを嘲笑っているかのようだった。


どうしてもあの美しい威容をこの手にしたくて、希少アイテム《リスポーンクリスタル》を道中の村跡に設置し中継拠点を設けても、それでも、あの場所は、ずっとずっとその先の遙か彼方から動くことはなかった。


遠近感がバグりそうだ。

初めて”ソレ”を目にした地点から優に10kmは歩いた気さえするが、未だその大樹の幹に手を触れさせることは叶わない。

しかし、着実に近づいてはいるはずなのだ。

その証拠に、ほら見てみろよ、この空を――


「う、ぁぁぁ――――」


それまで俺を照らし続けていた天の青空は、いつの間にやら巨大樹の枝葉に覆われてその姿を隠し、辺り一帯の森ごとまとめてドーム状に包み込まれていた。


「は、ハハ――っ、ハハハ…っ、ハハ――っ」


その天を覆う巨大な枝と巨大な葉の隙間からは無数の日の光が細々と差し込まれていて、その光景はまさに”異界”と呼んでも差し支えないほどに圧巻だった。


「ひゃひゃ――ッ、ひゃひゃひゃ――ッ」


こんな光景、《仮想地球》を旅しているときにすら目にしたことがねぇ。

そうだ、つまり、人類数千年の歴史上初めて、俺はこの光景を目にした人間なんだ。


「ふひゃひゃ――っ、ふひゃひゃひゃひゃ――っ」


なんだよ、これ。

なんなんだよ、これ。


「ハ――っ、ハハ――っ、ハハハァァ――っ」


それは、どんな山よりも美しく、どんな海よりも広大で、どんな遺産よりも偉大で、どんな文献よりも尊く、どんな酒よりも美味で、どんな女よりも妖艶で、どんな殺戮よりも甘美で、どんな復讐よりも――魅力的だった。




あぁ、なんだこの巨大な幹は。

空から月が降ってきて、それが今俺の目の前にあると言われても、そんな眉唾話を疑うことが出来ないくらいの、圧倒的な大きさだ。


これ、どこまで伸びているんだ?

この樹を初めて遠方から視界に捉えた時点で、既にその全容が把握出来ないほどだったんだ。

そもそも物理法則はどうなってるんだ?

こんな巨大な物体が空の果てまで――いや、もしかすると、その先の宇宙の果てまで伸びているとすれば、一体何故、あそこまで接近するまで、その存在を認識出来なかったんだ?


いや、そんなこと、どうだっていい――


もっと、もっと、見せてくれ――


この幹の上からこの世界を覗き見た景色を、俺に見せてくれ――


きっと、そこには、俺のこのちっぽけな頭なんて到底収まらないような――


とびっきりの景色があるはずなんだから――


だから、もっと、もっと、上へ、上へ――


今度は、この大樹の幹を登った、その先の、さらなる先の、さらなる彼方の――


その向こう側にある、その景色を――


俺のこの目に、是非――


「ァ、ァァ――、ァァ――――、え?」


大樹の幹をクライミングの要領で登り続けていると、幹の壁を掴む手が突然空振りしたかと思えば、そのまま宙に投げ出されるような感覚に瞬時ぞっとした。


「ぇ、ぁ――」


ウソだろう?

ここまで来て、振り落とされるなんて、そんな――

まだ、まだ、あの光の彼方にまで、全然届いてないっていうのに――


「ぁ――、が――ッ!?」


そのまま地上まで落下し、盛大に地面へと叩きつけられるかに思われたが、しかし、その衝撃は意外なことながらその直後にすぐさま襲いかかってきた。


「ぅ、ぐ――ッ、う――ッ!?」


あまりに予想外の展開に受け身を取り損ね、首の後ろと肩口を盛大に地面へと打ち付けてしまう。


「ぁ、ぐ――ッ、く、くそ…ッ、なんなんだ――ッ!?」


衝撃のせいか頭がフラフラする。

未だ霞む視界の中からなんとか周囲の状況を確認してみるも、天井から壁、床まで全てが薄茶色に覆われていて何が何だか分からない。


「まったく、なんだってんだ――、って、うぇぇッ!?なんだこれッ!?」


そして、そこにきて初めて、自分の異常な状態に気がついた。


「ちょ…っ、なんでこんなにびしょ濡れで…っ、って、おい、これ…っ」


上半身を覆う衣服の上から下までがバケツの水でもかぶったみたいにずぶ濡れの状態で、一瞬何がどうなっているのか理解が及ばなかったが――


「なっ!?これ…、全部、俺の涎かよ――ッ!?」


それが全て、俺の口元から溢れ出た液体であることに気がついたとき、そのあまりにもショッキングな事実に思わず卒倒しそうになった。


「なんで、こんな――、うぇっ!?口元もびしょびしょじゃねえかッ!?」


何故こんなになるまで気がつかなかったのか、自らの正気を心底疑ってしまう。

移住前、重度の薬物中毒に陥った人間をたまたま目にする機会があり、その様子を見てただただ気味が悪いとの感想を抱いた記憶はあるが、しかし、今度はまるで俺自身がそうなってしまったかのような惨状に、思わず頭を抱えてしまう。


「あァ――ッ、くそ――っ、こんなの、着てられるか――ッ」


そのベトベトになった衣服の気持ちの悪い肌触りに耐えきれなくなり、遂には勢いよくその場に脱ぎ捨ててしまう。


「ていうか、ここは一体どこなんだ――っ!?」


素肌に張り付いていた気持ち悪い感触から解放されると、ようやく周囲の状況を冷静に確認する余裕が生まれてくる。


「そもそも俺は一体どこから――って、あそこか?」


よくよく観察してみれば、そこは一面を樹皮に覆われた部屋のような空間が形成されており、その一室の上方3m辺りのところに、ぽかんと丸っこい穴が開けられていた。


「つまり、ここは幹の表面に開いた洞上の空間ってことか?樹洞?って言うんだっけか?」


それ自体は仮想地球を旅していたときに、鳥や虫が巣として使っている様子を何度か目にしたことはあるが、まさか自分がその中に放り込まれるなんてことになるとは夢にも思わなかった。


「だとしたら、ラッキーかもな――」


だとすれば、モンスターに襲われる心配のない安置として利用出来るかもな?

鳥獣系モンスターの巣にされている可能性もあるが、あの入り口の穴に簡易のバリケードでも取り付け出来れば、それもなんとかなりそうだ。


「ふぅ…、それじゃあ、今日はこの場所で休ませてもらうとするか――」


一応、既にモンスターが隠れ潜んでいる可能性もある。

そこまで広い空間ではないとは思うが、とりあえず死角となっていそうな点からクリアリングしておいて――


「――――、は?」


一瞬モンスターかと思い、慌てて剣を構えようとして、そのまま取り落としてしまった。

これがモンスター相手との接敵場面なら、まさに恥じるべき醜態とも言えるような有様であるが、そこに居たのは、こちらに敵意を向ける魔獣の姿などではなかった。


「は?え――?は…?」


え?ていうか、人間?女の子?

いやいやいやいや、待て待て待て待て。こんなところで偶然人間と出会うわけがないだろ。

だとすれば、人間型のモンスターっていう可能性もある、が――


「青色マーカー…か――」


その頭上にはプレイヤーであることを示す青色のマーカーが光り輝いていた。


「ん?え?いやいや…っ、青、だと――!?」


百歩譲って、NPCであることを示す緑色なら分かる。あいつらの活動範囲はプレイヤーよりも遙かに広範に渡っているから、こんな人里から遠く離れた場所に1人2人湧いていたとしても決しておかしくはない。


「プレイ、ヤー――ってことは、コイツも――」


俺と同じ道を辿って、ここまでやって来たのか?

いや、その割には、装備どころか、手荷物の一つも所持していないように見えるが――


「一体、コイツはなんなん――」


「ん…っ、んぅ――っ」


「――――ッ!?!?」


ちょっと待て。

だとすれば、俺のことは永久追放処分者――赤色マーカーとして認識されている可能性がある!?

そう思い立った途端、床に落ちた剣を拾い上げ、セーフティ機能をOFFにして、その頭上に表示されているマーカーを赤色へと変色させ、攻撃可能状態にする。


「ん…っ、んんんぅ――っ」


どうする?

先手を打って攻撃するか?


「ん…、んん~…っ、ん…?んぅ…?」


今の俺のステータスなら、心臓を一突きすればほとんどのプレイヤーを一撃で葬ることが可能なはずだ。


「んぅ?んぅぅ…?んぅぅぅ~…?」


しかし、俺よりも上のレベルで、高VIT型の可能性は?

何らかの特殊なスキルを所持していて、俺の攻撃を防いでくる可能性は?


「んぇ?んぇ…、ん……、はれ?」


こんな人里から遠く離れた区域までやって来てるんだ、俺より遙かにレベルが高いなんて可能性は十分にあり得る。


「はれ?はれぇ…?ここ、どこぉ…?」


いや、それ以前に、この一見すると隙だらけにしか見えない状態が、実は俺の攻撃を誘い込む罠だという線は?


「んぅ~…?カズコぉ~?今何時ぃ~?」


カウンター狙い?いや、特殊なバリアを張るスキルを所持しているのかも?

そんなクラス…いたか?ダメだ、俺の手持ちの情報じゃ判別しきれない。


「ねぇ~?カズコぉ~?もぅ~、ふざけるのはいい加減に――」


とりあえず、相手の出方を窺って、何か攻撃に出てくるような仕草が見え次第、すぐさま反撃に――


「――――え?だ、だれ?」


…………え?


「――――ッ!?きゃああああああああああああああ――ッ!?」


「ぶ――ッ!?」


ウソだろ!?

まさかの平手打ち!?


「ちょッ!?アンタッ!?なに人の部屋に勝手に入ってきてんのよッ!?」


くそっ!?

俺としたことが、なんでこんな初心者同然の攻撃を見切れずに、むざむざと顔を引っぱたかれてるんだよッ!?


「っていうか、なんで、ハダカ…っ!?アンタ、一体どういうつもりで――」


しかし、動きは完全にド素人だ。

今の一撃はあまりにも予想外過ぎて対処出来なかったが、次はもう油断せずに確実に仕留めてやる。


「――、え?な、なにそれ…?け、剣…?」


そっちから手を出してきたんだ。

女だからと言って容赦はしない――


「ぁ、ぁ――、ひ…っ!?や、やめて…っ!?こ、ころさ、ないで――っ!?」


「はァ――!?仕掛けてきたのは貴様の方からだろうがッ!今更命乞いなんてしてもおせぇぞッ!?」


なんだコイツ?

威勢良く襲いかかってきたかと思えば、今度は急にガタガタと震えだして。


「え…?し、知らない…っ!?わたし、そんなの…っ、知らないよぉ…っ!?」


「知らねぇとは言わせねぇぞ!?現に今さっきの攻撃で俺のHPが――」


ん?あれ?


「――、減って、ない…?」


いや、というか、そもそもさっきの攻撃、全く痛みを感じなかったぞ?


「ほ、本当に、知らないんだってばぁ…っ、やめてぇ…っ、やめて、よぉ…っ」


HPも減っていないし、痛みも感じない、ってことは――


「……、な、なぁ、アンタ…、セーフティ機能、ONにしたままなんじゃねえのか?」


「せえふ…?って、な、なによ?知らないから…っ、わたし、なにも、知らないからぁ…っ」


セーフティ機能を知らない?

なんだコイツ。初心者か?


「俺の頭上のマーカー、見えるだろ?それが、青色表示になったままなんじゃねえのか?」


「知らないっ!知らないってば…っ、マーカーとか、わたし、知らないから…っ」


「いや、うずくまっていないで、こっち見てから言えよ」


「いやぁ…っ!?やめっ!?やめてよぉ…ッ!?」


や、やりにく過ぎる…。

何故だか俺が一方的にコイツに襲いかかっているような構図へとなってしまっているが、先に手を出してきたのは向こうだよ、な?


「いいから見ろッ!俺の頭上のマーカーをッ!」


「ひッ!?わ、わかった…っ、わかった、からぁ…っ、おねがい、もう、やめてぇ…っ」


そうやって渋々といった様子で少しずつ頭を持ち上げて、覗き見るようにこちらの頭上を見上げてくる女。

ん?なんだ?コイツの姿、なんか違和感が――


「――、え?なに、これ…?」


「……、マーカー、見えるだろ?何色で表示されてる?」


「あ、青…、だけど……、え…?なに、これ…?」


青…。

とすると、コイツはそもそも俺の《永久追放処分》の情報も共有していないのか?

まぁ、機関を忌み嫌っているギルドの連中や、周囲との関係を絶った俺のようなソロプレイヤーの中には、そういう奴らが居てもおかしくはないのか?


「ね、ねぇ…、なに、これ?」


当の本人は、俺の頭上をぼけーっと眺めながら、なにやら呟いている。

じゃあ、なにか。

コイツは、機関との関わりも、というか、マーカーの色による敵対プレイヤーの見分け方すらも知らないくせに、こんな辺境の地まで辿り着いたっていうのか?


「なによ、これ――って…、え…?ここは、どこ、なの…?」


いや、まだ罠の可能性は少なからずある、か?

こうやって俺を油断させておいて、隙を見て寝首を掻いてやろうって算段、とか?


「え…?え、え…っ?か、かずこ…?せ、せんせ…?」


あり得る、か。

だとすれば、引き続き、油断するわけには――


「――っ!?ね、ねぇ…っ!?ここは、どこなの…っ!?ねぇ…っ!?どこなのよ…っ!?」


「――ッ!?」


急に腕にしがみついてきた女の手を、そのまま勢いよく振り払う。

HPは……減っていない。状態異常も……受けていない。じゃあ、一体コイツは何がしたい――


「…っ!?…っ!ね、ねぇ…っ!?ここは、どこなの…っ!?カズコはっ!?先生はっ!?どこなのっ!?教えてっ!?教えてよぉぉ!?」


「な――ッ!?」


くそっ、また、しがみついて来やがって!?

急に襲いかかってきたかと思えば、次は何故だか怯えだして、今度は発狂してんのか!?

イカれてやがる、コイツ。


「ねぇ…っ!ねぇ、ってばぁ…っ!う、うぅ…っ、帰してっ!寮に、帰してよぉ…っ!?」


「…っ!?帰しても何も、テメェの足でここまで来たんだろうが…ッ!?帰りたきゃ、リスポーンするでも、徒歩で行くでも、勝手にしろよ…ッ!?」


「…っ!?し、知らない…っ!?わたし…っ、こんなところ、知らないよぉ…っ、さっきまで、寮で寝てた、もん…っ」


遂にはその目尻に涙を溢れさせながら、それでも俺の腕に必死にしがみついて、まるで懇願するかのように叫び続ける。


「貴様の事情なんて知らんッ!すぐにでも帰りたきゃリスポーンすりゃいいだろッ!?ここまで来ておいて痛みやデスペナルティが恐いなんてことも無いだろう!?」


「りすぽ…、って、なによっ!?知らない、ってば…っ、いいから、帰して…っ、寮に、帰してってばぁ…っ」


「ハ、ハァ…っ!?リスポーンも知らない?じゃあ、お前は一体何なら分かるってんだよッ!?」


「何も知らないよッ!何も分からないんだってばッ!?」


え…?


「何も…、知らない……?」


「だから、知らないんだってば!?なんなのよ、これぇ…っ」


本当に、一体何を言っているんだ、コイツは…。


「お、おい…。じゃ、じゃあ…、レベルは?クラスは?所属ギルドは?」


「レベル、ってなによぉ…っ、クラスは、1組だけど……っ、そもそも、うちの学校、1クラスしかないし……っ」


何を言っているんだよ、コイツは…。


「が、がっこぅ?きょ、教練ルームのことか…?随分、古風な言い方をするもんだな…」


いや、それ以前に話が全く噛み合っていないような――


「きょ、きょうれ…っ?ご、ごめん…っ、さっきから、何言ってるか、分からないよぉ…っ」


それはこっちの台詞だ。


「あぁぁぁッ!もうッ!」


もう何が何やらワケが分からなくて、妙に落ち着かない心を静めるために頭をがしがしと掻きむしる。


「アンタ、名前は?」


「え…?な、那々美、だけど……」


あ、名前は把握してるのね。

まぁ、そりゃそうか。


「にしても、ナナ、ミ…?これまた珍しい名前だな?どこのシェルター出身だ?」


「しぇる…、たぁ…?」


「あぁ…、えぇっと……、出身はどこだ?」


「あ、う、うん…っ、え、えっと…、山梨県…、韮崎市の……、夜叉神村…、です」


「ん…?え?ヤマナシ、ケン…?いやいやいや、ちょっと、待て…っ」


「え?なんか、おかしかった?」


いや、おかしいとか、もうそんなの通り越して、さぁ…。


「居住区番号で教えてくれるか?もう既に捨てた世界の話だ。今更プライバシーも何もあったもんじゃないだろう?」


「居住区…番号……?ごめん、ちょっと、分からない…」


それも分からないって…、いや、じゃあ――


「そもそも貴様は、ネオ・ジャパンの出身じゃないのか?」


俺もネオ・チャイナやネオ・オセアニアのシェルター表記方法までは知らんからな。

もしかすると、俺が知らないだけで、向こうではそういった呼び方をするのかもしれない。


「ねお、じゃ…?ごめん、わたし、ぜんぜん分からなくって…っ」


「あぁ、いや…、それは別にいいんだが……」


それに、ネオ・ジャパンの地下都市内だとしても、俺も上層の貧困層の状況までは正確に把握しきれていないからな。

そもそもあいつらは、まともな言語教育や社会教育すら受けていなければ、CSIN〈電子空間没入超小型ナノマシン〉の扱い方すらもよく分かっていないような連中だ。

ネオ・チャイナやネオ・オセアニアの出身だとしても、ネオ・ジャパンの貧困層出身だとしても、要するにコイツは、事前チュートリアルの説明の意味すら理解出来ないままに、この世界へとやって来てしまったのかもしれない。

そんな初心者とすらも言えないような奴が、どうしてこんな辺境の地まで辿り着けたのかは甚だ疑問だが。


「あ、あぁ……、まぁ、なんだ…。とりあえず、ステータス情報を一通り教えてくれるか?」


「ステータス、情報?って、なに…?」


そこからか。あぁ、もう、めんどくせぇな。


「心の中で《ステータスチェック》と念じてみろ。それでも開けないのなら、声に出して《ステータスチェック》と叫んでみろ」


「え、えっと…?す、すてーたす、ちぇっく…っ!って、わっ!?な、なにこれ…っ!?」


なんか現代機器に無知な年寄りを相手にしているような気になってきたぞ……。


「そこに、ステータス情報が出てきているはずだろ?それを一つ一つ教えてくれればいい」


「って、わっ、わわ…っ、これ、英語…っ、わたし、英語、苦手なんだけど…っ」


エイゴ?

まぁ、いいか。

いちいちコイツの珍妙な話し方に突っ込んでいたら埒が明かない。


「まず、名前は?」


「え、えっと…、な、名前、名前…っ、えっと、name、だよね…?《ナナミ》って、なってるけど……」


「OK。じゃあ、クラスは?」


「く、クラス…、Class、だよね…、え、えぇっと、これ…、のーん?」


None。ってことは、クラスなしか。まぁ予想は出来てはいたが。


「次、プレイヤーレベルの数値は、どうなっている?」


「ぷれいやー、ぷれいやー…、えっと…、1、でいいのかな?」


まぁこれも予想通りのレベル1。

本当にどうやってここまで辿り着けたんだよ。


「じゃあ…、他のステータスは…、聞くまでもねぇか。ん~、一応、エクストラスキルは、何か持っていたりするか?」


なんて――これも所持しているわけがないか。

だとすれば、もう完全に移住直後の初期状態じゃねえか。


「えくすとら、えくすとら…、え、っと…、Extra…?だよね、えっと、えっとぉ…」


困ったな。

さすがにここまでの初心者をこんな高レベル帯に放り出していくわけにもいかないし、どうにかプレイヤーの居住するエリアまで送ろうかとも考えたが、このステータスだと護衛しながら進むにしても厳し過ぎるぞ……。


「えぇっと、えぇっとぉ…、あ、これかっ!えぇっと、えくすとら、すきる…?」


殺して無理矢理リスポーンさせるのは――あんな怯えた反応を見せるような初心者にやるのは気が引けるなぁ…。

というか、コイツはそもそもどのポイントにリスポーン設定されているんだ?

それが分からない限り、考え無しにリスポーンさせるのも危険か?


「えぇっとぉ…、えぇっとぉ……、なんか、1個、ある、かも…?」


「ん?へぇ?そこはちゃんと取得してあるのか?で?どのスキルを習得したんだ?」


「習得?え?い、いや…っ、わたし、知らないけど…っ」


「知らない?いや、お前が取ったんだろうが。何言ってんだ」


「???」


もう、本当に、なんなんだよコイツ、色々とめんどくせぇ奴だな。


「あぁ~、えっと、じゃあ、スキル名、何て書いてある?読み上げてみろ」


「すきるめい?……、あっ、こ、これかっ!え、えっと…、うっ、こ、これ、何て読むんだろう…、し、しん…、くろ、ない、ず…?」


シンクロナイズ?

なんだ?初めて耳にするスキルだな。

どこの街のクエストで習得出来るスキルなんだ?


「スキル効果は何て書いてある?」


「スキル、効果?って、ふふ…っ、なんか、これ…っ、ゲームみたいだね…っ」


ゲームみたいも何も、ロールプレイングゲームのシステムを根幹とした世界だっつの。


「で?何て書いてあるんだ?」


「あ、えとっ、えと…っ、あっ!やった!ここは日本語だっ!たすかるっ!」


ニホンゴ?


「えぇ~っと、ん…っ、指定した、対象と…、意識を同期させることが、できる…?」


「……は?」


「――って、書いてある、けど……?」


「………、それだけ、か?」


「う、うん…、これ、だけ…」


指定した対象?

プレイヤーか?それとも非敵対小動物なんかに乗り移って、一時的にその視点から状況を観察出来る、偵察系のエクストラスキル、とか?


「な、なぁ…、グレードは、分かるか?」


「ぐれぇど?って、なに…?」


「あぁ~…、その、スキル名の隣に、アルファベット表記あるだろ?D表記なのか、E表記なのか、それを教えてくれるか?」


「スキル名の、隣……、えっと、D?E?って書いてない、けど…?」


「…?じゃあ、何て表記されている?」


「んっと、S?って、これ?でいいのかな?」


「……………は?」


おい、ちょっと待て。

S級エクストラスキルなんて、そんなものあり得るのか?

この俺でもC級のエクストラスキルすら耳にしたこともねぇぞ……。


「え、っと……、そのスキル、使ってみてくれる、か?」


「使う…?って………、え?どうやって、使うの?」


「あぁ~……、さっきみたいに、心の中で、スキル名――《シンクロナイズ》と念じればOKだ。それで無理なら、さっきの時と同様に、スキル名を叫べばいい」


「あ、う、うん…、えっと………、し、シンクロナイズっ!」


『ってこれ、恥ずかしいねっ!』


!?!?!?!?!?

コイツ、今、明らかに口を動かさずに――ていうか、脳の中に直接、声が響いている!?


『え…っ!?な、なにそれっ!?腹話術っ!?なんかきもちわるーいっ!?』


気持ち悪いのはお前の方だよ。

って、これ、脳の中で声が響きまくって、気が狂いそうだぞ……。


『そうそう、そんな感じ!なんか頭の中から直接語りかけられてるみたいっ!どうやってるの~?それ?』


どうやってるのって、それは俺がお前に――――いや、つまり、これが、そういうことか?


『んん~?どした~?』


「………………」


『んん~?どしたのかね~?』


お前、こう見てみると案外可愛い顔してるな。


『…っ!?えっ!?えっ!?そんな、可愛いだなんて、そんなっ!?』


ウソだよ、バーカ。


「って、ウソかあぁぁぁぁいっ!!!って、あれぇ…?」


「っぷ――」


「え?えぇ?」


「ぷ、ははははははは――っ」


「え?え?えぇぇ?」




つまり、スキルで繋いだ相手と、頭の中で考えたこと、思ったこと、全てをそのまま直接相手の脳に伝えられる、スキルってことだな。


『なにそれっ!?キモっ!?』


お前だよ、お前。


『え?ホントじゃんっ!?わたしキモっ!?』


…………。


『え?なに?急に黙りこくっちゃって。なんか…、わたし、すべっちゃった?』


いや、俺もお前も端から見ればずっと黙ったままだからな?


『え?あ!ホントじゃんっ!こりゃ一本とられちゃいましたぜっ!』


………、お前、心の中の喋り方と、実際の喋り方、ギャップありすぎじゃねえか?


『えぇ~?そうかなぁ~?そぉんなこと~、ないと思うけどナ~?』


じゃあ、実際に口動かしてしゃべってみろ。


「あ…、え、っと…っ、ご、ごめんなさ――」


『ああ、うん、やっぱり今のナシで』


…………。


『そこはぁ~!何かぁ~!ツッコミしておくれよぉ~!』


はぁ……。


『溜め息はやめろぉ!溜め息はぁ!』


あぁ、えっと、そろそろ普通に喋るか。


『えぇ~?わたし、こっちのが楽しいんだけど~!?もうずっとこっちでいいじゃん~♪』


いや、こんな超級スキル、SPバカ喰いするに決まってんだろ。残量チェックしてみろ。


『残量~?残量~♪残量~♪っと、これか!えぇっと、なになに?50/50ってなってるけど?これでいいんだよね?』


え?は?ええええ?

こんなぶっ飛んだ効果のスキルが、SP消費なしで使えんのかよ!?

いや、MP消費って線もあるか。MPの残量はどうなってる?


『MPは~っと、え?0/0って、なってるけど…、わたし、MPないの?』


魔法系か聖職者系でもない限りは、MPなんてねぇよ。

いや、そうじゃなくて。

ってことは、何か?このぶっ壊れスキルを、一切のコスト無しで使い放題ってことか?

なにそれ、チートじゃん。


『チート?って、なに?チートデイ?なになに~?今日は食べまくってもいいの?やった~!というか、わたしお腹空いたな~』


あぁ、なんか、目眩がしてきた……。


『お?大丈夫か~?お姉さんが介抱してやろか~?』


………。とりあえず、そのスキル、切ってくれ。


『えぇ~!?いいじゃん!いいじゃぁん!これ面白いじゃん~っ!もっと遊ぼうよ~!?』


ずっと頭の中で話しかけられ続けてると、気が狂いそうなんだよ。

頼むから、切ってくれ。


『ちぇ~!もぅ~!しょうがないな~!男のくせに、情けないゾ~?』


ハァ……。


『えぇっと…、どれどれぇ~?ん~?んん~?』


なんだ?どうした?早く切れと言ってるだろう。


『これ、どうやって終わるの…?』


ハァァ………。




「いや、しかし、冷静に考えてみれば、これはかなりヤバイスキルだな」


「え、えっと…、どういう、こと…?」


「…………」


「な、なに?」


「いや、なんでもない……」


本当に心の中に潜んでる奴と同一人物か?


「詳しく検証してみないと何とも言えないが、距離制限も表記されていなかったんだろ?さすがに無制限にどこまでも届くとまでは思えないが、仮に有効範囲が100メートルだとしてもバケモノ級スキルだぞ」


「えっと…、でも、そ、そうだ…っ、電話、とかでも、いいんじゃないかな、って――」


「この世界に通信機器の類いがあるわけがないだろ。いや、もしかしたら何処かにあるのかもしれないけど、仮にあるとすれば世界観崩壊もいいところだよッ!」


「ひッ!?あ、そ、その…、ごめん、なさい――」


「ああ、いや、別に謝ってもらわなくても――」


って、なんか一昔前の誰かさんを見ているみたいだな。

そういえば、ある男が、理由も無しに謝られても気分が悪いと言っていたが、なるほど、これは確かに、そうかもしれないな。


「ともかく、このスキルを駆使することが出来れば、お前を街まで連れていくことも可能かもしれん」


「え?ま、街…?」


「あぁ、街だ。こんなところに長居はしたくないだろう?」


「あ、え…、う、うん…、そうだけ、ど…。と、というか…っ、ここは、そもそも、どこなの…?」


「ん?あぁ、う~ん…、この大樹の名前は…、分からんが、ん、っと…、たしか…、エルクレ村跡から、北におおよそ20km近く歩いた地点、だとは思うが――」


「???」


「あぁ~、いや、そうじゃないか……、はじまりの街・マリアからは、まぁ…、だいぶ遠いな。最速で進んでも、半年で帰還出来るかどうか、ってところだ」


「あ、えっと…、いや、多分、そうじゃなく、って――」


「む?どういうことだ?」


「わたし、さっきまで、寮で寝てて…、というより、多分、私の住んでたところと、世界すら違うような、気がしてるんだけど――」


「え?な、なにを言っている…?」


「だ、だって…、こんな、ステータス、とか、スキル、とか、わたし、知らないし…、その、頭の上の、青いのも、初めて、見たし……」


「は?いやいや…、そもそも、移住手続きを踏んだ上で、ここに来たんだろう?だったら、お前の意思で、この世界に来たんじゃないのか?」


「移住…?手続き…?って、わたし、知らないよ…っ」


し、知らないって……。

じゃあ、コイツは、違法移民ってことか?

いや、だとしても、この世界のことを何も知らないなんてことあり得るのか?


「ん…、だとすれば、そうだな、ここは…、えっと、第99号コミューン〈サンタ・マリア〉って、言えば分かるか?」


「え?きゅうじゅきゅ?こみゅ…?え……?」


それも分からないって…、どれだけ世間知らずなんだよ、コイツは。


「あぁ、えっと…、なんだ……、つまり、ここは、仮想空間上に形成された世界、ってことだ」


「仮想空間?って、アニメとかでよくあるやつ?え?え?ここが、そうなの……?」


アニメって……、Animationのことか?

また古くさい趣味をしてるな。


「ああ、そうだ」


「え?じゃあ、どうやって、えっと……、元いた世界に帰るの?」


「帰れないぞ。ログアウトなんて機能ないからな」


「え――」


今更、元の世界に未練なんか抱いたって仕方ないだろう。

どうせもうすぐあの地下都市ごと全て焼き尽くされてしまうんだから。


「そ、んな――、わたし、帰りたいよ…っ」


「そんなこと俺に言われても困る。元の世界のことはすっぱり諦めて、この世界で新しい生を謳歌するんだな」


「――っ!?」


「まぁ、安心しろ。元の世界より文明レベルは格段に落ちてはいるが、その代わり、ここでは元の世界では触れられなかった自然や食いモンが――」


「いやああああぁぁぁぁぁぁ――ッ!?やだッ!?やだッ!?やだああぁぁああぁッ!?」


な、なんだ!?


「やだッ!?やだッ!?いやだよッ!?だ、だって…っ、カズコとも、ゆーちゃんとも、しのちーとも…っ、まだ、もっと一緒に遊びたいのにッ!もっと一緒に勉強したいのにッ!もっと一緒に喋りたいのにッ!」


コ、コイツ、また、発狂しはじめて――


「先生にも、まだ…っ、ありがとう、って、言えてないっ!わたし…っ、まだっ、感謝の言葉のひとつも、言えていないのに――ッ!」


あっ、くそっ、暴れるなっ!?こ、この…っ!?


「なんでッ!?どうしてッ!?わたし、まだ…っ、みんなと、一緒に、いたいのに…ッ!なのに、どうして…っ、お別れも、なしに…っ、こんな、世界に…っ、とばされなきゃ、いけないのよ――ッ!?」


ヤバイ、完全にパニック状態だ。

こういう相手には、えっと、どうすればいいんだ、全然分からん!


「――っ!?ね、ねぇ…っ、キミ、なら…っ、なんとか、できるんでしょっ!?お願いっ!わたしを、元の世界に、帰して――っ!?」


「い、いや…、いくらなんでも、そんなことは無――」


「おねがい…っ、おねがいぃ…っ、かえして、よぉ…っ」


そして、遂には俺の胸に顔を埋めてむせび泣き始める。


「…………」


「おねがい…っ、おねがいだか、ら…っ、帰りたい…っ、帰りたいよぉ…っ」


「……………………」


「帰りたい…っ、帰りたい…っ、みんなのところに、帰りたい、よぉ…っ」


「………………………………」


「だから、おねがい…っ、おねがい――っ」


「あぁ、わかった」


「――っ!?」


「正直に言って、どこまで出来るかは分からんが、やれる範囲でなら協力してやらんでもないさ」


「ほ、ほんと?」


「あ、あぁ…、そ、そうだな……、まぁ、本当だ――」


「――っ」




あぁ…。

安請け合いしちまったかなぁ。

元の世界――つまり地球へ帰還するなんて、どう考えても不可能なんだけれど、な。


まぁ、でも、言い訳の一つくらい、させてくれよ。

女の子にしがみつかれて泣きじゃくられるのも、こうやって抱きつかれて麗しげな視線を向けられるのも、初めての経験だったんだ。


だからさ、まぁ、これは、仕方ない、だろう――?










【あとがき】


ひとまず、現状公開するエピソードはここまでとなります。

続きのシナリオは、それなりに反響があれば執筆するかもしれません。


あと、ゲーム(世界)仕様とかかなり細かい部分が多いので、その辺を【あとがき】として今後書き足していくかもしれません。

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