第1章 -4話- 『苦しみ果て――、そして、あの地平の果て――』

心のどこかに、慢心があったのかもしれない。

俺はこの世界で、誰よりも上手く生きていけるのだと――


心のどこかで、根拠のない自負を抱えていたのかもしれない。

俺が勇者となって、今のこの世界のこの惨状から、人類を導いていくのだと――


心のどこかが、ほくそ笑んでいたのかもしれない。

俺に敵う奴なんてこの世界に存在しないと、この世界は俺の意のままに動かすことが出来るのだと――


その結果が、このザマだ。


慢心も、自負も、そして培ってきた自信も、全てが、突き刺され、叩き潰され、抉り取られ、後にはもう、痛みと、涙と、そして、無様にも命乞いの言葉を吐き出し続ける、哀れな敗北者しか残らなかった。




以前に、Lv40帯のあの森を地獄だと評したことがあった。

しかし、今では、あの鬱蒼と生い茂る木々や凶暴なモンスター達が、むしろ恋しいとすら思える。

そう思えてしまうほど、此処は、それ以外に言い表しようが無いほどの、地獄だった。


アラン達残党による仕打ちは、意外なことに半日ほどで終わりを告げた。

俺がもう、声すら上げられないような状態となってしまったことで、いい加減殺し続けることにも飽いてしまったのであろうか。

彼らが街中に繰り出して行き、廃墟街の中に人影が見当たらなくなったのを確認して、俺は再びその場を立ち去っていた。


一瞬、街の外とは逆の、市街地側へと向かおうかとも考えた。

いくらなんでも、クラスも武器も無しにモンスターの領域へと出るのは自殺行為だ。

この際、馴染みの無いクラスでも武器でも一向に構わない。近場のクラスギルド(NPC運営のクラス拠点)で転職しないと、雑魚モンスター1匹倒すことも出来やしない。


だが、足を一二歩踏み出したところで、思いとどまる。

馬鹿な。もし本当に《永久追放処分》されているのなら、街中こそ敵まみれだ。

アラン達だけに留まらない。それこそ、その辺りを歩いているプレイヤーから面白半分に攻撃されても不思議ではないし、仮にそうなったとしても、誰も助けてはくれやしないだろう。


クラスレベルが0まで落ちてクラス自体が失効したことで、当然ながら所持しているクラススキル(クラス専用スキル)も無くなってしまっている。

ただ、この状態でも探索やクエストの報酬として獲得していたエクストラスキルの方が残っていたことが、せめてもの救いだった。

攻撃系のエクストラスキルなら数は少ないが所持している。

これを駆使すれば何とかなるかもしれない。

そんな淡い希望を抱えながら、今や魔王の城のようにしか見えなくなったはじまりの街をから、逃げるようにして走り去っていた。




試行錯誤の結果、Lv10までのモンスターならかろうじて倒すことが出来た。

殴打系のエクストラスキルを取っておいて良かったと安堵すると同時に、スキルを使用しない攻撃(要するにただ殴るだけ)も、使いようによっては十分に戦力になってくれることも判明した。


だが、やはり最大の敵はプレイヤーだ。

日中は街と街とを繋ぐ街道を非常に多くのプレイヤーが行き交うため、そこから大きく外れた場所を歩いて行くしかなかった。

当然ながらモンスターとの遭遇も増えるし、整備されていない悪路はスタミナポイントを大きく消耗させるし、何より、目印の無い平原でコンパスもなしに道を外れてしまえば、方向感覚がまるで掴めない。


目下の目標は、リスポーンポイントだ。

このまま万が一にでもまた死亡してしまえば、再びあのはじまりの街北街区のリスポーンポイントへ戻ってしまう。

アラン達がまたいつあそこに現れるか分からないし、そもそもあの街はあまりにも人口が多すぎる為、今のこの状況では拠点にしたくはない。


出来れば人気の少ない村などに設置されたリスポーンモニュメントに接触したいところだが、そもそも今自分が何処へ向かって歩いているのかすら定まっていないような状況だ。

そうやって広大な平原の中をアテもなく彷徨い続けた結果、いつの間にか迷い込んでいたLv10帯のモンスターにあえなく敗北し、俺は再度あの地獄へと舞い戻っていた。




夜間ということもあってか、幸いなことにアラン達の姿はそこには無かった。

この時間帯の人通りならば、近場のクラスギルドにくらいになら辿り着けるかもしれないと逡巡はしたものの、結局は断念して、街の外のリスポーンポイント目指してすぐさま出立した。


やはり街道を歩かずに進むことは自殺行為だと思い、この夜闇の中なら他のプレイヤーと出くわさずに済むのではないかとの目論見もあって、思い切って街道を突き進んで北方の隣街《ニーニャ》を目指すことにした。

そして、その判断はやはり失敗だった――


「おい!?レッドマーカーじゃね?アレ?」


「うわっ!?マジかよっ!?ってことはアレか?噂の、戦争起こそうとして追放された、この世界の犯罪者第一号かッ!?」


「なァに装備もなしにこ~んなところ走ってんスカ~?ねぇ、狩っちゃわない?狩っていいよね?おれ、一度でいいからPKやってみたかったんだァ――」


「ァ、え――、ご、ごめんなさ――ッ」


「オラァ、死ねよッ!犯罪者がッ!」






結論から言って、次のリスポーンポイントまで上書きするのに、おおよそ半月近くの刻を要した。

何度も逃走を試みては、モンスターに喰われ、プレイヤーに嬲られ、そして、あの忌々しい場所へと還ってくる。


アラン達の姿こそあれ以来見ることはなかったが、今度はその代わりにたむろしていた荒くれどもに三日三晩リスポーン狩りされ続けたのはかなり堪えた。


街道沿いを進んでいく計画も途中で破談となった。

というのも、そもそも街道で繋がった隣街ですら既に危険領域へと変貌していたからだ。

苦慮の末に辿り着いた北部の街《ニーニャ》のその城門前で、有無を言わさず衛兵に刺し殺されてしまったことを切っ掛けに、目指すべきはそもそもモンスターよりも”人が少ない場所”だということを改めて思い知らされたからだ。


当然、モンスターはモンスターで厄介だ。

Lv0帯の低HPモンスターならともかく、Lv10帯のモンスターを武器も持たずに削り切るのはほぼ不可能だし、逃げようにもAGI初期値の今の状態だとこの辺りの低レベルモンスターすら振り払えない。

だからと言ってレベルを上げようにも、はじまりの街周辺区域の低レベルモンスターはそのほとんどが狩り尽くされていて、遭遇することすらままならないような状況だった。


街から離れれば離れるほどモンスターのレベルも上がっていくというこの世界の仕様上、人里から離れるにせよ、レベル上げのための狩りを行うにせよ、Lv10帯への侵入をせざるを得ないような状況だった。

なので、遠見スキルを駆使して出来る限りモンスターとの接敵を避けながら、それでも見つかってしまった際には拳一つでどうにか応戦してみる、という方針で、何度も死に戻りを繰り返しながらも地形情報を把握していき、少しずつではあるが前進していくことが出来た。


最終的には、たまたま通りがかった荷馬車に思い切って飛び乗り(御者が眠りこけながら操縦していたのが幸いした)、そのまま荷物の中に隠れながら、とある村まで運んでもらうことに成功した。




その村の名前はピナ村と言うらしく、はじまりの街周辺の平原地帯とは打って変わり、砂と埃が飛び交う砂漠の村だった。

北部の砂漠地帯は開拓の余地があまり存在しない不毛地帯として、機関からは軽視されていた地域ではあるものの、どこぞのギルドが拠点としているらしく、プレイヤーの姿もまばらに見受けられた。


俺自身も初めて訪れた地域であったため、隠れ潜みながらモニュメントを発見するまで手間を要したものの、無事にリスポーンポイントの上書きに成功した。

そうやって、ひとまずの苦難を取り払うことが出来たことで息を抜いてしまったのが不味かったのかもしれない。


「――ッ!?貴様、追放者かッ!?」


どこまで逃げおおせたとしても、この世界にいる限り、もう俺の身に平穏や安堵なんてものは与えられることなど無いのだということを、すっかりと失念していた。


「ァ――ッ、ごめ、んなさいッ!ごめんなさ…っ、いッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさい――ッ!」


もう人と目が合う度に、跪いて許しを請うことが癖として染みついてしまっていた。

情けないだとか、格好悪いだとか、そんなことを思う余裕すらないままに、おでこを砂の上に深く擦り付けながら、面識すらもない相手に対して必死に謝罪の言葉を口にしてゆく。


「…………」


「ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさい――ッ!」


最早、誰に対しての謝罪なのか、何に対しての謝罪なのかも分かっていない。

こうしなければ生きていけない――、まるで呼吸でもするかのように、何度も何度も「ごめんなさい」を続けていく。


「ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさいッ!ごめんなさ――」


「……、もう、やめろ――」


え?


「顔を上げろ。おれは貴様に直接何か害を加えられたわけじゃない」


え?え?


「貴様の身に何があったのかも、何をやってそうなったのかも知りはしないが、それでも、人としての尊厳まで切り捨てなければならないなんてことは、決してないはずだ」


え?え?え?


「大体、理由も無く謝り続けられても、かえって気分が悪い。いくら許しを請われても、おれ達には何のことだかさっぱりだからな」


え?あっ、あ――っ


「だが――」


そのとき、俺はようやくこの終わりのない地獄から救い出してもらえるのだと、安堵の溜め息をつこうとして――


「悪いが、この村からは早々に立ち去ってもらえると助かる。おれ達のギルドも、ようやく最低限の生活基盤が整い始めてきたところなんだ。そんな大事なときに、むざむざ危険因子を村の中に放っておきたくはないんだ。分かってくれるか?」


そして、自分はまだ、この地獄の中をあてどなく彷徨い続ける運命であることを悟り、絶望に打ちひしがれていた。




村の中に、《ソードマン》のクラスギルド支部と、NPC鍛冶屋が存在していたことが、おそらく俺のこれまでの人生の中でも最大級の幸運だったと言えるのかもしれない。


ここまでの道中で拾った数少ない素材との交換では、以前持っていたものよりもさらにオンボロのナマクラしか購入出来なかったが、これで最低限の戦闘は行えるようにはなった。


しかし、この村にも長くは留まれまい。

ここを拠点としているギルド《Reverse End》の面々は、俺の姿を見ても攻撃してくることはなかったものの、それでも、まるで厄介者でも見るかのような視線を堂々と向けられてしまえば、自分の居場所はここにも有りはしないのだと思い知った。


さらに厄介なのが、ここがLv10帯区域の真っ只中の村だということだった。

先日ようやくLv2に上がったばかりの俺のステータスだと、次のリスポーンポイント目指して先に進むにせよ、この区域でレベルを上げるにせよ、非常に困難と言わざるを得ないような状況だった。




結局俺は、この村を拠点と定めてレベルを上げていく方針をとることにした。

ギルドの連中がいつ牙を剥いてくるのか気が気では無かったが、地図もコンパスもなしにLv10帯の砂漠地帯を突き進んでいくのはさすがに不可能だ。


とにかくレベルだ。

レベルさえまた上げることが出来れば、この敵だらけの世界の中でもなんとかやっていくことが出来るかもしれない。

幸いとして、少数ギルド一つしか存在しないこの区域は、モンスターの湧き量に関しては申し分なく、村からちょっと離れた地点でも簡単に獲物へとありつくことが出来た。


Lv2の俺にとって、Lv10帯のこの区域のモンスターは、喉から手が出るほどに大量の経験値を放出してくれる獲物だったため、とりあえず1匹だけでも討伐することが最初の目標となった。

だが、その最初の1匹を狩ることすらも、実に至難であった。


俺の今のSTR値とナマクラ武器じゃ、おそらく数十回は斬り付けないと倒しきれないし、さらに、今のAGI値だと敵の攻撃をまともに避けることも叶わない。

いくら攻撃頻度の少ないLv10帯と言えど、現状の敏捷性と耐久力で戦闘を切り抜けるのは極めて厳しかった。


加えて、それ以上に頭を悩ませることになったのが、武器の耐久値だ。

こんなオンボロの剣じゃ、どれだけ大事に扱ってもそう長く保たせることが出来ないし、そうなってくると、せっかく武器を手に入れたというのに、結局はHPの大半を素手での攻撃で削り取るしかなかった。

場合によっては、武器の耐久値を温存させるために、わざと自身の命を犠牲にしてリスポーン地点まで戻っていく、という、最早何のために戦っているのかすら分からないような選択肢すら取らざるを得ないような場面も多々あった。


とにかくひたすら拳で殴り続けて、運良く死なずにある程度HPを削りきることが出来た場合のみ剣で攻撃する。

なんて、あまりにも馬鹿馬鹿しい戦い方を、しかし馬鹿正直に何度も試行し続けていった。


せめて何らかの素材アイテムさえ発見することが出来れば、NPCとの物々交換で新たな剣や防具を獲得することも出来たのかもしれないが、草一つ生えない砂漠地帯ではその願いも虚しく叶うことはなかった。

最終手段として、NPCやプレイヤーの住居から”盗む”ことも考えたが、この上さらに《Reverse End》の連中まで完全に敵にまわしてしまえば、いよいよもうこの地獄から一生這い上がることは出来なくなるように思えた。




しかし、俺にはLv40帯で戦い抜いてきた数多くの経験がある。

物理的にも、心理的にも、あまりにも多くのものを奪われてきた俺ではあるが、それでも、まだかろうじて残っているものはあるんだ。

だったら、それを武器にして懸命に喰らい付いていくしかないんだ、この絶望的な世界に――


だから、とにかく、データだ――


《デザートウルフ》は、常にこちらの手元(武器)に視線を向けながら動く性質がある。

これが己を殺しうる道具だと認識出来ている、なかなかに賢い生き物だ。

だからこそ、手元以外の身体の部位を上手く使って戦況を動かすことが鍵となる。

砂を蹴飛ばしての目くらましは、古典的だが反復的に利用可能な有効な戦術となった。


この区域のモンスターの行動パターン、攻撃パターンを分析して――


《ドライボア》は、他のボア系(猪系)モンスターと同様に、直線的攻撃に終始する傾向にある。

しかし、Lv0帯の《プレインボア》や《チャイルドボア》と比べて、高いSTRやAGIを誇るため、一見単純なその突撃も決して侮ることが出来ない。

前足を大きく持ち上げる動作は突進攻撃の合図だ。その動作さえ見切ることが出来れば、AGI初期値でもなんとか回避可能。


その分析結果を元に対策方法を錬っていく――


《ハンティングレイブン》は、他の鳥獣型モンスターと同様に高い敏捷性で空中を旋回し、急降下してこちらへと喰らい付いてくる。

現状の俺のステータスだと回避も耐久も難しいので、カウンター気味に迎撃するか、”わざと”死ぬかしかない。

降下前のモーションは見抜きやすいものの、そこからのスピードが速すぎるため、対応は極めてシビア。こちらの頭を狙ってくる傾向が強いため、相手の位置と自身の頭部の直線上に巧く拳か剣先を合わせて反撃するのがコツか。


事前にそのモンスターの行動パターン、攻撃パターンのデータを、数十、数百と用意しておき――


《ナスティアント》は、見た目に反して素早く固い。平時はノロノロと移動しているくせに、獲物(プレイヤー)が近づくと突然俊敏な動きを見せて飛びかかってくる。

攻撃力こそ他のモンスターと比べれば大したことないが、代わりに攻撃頻度が多いため、今の俺の状態だとあまり戦いたくはない相手だ。

遠距離攻撃をぶつければ、そのまま警戒して接近してこなくなるため、捕捉された場合は即座に石投げスキルを使った上で、ゆっくりと後退していくのがベターか。


あとは実際の動きとデータを見合わせた上で、最適な対策をぶつければいいのだ――


所詮、相対した敵の動きなんて、右か左か、前進か後方かしかない――


事前に収集した敵データを参照した上でなら、そこからさらに正確な相手の動きを事前に予測することが可能――


こちらが移動や攻撃の素振りを見せれば、さらにその上相手の行動パターンは限定されていく――


AGI(敏捷性)で敵わないが故に、敵の動作を見てから動くのでは手遅れだということならば、敵の動きをデータに基づいて事前に察知しておけば良い――


膨大な研究から得た分析データと、極限まで集中して得た観察データとを組み合わせて、相手の行動先、攻撃先を事前に予測・制限して、そこに巧く剣を合わせれば――


ほら、な――


「はっ、はは…っ」


こんな圧倒的に不利な戦闘でも、勝利を納めることが出来るじゃないか――




そこからはトントン拍子に駒を進めることが出来た。

Lv2でも討伐することの出来たLv10帯のモンスターに、レベルや装備も整ってきた状態で苦戦するはずもなく、1週間と経たずにLv20の大台にまで回復を遂げていた。


いい加減、《Reverse End》の連中も痺れを切らしそうな頃合いだったのもあって、その日を境に、次のリスポーン地点を目指しての探索を開始した。




砂の海の中を、ただひたすらに前進していく――

砂の山を越え、砂の谷を越え、何度もその命を枯らしながらも、それでも前へと突き進んで往く――


《ソイルドスコーピオン》は、Lv20帯の敵にしては全体的なステータス値が低い。

ただし、コイツの最も厄介な点は、砂に潜り身を隠すという点だ。

砂の中から突然急襲されてその尻尾に突き刺されてしまえば、極めて厄介な”毒”の状態異常を喰らうことになるため、砂漠を進む際には常にコイツの存在に気を配りながら行動する必要がある。

砂の浅い部分を這い進むため、事前にその痕跡を発見することが出来れば、対処は簡単だ。


《デザートホーク》は、凄まじい速度で空から急降下して襲いかかってくる難敵だ。

攻撃力も敏捷性も高いくせに、警戒心が強くなかなか空から降りてこないのも面倒だ。

砂嵐の中で遭遇した際はさらに厄介で、視界もままならない状況でも的確にこちらの位置を捕捉して攻撃してきやがる。

地面に近づけば近づくほど急激に動きが鈍るので、隙が生まれてしまうのを覚悟した上で地面に伏せた状態で迎撃態勢を取る戦い方が非常に効果的だ。

幸いにして、降下の際は必ず直線的軌道を取ってくるので、降下前のモーションさえ見切れば、その移動先に剣を合わせるのはそう難しくはない。




足場と日当たりの悪い沼地を、それでも躊躇することなく歩いて行く――

行く手を阻む泥の湖を、黒くそびえ立つ木々の合間を、数え切れないほどの痛みと苦しみをその身に受けながら、それでもその地平の彼方へと歩みを進めていく――


《ブラックフロッグ》は敏捷性こそ大したことはないものの、こちらの攻撃に対してカウンター気味に反撃を行ってくるという、近接クラスにとっては非常に厄介な相手だ。

しかし、カウンターの際には馬鹿正直に真っ直ぐ飛び込んでくることが多いため、敢えてフェイントで相手のカウンターを誘い込んだ上で、逆にこちらがカウンターを決めればいい。

狙ってくるのはこちらの頭部と腹部の2パターンがほとんど。わざと頭を突き出せば、それに釣られて頭部を狙ってくれるので、対処がしやすくなる。


《スワンプサハギン》は、棒状の骨を武器として襲いかかってくる厄介な敵だ。

攻撃力こそ高くはないものの、頭部などを殴打されてしまえばスタン状態にさせられてしまうので、攻撃モーションが確認出来た際は、まず距離を取ることが最重要だ。

他のモンスターよりもずば抜けて賢く、まるで人間と相対しているような気分にすらなってくるが、だからこそ、人間相手に有効な戦術がコイツにも効く。

古典的なフェイントや相手の視界から消える動きは実に効果的で、だからこそ、仕掛けられる前に先手を打つことが大事になってくる。




草の香りと花の香り、そして凶暴な虫と獣の群れの中を、無我夢中に突っ切っていく――

人間の痕跡のその一切が存在しない、どこまでも果てしなく続く草の海は、まるでそれ自体がこちらを呑み込む怪物のようにも思えたが、それでも俺は止まらない、あの雲の彼方の、そのさらに向こう側まで、ずっと、ずっと――


《ジャイアントビー》は群れで行動し、素早い動きで一斉に襲いかかってくる強敵。

幸いにして探知範囲はそこまで広くないため、こいつらの縄張りには出来る限り近づかずに行動したい。

1対1で戦う際は、事前に相手の移動先を上手く誘導させることがポイントとなってくる。

こちらの姿を確かめた途端すぐに襲いかかってくるので、そのタイミングで石を投げて相手の移動範囲を限定した上で、その移動経路上に上手く剣を合わせてカウンター気味に斬り付ければ、難なく討伐することが可能。

遠距離攻撃への回避反応が良いことが、逆にこちらに優位な状況をつくるための助けとなっている。


《オレンジタイガー》は、このLv帯の中では珍しく単体行動を取るモンスターではあるが、その分、戦闘能力も群を抜いている。

攻撃力も敏捷性も高く、そのくせ頭脳の回る動きを見せてくる厄介な敵だが、コイツの真価はむしろ、こちらの攻撃を当てた後にある。

上手く相手の行動を予測して剣で斬り付けても、その状態でもなお怯むこと無く襲いかかってくるため、ただ単純に迎撃するだけでは対処しきれない。

狙うのは眼球が喉元だ。この2カ所を斬り付ければそのまま地面に倒れ込んでくれるので、後は無防備なその身体を滅多刺しにしてやればいい。

その強さに比例して、経験値も豊富で皮素材も高価なため、見つけ次第できる限り狩っておきたい相手だ。




Lv20帯の砂漠地帯を乗り越え、Lv30帯の沼地地帯をも歩き抜き、Lv40帯の草原地帯でさえも、俺の歩みを止めることは出来なかった。


「殺してやる。殺してやる。絶対に復讐してやる。一人残らず、全員、何度でも、何度だって、俺が受けたその痛みの、何倍も、何十倍も、殺してやる――」


リスポーンポイントの更新はLv30帯の沼地近くの村で止まってしまった。

その村は既にモンスター達によって踏み荒らされてしまっており、プレイヤーどころかNPCの姿すら見掛けることも出来ず、ぼろぼろに傷つけられた家屋だけが静かに立ち並ぶ廃村となっていた。

そして、そんな有様でリスポーンモニュメントだけでも無事に生き残っていたことが、これまた幸運であったことを後になって知ることとなった。


「く…っ、クククク…っ、この力があれば、このレベルならば、もう、誰にも、負けたりしない、俺のことを、傷つけたやつ、奪ったやつ、見下したやつ、全て、まとめて、一人、残らず、殺して、殺して、何度でも、殺して、そして、絶望、させてやる――」


それ以降の区域にもいくつかの村の跡を見つけることが出来たが、NPCや住居どころか、リスポーンモニュメントすら粉々に砕かれていた。

思えば、沼地近くの村のモニュメントは小さな塔の上に設置されていたため、モンスターの攻撃を免れたのかもしれない。

なので、しばらくはそのモニュメントの残った村跡を拠点としながら周囲のモンスターを狩り尽くし、壊れた建物の残骸を建材として使って塔の防備を強化することに専念した。


「ふ…っ、クク…っ、ククク…っ、殺してやる、殺してやる、泣いても、喚いても、許さねぇ、何度だって、斬りつけて、突き刺して、叩きつけて、俺が受けた痛み以上の、さらなる痛みを、永遠に、永久に、味合わせてやる――」


砂漠の村で購入した簡易テントだと、スタミナもロクに回復することが出来ないため、狩りと探索はとにかく小刻みに刻んで少しずつ行っていく必要があった。

希少な素材をいくら手に入れても、それを加工するスキルも売りつける相手も存在しないため、重すぎてAGI値が減衰してしまうような素材はその場に置き捨てていくことにした。

とある廃村で偶然にも簡易修理スキル習得のスクロールを発見出来たことで、装備の耐久値問題にも若干の余裕が生まれた。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死んだ後も、さらに死ね、苦しみながら、何度でも死ね、幾度となく、苦しみながら、死につづけろ――」


そのうち、当てやすさと攻撃範囲に優れた《スラッシュ型》(※ソードマンの切り払いスキル)よりも、一点突破型で攻撃性能に優れる《スラスト型》(ソードマンの刺突型スキル)の方が今の俺の戦い方に合っている思い、習得スキルをこちらの方向へと切り替えていった。

さらに、スラスト系スキルには高倍率のクリティカルボーナス(※弱点部位攻撃時のクリティカルダメージが増加)が存在するため、その性質を活かすために命中補正を上げるためのDEXにステータスを割り振っていった。


「ほら?痛いだろ?苦しいだろ?悔しいだろ?泣き喚け、もっと泣き喚けよ、無様に泣いて、命乞いしろ、そうやって、喚き散らした数だけ、さらに剣を突き立ててやるから――」


この突き攻撃スキルメインの組み立ては、相手の行動を事前予測した上でそれに合わせて攻撃する俺の戦い方との相性が実に最高で、DEXの数値が伸び、敵の弱点部位を的確に射抜けるようになるにつれて、モンスター討伐が飛躍的にスムーズになっていった。


「ククク…っ、そうだ、それだ、それこそが、死ぬことが出来ないという、恐怖だ、絶望だ、眼球をくり抜かれても、心臓を抉られても、喉元を掻き切られても、お前は、その痛みを、永遠に、永久に、未来永劫に、味わっていかなければならないんだ――」


この戦闘スタイルを確立させ、個体ごとの行動パターンデータを揃えた俺にとって、今やLv40帯のモンスターですら敵ではなかった。

いつの間にかレベルは過去最高を更新し続け、そして、その伸びたステータスの量に比例して、誰に向けたわけでもない呪詛を独り呟く時間が増えてゆき、頭の裏辺りで熱を帯びた何かがちりちりと蠢いていた。


「あぁ、殺してやる、あぁぁ、殺してやるさ、一人残らず、全て、殺して、殺して、殺し尽くして、そして、生き返った先からまた、殺しまくってやるさ――」


砂の丘を越え、沼の大地を越え、草の海を越え、いくつもの朝陽に向かって走り、いくつもの星空の下を歩き、いくつもの風の香りの中をくぐり抜け、進む、進む、進み続ける、もっと、もっと、あの、地平の彼方まで――


「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる――」


もっと、もっと、もっと、もっと――

誰の手も届かない、誰の手も届いていない、あの、地平の、彼方の、その先まで――


「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる――」


行くんだ、辿り着くんだ、あの夕陽の沈む先へ、あの星空に手が届くまで、進め、進め、進み続けろ、そうすれば、いずれ、その先の彼方に、この手が届いて――


「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる――」


ほら、あの、陽光の、まばゆい光の先に、手を伸ばせば――


「殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してやる――」


そこには、誰の手も届かない、地平の彼方のその先に、手が届く――


「殺してやる、殺してやる、殺してや――――、ぁ――っ」


そうやって、橙色の光の向こう側に伸ばした手の隙間から――


「ぁ――、ぁ――、ぁぁ――」


高く、高く、あの天空の彼方にまで、あの星の彼方にまで、高く、伸び、そびえ立った、巨大な、巨大過ぎる、大樹の姿を覗き見た瞬間――


「ぁ――、ぁぁ――、ぁぁぁぁぁ――」


常識も、価値観も、信念も、矜持も、心も、魂も、自分のなかにある全てが、ぐるりとひっくり返る音がした――






2○世紀初頭、AI化、仮想化が飛躍的に進み、電子空間の中に、無限の可能性と、無限の世界が生まれる時代の到来が囁かれていた頃、そんな近い未来が孕んだ危険性を問題視して、ある人類主義論者が残した言葉がある。


「《infinity line》を越えてはならない。有限の世界の中で、有限なる生活を送るからこそ、人は人たりえ、生物は生物たりえ、故にこそ、社会は、文化は、絆は、そこに在るのだ。」


「《infinity line》を越えてはならない。《infinity line》(有限と無限の境界線)を越え、限りのない無限の世界に魅入られてしまったとき、人間性は消え失せ、生物性は消え去り、人は、生物は、人ではない、生物では決して無い、新たな生命へと”進化”してしまうことだろう。」


「《infinity line》を越えてはならない。もしも、その無限に続いていく世界の美しさに魅了されてしまったのなら――」


「私たちは、無限の彼方の、さらにその先の、かたちのない夢へと手を伸ばして、どこまでも、いつまでも、歩み続けてしまうだけの、追い求めてしまうだけの、新たな生命へと成り下がってしまうだろう――」

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