Infinity Line

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新時代より――

第1章 -1話- 『新時代より』

2X世紀初頭、人類が地上で栄華を極めた時代よりX00年後。

度重なる環境汚染や自然災害の発生により地上世界は猛火の海に包まれ、人類は地下世界への移住を余儀なくされていた。


そして、ヘリオス〈人類統括型超高性能AI群〉の超高度演算により、太陽系第三惑星・地球の崩壊まで余命5年との結果が導き出されたとき、地下世界に残された人類達はその絶望と悲嘆の只中で、種と文明の存続を目指し激しく議論を交わした。


最後まで確たる解決策へと辿り着くことができなかった《地上回帰派》、幾度となく無謀な計画を繰り返し予算と資源を無駄遣いし続けてきた《火星開拓派》、荒唐無稽な夢想論者ばかりが集まるとされていた《ケプラー1649c移住派》などを退け、人類統括議会は、内部時間を極限にまで引き延ばしたサイバースペース〈仮想世界〉への電脳的移住計画を採択し、しかる後にヘリオスへと計画の全権を委ねた。




そうして、人類移住計画は徐々に推し進められていき、第1号コミューン〈アダム〉の創造にはじまり、地球崩壊まで残り2週間を切った段階までに108のコミューン〈永生型仮想空間〉が完成し、多くの人類が己の肉体を捨て、それらの仮想世界へと旅立っていった。


その多くが、最低限の生活空間と、地下世界もしくは人類が屈指の栄華を誇った21世紀初頭の地上世界準拠の環境を模倣した仮想世界であったのに対し、第99号コミューン〈サンタ・マリア〉だけは異色の仮想世界を構築しており、その特異的な世界観に心惹かれ、非常に多くの人々が第99号コミューンへの移住を選択していた。




中世欧風時代を再現した世界観に、人類敵対型生物〈モンスター〉が闊歩するという、X00年に渡って人々の娯楽として愛されてきた”RPG(ロールプレイングゲーム)”の世界を題材として創造された異色のコミューン《サンタ・マリア》。


そんな新天地へと移住した人類は、これまでの人類史とはまた違う、新たな文明、新たな時代を築こうとしていた。

後の人々により名付けられた、西暦に代わる新たな年号――セレーネ歴、その元年。

後の時代の歴史に、人々の記憶に、記録に、深く刻み込まれた激動の時代が、今まさに始まろうとしていた――






「何度言ったら分かるんだッ!?HPが半分を切ったら下がれと言ってるだろうッ!?」


喉を掻き切れそうなほど鳴らして怒号をあげる。


「タンクのスイッチングはスピーディーにやれと何度言えば分かるんだッ!?」


その怒声は開けた草原の涼やかな風に乗せられて、数十人の隊員の耳へと届けられていることだろう。


「そんな調子でLv40帯の壁を越えられると思ってるのかッ!?しっかりと気合いを入れろバカモノ共がッ!?」


そうやって耳をつんざかれるような怒号で檄を受けたであろう隊員達の顔には、しかしながら、無感情さと不満げな色合いが混ざり合ったような微妙な表情が映し出されていた。


「あのォ~、教官サマ?今戦ってるの、そのLv40帯の敵とやらじゃなくって、Lv4のデカネズミなんですがねェ?」


「デカネズミではなく《ヴァイオレントマウス》だ。モンスター名の間違いは致命的な報告ミスへと繋がるから、しっかり個体名を暗記しておけと、先日の訓練でも言っていたはずだが?」


「(ゲーオタうっぜ…)」


「何か言ったか?」


「いや、なんでもねぇっす…」


そうして反抗的な態度を隠そうともしない彼の名は《レオナルド》。

クラスは重装歩兵《ホプリテス》。防具を数多く装着してもAGI(※敏捷性ステータス)の減衰効果が少なく、タンク職(※前衛で敵を引きつける役割)でありながらそれなりにスピーディーな戦闘を行えるのが特色のクラスだ。

レオナルド訓練兵のレベルは未だ8と低いが、機関からの報告文書によると、最前線での戦いに耐えうるほどに戦闘適性が高いという話らしい(だからこのエリート訓練部隊に所属しているわけなのだが)。

それがフタを開けてみればこのザマなのだから、機関の採用基準に関して新たな提案書の作成を思案してみた方が良いのかもしれない。


「んでェ~、ですねェ、教官サマ?そのLv4の、え~っと、ヴァイオレットマウス?に噛みつかれたくらいじゃねェ、体力もほんの少しくらいしか削られないんすわ。なのにィ、半分切ったら下がれェ~とかいちいちやってたら、こォんなネズミ1匹狩るのに日が暮れちまいますわってヤツなんすよォ?」


「その理屈は最前線のLv40帯では通用しないと、何度言えば理解するんだッ!?この区域でこそ、その程度のダメージで済んではいるが、Lv20帯の段階で既にバカに出来ないほどにHPを削られるんだぞッ!?あと、ヴァイオレットマウス(すみれ色ネズミ)ではなくヴァイオレントマウス(凶暴ネズミ)だ。なんだそのフローラルな名前のネズミは。貴様は一人だけ花摘みにでも来ているつもりかッ!?」


「ぷ、ぷははははははッ!?教官サマ~、意外と小粋なジョークとか挟めるタイプだったんスね!?おれェ、ちょっと誤解してたっすわ~」


レオナルドの爆笑を皮切りに、周囲の隊員も一斉に笑い声をあげる。

モンスターの生息する草原の一帯が、そうやって和やかな空気に包まれていく。


「ここは笑うところではない。訓練とはいえモンスターとの実戦をやっているんだぞ。今笑ったやつは全員明後日の補講訓練の対象とするからな」


そんな弛緩した空気を両断するかのように、吐いて切り捨て、そして、中空へと剣を構える。


「先にも話した通り、今回の訓練は、Lv40帯モンスターの群れと遭遇した際の接敵陣形構築のための模擬戦闘だッ!例えLv1のモンスター相手であろうと、一撃でHPを7割削ってくる強敵だと想定しながら訓練を行えッ!いいなッ!?」


「いやいやいやいやァ、ムリがあるっすよ、それはァ!こんなァ、剣でちょろっと突けば倒れる雑魚相手にィ、ンな、接敵…っ、ぷふっ!?じんけェ?とかやってられねっすよ、なァ、みんなァ!?」


嘲るような口調でそう騒ぎ立てるレオナルドの言葉に、他の隊員も同調の声をあげていく。

どいつもこいつも、失笑するのを必死に堪えたような面をしているのが、なんとも気に食わない。


「甘ったれるなッ!?貴様達、そんな調子で最前線に出れば、真っ先に死ぬことになるぞッ!?」


「いやァ…、死ぬとか言ってますけどさァ――」


遂には呆れたような喋り口調で詰め寄ってくるレオナルド。

その醜悪にねじ曲げられた眉と頬がさらに気に食わない。


「それってさァ、ただ単にィ、リスポーン地点(※死亡した際に生還するセーブポイント)に戻ってくるだけじゃないっスかァ!?」


そして、他の隊員を煽るようにカハハと掠れた笑いをこぼしていく。

そんなレオナルドの嘲笑に続くように、各所で人を小馬鹿にしたような嘲り声が鳴り響いていく。


「お言葉ですが教官。僕からもよろしいでしょうか?」


レオナルド訓練兵の生意気な喋り口調とは対照的に、理路整然とした性格が滲み出ているかのような落ち着いた声が、横から割って入ってくる。

彼の名はアラン。座学の成績はこの訓練部隊の中でもトップの優等生。クラスは炎魔術師《フレアウィザード》。燃焼効果による持続ダメージと、火傷付与による敵ターゲットの弱体化を行うことができ、高い継続火力を誇りながらも、同時に味方のサポートもこなせるという、複数の役割を担えるトリッキーなクラスとなっている。

レベルも部隊内トップの16。これまでは俺の指示する訓練内容に異を唱えるなんてことは皆無だったはずだが。

そんな優等訓練兵の介入に、若干の不安な気持ちを抱えながらも、頷き返して提言の続きを促す。


「レオナルドの言う通り、この新天地に”死”という概念は存在しません。なので、敗れれば命が絶たれる、という前提での訓練は必要無いのでは、と愚行いたします。言ってしまえば、こういった過激且つ綿密な戦闘訓練は、前時代的と言えるのではないでしょうか?」


「それそれェ!おれェも、それが言いたかったのよォ!?教官サマの考え方はァ、ゼンジダイテキィ?ってやつゥ!?なァ、みんなァ!?」


レオナルドのそんな一声に呼応し、他の隊員までもが嘲りを含んだかのような声色で「そうだそうだ」と同調の声をあげていく。

気に食わない気に食わない気に食わない気に食わない。


「貴様達はまだ、高レベル帯の恐さを知らないから、そんな平和ボケした寝言を叩けるのだッ!?死ぬことはないとしても、痛みはあるのだぞッ!?それも、こんな初心者向け区域とは比較にならないほどのなッ!?」


死ぬことはないから平気?どうせまたリスポーン地点からやり直すだけなのだから大丈夫?そんな戯言、何度も耳にしてきたさ。


「痛みと言っても、現実世界で実際に受ける痛みに比べれば、大幅に緩和されているでしょう。我慢できないほどではないはずですが?」


その言葉が続くことも予見出来ていたさ。何度も何度も耳にしてきた台詞だからな。


「アラン訓練兵、貴様はこの世界で、腕を切断されたことはあるか?腸をほじくり返されたことはあるか?脳漿を貫かれたことはあるか?」


「いえ、御座いませんが」


「いくら緩和されているとはいえ、痛みは痛みだ。それは人の身で気安く耐えきれるような代物じゃないんだよ」


お遊び感覚で木刀を打ち付けたり、殴り合いしたりとはワケが違う。

例え命のやりとりがそこに介在しなくとも、それでも、殺し合いとはつまりそういうものなのだ。


「つまりィ、教官サマはァ~、痛いのがコワいってことなんですかァ~ッ!?そ~んな情けねェ根性しときながらァ、おれ達にィ、偉そうなことほざいていらっしゃるんですかァ!?」


そんなレオナルドの煽りに続いて、幾多もの笑い声があがる。

あぁ、これも、何度も耳にした、何度も耳障りだと思った嘲笑だ。エリートだと言っても所詮、街に引き籠もる”ニート共”と何も変わらないじゃないか。


「だから、貴様達は高レベル帯での実戦経験がないから――」


「そうですよ、教官。僕たちには経験が無いのです」


「――ッ、何が言いたい?」


周囲の嘲るような罵声に相乗りすることもなく、あくまでも冷静に提言の姿勢を取っていくアラン訓練兵。

しかし、その目にはどことなく、俺のことを見下したような感情が乗せられているような気がして、頭の裏からチリチリとした怒りが込み上げてくる。


「なので、今はまず、レベルを上げることを最優先に考えるべきなのではないでしょうか?最初の壁と言われるLv20帯、ひいてはLv40帯、それらのモンスターと実際に相対してみなければ、教官の仰る恐さや痛みというものも正しく理解することが出来ないと思うのですよ」


甘い、甘すぎる、認識も、見通しも、何もかもが甘すぎる。

Lv40帯。あそこは、その程度の覚悟と練度で戦い抜けるような場所じゃないんだ。

だからこそ、まずは痛みやリスポーンによるタイムロスの少ない低Lv帯で、戦闘における緊張感と高度な部隊連携を身につけておく必要があるんだよ。


「だというのに、訓練訓練と称して、こんな低レベルのモンスター相手にのんびりと時間をかけていては、いつまで経っても最前線になんて参戦出来ませんよ?僕たちは、今なお飢えに苦しんでいる街の人々を救うために遠征部隊へと志願したのです。貴方のもとで軍隊ごっこするためにやって来たわけじゃありません」


「軍隊ごっこ――、だと?」


瞬間、眼球の奥が煮えたぎるような怒りを覚えた。


「ええ、僕は一応、以前から機関に所属させて頂いていた手前、最前線組と呼ばれるパーティーの方々とも何度かご一緒させて頂く機会がありましたから言わせてもらいますけど、こんなに緻密で用心のし過ぎな戦闘なんてしていませんでしたよ。むしろ、リーダーの方はパーティーの空気を和ませようと常に明るく振る舞ってくれていましたし」


「それは、どのレベル帯での話だ?」


「え?アルナド山道の辺りですから、Lv10帯ですかね?とは言っても、パーティーの方々の最高到達点はユルグ林道の辺りまでは――」


「――ッ!?ユルグ林道ッ!?あんなLv20帯前半のなまぬるい区域までしか知らないような連中に何が分かるってんだッ!?和ませるッ!?常に明るくッ!?貴様ッ、遠征をピクニックか何かと勘違いしてるんじゃなかろうなッ!?」


「…っ!?」


その時、アラン訓練兵の顔に初めて、青ざめたような怯えの表情が浮かび上がった。


「まァまァ、教官サマ、ちょっと落ち着い――」


「アラン訓練兵、貴様――、おれの言っている痛みというものが理解出来ない、と言っていたな?」


「え?え、えぇ…」


横で場の沈静化を図ろうと慌てふためいているレオナルドの言葉に耳を貸すことも無く、鞘から引き抜いた剣の切っ先をアラン訓練兵の喉元へと向けていく。

瞬間、先程までの騒がしい空気が一転し、草原を突き抜けていく風の音のみが静かに耳元でさえずっていた。


「実際に、試してみるか?」


「ぇ…っ!?」


そして、その剣先を、彼の腹部の方へと降ろしていく。


「今ここで、貴様のその腸をほじくり返してやってもいいんだぞ?」


今まで俺を嘲笑ってきた虫けら共も、この一言で黙らせることが出来ていた。

本当の殺し合いというものを知らないグズ共は、こうやって殺意を少し向けるだけで閉口させることが出来ていた。


「ちょ――っ!?教官サマっ!?それはマズイって――ッ」


あの痛みが、我慢出来ないほどではない――だと?

そんな甘ったれた台詞、あの肌が焼け付くような痛みと、苦しみと、吐き気を知らないから言えるんだ。

現実世界の痛みと比べて緩和されている?

そんなもの、何の保証にすらならねぇよ。

だって、現実世界で、腸をほじくり返された痛みや、脳漿をブチ抜かれた痛みを知るやつなんざ、今ここで”生きていねぇ”んだから。


「どうだ?アラン訓練兵?少しは俺の言うことを聴く気に――」


「いいですよ、教官の気の向くままにやってもらっても――」


「――ッ!?」


コ、コイツ、一体何を――


「《新世界憲章》。教官も知らないわけではないのでしょう?”プレイヤー(人間)に対してHPを0にする行為の一切を禁ずる”。その中でも最も有名な条項がこの一文だと思うのですが、貴方はその鉄則を破るおつもりなのでしょうか?」


「――ッ、それは脅しのつもりか?」


「いえ、そういうつもりはありませんが。ただ、博識な教官殿なら、この憲章に背いた人物へ、どういう罰が下されるのか、ご存じなのではないでしょうか?」


その言葉に、俺が剣を構えたとき以上の緊張感が部隊内に走ったような気がした。


「《永久追放処分》。未だ未開の地の多いこの世界において、人類社会から放逐されるということが一体どういうことなのか、貴方なら十分に理解出来ているのではないですか?人類史上最初の《EXILE LIST》登録者になるおつもりなのでしょうか?」


そんなアラン訓練兵の眼には、俺のものにも負けないほどの覚悟の色が見て取れた気がして、少しだけ柄を握る手が震える。

いや、何を寝惚けたことを考えているんだ。

Lv10帯の雑魚モンスターしか知らないような腑抜けに、俺のような決死の覚悟が備わっているものか。


「二言はないな?じゃあ、覚悟して――」


「ちょおおおおおおおっと待ったあああぁぁぁっ!?な、なぁ?教官サマっ!?おれ…っ、おれが悪かったからさ?その剣、降ろしてくれよ?な?ちゃんと謝るっ!訓練も真面目に受けるからさっ?だから、ほんと、その…っ、すんませんしたッ!」


睨み上げるような眼光を向けてくるアラン訓練兵に対して”殺し合い”の構えを取った途端、横からレオナルドが飛びついてきて、慌てふためいたように喚き立て始める。


「な?な?これからの人類の模範となるべし?とかなんとか言われてるうちらの部隊で人殺し騒動なんて起こしちゃマズイって!な?教官サマ?ほら、アランもさ、謝ってっ!?」


「たしかに、これじゃあ僕の方まで私闘を起こしたとして処罰されかねませんしね。ここは引き下がっておいてあげますよ?」


「アラン~~~っ!?」


そうして両手を挙げて、ひとまずこの場を納めようと提案してくるアラン訓練兵。

まぁ、なんだ――、さすがに部隊内で傷害事件なんて起こしちまえば、色々と後が面倒くさいからな、うん。

心の中でそう結論づけた俺も剣に込めていた力を抜いていき、そんな俺の様子に呼応したかのように、周囲の隊員達も「はぁ――っ」と張り詰めていた息を吐き出していく。


「ったくもう、なんでおれなんかが仲裁に入ってんスカ?ほんっと、頼みますよォ~?」


そうして、今回の問題が一挙解決したかのように安堵の息を漏らしていく隊員達。

その様子を目にして、一度は収まりかけていた怒りが再び頭の後ろの方でチリチリと蠢き始めていた。


何も、何も解決していないんだよ、この平和ボケのウスノロ共が。


”死”という明確な終焉こそないものの、飢えは少しずつ人々の生気を削り取っていき、モンスター達はじわじわと人類の生存域へと進出している。

そうやって、俺達、VWPA〈新世界生活保護機関〉が手をこまねいている間にも、いち早くこの世界の現実を知り、積極的に外征と開拓を行っている《ギルド》の連中に次々と先を越され、そして、冨も、力も、資源も、食も、全てが奴らに持っていかれてしまうんだ。


現実を知らず、世界を知らず、戦いを知らず、”はじまりの街”に籠もって惰性的に日々を過ごしているニート共は揃って口にする。


『ゲームでもやっているつもりか?』と。

『おれ達を貴様らのお遊び(ゲーム)に巻き込まないでくれ』と。


その台詞、そっくりそのまま返してやるよ。


「貴様らこそ、ゲームでもやっているつもりか?」


「これはゲームなんかじゃあない」


「戦争だ――」






初めてLv40帯区域での戦闘を経験したとき、狼どもの群れに身体の上から下まで、果てには臓物までも喰い千切られながら、おれはこの世界の”現実”というものを思い知っていた。




Lv0帯はいわゆる”ぬるゲー”だった。

仮想空間での”擬似生活”や、サイバースペース完全没入型MMORPGに慣れ親しんでいた俺たちのような玄人ゲーマーにとっては、チュートリアルとすら言えないほどの低難易度っぷりだった。


Lv1のイノシシ相手にすら激闘を演じているような初級者どもを横目に、おれ達は瞬く間にレベルを上げていき、そして、移住から1週間とかけずにLv20帯へと到達していた。


Lv20以降の狩場としての適正区域――いわゆるLv20帯と呼ばれる区域は、よりハイレベルなプレイヤーを選別していくためのふるいだった。

モンスターの攻撃頻度が極端に低かったLv0帯、そこから若干HPの桁が増えたくらいのLv10帯とは一線を画し、まるで現実世界の野生生物(※尤も実際に目にしたことのある人間はここにはいないだろうが)のように果敢にこちらへと喰らい付いてくる獰猛なモンスターに対して、Lv10帯を颯爽と抜けて調子づいていたプレイヤーの多くが無残に敗れ去っていった。


それがLv20帯の壁。

レベルアップに必要な経験値量がLv10ごとに大幅に跳ね上がる仕様により、Lv21以降のレベルへと上昇させるためには、”現実的には”このLv20帯と呼ばれる区域のモンスターを討伐せざるを得ず、そのため、非常に多くのプレイヤーがLv20で停滞したまま、ある者はLv10帯の砂粒ほどの経験値を必死に追い求め、またある者は劣等感から街のはずれに引き籠もるようになっていった。


それくらいならまだマシなもんで、移住当初から住民同士の相互扶助を目的として有志により発足されていたVWPA〈新世界生活保護機関〉に今更のこのこと顔を出しては、Lv20到達プレイヤーということを大々的に喧伝して機関内の重役をせしめ、街に居残っていた大多数のLv1プレイヤー達に対して横暴を働いているクズ共までいると聞く。


そうやってLv20帯、ひいては、群れで行動するモンスターが大幅に増えるLv30帯で、”ゲーマーもどき”を含む大部分のプレイヤーが脱落していき、魔のLv40帯と呼ばれる領域に足を踏み入れられるのは、ごく一握りの猛者だけとなっていた。




そして、移住から4ヶ月弱。

Lv30帯での激闘を”ソロ”で駆け抜けたおれは、魔のLv40帯と呼ばれる区域に、おそらく人類史上初めて到達していた。


鬱蒼と生い茂る木々の合間から突然姿を現した《クリムゾンウルフ》の群れに襲われた瞬間、ここがそれまでのLv帯とはまるで違う世界であるということを実感し、剣を持つ腕を喰い千切られる激痛に叫び狂いながら、Lv30帯のあの激闘の数々が、まるで楽園であったかのように思えていた。


結論から言うと、Lv40帯のモンスターはステータス量からして飛び抜けていた。


この世界では、ステータス値をAGIに割り振れば割り振るほど、身体を動かす速度が現実のそれを軽く凌駕してしまうほどに上昇していくため、Lv30帯に到達していたプレイヤーのほとんどが、その驚異的な身体能力に依存した戦闘スタイルを採用していた。


かくいう俺も、その高AGI値の恩恵による高速戦闘を最大限に活かすことで、Lv30帯のモンスターの群れにも決して後れを取ることは無かったのだが、Lv40帯で最初に遭遇したクリムゾンウルフは、AGIの値が俺のものをさらに上回っているような俊敏な動きで(正確なAGI値はハンタークラス等による識別スキルがないと分からないが)、こちらを翻弄してきた。


スピードで抗えないような相手が複数体の群れをなして襲いかかってくる上に、攻撃力や耐久力まで桁違いときている。

プレイヤーが得られる数値を遙かに超えたステータス値の暴力により、初のLv40帯での戦闘は為す術もなく敗退(死亡)した。


しかし、そんな理不尽とも言えるような性能の差など、Lv40帯の凶悪性を語る上では、些細な問題でしかなかった。

それは、この世界での痛覚が、相手のLvや受けたダメージ量に比例して増幅していくという仕様からくる、おそらくトッププレイヤーの多くが薄々とは予感していた事態であった。


トッププレイヤーの中でも最前線を突っ走っていた俺でさえ、Lv10帯で1回、Lv20~Lv30帯で4回の死亡を経験しているが、そのどれもが、軽度な痛みを実感する程度で済んでいた。

だが、初めて遭遇したLv40帯のモンスターの牙に腕を突き刺された時、その凄まじいほどの激痛に、握っていた剣を取り落とし、獰猛な獣の群れの目前で、子供のように泣き喚いていた。


人語の通じない相手に無意味にも謝罪の言葉を垂れ流して許しを請うも、そんな俺の喚きなどまるで意に介すこともなく、頭のてっぺんから足のつま先までところ構わず牙を突き立ててくる狼たち。

横腹を勢いよく噛み千切られたときには、涙の中から笑いすら込み上げてきた。

既に片目を失っていた視界から、己の臓物が腹の中より引きずり出されていく光景を目にしたときには、薄らと残った意識の中で、こんな世界を創造した神――ヘリオス〈人類統括型超高性能AI群〉への恨み節をひたすらに並べ立てていた。

なによりも、身体の機能が次々と機能不全に陥ったことからくる圧倒的な吐き気と嫌悪感、これが牙で肉を毟り取られる痛みよりも遙かに苦痛だということを、俺はこのとき初めて知った。

そして、喉元を掻き切られた際に噴き出してきたドス黒い己の血の味を舌で感じたのを最後に、俺は意識を閉ざしていた。




次に目を開いたとき、俺の身体はLv40帯区域近隣の村に設置してあるリスポーンポイントのモニュメントの前へと投げ出されていた。

仮初めの死とはいえ、その恐怖と実際に相対したプレイヤーが、死亡から復帰したリスポーンポイントの傍らで意識を失っているようなことは、それなりに珍しくも無い光景ではあるものの、自らがその当事者となるとは夢にも思わなかった。


そんな無残な姿が多くの人々の視線に晒されていることと(おそらく全てNPCだったとは思うが)、あの絶望的な地獄から舞い戻り、噛み千切られた身体も全て修復されていたにも関わらず、未だ頬を伝い零れる涙の存在に気がついたとき、俺は逃げるようにその場を走り去り、宿屋の一室で布団とも呼べないようなボロ布の中に赤子のように包まって、一晩中ガタガタとその身体を震わせていた。




湿った材木の匂いと、埃被った宿屋のくすんだ空気の只中で、涙で顔をぐしゃぐしゃに染め上げながら、逃避と諦めの台詞を反芻し続けていた。


「もういいだろう。死ぬことの無い世界で、こんな苦しい思いをしてまで戦い続けて何になるっていうんだ」


「食料問題の解決?ゲーマーや仮想空間熟練者としての意地?そんなもの、どうだっていいじゃないか。皆と共にはじまりの街に引き籠もって、飢えに耐え凌ぎながらも慎ましやかに生きていこうじゃないか」


そんな後ろ向きな台詞を半笑いに呟きながら、肩の荷を降ろそうとする度に、ふと頭をよぎる。

はじまりの街・マリアの薄汚れた牛舎のような区画に横たわって、むせ返るような腐臭と汚臭の漂うその中で、ぶつぶつと言葉にならないような言葉をか細い声で吐き出しながら、色の消えた眼で剥げかけた壁を呆然と眺め続けていた、あの”腐れニート共”のことが。


”アレ”に、俺がなるのか?

あんな、”生きること以外”の何もかもを諦めてしまったかのような腐敗物に、俺は成り下がるのか?

今現在、宿屋の片隅で震え続けている己の身が、そんな腐敗物どもと大して変わりがないという事実から必死に目をそらしながらも、その屈辱感に頭の裏がチリチリと焼き焦げていくような感触を覚えた。


冗談じゃない。

俺は奴らのように、”この世界に逃げてきた”んじゃない。

滅び往く惑星から逃げ、逃げ付いた先の新天地が直面した新たな現実からも逃げ、そうやって骸のようにただ生を貪るだけの存在に、俺は決して成り果てたりしない。


そんな”ヒト”としての意地と、”ヒト”としての恐怖とのせめぎ合いを1週間ほど続けた後、意を決して部屋の扉を開いたとき、俺は――いや、人類は新たな脅威に立ち向かっていかなければならないのだと覚悟した。


ヘリオスに一言文句をつけてやりたくもなったが、ログアウトもお問い合わせ機能も存在しないこの世界でそんな泣き言を吐いても詮無きことだ。


「だったら、やってやろうじゃないか。人生ってやつをよ」


誰に聞かせるわけでもなく、そんな自分でもよく分からない言葉を呟きながら、宿屋の扉を押し開けていた。






一番の対抗策としては、やはりパーティーを組むことだろう。

だが、生憎とそういったツテは持ち合わせが無く(一応ギルドには所属していたが)、このLv帯に到達していた他プレイヤーもいなかった為、ソロで挑む方向性で対策を練っていくしかなかった。


第一に取った策戦は、今考えれば逃げの一手と言っても差し支えないほどに臆病なものであった。

それは、HP残量を予め3割ほどにまで削って(直上に投げた小石にわざとぶつかり続ければ可能)戦闘に挑むというものだった。

受ける痛みを打ち消せないのなら、せめて早く殺されてしまうことで、痛みを受ける”時間”を減らそうかと試みたのだが、そもそもいくら苦痛の時間が減ったところで、痛みや苦しみそのものが無くなるわけでも減るわけではないということに気がついたときには、再びリスポーンポイントの前へと舞い戻っていた。


次に取った策戦としては、群れからはぐれた1匹とタイマンで相対するというものだった。

当たり前ではあるが、ただでさえ性能的に上回る相手を、さらに複数相手取るということそのものに無理がある。

とはいえ、クリムゾンウルフはじめ、この森のモンスターは悉く群れでの行動を規範としていた為、巧く1匹を釣り出すのには骨が折れた。

そして、二昼夜近くの時間をかけて苦労して釣り出した《スニックモンキー》とのタイマン戦闘に、俺はあっさりと敗北した。


そもそも戦闘速度(AGI)で上回る相手に、回避行動を活かした高速戦闘を仕掛けること自体が間違いであると、そこではっきりと確信した。

いくら相手の攻撃を回避し続けても、それを遙かに上回る速度で追いすがられてしまえば、プレイヤースキル(※個々の技量)でどうにか出来る範疇を大きく超えてしまっているということに気付いたのだ。




そういった理由により、戦闘速度に頼らない戦い方へと方針転換し、徐々にこのLv帯での戦術を編み出し続けていった。

特に、敵の行動パターンを事前予測して、そこにタイミングよく剣を合わせて攻撃するという単純且つ明快な戦法が、とりわけ効果的だということが判明するまで、1ヶ月もの時間を要した。


超高性能AI群により生み出されたこの世界のモンスター達には、レトロなゲームにあるような一定のアルゴリズムなど存在せず、それらの行動予測は不可能であるという認識が共通のものとなっていた。

しかし、戦闘を積み重ねるにつれて、”生物”の行動パターンというものは、その状況ごとにおいて幾つかに絞り込めるということに薄々と気付き始めて、その行動パターンに関して、研究と実証をひたすら繰り返していくことに没頭し続けていった。


噛み千切られた指を犠牲に、複数のデータを得た。

喰い千切られた耳を犠牲に、いくつもの経験を得た。


そうやって、何度もの死線をくぐり抜けられずに殺されて、そうして痛みと吐き気の中から持ち帰ったデータを必死に検証して、こちらが”攻撃や移動の姿勢を見せる”ことで、相手の行動まで間接的に制限させることが出来るということが判明してからは、加速度的に状況は好転していった。


そして遂に、初めてLv40帯に足を踏み入れてから5ヶ月後、まさに因縁の相手とも言えるクリムゾンウルフ相手に、タイマンではあるものの初勝利を納めることが出来た。

両前足を切り刻まれ(部位破壊され)歩行不能状態となって困惑する哀れな狼の姿に対して、俺は涎が垂れそうになるほどの歪な笑みを浮かべながら、その体躯にひたすら剣を突き刺していった。

何度も、何度も――、それまでに奪われてきた己の肉体を奪い返すかのように、かつて奪われた己の自信をその肉片から喰い毟っていくかのように――


群れからはぐれた1匹を釣り出すために、高所からのエクストラスキル《遠見》による偵察と、退路を事前に用意しながらの陽動とを何度も繰り返すという、非効率な狩りをひたすら行い続け、無事に念願のLv41に到達したのを区切りとして、俺ははじまりの街・マリアへと帰還した。






半年ぶりに目にしたはじまりの街の様子は、以前とそれほど変わっていないようにも、僅かながらに変貌を遂げているかのようにも見えた。


相変わらず街の至る所では、モンスターとの戦いや周辺地域の探索に繰り出すことも無く、何かしらの生産活動を行うわけでもなく、周囲の人間と無意味な談笑に興じていたり、家屋の壁に寄りかかってただ呆然と街の光景を眺め続けていたりする、”ニート共”で溢れかえっていた。


そして、Lv40帯区域まではかなりの距離があるものの、それでもそんな最前線の動向に関しての噂は絶えず囁かれていた。

とあるパーティーが大部隊を結成してLv40帯での狩りを確立し、遂にLv45まで到達したとの話を耳にしたときは多少動揺はしたものの、街中はそれ以上にセンセーショナルな噂話で持ちきりで、どことなく緊迫した空気すらも感じられた。


『Lv30帯区域の村が、Lv40帯区域のモンスターの群れに襲われて壊滅したらしい』


その話は、俺にとっても――いやむしろ、RPGに慣れ親しんだ者だからこそ、驚天動地な内容だった。

普通、RPGにおいてのモンスターは、一定の生息域の範囲内でのみ行動し、他のモンスターの生息域や、プレイヤーが冒険の準備や休息をするための街や村などにまでは侵攻してこないのがお決まりだ。


ただ、以前より、はじまりの街外縁への低レベルモンスター侵入や、その区域では目にしないようなモンスターとの遭遇など、その”お決まり”が適用されていないようなケースが目撃されたという噂があり、あくまでも可能性として、人々が暮らす”人類の生活圏内”にモンスターが侵攻してくるという事態は予想されてはいたものの、実際にそれが現実の事象として起きてしまったことで、そのとき初めて、死の存在しない世界で安穏と生を送っていた人々の心の中に、それまで忘れ去られていた”危機感”というものが再び芽生えたのかもしれない。




俺の頭によぎったのは、半年前のあの光景、あの痛み、あの苦しみだった。


あんな苦痛を他の人にまで味合わせるわけにはいかない――

なんて正義感は欠片も持ち合わせてはいなかったが、あのモンスター達がいずれはこの街まで呑み込んでしまうかもしれない。


そう、これはゲームなんかじゃない、戦争だ。

凶暴な爪、獰猛な牙を振りかざして俺たちを嬲り殺しにやってくる、あの獣たちとの戦争だ。


そして、そんな人類の危機的状況において、我関せずと高Lv帯区域へと進出し、周囲の街や村を支配し、冨と力を独占していく最前線ギルドの者達。

彼らとも、いずれ――


そう、ここは、つまり、そういう世界なのだ。




そんな噂を耳にしてすぐさま、俺はVWPA〈新世界生活保護機関〉の門戸を叩いた。

高レベルプレイヤーだからこその使命感と、不思議と湧き上がってくる高揚感とを携えて――

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