其之弐

 「――あれか…」


 中山三等陸佐が、報告に来た隊員の先導で犬寄トンネルの中に入ると、暗闇の先に点灯している二つのライトが見える。

 形状からして、ショートパジェロのライトのようだが――

 一向に動く気配が無い…


 「銃、構えぇーッ!」

 中山の号令で、自衛隊員たちが一斉に自動小銃を構える。

 警察官たちも、ニューナンブ銃を腰から抜く。

 警戒姿勢のままジリジリと、一同がトンネルの奥へと進んで行く…




 「――これは…」

 自衛隊員たちのヘルメットに着けられたLEDライトが、オリーブドラブ色に塗られた車体の輪郭を明らかにしつつある。

 そこには、運転席窓にもたれて倒れている自衛隊員が――

 すかさず、中山が駆け寄る。


 「大丈夫かッッ?!」

 「――ちゅ…、中隊――長?…」

 か細い声とともに、くだんの自衛隊員が僅かに反応した。


 見る限り、車体に目立った損傷はない。

 エンジンがかかっていることから察するに、この隊員はここまでショートパジェロを運転して力尽きたのだろう。

 小銃を背中に廻した自衛隊員たちが一斉に駆け寄り、この隊員を皆で抱きかかえ路面に寝かせる。


 「――何があった?!」

 「――あ…、あ…」

 中山の問い掛けに、隊員が懸命に答えようとしているが、すでに虫の息。


 「――…ん?」

 何かが隊員の口元で、動いたような気が…

 中山が、ヘルメットのライトを向けると――


 「うわあぁッッ?!」


 口の中から出て来たのは、黒い複眼のスズメバチ大のむしだ。

 全員が一斉に、後ずさりする。




 遠巻きに見守るうちに、次々と蟲たちが隊員の顔から這い出てきている。

 口から出るものもあれば、眼球や鼻の穴から出て来ているものも。

 果ては、ほおを突き破って出て来た蟲が――


 見るもおぞましい光景を、皆が固唾を飲んで見守っているうちに、蟲たちが一斉に飛翔した。


 ブゥワアアァァーンン――

 

 トンネル内に蟲たちの羽音が、うるさいほどに響き渡る。


 「――射撃よぉーい!!」


 中山の号令で、自衛隊員たちが自動小銃を、警察官たちがニューナンブ銃を、一斉に構える。


 「っっ!!」


 全ての銃が、黒い塊になって飛んでいる蟲の方へ、一斉に火を噴いた。

 かたまりになって飛んでいた蟲たちはバラけてしまうが、おびただしい数の蟲に対して銃火器では全くの無力…


 「撤退!」


 蟲たちが再び塊になりつつあるのを見た中山が、大声で号令する。

 案の定、黒い塊に戻った蟲たちが、逃げる隊員たちへ襲い掛かった。


 「うわあぁぁッッ!!」


 二人の自衛隊員が、蟲たちに取り付かれた。

 もんどり打って倒れ込んだ二人に、おびただしい数の蟲が一斉に取り付いた。


 ――なんだ?これは…


 「うわあぁぁッッ!!」


 今度は、中山の少し後ろを走る警察官が取り付かれた。


 「たっ――助けてぇぇッ!!」


 断末魔の叫びに顔をしかめ、懸命に走る中山であるが…――

 



 「――砲戦、ですか?」


 犬寄トンネル松山市側の外で待機する戦車小隊長が、ヘルメットのレシーバーへ怪訝けげんそうに応じている。


 「そうだ!俺たちがトンネルの外に出た瞬間に、戦車砲で出口を破壊しろ!」


 懸命に出口へ向けて走りながら、中山がヘルメットのレシーバーマイクを指で持ち怒鳴っている。


 「それしか、あいつらを食い止める方法はない!」

 「了!」


 無線を終えた中山の背後から、おびただしい数の羽音が迫って来ている。


 ――あの隊員からだけで、こんなにも蟲が湧くはずがない…

 ――多分、向こう側の出口からも、押し寄せて来ている…


 ★


 ――…なに?


 犬寄トンネルの出口手前で足止めされている茜が、一〇ひとまる式戦車が動き出したのを遠目で目撃した。

 中山たちのあとを追おうとしたが、眼の前に立つ若い警察官に足止めされてしまっていた茜…

 

 「駄目です!撮影禁止です!!」

 すかさずコンパクトデジカメを取り出した茜を、くだんの警察官が制止している。

 警察官ともみ合うちに、茜の耳へ何とも耳障りな音が聞こえてきた。


 ――ブゥワアアァァーンン…


 ほんの僅かの微かな音だが、次第にハッキリしつつある。

 警察官も音に気付いたのか、動きを止めてしまう。

 音は、前方の右カーブの先から聞こえて来ている。

 カーブの先に犬寄トンネルの入り口があるのだが、ここからでは全く見えない…


 「――あっ?!…こらっ!!」

 警察官のすきを突いて、茜が駆け出した。

 慌てるあまり、件の警察官が転倒してしまう。


 ――チャンス!


 全力疾走で駆ける茜の視界に、停車している一〇式戦車のケツが見えてきた。


 ――…何が起こっているの?


 走る茜の視界に、トンネルの入り口がようやく見えた。

 と同時に、出口から幾人もの人影が――

 中に入っていた自衛隊員と警察官たちだ。

 次の瞬間――


 ドォォンンッッっ!!!!


 強烈な轟音に、思わず茜が両手で耳をふさいでしゃがみ込む。

 一〇式戦車の砲が、火を噴いたのだ。

 トンネル出口の方から、猛烈な土煙と岩盤が崩れる轟音が上がる。

 キーンと耳鳴りがする茜の頭上へ、粉砕された小石が雨のように降り注いだ…




 ――なんなの?一体…


 次第に土煙が収まってきて、視界が晴れつつある。

 まだ耳鳴りがする茜がフラフラ立ち上がると、前方にど派手に崩れた岩々の山が見えた。


 ――トンネルを…、戦車で撃ったの?


 すかさずコンパクトデジカメを取り出して、撮影を始めた茜。

 すると、土煙の中によろめきながら立ち上がる人影が――


 ――あの人だ!


 立ち上がった中山が、眼をこすりながら崩れた岩々を見つめている。

 それを見た茜が、駆け出そうとすると――

 いきなり背後から、羽交い絞めにされた。

 さっき振り切った若い警察官だ。


 「はっ――、離してぇっ!」

 「ここは危険です!戻りなさい!!」




 ――何の騒ぎだ?…

 茜と警官が揉み合うのを、怪訝そうに中山が一瞥いちべつした。


 ――どうにか、食い止められた…


 崩れた岩々で塞がれたトンネル入口を、安堵して見ている中山だが…

 徐々にその表情が、悔しそうに歪んでいった。

 犠牲者が出てしまった…


 ★


 ――…え?


 岩々を見つめる中山の顔が、みるみる驚愕きょうがくのものに変わっていく。

 岩の隙間という隙間から、先ほどの蟲たちが頭を出しつつある…


 「総員、撤退!」


 中山の号令一下、自衛隊員たちと警察官たち、装甲車に戦車が一斉に動き出す。

 しかし――


 少し離れた所で見ている茜の顔が、驚愕でゆがんでいる。

 茜を羽交い絞めしている警官も、両眼を大きく見開いている…


 ――…なに?!あれは?!


 トンネルの入口がある山の斜面を、黒い霧状のものが下りてきている。

 もの凄い速さで、まるで山津波が流れ落ちるかのように――


 「うわあぁぁッッ??!!」


 自衛隊員たちと警察官たちが、一瞬で無数の蟲たちに取り付かれてしまう。

 もがき苦しむその様は、人の大きさの黒い物体がのた打ち回るかのような――




 「――どうした?!」

 「わ――、分かりません!!」

 戦車の中では戦車小隊長が、操縦士に怒鳴っている。


 戦車が少し動いた所で停まってしまった。

 同時に、エンジンも停まってしまう。

 のぞき窓は黒いものに覆われていて、外の様子が全く分からない…


 それもそのはず。

 戦車は無数の蟲たちに取り付かれていて、見た目は黒い塊と化していた。

 警察車両と装甲車も同様に――


 全ての車両のエンジンが、取り付いた蟲を吸ってしまっていた。

 停まってしまった理由が分からないそれぞれの車両の中で、乗っている者全員がパニックになっている。

 ドアやハッチを開けて、外に出るわけにもいかない――


 ★


 修羅の状況を前に呆然と立ち尽くす茜の眼に、こちらに駆けて来る人影が映った。


 「――中山さん!こっち!!」


 叫ぶと同時に、茜が走り出す。

 若い警官も走り出した。


 ――速っ?!


 あっという間に、茜は中山に追い越された。

 中山はヘルメットのレシーバーマイクに向けて、怒鳴っているようだが…




 「――どうした?!なぜ動かない!!」

 ≪エンジンが停まって、動けません!≫

 通話相手は、戦車小隊長だ。


 「――ほかの車両もか?!」

 ≪分かりません!スコープも使えなくて――≫


 ――何が…、どうなってる?!


 「うわあぁぁッッ??!!」


 今度は茜の背後で、件の若い警察官の悲鳴が上がる。

 蟲に追い付かれてしまったようだ。


 「――いたいぃッ!いたあぃぃッッ!!」

 振り返ったら、こっちも追い付かれてしまう――


 「いやだァァ!!――死にたくないぃぃッッ!!!!……」

 背後から、警察官がもんどり打って倒れ込む音がする。


 懸命に走りながら、断末魔の叫びに顔をしかめる茜。

 足がりそうで、走るのも遅くなりつつある。

 ヤバい…、追い付かれちゃう――


 ――え?


 茜の頭上を、おびただしい数の蟲たちが、不気味な羽音とともに、ゆっくりと追い越していく。

 まるで先を走る中山に、ターゲットを定めたかのような…


 ★


 ≪――うわあぁぁッッ??!!≫


 中山のヘルメットのレシーバーから、戦車の中からの悲鳴が聞こえる。

 

 「――どうしたっ?!!」

 ≪む――蟲がぁぁッ!!!≫

 ――なにぃぃッッ?!

 ≪蟲がぁ――、戦車の中にぃぃ!!!――≫


 ――100%気密されている戦車内に、入ったというのか?!

 ――入れるとすれば、砲身からだが…

 ――ならば、ほかの車両たちは、ベンチレーター(換気口)から入られているかも…

 ――しかし、砲身と戦車内は鉄板で仕切られて…

 ――まさか…、食い破ったというのか?!




 逃げる中山の背後からは、不気味な羽音が迫りつつある。

 このままでは、逃げ切れない…


 「――乗ってッッ!!」


 中山の右横を通過した軽自動車が、急停車した。

 助手席の窓を開けて、殺気立った表情の茜が怒鳴っている。


 ――ブゥワアアァァーンン…


 上空の黒い霧状の蟲たちが、まさに襲い掛かろうとしている。

 躊躇ちゅうちょしていられない――


 ギャギャギャギャァァァ――…


 中山が乗り込むと同時に、茜がアクセルをベタ踏みする。

 間一髪の所で、軽自動車は急発進。

 やがて黒い霧状の蟲たちが、はるか後方へと遠ざかって行った…――

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インセクト・レベリオン 熊谷 雅弘 @kumagaidoes

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