其之壱

 関口 あかね 24歳女子 未婚で彼氏なし。


 茜は、無類の生きもの好きだ。

 仕事が休みの日といえば、午前中から東京都多摩地域にある自宅近くの公園のベンチに座って、鳥たちに餌付けをしている。


 とはいえ、鳥類は一般的に警戒心が強く、滅多なことでは人前に好んで現れない。

 なので、茜が座るベンチの前には、鳩を筆頭にからすすずめなど限られた種類の鳥たちが、我先にと撒かれたエサに群がっている。




 カアー、カアー、カアー…


 茜が座るベンチの肘掛けでは、一羽の烏が黒々とした翼を大きく羽ばたかせ、大声で鳴いている。

 茜が手の平にのせたエサの粒を差し出しすと、くだんの烏が一心不乱にくちばしでついばんでいる。


 「もぉ~、そんなに突いたら痛いよぉ~、クロスケぇ~」


 話し掛けても烏が言葉を理解できるはずがなく、

 カアー、カアー、カアー…


 派手に羽ばたいて、手の平のエサを飛び散らせてしまう始末。

 そうして地面に落ちたエサの粒へと、他の鳥たちが我先にと群がって行く――


 ★


 「じゃあ姉ちゃん、行ってくるからね」

 背後から呼び掛けられた茜が振り向くと、弟の陸人りくとが立っている。

 17歳、高校2年生の陸人の右手には、大きな旅行かばんがぶら下がっている。


 「おう!健闘を祈る!!」

 茜は笑顔で、兵士がするかのように右手で敬礼を示している。


 夏休み中の陸人はこれから、高知県の高知市で行われる『よさこい祭り』を観覧しに行くのだ。

 とはいえ、意中の同級生女子が所属するチームが参加するので、下心ミエミエの観覧なのだが…

 からかわれた陸人は苦笑いをして、暑さでにじんだひたいの汗を左手でぬぐっている。




 「――姉ちゃん、ヒトのこと言うけどさぁ…」

 午前10時になったばかりであるが、8月上旬のうだるような容赦のない暑さに、言われた茜も左手で額を拭っている。


 「そんな鳥ばっかとイチャついてちゃあ、彼氏なんて出来やしねぇぜ」

 「いいのいいの、あたしにはクロスケがいれば」

 カアー、カアー…

 言葉を理解したかのように、件の烏が勢いよく鳴いている。


 「大体さぁ、クロスケって、どっかのパクリじゃね?」

 「いいのいいの、言いたいヤツには言わせておけば」

 「そんなだからさぁ――」

 次の瞬間、言いかけた陸人の眼前を、何かがサッと横切った。


 「うわっ?!」

 陸人が見上げると、一羽の燕がさえずりながら宙を華麗に舞っている。

 ピピッ、ピピッ、ピピッ…――


 「ほらぁ、あたしの悪口言うから『つば九郎』が怒ってんじゃん」

 「――…どっかの球団から、クレームがくるぜ」

 この燕がまだひなの時、巣から落ちた所を茜が助け、育ててあげた。

 成長した『つば九郎』はその時の恩を覚えているのか、茜が公園のベンチに座るたびに、その上空を旋回するのだ。


 「それに、こんなとこで油売ってたら、飛行機に乗り遅れちゃうわよ」

 顔をしかめた陸人が左腕の腕時計を見ると、一気に表情が変わった。

 「――いっけね!…じゃあね!」

 そう言い残して、陸人は走り去って行った…


 ★


 ピリリリリリ…――


 ベンチに置いたスマートフォンが、大きな着信音をかなで始めた。

 鳥たちがひるむことなくエサをついばみ続けている中、茜がスマホを手に取る。

 

 「大急ぎで支度したくをして、松山に飛べ」

 ドスの効いた野太い声の電話の主は、茜が勤めるネットニュース配信会社『Zジャーナル』代表兼編集長の大崎哲也 36歳だ。


 「どうしたんですか?」

 駆け出しであるとはいえ、そこはジャーナリストの茜。

 今日は休みですと文句は言わず、表情は仕事モードへと瞬時に切り変わった。




 「愛媛県八幡浜市一帯で、行方不明者が相次いでいるらしい」

 そんな情報どこから――と茜が問う前に、大崎が続ける。

 「それも、八幡浜市の外に住む人からの捜索願ばかりで、市内からは一つもない」

 それは、たしかに変だ…


 「さらに三日前からは、今度は西予と大洲市域まで行方不明者が拡大したそうだ」

 「そんなニュースは、全然――」

 「多分、報道管制が敷かれているんだろう」

 たく、戦時中かよ…


 「俺たちのポリシーは何だ?」

 「国家権力に左右されない報道機関最後のとりでとして、忖度そんたくしない配信を行う!」

 「よく出来た!航空券のバーコードを、メールで送る」

 「何時の便です?」

 「羽田を12時05分だ」

 あと2時間しかないじゃない?!…――


 ★

 ★


 松山空港に降り立った茜は、レンタカーを走らせ情報提供者のもとへと向かった。


 インターホンを押すとマンションの一室の玄関扉を、30代半ばと思しき女性が開けて出て来た。

 『Zジャーナル記者 関口 茜』の名刺を手渡すと、女性は、

 「いつも配信を楽しみにしています」と、笑顔で応じてくれた。




 「八幡浜市に住むあたしの10年来のトモダチと、全然連絡が取れないんです」

 「いつもだったら、すぐにLINEには返信してくれるはずなのに」

 不安をつのらせた女性が車で八幡浜市に向かおうとしたが、市境のトンネルには検問が敷かれていて、その先には頑として通してくれなかったという。


 「――自衛隊が?」

 「警察官に交じって、銃を抱えた迷彩服の人たちがいたんで、多分…」

 「それで、通行止めの理由は教えてくれないんですか?」

 「あんまりしつこいと、公務執行妨害で逮捕しますよとまで脅されて…」


 宿泊先のビジネスホテルで、女性との会話を録音したICレコーダーを聞きながら、茜がベットの端に座って考え込んでいる。


 ――明日、検問所に行ってみるか…


 プルルルル…

 部屋の内線電話が鳴ったので出てみると、フロントに荷物が届いたとのことだ。




 「あたし、衛星電話なんて使ったことないですよ」

 「使い方は、ガラケーと同じだ。使ったこと、あんだろ?」

 部屋の机で小さめのダンボール箱をゴソゴソする茜が、トランシーバーを大きくしたような代物しろものを手に取り、あごと肩に挟んだスマホで大崎と話している。


 「通話料高ぇから、俺以外に電話すんなよ」

 「どうダイヤルすれば、いいんです?」

 「俺の携帯番号のアタマに0081をつけて、0をひとつ削った番号でかける」

 「――は?…はあぁ?」

 「まぁいい。使い方は、あとでメールする」

 ――相変わらず、自分のペースでしゃべるヒトだなぁ…


 「――に、しても、なんで衛星電話なんです?」

 「スマホじゃこの先、圏外になっちまうかも、だからだ」

 「な?――、なんで、また?」

 「それより、気になる動きがある」

 ――質問に、答えてねぇし!


 「ここ一週間で、国が殺虫剤を大量調達してるらしい」

 ――どこ情報だ?それ?

 「ドラッグストアやコンビニ行っても、手に入らなくなってるはずだ」

 「明日、確認してみます」

 「そんなことは、しなくていい。検問所の状況確認を、抜かりなく頼むぞ」


 


 検問所は愛媛県伊予市内の、北緯33度69分線上の主要地点に設けられている。

 そこで往来は厳しく制限されていて、検問所から南の状況は全く把握不能。

 上空も厳しく制限されており、報道機関のヘリコプターも、その線から先の飛行が禁止されている有様だ。

 そのうえ情報提供者も言っていたが、電話が全然つながらないのは、あまりにおかし過ぎる…


 「どこの検問所に行くつもりだ?」

 「国道56号の犬寄いぬよせトンネルに…」

 「いい選択だ。高速道路は通行禁止だし、大洲の隣の内子との市境にも近いしな」

 珍しく褒められた茜は、まんざらでもない気分になっている。


 「暮々も言っておく。とにかく安全第一で行け」

 「はい」

 「身の危険を感じたら、一目散に逃げろ」

 「わかりました」

 ――編集長が、ここまで言うなんて…


 入社以来、茜は大崎の直感には一目置いている。

 たまに外れることもあるが、大体は大崎の予想したことと的中してきた。

 ――今回の取材は、どんだけヤバいっていうの?…


 ★

 ★


 「だめです。報道関係者であっても、この先には行けません」

 

 次の日の朝、ホテルの朝食を大急ぎでかっ食らった茜は、国道56号線上の犬寄トンネル手前にある検問所に来ていた。

 まだ午前中であるのに強い陽射しがジリジリ照り付ける中で、日本記者クラブの記者票を示しながら、茜は検問所の警察官と押し問答をしている。


 「では、せめて、この検問が設けられた理由を教えて下さい」

 「教えられません」

 「戦車や装甲車まで配置してるんですよ!よっぽどの事態が生じてるんでしょ?!」

 茜が右手で指す先には、陸上自衛隊の一〇ひとまる式戦車が、物々しい姿を披露して停車している。


 ならばと茜は、コンパクトデジカメを取り出して、戦車を撮影しようとすると――

 「ダメです!撮影禁止です!」

 くだんの警察官が立ちはだかり、茜のデジカメを奪おうとみ合いになる。

 「――ちょっとぉ?!触んないでよぉッ!!」




 「――どうしたんですか?」

 騒ぎを聞きつけて、ヘルメットに迷彩服で装備した自衛官が、走り寄ってきた。

 大勢の警察官と自衛官に囲まれた茜だが、記者魂でひるまない。


 「あ――、あたしはZジャーナルの、関口茜!」

 将兵らしき自衛官に、茜がこれでもかという具合に記者票を突きつける。


 「…よく拝見していますよ、私も」

 将兵の男性自衛官が、動じることなく泰然としてニッコリ笑う。

 そのあまりにイケメンな笑顔に、不本意にも茜は怯んでしまった。


 「な――、名乗って下さいよ…」

 「え?」

 「あたしは名乗ったんだから、名乗り返すのが礼儀じゃないっスか?」

 すっげえオンナ…という具合なのか、将兵が苦笑いをしている。


 「陸上自衛隊第14旅団、第15即応機動連隊所属、第4普通科中隊長3等陸佐、中山博道です」

 微笑んでサッと敬礼する中山を、呆気に取られて見ている茜…


 「関口さん、悪いことは言わない。すぐに立ち去って下さい」

 「そ、そういう訳には――」

 「あなたが考えている以上に、事態は深刻なんです。とにかく立ち去って下さい」

 物腰は柔らかだが、中山の迫力ある物言いに、茜はたじろぐしかなかったが…




 「中隊長ぉ!」

 大声で叫びながら一人の自衛官が、トンネルの方から駆けて来る。

 「――どうした?」

 戦闘モードの表情に変わった中山が、くだんの自衛官の方に向き直る。


 「せ、先遣せんけん隊が…」

 「戻ったのか?」

 「トンネルの向こうから、ライトが!」

 その場にいた全員が、茜をさし置いて一斉に、トンネルの方へと駆け出した。

 

 チャンス到来とばかりに、取り残された茜もトンネル出口の方へと駆けて行った…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る