第3話
身勝手だと思っていた杏奈はこんなにも思いやりを持っていた。それを俺は殺したのか。見殺しにしたのか。
ホールの外には成人を迎えた男女たちが密集していた。本来親がここまで付いてくるものではないだろうが、磯川は来れずにはいられなかった。もはや瑠璃としてかわいがったのか杏奈として大事に思っていたのかわからなかった。
「お父さん」
杏奈が友達から離れてこちらに来た。
「ああ、ごめん。付いてきすぎたな」
「いいんだよ。こっちきて」
磯川はあんなに手を引かれて若者たちの間を縫っていった。
「みんな、この人、私のお父さん」
杏奈が声をかけると男女が続々と磯川を中心して輪が出来上がっていく。
「私のお父さん、私がお母さんのお腹にいるときに会社の後輩の人と不倫したんだ! その人、会社でいじめられてたんだけど、都合悪くなって見捨てて自殺したんだよ! 最低だよね」
瑠璃が、いや、杏奈が磯川にまっすぐ指を差している。取り囲む若者がざわめいている。中には罵倒のようなものが出てきた。
「瑠璃……? もう恨みはないんじゃないのか?」
磯川の言葉は周りのざわめきによってかき消され、杏奈には届かない。杏奈は笑いつつも眼から涙をこぼしている。
そうか。やっぱり許せなかったんだ。俺のことが。
磯川は背中に衝撃を受け、激しく前方に転倒した。かろうじて手で支えていたので顔面に地面をぶつけることはなかった。
「おいおっさん。お前最低だな」
振り返ると、金色や銀色の袴を着た男たちが五人ほど見下ろしていた。
「瑠璃はな。俺らみたいなやつにも普通に接してくれた優しい奴なんだよ。それがどうだ。お前、瑠璃が生まれる前から裏切ってたのか」
男の足が横腹を蹴り上げた。呼吸が苦しくなり、唾を吐いた。
「瑠璃! 一応お前の親父だろ。どうするかお前が決めろ」
リーダー格の男が瑠璃に向かって叫んだ。
「どうなってもいいよそんなヤツ」
「了解」
男たちに両腕を掴まれて無理やり立たされた。十字架に張り付けにされるように身動きができない。リーダー格の男は拳を作って息を吹きかけたあと、磯川の鳩尾にめりこませた。あまりにも息苦しく、我慢する間もなく嘔吐した。
男たちは四方八方から拳や蹴りを飛ばしてくる。もはやどこが痛いかわからない。指か爪が目に入って視界もぼやけてきていた。
どさりと投げ出された場所は線路の上だった。もはや動くこともできない。
「じゃあ、電車止まったらラッキーだけど、まあ頑張れよおっさん。今までの報いだから」
踏切が近くで鳴り響く。もう自ら立ち上がる力がない。ぶわんと線路の摩擦音が聞こえてきた。途端、なぜか痛みを感じなくなった。
これは報い。そう受け入れることにした。瑠璃に殺されずに生きてこられたことだけありがたいと思わないといけない。磯川は全身から溢れる痛みを感じながら思った。
瑠璃の中の声 佐々井 サイジ @sasaisaiji
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