七話 エプロン

「は~いキノちゃんで~す久しぶり~」


気の抜けた声が金曜六限の始まりを知らせてくれる。

私が今いる場所は先週と同じ家庭科室の中だ。


ちらっと前方を見やると、綺麗な黒髪の尻尾を左右に揺らした美人な女性が立っていた。

この家庭クラブの担当であるキノちゃんこと木下先生は、外見はともかく性格はまだ素性が知れない謎多き先生だ。


先週初めて会ったときの第一印象はとても良かったんだけど、まさかの家庭クラブ選択者二名のみとはね、ちょっとね、考えちゃうよね……

私は頭の中で思考しながらそっと視線を横に移す。


私が教卓の左前に座っているとすると、教卓からみて右前に座っている生徒が目に入る。

ライオンを彷彿とさせる金色の髪、その髪の合間から柔らかそうな耳たぶに付いているピアスが見え隠れする。色とりどりの光が瞬く瞳はインパクトがあって一度見たら忘れないだろう。

二人しかいない家庭クラブのもう一人、月渓くんは今日も私の隣に座ってきた。


キノちゃんだけじゃなくて彼も大概変だと思う。

前回同様、なんで私の隣に座るんだろうか。

ここ家庭科室には使われていない椅子なんていくらでもあるというのに……

そんな私の苦悩などつゆ知らずな顔で前を見ている月渓くん。


この数日はなぜか彼のことがよく頭に出てきたから、その度に彼について色々考えてみているのだが……

何考えてるのかさっぱりわからん。


特に月曜日、私が電車内でよろけた時だ。

私がすぐどかなかったのもあるけど普通すぐ声かけるよね……

それを放置したかと思えば挨拶して先行っちゃうし。

なによあの「おはよ」は、絶対あなたのキャラじゃないでしょ……


はぁ、先週みたいに目が合ったら困るしもうそろ授業に集中しようかな。

私は心の中で溜め息をついて視線を前に戻す。


教卓ではキノちゃんが何やらごそごそ手を動かしていた。

その手の動きはうきうきとしているように見える。


私はキノちゃんのようには授業を楽しみにはできていない。

まだ先週のことを引きずっているからだと思う。


登校はしているが来たいとは思ってない。

今だって金曜の六限なのだ、終わったら帰れると思うとさっさと授業が終わってくれと願わずにはいられない。

暗い気分のまま教卓を見ていると、キノちゃんが私たちの前に様々な柄の布を置いた。


これを使って今日は授業をするらしい。

先週もお裁縫をやると言っていた気がするからそうなのだろう。


「さ~て本日はね、初実習ということでエプロンをつくりま~す」


キノちゃんが声高に今日の授業内容を言う。

私はそれを聞いた時、先週の私なら思いもしないことを頭に浮かべていた。


エプロンか……面倒くさいな……


趣味の範囲でしかないけれどソーイングは得意、つまりこの授業内容は私にとても合っているはずだ。

それなのにちっともやる気が湧いてこない。


「それじゃあ二人とも好きな布選んで~私はこのスミレの布にしよっかな~」


弾んだ動きでキノちゃんが宵闇を思わせる綺麗な色の布を手に取った。

私は目の前にある布の山に目を向ける。


今ここで授業を受けたくないとか考えても意味がない。

なんとなくでいいから授業を進めとこうかな。

私は自分に言い聞かせ、目に付いた少しくすんだ水色の布を手に取った。


「あ、私はこれにします……」


水色は私にとって落ち着く色合いをしているから好きだ。

水色にしてはぱっとしない布だが無難な選択だと思う。


「ん、いいね~水色、まさくんなら似合うと思うよ~」


私よりも似合う人なんて無数にいると思うが、褒められるのは素直に嬉しい。

なんだかんだキノちゃんは気配りできる良い先生みたいだ。


「みずきちゃんはどれにする~?」


キノちゃんの声で隣の方を向いてみる。

私の視線の先、月渓くんは一枚の布を手に取って見つめていた。


「あらその布、可愛いじゃ~ん」


彼が見ていたのは向日葵があしらわれた黄色い布。

その布からは私の選んだものとは正反対の印象を受けた。


黄色は恐らく誰が見ても明るい色だと認識するだろう。

私はそれと同時に輝やかしいという印象も受ける。

その印象のせいかどことなく眩しい月渓くんにはとても合う気がした。


「別に、選ばねぇから」


月渓くんはそう言うと、ぽいっと布の山に黄色の布を戻してしまった。

あれ、選ばないのか私は似合うと思うがな。

それを見たキノちゃんの口元が意地悪そうに歪む。


「え~みずきちゃん似合うと思うんだけどな~」


私も同意見だがキノちゃんは何でこういう時に突っかかるのだろうか……

似た下り先週もあったし、その後はあまりよろしい雰囲気にならなかった気がするのに。

私にも飛び火しそうだから月渓くんをあまり刺激しないでほしい……


「チッ」


ほらぁ、この人怒らせると怖いって……

キノちゃんにさっき気配りできるなんて思ったけど、本当は何も考えてないのかもしれない。

隣にいる私のこともっと考えて発言してほしいよ……


「みずきちゃんその布にしなよ~私はそれ絶対似合うと思うんだけどな~」


「嫌だ、俺には合わねぇ」


更に煽るキノちゃんに月渓くんが反抗する。

うわ、今の状況はやはりよろしくない。

段々と嫌な空気になってる……


「え~向日葵嫌いなの~?」


「今嫌いになった」


「それは嫌いって言わないよ~だからさっきの布にしよ~?」


「嫌だね」


どうやらキノちゃんは月渓くんに黄色の布を選ばせたいらしい。

一方で月渓くんは黄色が嫌、というよりはキノちゃんの指示に従いたくないだけのように見える。


これはどっちかが折れるまで続きそうだ……


予想はあたり、その後もキノちゃんは執拗に黄色の布を勧めた。

それに対し月渓くんは無視をし始める。


授業が遅々として進まない……

そう思い、私が何か声をかけるべきか考え出した頃、キノちゃんが強硬手段を敢行した。


黄色の布を残して置いてあった布の山を全部片付けてしまったのだ。

これには先程から無視を決め込んでいた月渓くんも反応せざるを得ない。


「は?何してんの?」


「見ての通りだよ~」


キノちゃんの穏やかだが破壊力抜群な言葉が聞こえた。

選択肢を軒並み消された月渓くんの唇がわななく。

これはまずい……


この状況を作り出した当の本人はすました顔をしている。

そんなキノちゃんを凄い剣幕で睨む月渓くん。

この後の展開なんて容易に想像できる。


私が止めないと……


私にしてはありえないほど積極的な思考が頭に浮かぶ。

別に正義感だとか善行のつもりはない。

ただ私が平穏でいたいだけだ。


それに、止めると言っても何をすればいいかなんて全く知らない。

今の状況から考えると、月渓くんが黄色の布を選びやすい環境にするのがベストか……?

うぅ、どんなこと言ってあげたらいいかなんて私にわかるもんか。

とりあえず私は、月渓くんをそれとなく褒めてみることにした。


「つ、月渓くんが黄色の布使うなら私もチャコペン黄色のを使おうかな……なんて……」


キノちゃんと月渓くんが同時にこっちを向く。

二人は驚いたように目を丸くして私を見た。

続けて私は必死に言葉を紡ぐ。


「や、やっぱ私なんかじゃ黄色合わないよね……その、月渓くんみたいに輝いてる人じゃないと……」


頭で思っていることを素直に言ってみたのだが、どうにもどもってしまった。

そんな私をキノちゃんと月渓くんはぽかんとした表情で見つめている。


この場を収めようと私なりに頑張ったんだけど、慣れないことはするもんじゃないな……

私は二人に注目されている今の状況が恥ずかしすぎて顔を俯かせようとした、

その時……


「チッ」


月渓くんが舌打ちをした。

私の身体がびくっと震える。

やっぱり出しゃばり過ぎたんだ……


「はぁ……何だよ、その布にすりゃいいんだろ」


月渓くんが面倒くさそうに言って、目の前に置かれていた黄色の布を乱暴に取る。

キノちゃんを一瞬睨んでからすぐさま不貞腐れたように窓の方を向いてしまった。


腕と足を組んで明らかに不機嫌な月渓くん。

しかし、いつの間にか教室に漂っていた嫌な空気は消えている気がする。


前を見てみるとキノちゃんが私にサムズアップしてきた。

いや、確かに事態は収まったかもしれないけど、キノちゃんあなた何もしてないからね……

というか悪い方へと向かっていったのはあなたのせいよ?


まぁでも、この場は落ち着いたから良かった。

私はキノちゃんにサムズアップを返してあげる。

私の中にあったもやもやは、教室の嫌な空気とともにどこかへ飛んでいったようだ。


私は少し晴れた気持ちで深呼吸する。

すると、大きく息を吸った拍子に教室の時計が目に入った。

時間は午後三時を少し回っている。


ふむ、ん……?


六限は確か十五分には終わるはずで……

ということは残り時間は十分程しかないのであって……

あ、これってまだエプロン作りに使う布選びの段階じゃん。


「はぁ……」


私は吸った空気を溜息に変えて吐き出す。

金曜の六時間目は前途多難だ。

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私と俺の六限目 六六三 @663

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