蜘蛛による引きこもりカウンセリング

スケキヨに輪投げ

蜘蛛による引きこもりカウンセリング

『なあ、窓を開けてくれよ』


 部屋の隅で厚かましくも自分のスペースを確保しているジョロウグモが、俺に話しかけてきた。


「暑いから嫌だよ」


 年々暑くなっていく夏のせいで、常にエアコンを稼働しなければ蒸し焼きになってしまう。たまに掃除をしなきゃいけないから窓を開けるけど、1週間に1回くらいだ。


 この蜘蛛は昨日窓を開けた時に入ってきたんだろう。巣を作り始めたところで気づいたが、面倒臭いので放置していた。今日になって話しかけてきやがった。


 なんとなく、俺から話題を振ってみる。蜘蛛とはいえ、ルームシェア相手と沈黙が続くのは気まずい。


「お前って普段何してんの?」


『何って、巣の掃除とか、模様替えとか、色々やってるよ』


 彼なのか彼女なのかは分からないけど、この蜘蛛は3日前からここに巣を張っている。家主である俺の許可もなしに。


「引きこもりじゃん」


『お前に言われたくないよ、ワタシは生きるためにこうしてんの。お前こそ今日も部屋から出てないだろ。仕事してんのか?』


 まさか蜘蛛に説教されるとは思わなかった。反論したいけれど、無職なのは図星だから言い返す言葉も選ばなきゃいけない。


「俺だって生きるために部屋にいるんだよ、お前と一緒だよ」


『飯とかどうしてんだよ、人間は部屋の外に出ないと飯も食えないんだろ?」


 蜘蛛のくせに人間の生態に詳しいのか。最近の蜘蛛は物知りなんだな。


「今はネットで注文すれば部屋の中にいても飯が届くんだよ。便利だろ?」


 実際は母さんが作ってくれている。俺は何もしていない。


『ネットで注文?人間が糸を使って飯を手に入れるのか?どうやって?』


 ああ、こいつ勘違いしているな。スパイダーじゃなくてインターだ。


「ネットっていうのは……そうだな、他の部屋と連絡が取れるんだ。他の部屋にいる人に、飯を届けてくれって頼むと、飯が届く」


『へえ、人間は他人のために飯を届けるのか。随分とお優しいんだな。ワタシみたいな蜘蛛は、ある程度成長したら自分で餌を取りに行かなきゃいけないんだ、風に乗って、どこへともなくな。お前はまだ成長しきっていないんだな。悪かったよ、これから大変だろうけど頑張れよ』


 やばい、めっちゃ刺さる。こいつと会話するのは辛い。


 俺は会話を打ち切って不貞寝した。蜘蛛はその後も何やら話しかけてくるが、無視して俺は眠りについた。




 ◽️◽️◽️




 あれから3日経った、蜘蛛は最近大人しくしている。なんとなく気になったので蜘蛛に話しかける。


「最近静かだな、どうした?」


 蜘蛛の表情なんて俺には分からないが、なんだか元気がないように見える。


『体力を温存しているんだよ、この部屋は獲物が中々かからないからな。あー失敗したぜ』


 どうやら最近飯を食えていないようだ。可哀想だし外に出してやろうかな。


「外に出してやろうか?」


『もう遅いな、新しく糸を張る体力がない。ワタシの体力が尽きるか、今の巣に獲物がかかるか、どっちが先だろうな』


 嘘だろ、俺が部屋を閉め切ってエアコンで涼んでたせいで、こいつは死んじまうのか。


「この部屋には獲物は来ないと思うぞ、窓を開けっぱなしにしても」


『そうか、じゃあ近いうちにワタシは死ぬだろうな』


 死ぬ?こいつが死ぬ?


 俺が引きこもってもう2年が経つ。その間俺が会話したのは母親と、この蜘蛛だけだ。他には誰も、俺のことを気にしたりしなかった。


「待ってろ、何が食いたい?」


『腹一杯、トンボが食いたいな。でもあいつは意外にも巣を避けるんだ」


「トンボだな、分かった」


 何年も前に買ったヨレヨレのTシャツを衣装ケースの奥から引っ張り出す。下は、くそ、長いジャージしか見つからない。暑いだろうが、トンボなんてどこにでもいるだろうし、すぐ捕まるだろ。我慢しよう。


 部屋を出て、玄関へ向かう。俺の靴はどこだろう。玄関に来ること自体久しぶりだから、探すのに手間取る。靴箱の奥にスニーカーがあった。よし、これで外に出ていける。


 玄関を出たところで後ろから母さんに声をかけられたが時間がない。「ちゃんと戻るよ」とだけ返して、俺は気温38度の地獄へと足を踏み出した。




 ◽️◽️◽️




 トンボなんてどこにでもいるだろうと思っていた俺を殴りたい。確かに気がつけばいるのだが、探すとなると見つからないものだ。


 夏の暑さが俺の体力を奪う。まともに外に出ていなかったせいで運動不足だ。すぐに息が上がってしまう。おまけに髪を切っていないから、背中まで届きそうなだらしないロン毛が鬱陶しい。前髪をいくら払っても視界が遮られる。


 トンボって普段どこにいるんだろう。水辺とかでたまに飛んでいるのを見かけるから、公園にでも行けばいいだろうか。


 近所の公園についてから、噴水に向かう。今日は日曜日かもしれない。子連れの親子が散歩やら、水浴びやらを楽しんでいる。


 何組か、こちらを警戒するように俺をチラチラ眺めている。


 今の俺の姿は、めちゃくちゃロン毛で、寄れたTシャツを着た、季節に合わないロング丈のジャージを履いた男。不審者に見える人もいるだろう。仕方がない。人の目より、今はトンボだ。蜘蛛の命がかかっているんだ。


 俺は当たりを見回してトンボを探す、トンボ、トンボ。見つけた!ベンチの上に止まって羽を休めている。好都合なことに今は人がいない。


 近寄って距離を詰めてから、少しずつにじり寄る。トンボは動かず、ベンチに止まったままだ。俺の間合いに入った。今だ!


 上手くトンボを捕まえることができた。これであいつが死ななくて済む。

 それにしても、蜘蛛は喋るのにトンボは喋らないんだな。恨まれ、罵られるのを覚悟で捕まえたけど、俺の良心が受ける傷が浅くて済んだ。


 俺の奇行のせいで周囲の視線が増している気がするが、どうでもいい。早く家に帰ってあいつに食べさせてやらないといけない。


 俺は、髪を振り乱して、真夏の公園を走った。右手にはトンボを持って。30代のおっさんが、嬉しそうな顔をして。




 ◽️◽️◽️




 その日以降も、俺は蜘蛛の餌を取りに外へ出かけた。暑いから髪は切ったし、動きやすいように短パンも買った。捕まえた虫を入れるためのタッパーを片手に、真夏の日光を浴びた。


 蜘蛛は美味しそうに俺のとった虫を食べる。「これがネットっていうやつか、やっぱり人間は便利なんだな」なんてことを言う。おかしくて、俺は腹を抱えて笑った。いつぶりだろうか、こんなに心の底から笑えたのは。


 俺が外に出て5日経って、蜘蛛が俺に礼と、そして別れを告げた。


『お前のおかげで助かったよ。そろそろ体力も回復したから、出ていくことにするよ。邪魔したな』


「もう少しいたらどうだ、餌なら俺が取ってきてやるからさ」


『餌っていうのは、与えられるばかりだと、自分で取れなくなっちまうんだ。生きていくためにもワタシはここを出るよ』


「……そうか、そうだな」


『世話になったな』


「俺の、セリフだよ」


『……?よく分からないが、じゃあな』


「達者でな」


 開け放たれた窓から、蒸し暑い空気が部屋に押し入ってくる。


 蜘蛛はもう何も言わずに、窓から外へと出て行った。強者渦巻く、弱肉強食の世界へ。


「次は俺の番だな」


 俺の部屋の隅に残ったあいつの部屋は、片付けずにもう少しだけそのままにしておこう。


 暑い夏を思い出すのに、都合がいいからな。







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