⑤
「それから連絡とらなかったんですか?」
彼は聞きにくそうにコーヒーを飲みながら、尋ねた。
「・・・うん、スマホとか全部解約して旅に出ちゃったからね。連絡の取りようがなかった」
美和子は就職活動をその後やめて、絵に打ち込んだ。
何をしたいのか、納得できる場所に行くと決めて、色んなことにチャレンジした。
そして、美和子は今絵本の編集の仕事をしている。
絵を描くことも好きだが、絵を描く人をサポートする仕事をしたいと思うようになったからだ。
それでも美和子は、事あるごとに公園へ行ってイチョウの木を描くことはやめなかった。
秋が来れば何日も通ってイチョウの黄色を描いた。
イチョウの絵が2枚、3枚、5枚、10枚と重ねても智希は帰ってくることはなかった。
「共通の友人もいなかったんですか?」
「うん。二人ともぼっちだったし。・・・でも一度だけ、彼のアルバイト先に行ったことがある。もしかしたら彼の連絡先がわかるんじゃないかと思って」
智希が海外に行って1年が経った頃、どうしても智希が元気にしているのか気になって、バイト先を訪ねてみることにした。
智希のバイト先は、カフェ&バーで昼間はカフェ、夜はバーになる。
夜に行く勇気はなくて、昼間に店の前まで行った。
おしゃれなカフェでたくさんの女子大生やカップルでにぎわっている。
「結局、店の中に入れなかった」
「どうしてですか?」
「だって、もしかしたら智希は私を忘れたかもしれないし、彼女が出来てることだってある、そう思ったら勇気が出なかったのよ」
コーヒーを一口飲む。
「あの頃は、傷つくのを怖がる子供だったのよ。いや、今でも・・・かな」
コーヒーの苦みを美味しく感じられる歳になっても、臆病なのは変わらない。
「探そうと思えば探せるはずなのにね。探偵を雇ってもいいし、自分が尋ね歩いてもいい。きっと会える方法はあるのに、傷つくのが怖くて逃げてばかり。これじゃウサギと一緒ね」
「ウサギ?」
彼はきょとんとした顔をしてこっちを見ている。
「えぇ、ウサギと一緒」
美和子は少し微笑むと、もう一口コーヒーを飲んだ。
カフェを出ると、風が冷たい。
トレンチコートをきゅっと前で留める。
秋が終わろうとしている。
「じゃあ」
彼が軽く手を挙げて去っていく。
美和子は背を向けると、家に帰り、パステルを手に取った。
いつもの公園に行って、ベンチに腰掛ける。
冷たい風がすっと吹いて、羽織っていたストールを羽織り直す。
美和子はベンチに触れる。
右隣には智希はいない。
美和子はスケッチブックを開き、パステルを手に取ってイチョウを描く。
葉っぱが風に吹かれて、舞っている。
今年のイチョウを描けるのもこれが最後かもしれない。
いくら描いてもイチョウの黄色を納得できる色で描くことは出来ない。
何かほんの少しだけ違うのだ。
しばらく描いて、スケッチブックを横に置いた。
美和子は、イチョウをぼんやりと見つめた。
(イチョウの色を人間が描くなんてできないんだ)
その答えが美和子の心にストンと吸い込まれた。
なぜか風景がゆがんで見える。
温かなしずくが手に落ちる。
智希と初めて会った日からずっと恋をしていた。
不器用で素直になれない恋だった。
間違いなく人生初めての恋だった。
懐かしいたばこの匂いがする気がした。
振り返っても誰もいない。
美和子はスケッチブックを閉じると、静かにベンチから立ち上がった。
First Love 月丘翠 @mochikawa_22
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