智希と出会ってからあっという間に1年が経ち、美和子はもう少しで3回生になる年になった。

今日は智希が興味があるという恐竜博覧会を2人で見に行った。その帰りにいつもの公園でベンチに座って、イチョウの木を描いていた。

イチョウの葉はまた黄色くなって、風がふくとひらひらと落ちていく。

「なんか線に迷いがあるな」

「え?」

「何か悩みでもあるのか?」

美和子はパステルを置くと、「はぁ」とため息をついた。

「就職のこと考えると憂鬱で」

「そんな時期か」

「うん。どういう方面に進みたいとかインターンでどこいくとか考えなきゃいけないんだけど、やりたいことがわからないんだよね」

「絵の関係の仕事の就きたいんだろ?」

「うん・・まぁそうなんだけどね。美術館とかは就職先自体が少なくて難しいし、デザイン系の仕事は花形だから競争率高いし、そもそも私は趣味で書いてるだけだから」

智希はタバコに火をつけると、軽く吸ってふぅーっと吐いた。

「なかなか難しいんだな」

「うん・・・」

「絵を描くことは仕事にできないのか?」

「私レベルじゃ難しいかな」

冷たい風が吹いていく。

イチョウの葉がまたハラハラと舞った。

「智希はどうするの?」

「俺?俺は、どうすんだろなぁ」

「いつまでもこのままってわけにはいかないでしょ?」

「まぁな・・・ゆっくり考えるさ」

たばこの煙がふわっと空に浮かぶ。

「親は何も言ってこないの?」

「別に何も。俺たちに迷惑かけんなよって感じで遠巻きで見てるって感じだな」

「そっか」

美和子はなんといっていいかわからず、またパステルを手に取った。


そこから冬になってあっという間にイチョウの木はまた寒そうな姿になり、温かな風が吹くようになって、イチョウはまた明るい緑の葉を出し始めた。

美和子は就職に向けて動き出した。

何をしたいのかわからないままに、気慣れていないスーツで街を歩く。

履きなれないパンプスで足が痛い。

「わが社を志望した理由は?」

「御社のグローバルな視点に立った経営戦略・・・・」

思ってもないことを口に出す。家に帰ったら、機械のように何度もエントリーシートを作って提出する。

気づいたら、パステルに触れる回数も減っていた。

そんな中で唯一の癒しが、智希と話すことだった。

よくいく居酒屋で乾杯すると、智希がじっとこちらを見てくる。

「最近疲れてるんじゃね?」

「ちょっとだけね。でも全然大丈夫」

「ならいいけど」

智希は相変わらず金髪の髪で何も変わらない。

変わらないでほしいと思う反面、就職しなければという焦りもなく、自由な状況が羨ましくもある。

「今度の日曜なんだけど、面白そうな美術展やってたんだけど、どう?」

「あー、その日はちょっと」

「そっか。わかった」

「ごめんね」

「気にするな。またの機会にいけばいい」

しばらく話をすると、居酒屋を出た。

春が近づいているけど、夜になるとまだ寒い。

智希の横に並んで歩く。

触れられそうな距離にある手が横で揺れている。

歩いて揺れる度に触れそうだ。

寒いのに頬だけ熱くなっている気がする。

「今日はこのまま帰るか」

「公園行かないの?」

「美和子疲れてそうだし、今日は冷えるしな」

智希がすっと前を歩く。

手がほんの少し遠くへ行ってしまう。

「うん・・そうだね」

美和子がふぅと息を吐くと白く濁っていった。


それから美和子はさらに忙しくなり、智希と会えない日が続いていた。

なんとか就職を決めるために必死になっていた。

やりたいことは置いておいて、とにかく受からなければと気持ちが焦る。

親から夢を見ずに決めてほしいとはっきりは言わないが、そう思っているのが伝わってくる。

何より、就職さえ決まれば智希ともまた会える、好きな絵もまた趣味で描ける、そう思っていたのもある。

ただどれだけ頑張っても、“貴殿のこれからのご活躍をお祈り申し上げます”というメールばかり届く。

(気持ちが折れそう)

美和子がため息をついていると、スマホが震えた。

開いてみると、智希からメッセージが来ている。

“美和子、話したいことがある。今週末会えないか?”

手帳を広げて予定を確認すると、面接が入っている。

“ごめん。その日は難しい。電話じゃダメかな?”

しばらく経って、“それならまたの機会でいい”と智希から返事が来ていた。

話したいことがあるという言い方が気になったものの、今は就職先を見つけることを優先しなければならない。

美和子はスマホを閉じて、またエントリーシートを書き出した。


それからしばらく経って、やっと予定を合わせて智希と会うことができることになった。

もう季節は初夏で、気温がぐんぐん上がっていた。

美和子はスーツ以外の服を久しぶりに着るような気がして、おしゃれに着飾った。

いつもの公園で待ち合わせて、美和子の大好きなイチゴタルトを食べに行く予定だ。

いつもの公園に着くと、智希はベンチに座っていた。

「智希」と声をかけると、智希が振り向いて軽く手を挙げた。

「いつも智希早いね」

「イチョウの木を見たくなってな」

「もうすっかり葉っぱが生えそろった感じだね。緑で元気いっぱいって感じ」

「そうだな」

「もうすぐで就職決まりそうだから、今年の秋こそイチョウの葉を描いてみせるよ。智希も付き合ってよね」

智希はそれに答えず、タバコに火をつけた。

「・・・ごめん、それは無理だ」

「・・え?」

「俺、来月から海外に行くことにしたから」

「海外?」

心臓の鼓動が早くなって、体温が下がったようなスッと覚めるような感覚になる。

「うそでしょ?」

「・・・嘘じゃない」

「そんな急に、だって」

「バイトの先輩に誘われたんだ、一緒に世界を回ってみないかって」

「やりたいことないって言ってたじゃない」

「あぁ、今もやりたいことが何かはわからない。わからないからこそ、世界をみて考えたいって思ったんだ」

世界がゆがんで見える。

智希の顔もゆがんではっきりとは見えない。

「先輩はカメラマンになるのが夢で、お金をためては世界を回ってるんだ。やりたいことないなら一緒に世界をみたらいいって誘われて、迷ったけど行きたいって今は思ってる」

「・・そんなの知らない」

子供のような言い方になってしまう。

わかっている。

もう智希の気持ちが決まっていて変わらないことも、送り出すべきなのも。

でも、

「智希は自由すぎるよ!就職を決めなくても親に何も言われずに自由に生きて、私は行きたくもない就職先さえ落ちて傷ついて、夢なんて追う余裕もない」

美和子はうつむいて泣きじゃくるしかなかった。

「・・・智希だけずるいよ」

智希はタバコの煙をふぅと吐いて、「美和子、ごめん」とつぶやくだけだった。


そこから美和子は智希と連絡を取ることもなく、淡々と日々を過ごしていた。

自分が悪い、謝るべきだと思って、スマホを開いても閉じてしまう。

今更何と言っていいのかわからなくなっていた。

スマホがぶるぶると震える。

スマホを開くと智希からのメッセージが来ていた。

“明日出発するから最後にいつもの公園で会えないか?”

美和子はスケッチブックをつかむと、家を出た。


美和子が公園に着くと、智希はいつものベンチで待っていた。

「智希・・・」

「よっ」

智希はタバコを片手にひょいと手を挙げた。

「あの、この前は」

「いい、それは」

「でも」

「わかってるから、美和子の気持ちは」

智希はタバコの火を消すと、イチョウの木の方をみた。

「前に絵本の展覧会に行ったの覚えてるか?」

「覚えてるよ」

「俺さ、多分ウサギと一緒だったんだよな。友達なんて作ろうと思えばきっとできたはずなのに、ここにいたらいけないってウサギは逃げ出して旅に出た。俺は勉強ばっかして、友達もいなくて、幸せが何かわからなくなって、全部捨てて、自分勝手に自由に生きるようになった。幸せとか自由とか一歩踏み出せばいつだって手に入ったのに、俺は周りのせいにして逃げてた」

風にゆられてイチョウの木がわさわさと音を立てて揺れている。

「そんな時、一生懸命に現実と向き合いながら頑張ってる美和子に会った。初めて美和子の絵を見た時、温かい感じのする絵だなって思って、声をかけた。その後美和子のことを知っていって美和子の人柄が絵に出てるんだなって思ったよ。就職活動も本当は辛いのに、俺に気遣って何も言えなかったんだろ?それで気づいたんだよ、俺このままじゃだめだなって」

「そんなことないよ」

「いや、気を使わせて愚痴の一つも言わせてやれないなんて、男としてダメだなって思った。それで先輩の話にのったんだ、俺もウサギのように旅にでようかなって。でも逃げるんじゃなくて、自分を変えるために行こうと思ってる」

涙が出そうになって空を見上げて、目をぱちぱちする。

「智希、これ」

スケッチブックから絵を2枚ちぎると渡した。

「これはイチョウの絵?」

「1枚目は出会った時の、もう一枚は去年のだよ」

「・・・ありがとう」

「きっと私、絵を描き続けるから。イチョウの黄色が描けるようになるまで絶対描き続けるから、描けるようになったらまた絵を見てよ」

「あぁ、約束する」

美和子の瞳からこらえきれずに涙がぽろぽろとこぼれる。

智希は優しく手で拭きとると、そっと美和子の口づけをした。

智希のいつものタバコの匂いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る