“明日の夜、空いてますか”

美和子が仕事終わりにスマホを開くとメッセージが来ている。

“ごめん、その日は”と打ちかけて消すと、そのままスマホを閉じた。

美和子は、すっかり暗くなった街中をゆっくり歩いて駅に向かっていると、カップルが前を歩いているのが目に入った。

付き合ったばかりだろうか、触れそうで触れられない手の距離感がすごく初々しい。

“相手も同じことを思ってくれているって信じることは、一番難しいことかもな”

智希がそんなことを言っていたことを思い出した。

あの日は、大好きな絵本作家の絵が美術館で展示されると聞いて見に行ったのだ。


「私の方が遅かったね、私から誘ったのに。ごめん」

美和子が待ち合わせ場所につくと、智希はすでに待っていた。

「俺が早く来ただけだから。集合時間の10分前だし」

智希は白の薄手のニットに黒のライダースジャケット、黒のパンツを履き、サングラスをしている。美和子は背が低くて華奢なタイプなので、余計に智希のいかつさが目立っている。

二人で並んで歩く。

雨が降っていて、傘をさしているので、少しだけ距離がある。

自分より高い位置にある肩が目に入った。

動物園の帰り道、電車の中で揺れる度に少しだけ触れる肩がなんだか恥ずかしかったのを思い出して、少し照れてしまう。

「おい、聞いてるか?」

「え?何?」

「昼、食べたいものある?」

スマホを取り出して調べようとしているようだ。

「気になる店があるからそこでもいい?」

「おぅ」

美術館に着くと、チケットを買って中に入っていく。

美術館は絵本の世界が表現されていて、わくわくさせられる。

絵本は一人ぼっちだったウサギがケガをしていた小鳥を助けるところから始まる。

小鳥も同じように一人ぼっちで友達が欲しくて旅をしていると聞いて、ウサギも一緒に

旅に出る。寂しがりな蛇や親切なクマの夫婦に助けられたりしながら、旅を続けて数年が経った時、小鳥が年のせいか飛べなくなる。小鳥は友人探しの旅を続けるようにウサギにいうが、ウサギは“友達はもう見つかった”と小鳥を優しく抱きしめる。

この絵本には悪いキャラクターは出てこない。

とにかく優しい世界で、それが色鉛筆で繊細なタッチで柔らかく描かれている。

端の方に書かれている物語とは関係のない虫や花まですごく可愛らしい。

美和子は夢中になって絵を見ていたが、ふと前を見ると智希が絵をじっくりと見ている。

金髪のいかつい男が絵本の絵をじっくり見る姿は異質だ。周りの人もチラチラ見ていたようだが、気づかないほど智希も夢中になって絵を見ているようだ。

美和子はなんだかほっこりして、再び絵に目を戻した。


「2時間も見ちゃったね」

美和子がそういうと、「あの絵は見ちまうよな」といってカフェのテラス席で智希はタバコに火をつけた。

「で、来たかった店ってここ?」

「そう。今日の絵本展にぴったりだと思って。ちょうど雨あがって良かったよね。テラス席空いてたし」

このカフェは絵本の中にあるカフェをイメージした作りになっていて、SNSで話題になっていて女子に大人気の店だ。

特に庭が可愛らしく、テラス席が一番人気の席だ。

「いや、店内に男が俺しかいないんだけど」

「あー…、まぁそうだね。でも大丈夫だよ、男はダメとは書いてないし」

「いや、まぁそうなんだけど」

そんな会話をしていると、ケチャップでウサギが書かれたオムライスが2つ運ばれてくる。

「これ、絶品らしいよ」

たばこの火を消すと、無言で食べると「・・・うまい」と小さくつぶやいて、その後は黙々とオムライスを口に運んでいる。

「よかった」

一粒の米も残さずに食べ終わると、食後のコーヒーとカフェラテが来る。

「美和子コーヒー飲めないのか?」

「あぁ、うん、苦みがね」

「お子ちゃまだな」

「いやいや、カフェラテは大人の飲み物だから」

そう言ってカフェラテを飲むと、まろやかなミルクとほんのりとした苦みを感じる。

「あの絵本のウサギはさ、最初の方で気づいてたよね。小鳥がもう友達だってこと」

スプーンでカフェラテをくるくると混ぜる。

「でも友達だって言ったら旅が終わるから、小鳥と旅をしたくてきっと黙ってたんだよね」

「・・・それは小鳥も同じだろ」

「え?」

「小鳥は友達を探す旅を続けてと言いながら、君が友達だと言ってくれるのを待ってたんだ。本当は自分も友達だって思ってるのに、否定されるのが怖くてそういう言い方になったんだ」

「そういう見方もあるね」

「相手も同じことを思ってくれているって信じることは、一番難しいことかもな」

「気持ちは見えないもんね。相手の言う言葉と態度を信じるしかない」

タバコに火をつけると、軽く吸ってふぅーと煙を吐き出す。

「そこが揺らぐから、気持ちがすれ違って喧嘩したり、諍いが起こる」

「信じることが世界を救うのかも」

美和子がそういうと、「話が飛躍しすぎな」といって、智希は笑うと空を見上げた。

「もうすぐ冬がやってくるな」

「うん」

美和子はカフェラテの入ったマグカップを手で包み込んだ。

温かさが手に伝わってきた。


そこから智希とは月に2、3回ご飯に行くようになった。

そして帰りには必ず出会った公園に寄って、ベンチで少し話すのがルーティンになった。

イチョウの木はすっかり葉を落としてしまっている。

「葉っぱなくなっちゃったね」

「あぁ」

必ずこのベンチで智希はタバコをふかす。

「あの黄色が見られないって、なんかちょっと寂しい気がするね」

「安心しろ。また秋が来れば必ず見れる。・・・その時は」

「その時は?」

「あの黄色を描いてくれ、絵を描くのに付き合うから」

「・・・いいよ」

智希は照れくさそうにいつものように空を見上げて、ふぅーっとタバコの煙を吐き出した。


「この前はすいませんでした」

「いいよ、別に」

彼は、この前“そんないい男だったのか”と不躾なことを聞いたと反省しているらしい。

「美和子先輩の中にずっと残ってるくらいだから、素敵な方に決まってますよね。そう思ったら悔しくて、なんかすごい失礼な言い方しちゃって」

「素敵な方・・・って感じじゃないよ。いかつくて、金髪で、いつもタバコ吸ってて、ヤンキーって感じだったし。・・・でも優しくて繊細な人だった」

コーヒーを口に運ぶ。

いつの間にかこの苦みにも慣れてしまった。

10年経ったのだなと思わされる。

今彼に会えたら“大人になったな”って言ってくれるだろうか。

「やっぱりすごく素敵な方だったんですね」

「そんな」

「先輩の顔が優しい明るい顔になってますもん」

「そんなことないよ、やめてよ」

恥ずかしくてコーヒーを飲んで誤魔化す。

「でも、どうしてそんなに仲が良かったのに、別れちゃったんですか?」

彼はハッとした顔をして「すいません」と頭を下げた。

「ううん、別にいいよ。私たちは付き合ってたわけじゃないの。告白とかもなかったしね」

美和子はコーヒーの入ったマグカップを手で包み込んだ。

温かさが手に伝わってきた。

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