11話 「紫色の邂逅」


【階段】



「自制すればよかった・・・私のバカ。」


綱渡りのような足取りで慎重に階段を上がる。

山盛りのパンを抱え、気分はビールの売り子。

両手に抱えきれないパンは値段に換算すれば2000円以上になる。

胃袋に入りきらないのは目に見えているのに、ついつい財布の紐が緩んでしまった。

焼きそば、ジャム、チョコ、卵。

食堂のありとあらゆるパンを網羅し、軽く支店を開けてしまいそうだ。

甘いものに寄ったのは椿の好みである。

 

入学以来、お弁当のみで生きてきた椿。

平日昼間はすっかりお弁当の舌になってしまった。

故に学食という制度自体頭から抜けているようなもので。

――そして今日、初めて食堂に足を踏み入れ、


(見事に散財しちゃった・・・)


結果、月初めにして多額を溶かすという手品を披露した。

タネも仕掛けもないそれに、椿はため息を吐く。


にお裾分けしようと思って多めに買ったけど・・・買いすぎたかな?)


などととぼけているが、含めて2人でも到底食べ尽くせない量だ。


(――食べきれなかったら、モモにあげよ。)


モモ、スイーツ特攻で反芻動物並みの胃を見せつけるもんなあ。

悶々と友人のことを考えながら、傍でパンを落とさないことを考えつつ、階段の次段に足を掛ける。

ふくらはぎが疲労で鈍くなってきた頃、ようやく山頂に着いた。


「暗。」


埃をかぶって、前人未到の地といった様子で構えるは狭い空間。

普段人の立ち入らない秘境であるこの地は、一階下の四階とは比にならないほど人の出入りが少ない。

なんせここにあるのは教室でもなんでもない、ただの閑散とした――屋上のみなのだから。



【5階:屋上】



フィクションの中の屋上はかなり開放的なイメージがあるが、現実は勿論そんなことはなく。

屋上への扉は常に施錠されている。

が、何故かがいる時、扉は必ず解放されているのだ。


(今日はどっちかな・・・。)

 

錆びついた蝶番が油気ない嫌な音を立てる。

その音に耳を塞ぎながら、


「!開いた・・・!」


扉の隙間から目を焼く光に目を細めた。

そして、光の中にはいる。



「――嗚呼、来てたの。」



「――うん。来たよ。」



椿は彼女を見る度思う。

彼女はきっと、私にしか見えない煙だ。



 

୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈




風に乗って、仄かに漂う灰のかおり。

鼻腔を嬲るように痛々しく、それでいて自暴自棄。

椿の苦手な匂いだ。

それが空中に充満している中、煙雲を掻き分ければ彼女はいる。

佇まいはアザリアのように、それでいて丁寧に薄汚く。

害意の塊を、吸っていた煙草をコンクリートに投げ捨て、彼女は此方を向いた。


「何か、用?」


抑揚を感じさせない冷たい声が、椿の姿を認識する。

色を全てぶちまけたような彼女のカーボン色の瞳で覗かれると、椿は柄にもなく肩を震わせてしまった。


「あの、紫煙・・・サン、パンとか食べます?」


妙にドギマギして、ぎこちない日本語が飛び出た。

何も発さず感じず躊躇せず無頓着な、煙草で枯れた低い声が不気味で。


椿は「紫煙」と、煙草の煙の名を、そして彼女の名を呼ぶ。


「・・・アタシはイイ。さっき昼食は摂った。」


「ええと・・・その、それらしきものは見当たらないんだけど・・・」


「アタシにはコレの灰で十分なの。」


紫煙は先程落とした煙草の吸い殻を靴先で擦り潰し、声帯から掠れた声を漏らす。

一瞬は言葉の意味が分からず口を開きっぱなしの椿だったが、


「・・・・・・それ、美味しい?」


ようやく意味を理解し、その光景に背徳感を覚え目を逸らす。

椿がその行為を咎めたことはない。

吸い殻を踏みつける行為も、煙草の煙を口に含む行為も。

一般的な感性を持つ椿が、その危険性を知らないわけなかった。

保健体育の授業で散々聞かされてきたし、犯罪に当たるとも知っている。

だが椿は咎めない。

椿と彼女の摩訶不思議な関係性は、踏まず踏まれずの距離感で成り立っているから。

桃子との関係とは一風変わった、奇妙で気味の悪い距離感で。


彼女の名は水卜みうら紫煙。

大人びた風貌の目立つ、椿の同級生。

あと、多分頭がいい。

椿の知る彼女の情報は以上だ。


白磁の肌と、隈を覚えた蠱惑的な黒い瞳。

触れたら後戻りできなくなりそうで、椿は彼女に触れたことがない。できない。

梳かれた暗い紫色の、肩を起点にして外にはねた髪。

そして、意味深に巻かれた首と頭の包帯。

左頬のガーゼが取れたら、今度は右手に包帯を巻いているような少女だ。

今日は右頬にガーゼを貼り、十字形のテープで固定している。

全てを煙が巻いたように秘匿された彼女の素性を、椿は知りえない。

触れたら後戻りできなくなりそうで、椿は彼女に触れたことがない。できない。

 

(たまに、彼女といると思う。)


彼女はきっと、私にしか見えない煙だ。

私なんかが見るには身の丈が合わない、幻惑。

 

(たまに、思う。)

 

ーーある日ふと、彼女は煙だけ残して消えるのではと。


椿が彼女と出会ったのは、ただの偶然の産物だ。

語ることもないくらいにただの奇跡。

ある日屋上に行ったら、彼女を見つけただけ。

 

紫煙と出会ってからというもの、椿は定期的に屋上を訪れるようになった。

不思議なことに、椿は彼女を屋上以外で見かけたことがない。

一時は彼女が屋上にいる“地縛霊“だと失礼なことも考えたが、どうにも違うらしい。

彼女が語ってくれたのは、彼女がれきとした学園生であることと、2年C組に属するということ。


(クラスが違うならそりゃ見かけないよね・・・)


クラスが違うだけで出会わないのは違和感だが、可能性に目を向ければ“気が付かなくても良いこと”に気付いてしまいそうで、椿は人知らず目を逸らした。

彼女の秘密を僅かでも暴こうと考えれば、途端に廃絶するような関係性なのだから。


(余計な詮索は、しないほうがいい。)


 ――お互いのために。


「あ、あ〜そうだ!聞いてよ、私変な夢見たんだよ〜!」


今日の私は、どれだけ話題を転換すれば良いのだろう。

下手な芸も数打てば上達するかと思ったが、相変わらず話術は上手くならない。

屋上の奥に不健康なくらいスラリと立ちすくんだ彼女に、戯けた口調で近付く椿。

パーソナルスペースを慎重に見極め、“適度“を模索しながら。

紫煙は過度に接触されるのも詮索されるのも嫌う。

彼女が直接そう発言した訳ではないのだが、彼女のローンウルフっぷりからしてそうなのだろう。


「いやなんかね?駅で不審者に刺される夢だったんだよ。

 我ながら病んでるみたいな夢で笑っちゃったんだよね〜!

 しかも、それがループしてて・・・もしかしたら、現実のことかもなんて思ってて・・・」


椿のいう“夢“とは、朝から椿を悩ませているアレだ。

流行りのアイドルも、漫画も、音楽も、紫煙とは語れないから。

紫煙の好みや私生活、その一切を椿は知らない。

つまり、紫煙との共通の話題がないのだ。

椿の持ち合わせている中で、話題らしき話題はアレのことしかない。

強引な話題展開だが、紫煙は終始口を閉じたまま文句1つも漏らさなかった。

信じているのかいないのか、聞いているのかいないのか――。

脳面のような彼女の表情からは分からない。

次の煙草を取り出すため浮いた右手が止まっているので、耳には入れているらしいが。

 

(このこと、モモには言い出せなかったのに。紫煙には言えちゃった・・)


最近、椿は考えることがある。

その実、私がこの学園で最も重きを置いている人物は紫煙なのでは?と。

椿の取った行動は、それを裏付けしているようなものだ。

誰にも打ち明けられなかった事が、饒舌に口から出てくる。


(なんでだろう、紫煙なら――って。)

 

椿が紫煙には向ける感情が一体なんなのかは不明だった。

椿自身、具体的な名を付けることはできる気がしない。


(友情とか、尊敬とか・・或いは、)


「思って、何?」


出所のわからない違和感に襲われ、目を伏せた椿の鼓膜が震える。

紫煙のアルトが話の続きを促していることに喫驚し、椿は声が裏返りながらも


「――な〜んて!ちょっとしたツバキジョークだって!

 紫煙は最近見た面白い夢とかないの?

 私、夢占いとかかじってたから占えるかもよ!」


かじったと言っても、ほんと微々たる量の知識しかないけど。

椿が持ちかけた話題だが、続きを語る気はさらさらなかった為動揺が隠せず、更に話題を転調する。

紫煙がこの手の話題に興味を持つのは想定外。


(そもそも、紫煙が会話に乗ること自体レアだから・・・)

 

これまた強引なボールを投げたが、会話のキャッチボールは成立するのだろうか。

彼女の動向を窺う椿だったが、


「アタシの見る、夢・・・。」


延長戦に入った会話にパッと顔を明るくする。

紫煙との会話は基本断片的な単語で終わる。

椿と紫煙が同じ空間に居る時、会話の時間よりも無言の時間の方がずっと長い。

こうして彼女が返答してくれるのは稀だ。

今日は機嫌がいいのだろうか、なんて考え椿は続ける。


「そう!どんな夢見るの?」


「――面白いことなんてない。アタシの夢は、死体の上澄みたいな夢だけ。」


舌に氷塊を乗せたような声で、紫煙は胸ポケットから煙草を取り出した。

感情のない置き物のような、突き放したような声色。


(あ。)

 

平然と言ってのけてはいたが、睫毛に隠れた瞳に影がさしているのがわかる。

椿は急激に体温を失ったように凍りつき、


(あ、これは私にもわかる。

 ――地雷、踏んだ。)


壁を増やし冷たさを増した紫煙に恐れを抱く。

私の軽率な発言が、彼女にこんな顔をさせた。


「あ、その・・・えっと、」


――――ごめん。


滑るように出たのは、謝罪だった。

そんな顔させて、ごめんなさいという謝罪。


「なんで、謝ってるの?」


より凍った氷点下の声が、椿の心臓を突き刺す。

椿は、彼女が謝罪を求めてはいないことを遅れて理解した。


(私の知る夢占いには、死体の上澄って項目はなかったから、)


彼女にどんな顔を向けたらいいのか、分からなかった。

思い迷った椿は、


「・・・ごめん、私先に教室戻ってるね。」


もう一度謝罪が口をついていて、どうしようもない罪悪感に苛まれたまま屋上を後にした。

――紫色の邂逅は、最低最悪な形で終焉を迎える。

 

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