10話 「ようこそ2年A組」
【2年A組】
「あ〜あ、みんなやられてるねぇ・・・」
へろへろじゃん。
教室に乗り込んだ桃子の口から出た第一声である。
真っ先に目に飛び込んできたのは、虫のように机に膠着した人間達。
数秒間で固形を保てなくなるのではと椿が危惧したくらいだ。
次いで、ぽつりぽつりと入ってくる会話。
大半は暑さを訴える声ばかりだ。
エアコンの冷風が調和してはいるが、どうにも校則が足枷になっている様子。
「まあこの暑さならそりゃね、エアコンの温度なんか24度設定だし。
――24度ってやばくない?」
椿はエアコンの温度設定に目を見張り、自身の制服袖を折った。
才華学園の制服は、一端の公立高校とは思えないほど攻めたデザインをしている。
というのは前述しただろう。
制服目当ての受験生なんて他ではチラホラ聞く話だが、こと才華学園ではそんなことはない。
そもそもの知名度が低いのも理由として挙げられるが、何より令和の世とは思えない校則があるのだ。
「か〜っ!!っぱあちいよ長袖!」
1人の男子生徒の言葉を皮切りに、理不尽な校則を嘆く声が多数。
才華学園のとんでも校則というのは、“年中長袖を強制されること”だった。
(割とまじで意味わかんないよなぁ・・・)
支給される制服は全て長袖。
夏服?冬服?そんな概念は存在し得ない。
長袖のカッターシャツが、気持ちばかりに4着配られる。
ブレザーも2着なのだが、流石に冬まで箪笥の中で眠らせる生徒が殆どだ。
かといって極端に袖を捲し上げれば、生徒指導に小言を言われる始末。
生徒側に言わせれば全くもって意味不明だ。
なんたる理不尽、世が世なら生徒総出で一揆を起こしていた。
が、流石に令和の世。
エアコン完備というフォローによりなんとか革命を抑圧している。
――と、制服のお洒落さの代償はまさかの校則だったのだ。
こんなことなら、ダサい半袖芋ジャージでもいいから!
ドクロTシャツだって喜んで着るとも!
だから、だから長袖は有り得ないだろ!!
生徒は密かに不満を募らせていた。
確かに教室はこれでもかとエアコンの冷気で充満していて大変快適なのだが、外に出た途端どうだ?
熱気に晒され、汗でシャツが肌に触れまくって大変不快だ。どれだけ見た目の優れた制服だろうが、汗まみれでは意味がないというもの。
是非とも教育委員会と腰を据えて話したい一件だが、未だ直訴の例は聞いたことがない。
「みんなこの程度でへばっちゃうとか、鍛錬足りてないんじゃない?」
「――多分、モモがバケモノ体温なだけだよ・・・」
「そぉ?」
椿の半ば呆れた口を横向きの3にした桃子がゆったりと返す。
彼女が顎に手を当てれば、髪色のネイルと同調してフレンチが煌めいた。
カラスのようにその煌めきを追いながら椿は頷く。
「そお。みんなシャツだけで耐えきれないのに、モモったら・・・」
爪先から彼女の全身を追って一瞥。
彼女だけが数ヶ月前に取り残されたように、その服装は1年中変化を見せていない。
重厚なブレザーが肌を覆い隠し、完全なる包囲網を築き上げていた。
長袖のカッターシャツに輪をかけて暑そう。
制服の袖を捲ってもそこに腕などないのでは?と椿が勘繰ったほどだ。
一歩間違えば熱中症寸前の格好を維持するのは、彼女なりの外見に対する矜持だろうか。
椿としては、いくらどんな誉れがあろうが体に支障が出ない程度に収めてほしいものだが。
いつか不意にぶっ倒れてしまいそうで肝を冷やしているのはここだけの話。
「それもどういう原理なの・・・」
「え、知らない。運じゃない?」
「運が何もかも解決する魔法の言葉だと思ってるでしょ。」
閑話休題。
中身のない会話は高校生の特権だとは自覚しているので、言葉の無駄打ちは椿の得意分野。
一通り親密な人間に挨拶回りをし、不毛な会話をしてからお行儀良く着席。
座る際にスカートを崩さないよう撫でる仕草も板についてきた。
ホームルームが間近なのを察し、過半数が腰を下ろし始める頃合いだ。
斜め後ろの席に位置する桃子に椅子を傾けながら、椿は意味もなく小声で囁き合う。
他愛もない会話を続行していると、
「はいはい、お前ら席つけ〜」
とお決まりの台詞と共に男が現れた。
席についていないのは彼だけだが。
彼は椿らの、2年A組の担任である。
行事もないのにスーツを着て汗ばんでいるところから、彼もまた校則に苦しめられているのだと察した。
ちょっと同族意識が湧く。
――定刻通りに始まり、定刻通りに終わったホームルーム。
椿はその間バカ真面目に担任の言葉に耳を傾け、主に「今日も暑いから気をつけろよ」のような旨の注意を受ける。
周りの命知らず達は彼の忠告など微塵も聞かず、課題のプリントを終わらせるのに夢中だった。
椿だって今日が特別なだけで、担任の話よりも空に見えるひこうき雲の方がずっと気になるクチである。今日が稀なだけ。
隣の桃子を盗み見れば、大胆にもトップコートを塗り替えていた。
椿の視線に気付いた彼女は、
「あ、椿ち〜。今日って一限目何だっけ?」
「多分数学、あってるかは五分。」
「ok・・・五分ね。ウチも数学な気してきたわ。」
「お、まじ?モモのお墨付きなら絶対だね。」
教師の目も憚らず会話を持ちかけてくる桃子。
怖気付かずに返す椿も中々だが、椿らの担任は中年ながらに耳が遠いことで有名だった。
生徒たちはそこにつけ込み例え授業中でも会話をやめない。
そうして、微塵も椿たちの談話に気が付かないまま担任の有難いお話は終了する。
――数分後入れ替わりで入ってきたのは、数学の女教師だった。
୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈
数学。
英語。
家庭科。
社会。
230分が淡々と急速に過ぎ、いつの間にか気温が最高潮に達する昼間。
あれほど悪夢の影に怯えていた椿も、忌まわしい記憶をしまい忘却の彼方に放置していた。
背中の傷なんて覚えてもいないといった晴れやかな顔で学園生活を謳歌する。
椿はどちらかといえば楽観的な性格で、“気負いすぎないこと“こそ物事を解決する最強の手段だという持論を掲げていた。
故に切り替えも早く、桃子以外に彼女の変化に気付く者はいなかった。
「椿〜、今日の放課後って暇?」
そんな台辞が友人から飛ぶくらいに。
昼休み、チャイムの音を皮切りに教室がワッと賑わう。
椿がノートを一纏めにして机に向かって上下していると、笑顔の友人から声が掛かった。
笑顔といっても、何か企んでいるように含みのある笑顔だ。
放課後ファミレスでの談笑に月1、月2で誘われる椿。
今回もその類かと思い、
「――うん、暇・・・」
特に用も思い当たらなかったので乗ったのだが、直後口を紡ぐ。
(いや、外で友達と会うのって今は自粛した方がいいのかな・・・)
舞い戻った鬱慮で眉間に皺寄せした椿。
忘れかけていたが、例の男の脅威は消えていないのだ。
訳も分からないまま誘いに乗れば、この子たちも巻き込まれかねない。
1人での下校も気後れするが――第三者に迷惑を掛けるのはもっと気後れする。
「あ〜〜〜!?そういえば私、放課後は飼ってる蟻に餌あげなきゃで!ごめ、また今度ね!!!」
後ろめたいことなんてないのに、焦燥でうまく口が回らないまま捲し立てる。
――椿は、そら音で人を欺けるだけの器用さを持ち合わせていなかった。
咄嗟についた嘘はあまりにお粗末な付け焼き刃で、友人は訝しげな目で椿を追う。
それに耐えきれず、椿は逃げるように教室を飛び出した。
「え、ちょっと椿・・・?!」
困惑の最中置き去りにされた友人の、言葉尻が下がった声が遠ざかる。
脇目も振らず廊下を駆けているからか、周りの不審がる目も痛い。
勢いに任せた行動で痛い目にあっている椿は、
(やっちゃった〜!変なこと口走っちゃった!!
蟻飼ってるとかとんだ変態趣味じゃん!)
と、蟻好きの方々に怒られそうな言葉を並べながら猛省の意で肩を下ろした。
教室の数メートル先、階段下で息を整えながら、今更正式な言い訳を考え始める。
これなら、「野暮用があって」とでも陳腐な言葉で誤魔化せばよかった。
今頃、教室に残された友人は椿の行動に戸惑っているだろう。ごめん、マミコ。許して、マミコ。
「――はぁ。とりあえず教室には戻れないな。」
あの空気感の中戻っても、合わせる顔がないのは火を見るより明らかだった。
手持ち無沙汰で右往左往する椿だったが、教室に置き忘れたものの存在をふと思い出す。
(――そういえば、お弁当カバンの中に入れっぱなしだな・・・)
マミコよろしく置き去りにされたお弁当を想像し、頭を悩ませる椿。
椿の母親はとにかく家庭力のある女性で、料理洗濯掃除難なくこなす。
学食という制度があるというのに、態々手作りの弁当を椿に持たせてくれるまさに理想の母親。
椿がマザコンになるのも必然だろう。
呑気に爆睡する椿よりもずっと早く起床し、前もって用意していた食材を調理し、愛情込めて箱に詰める母親。
そんな母子の絆の結晶ともいえるそれを、椿はむざむざと置いてきてしまったわけだ。
(かと言って、今更戻るのも無理。
・・・今日は学食でパンでも買おうかな。)
空腹と罪悪感の2段構えで、胃が痛みを訴える。
ごめん、ママ。許して、ママ。
お弁当は今日の晩御飯に回そうと思います。
昼御飯は学食で済ますとして、
トイレでぼっち飯――は、流石にJkとしての“何か“を失う気がする。
せめてトイレ以外の場所で、なんてのは贅沢だろうか。
(取り敢えずこの階層にはいれないから・・・)
学園内のマップを朦朧と思いだし、避難場所に最適なポイントに目安をつけた。
思いつく限り最も安全圏なのは――
「今日、
――2年生の教室が並ぶ2階、その上の上の上。
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