9話 「桃色の瞬き」

 


莉乃椿りのつばき

全人類が約80億人以上いるというのに、少女はあまりに平々凡々が過ぎた。

1度見たら忘れられない人間というのは存在するが、椿はその類ではない。

寧ろ忘れられる側――特に印象に残る容姿でもなく、大層な肩書きも持ち合わせていない。

ただの、普通極まりない少女。


 

視界にひずみが生じそうなほどの炎天下。

――彼女はボブの白髪を、暑さに抵抗するようかき上げながら道端を歩いていた。

十人並な顔を引っ提げ、ロゼシャンパン色の両目を溶けそうなほどだらしなく細めて。

そうしてかき上げた髪から、瞳と同じインナーカラーが覗く。

更にぱっつん前髪の真ん中も、インナーカラーと同じ色でバツ印のヘアピンが鎮座していた。

ヘアピンにしてはかなりユニークな位置と付け方だが、これは椿なりの"キャラ付け"である。

なんら感想を抱かない並な体つきに平均的な身長。

魅力を見出すには少々苦労するほど、良くも悪くもどこにでもいそう。

しかしそんな厚みのない彼女にも奇抜な箇所があった。


「熱が籠って、内側が、灼熱に・・・」


長袖のパキッとしたカッターシャツに、ゆったりとした黒のプリーツスカート。

歩く度にずり落ちる肩紐を一歩毎に元来の位置に戻しながら、胸元のネクタイを結び直す。

スカートに揃えて黒色のネクタイ。剣先には洒落た校章がピン留めされている。

膝下の白いルーズソックスは上へと引き締まっていくデザインで、椿がぼやいているように熱が篭って酷く蒸れる。


一見すると私立の制服かと取り違うほど特別なデザインのそれは、至って普通の公立高校のもの。

家に届いたこの服を一目見た当初、都会の制服のハイセンスぶりに度肝を抜かれたのをよく覚えている。

はやる気持ちを抑えながら着込んで、両親に見せびらかしてたっけ・・・。

しかしそれも彼方、今はひたすらこの重装備を脱ぎ捨てたくて仕方がない。

心なしか足取りも鈍化していってるような。


(でも今は、この暑さが心地いい・・)


命あっての物種、この暑さもまた生の証。

暑さなんてなんのその。背の切創に比べれば、言葉の通り痛くも痒くもない。

この年にして暑さを傍受できる段階にまできてしまったか、と椿は達観し始めた。


端なく周りを見てみれば、数人が道の真ん中に点在している。

椿と同じ学園特有ネクタイを付けた学生たちが屍のように彷徨い歩いているのだ。

熱気で潰されそうになって猫背で闊歩するその様は、人間の貧弱さを体現したような姿であった。

人によっては耐えきれず制服の第二ボタンまで外している。

校則をものともしない大胆な行動だが、まだ学校外なのでセーフだと考えているのだろうか。


――どんな体勢にしろ、向かう先は皆同じ。

僅か数百メートルの視認可能距離にある巨大な建造物。

一新された住宅街の中、時代に取り残されたように年季の入ったコンクリート造り。

椿らが在学する高校、「東京都立才華学園とうきょうとりつさいかがくえん」である。

改めて字に起こしてみれば、名は体をあらわすばりに才華爛発な学校のように思える。

しかし、その実態は名実ともにただの公立高校。

偏差値54、名というメッキを剥がしてしまえば他と大差ない。スポーツ強豪校でもなければ、進学校でもない。

平凡な私に相応しい学校だ、と謙遜か曖昧な謙遜を呟く椿。

と同時に昨日も通ったはずの学校が、一ヶ月ぶりに見たように懐かしく感じた。


(やっと学校見えた!学校万歳!)

 

大半の学生ならば、登校とは鬱屈なもの。

「嵐で登校時間延長」なんて日には、不謹慎ながら両手をあげ涙するものだ。

勿論、嬉し涙で。

椿も例に漏れず嬉し涙を流す側なのだが、今日に限っては違う。

学校という安全が保障されたような場所で人に囲まれる。これだけでもう安心だ。

通学路にちらほらと同学年の知り合いが見える度、人の実感に安堵する。

世界が180度変わって見えるとはこういうことだろうか。

椿が悶々と思考をしていると、


「――あ、椿ちおはよぉ〜」


「え!?わたし!?ぉあ、お、おはよう!ほんと、ほんとに会えてよかった!」


「え、あ、うん。もしかしてウチ、戦争から帰ってきた?」


だいぶ拍子抜けしたあだ名で椿を呼ぶ声。

意識外からかけられたそれは、今日聞いてきた声の中で最も馴染みがあり、最も椿に友好的な声だった。

椿は周辺の温度感に負けない熱量を持って返答し、声の元へと振り返る。

――立っていたのは、制服姿の少女だった。


「てか暑いでしょ、シー〇リーズ貸したげる。」


照りつける日差しの中筒状のそれを掲げ、彼女は汗1つ見せず微笑んでいた。


 


୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈ ୨୧ ⋈




【学園内 廊下】


――所変わって学園内。

友人と合流した椿は、待望の学園入場を果たしようやく肩の力を抜いていた。

長らく気張っていた分だろうか、一気に疲労が襲いかかる。


通いつめた学園内はやはりどこもかしこも椿の記憶通り。

古びて、水を飲めばたまに鉄の味がする蛇口でさえ今は愛しい。

――それに。

椿は首筋に容器をかざし、1プッシュ分のメントールを存分に味わう。

貸し出した人間、もとい友人に


「あ〜涼し!これで教室着くまで蒸発せずに済んだよ・・・ありがと。」


茹だるような声で感謝を告げながら。

椿の隣で目を瞬かせるのは、彼女の友人にして同級生の少女。

表記を変えれば「結城桃子ゆうきももこ」。


名の通り桃色の内巻きボブの傍、左右で揺れる胸元まで伸びた縦ロールが可愛らしい彼女。

頭頂部では存在感のある黒いリボンが、動物の耳と見紛うほどの迫力で備え付けられている。

誘目性が際立つ向日葵色の瞳が暖色系のメイクで彩られていて、一層眩しい。

緩い弧を描く唇は、派手な外見に潜んだ彼女の人の良さの表れだろう。

本日初めての馴染みある顔ぶれだ。

この肩書きだけでも、椿の心に安息を齎すには十分すぎる逸材。

 

彼女と椿がこうして肩を並べる仲である理由は至って単純明快、「なんとなく」だ。

単純明快という四字熟語の意味合いを完全にすっ飛ばした解説なのは知る所だが、それ以外妥当な言葉が見当たらなかった。

椿は己の狭いボキャブラリーを悔やむが、こればかりは仕方がない。

「成り行き」という言葉に置き換えてもいい。

スクールカーストという忌まわしき分類方法は現代に蔓延っているわけだが、この学園にも例に漏れずそれが存在している。

1〜3と区分けした時、2人は丁度中間部。

所謂「2軍」というやつだ。

必然的に交流も多くなり、同クラスという最大の接点をもってして付かず離れずの距離感を保っている。

身も蓋もない例えをするのなら、「複数人でペアを作る時選択肢に上がる程度の仲」であった。


「制汗剤とか、今時よく持ってたね。

 あ、もっかいやってもいい?ちょっとハマっちゃった。」


「や、別にいいんだけどさ・・・な〜んか今日の椿ちテンション感おかしくない?失恋?」


とマイナスイメージに偏りそうな言葉を並べはしたが、互いに些細な変化でも勘付けるほど興味関心を向けていた。

ただただ2人の踏み込まない性格が、結果的に僅かな距離を生んでいるだけで。


「ううん、まあそんなとこ?」


椿のどことなく落ち着きのない態度にも目敏く気付いた桃子は、冗談混じりに様子を伺う。

言い淀んで先の言葉に詰まった椿にも、「そっか」と柔らかく返す優秀さ。

これ以上詮索をしても塵1つ出ないと悟ったのだろうか。

はたまた失恋以上の何かを悟って椿を気遣ったのか。

彼女の性格的に、8割方後者だと予想。


一方、「まあそんなとこ」だのと世で最も信頼できないはぐらかし方をした椿。

薄れつつあった出来事が鮮明に甦り、計らず苦い顔を見せてしまう。

失恋というワードとどう足掻こうが結びつかない事象と出会ってきたのだが、全てを赤裸々に語る覚悟はなかった。

――正直なところ今すぐ一部始終を吐露したいとは内心考えつつ、

ここで突然「さっき死んできたんだよね」なんて軽々しく言うのは土台無理だとも考えた。

桃子のことだから、戸惑いつつもなんとか笑い話へと昇華しようとしてくれるだろうが――。

変人という不名誉なレッテルを貼られてしまい、

折角今日まで積み上げてきた足場が崩れ、挙句あっという間に距離を取られてしまう。

JKの友情とは、ガラス細工で成り立っているようなものだ。

付かず離れずの絶妙な関係ならば特に。僅かなヒビも致命傷になりかねない。


「――そういえばなんだけどさ、その店開けそうな量の飲み物たちは?」


発展しない話題を続けても不毛だと踏んだ椿は、より見込みのある話題を探しだす。

そこで、出会った当初から主張を続ける桃子の鞄にまず目をつけた。

溢れんばかりのジュースや缶コーヒーが、スクールバックに収まりきらず行き場を求めて飛び出しそうだ。

ざっと見ても1クラス分はあるそれに、


「これ?さっき来る途中で買ったんだよね〜」


「いや・・・まあ、それは分かるんだけどさ。

 いくら喉乾いてたからってその量買うのは過剰すぎない?」


「ううん、買ったのは1。」


「・・・・・・どゆこと?」


桃子の言葉と目の前の光景、聴覚と視覚の違いに間抜けヅラを晒す椿。

会話に追いつこうという意欲はあるのだが、脳の回転率が追いついていない。

買ったのは1本。ならば椿の目に映る飲み物は?

よもや渇きのあまり幻を見ているとでもいうのか。

話の整合性を求め桃子を盗み見ると、用意していたような笑みで


「なんせウチ、“運がいい“からね。

 ――1本買えば何本でも付いてきちゃう。」


CMの最後のようにウィンクを決めた桃子。

彼女の話を要約すると――通学路にてふと飲み物が欲しくなり、自販機で飲み物を購入。

その自販機は1本買うごとにルーレットが回る、所謂当たりつき自販機なのだが、

彼女はそれをらしい。


「一本欲しかっただけなんだけど、まああって困るものでもないし・・・」


「今日10円玉拾ったんだよね」のトーンで語られる解説に、顎が外れるを通り越し歯が抜けるほど驚く椿。

何度も777が連なるスクリーンを思い浮かべ、あまりの異様さに困惑する。


(それが本当だったら、宝くじとか飛行機の墜落とか比にならない確率じゃ・・・?)                                         


「私、自販機の当たりとか人生で1回しか経験したことないかも・・・。

 それ、さらっと私の人生何周分もの運回収してない?」


あの低確率を、しかも連続で?

天文的な確率なのは理解できても、椿には想像もつかない話だった。

本人は何気ない日常の一部として捉えているように見えるが、テレビに取り上げられてもなんらおかしくない豪運だ。


「まあモモのことだし、ギリギリ理解できるけど・・・ほんっとどういう原理なのそれ?」


才華学園は、前述した通りなんの変哲もない所だ。

ただし、生徒はその限りでない。

学園内で噂飛び交う有名人“が数人いる。

狭い界隈ないとはいえ、彼らの個性は中々派手なものが多い。

そういった人間を椿は密かに「0軍」と呼んでいる。

スクールカーストの尺度は差し置き、学園内知名度に焦点を当てた時、一際目立っている人間たちだ。

分類できない異質さは、1も2もなく「0」と表現するにふさわしい。

中でも彼女、結城桃子(通称モモ)は、椿の知る中で最も人間離れした生徒である。


歩けば有名選手のホームランボールが飛んできて、座れば民家から逃亡したインコが舞い降り、くじ引きなら1等賞。

どんな奇跡的偉業を成し遂げても、「まあ彼女のことだし」で済まされる特例さ。

“運の女神に愛されている“としか言い得ない女、それが彼女である。

一説では、彼女対策で定期テストの選択問題が消えたのだとか。

確かに彼女ならば鉛筆を転がして出た数字で回答、なんてしても正答率は100%を誇るだろう。


「さぁ?ウチもどうなってるのかよくわかんな〜い。

 ま、でもさ・・・運が良くて損することってのもあるよ?」


「え、そうなん?例えば?」


意外な言葉が彼女から飛び出て、椿は小首を傾げる。

例を挙げるよう言われた桃子は目を泳がせ、


「・・・・・・ごめん、やっぱ思いつかなかったっ!」


相変わらずの軽い調子で、向日葵のように笑った。


 

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