8話 「蛸壺」



【駅内】


 

――そろそろ本格的に、解明へと動く時だ。

十数分前、勇ましくそう啖呵を切ったのは誰か。

そう、私。莉乃椿だ。


(ママ、パパ――産んでくれてありがとう。

 私、2人の娘で幸せでした。時に厳しく、時に優しく寄り添ってくれたこと、本当に感謝しています。)


ホームの隅で萎縮しながら遺書の文面を考えている、莉乃椿だ。

――さて、舞台は椿が足繁く通う駅。

市内で自宅や学校の他最も滞在時間の長い場所といえばここだろう。

にも関わらず、椿の初見らしい挙動といえばもう。

左を見ては右を見て、もう一度左を見る。

例えるならば登校時の小学生だ。

信号もない安全エリアセーフティーゾーンでこれとは、小学生顔負けの腰抜けっぷりだが。

といっても、椿にとってここは安全エリアではない。

いわば――戦場だ。


(命の危機に瀕して、「はいいつも通り」でいれる方が異常だよ ・・・)


ひとまず周囲に敵影がないことを確認し、肩の力を抜く椿。

 

フードを被る者、全て敵なり。

令和の世に生きているとは到底思えない武士面で、迎えましたは3度目の駅。

椿は冒頭の有様だが、すくむ足を奮い立たせこの場に立っている。


(そう考えると、漫画の主人公なんかはすごいや)


強靭な精神とは、主人公枠に与えられし天賦の才なのかもしれない。

椿は改めて思う。

武力も知恵も友情も、等しくそれの上に成り立っているのではないか。

――と、与太話をしている時点で椿の精神強度はお察しだ。

ご存知平凡、特筆すべきものもない。


兎に角、今彼女にできる唯一は、ひたすら逃げ隠れすることだ。


(勿論、無策で挑めば前回の道を辿るだけ。)


家を出発する前、椿は策を考えた。

考えた末、打開策は案外考える間も無く転がっていたことに気がついたのだ。

編み出された策は確かに凡庸だが、(多分)効果覿面だろう。


(にしても、やっぱ真夏のパーカーって犯罪的に暑い・・・)


策の着想は敵方から輸入した。

というのも、相手に自分の存在を知られなければいい。

相手が椿を認識する要素は”容姿“だ。

特徴のない顔が功を奏したのか、まじまじと見ない限りあちらは椿を認識できない。

つまり、顔さえ隠せば安心安全。向かうところ敵無しというわけだ。


そこで活躍するのは棚から引っ張り出したパーカー。

椿の趣味には全くと言っていいほど合わない系統の服は、彼女の父のものだ。

自身の顔を違和感なく隠すため、これほど容易で有効な手段を提供してくれた父に感謝したい。

半袖だとはいえ、顔が覆われてはあまりの暑さに滅入りそうなのが玉に瑕だが。

命の為ならばと許容できる範疇ギリギリくらいの暑さだ。

人の密度も相まってかなりキツい。


(電車、早く来ないかな・・・)


前回は恐怖由来の催促だったが、今回は暑さも便乗した催促だ。

クーラーの効いた電車内が待ち遠しいが、まずは何より第一の試練を乗り越える必要がある。

椿が出来ることは、人々の挙動を過剰なほど注意深く観察するくらいだが。

スーツのサラリーマン、学生服の高校生、薄着のご年配。

1人1人を凝視する彼女は、さながら空港保安検査員だった。


――フードを被る者、全て敵なり。

このキャッチコピーの通りフードをかぶる人間を視認次第、即臨戦体制に移行する気でいる。

臨戦という言葉を用いた上でいうのも野暮だが、椿の戦闘力はせいぜい猫のパンチ標準だ。

猫のパンチなんて食らっても、多少「いたっ」と声を上げる程度だろう。

要するに椿がするのは、臨戦という名の戦術的撤退だ。


(フードの人間は・・・いた。しかも3人。)


夏の猛暑の中フード。なんて地球温暖化の影響をものともしない人達だ。

それが3人も?正気か?と、椿は目を疑う。

自身が4人目であることにはまだ気が付いていないらしい。


(あの人はフード外したし違うか・・・?となると、残り2人どっちかが夢で見た人物なんだろうけど・・・)


究極の二択だな、と目を細めた椿。

両目の視力はどちらもB――少し離れた位置にいる2人の詳細までは確認できず。


(まあ下手に動いて気付かれるより、影を潜めてた方がマシってのはあるか。)


どちらが“あの男“か確かめることを断念した椿は、一旦意識をスマホに落とすことにした。

そうでもしないと、目に足が生え勝手に2人を目で追ってしまいそうだったから。

何か気掛かりなことがある時は他へ意識を移すのが一番いい。


かと思ったが、普段はのめり込むスマホも全く興味を唆られない。

おかしい。異常だ。

いつもなら時間を忘れて没頭する某動画サイトも、今は驚くほど見る気が起きない。

気晴らしにと基本手付かずだったネットニュースなんかで、好きなアイドルの話題でも漁ってみるが――これも無意味。

夜中、目を閉じてもなかなか寝付けず、寝よう寝ようと強く意識することで逆に寝れなくなるあの現象。

あれと似て非なる何かを感じ、椿はそっとスマホの電源を落とした。


(あ〜もう!ぜんっぜん他のことなんか考えてらんない!)


そりゃそうだろ!

椿は心底悶々としながら、誰にいうでもなく弁明を並べる。


(夢の中とはいえ、私んだから!!

 自分の死を意識しないで生きるなんて、今の私にはぜっったいに無理!ああ帰りたぃ!)


徹頭徹尾腰が引けた、情けない椿だった。

半泣きで制服のスカートをたどたどしく握り、平穏な我が家に想いを馳せる。

だが客観的に見ても彼女の意見は至って正常だし、世間並みの反応だった。


かといって泣き言は許されない。

前述の通り、一歩立ち退けば周りを巻き込んで大騒動(になるかも)。

どの道なにかよからぬことに巻き込まれたのだ。

――うえはおおみず、したはおおかじ。


(嗚呼、ほんとになんでだ・・・)


遠い目で現実逃避も束の間、椿はあっさり現実へと引き戻される。

呆けていたところに叩き込まれたのは、とある声だった

――退路を完全に塞ぎ込むと同時に、まだ見ぬ展開へ椿を連れ出すお告げ。

――と同時に、ある種のトラウマ。


「まもなく、7番線に列車が参ります。」


――そして、前回からの分岐点。

電車の到着を告げるアナウンスだ。


(思ってたより早いな・・・?)


前回は悠久にも思えた時間が、今回は標準通りすぎたように感じた。

きっと気持ちの余裕の差なのだろう。

なんにせよ、過程は重要じゃない。

重要なのは結果、無事に電車に乗れるかどうかだ。


10秒、34秒、1分とちょっと・・・。

椿は神妙な面持ちで数字を数え始める。


(さんふ・・・ん?今何秒だっけ・・・)


ものの数分で数えるのを放棄した椿。

 

そうして待ち望んでいたそれは、案外呆気なく訪れた。

アクシデントらしきアクシデントもなく、爆音轟かせ電車は駅に着く。


(電車だ・・・本物だ・・・)


拍子抜けするほどあっさりと停留した電車に、いっそ


(これ、本当に乗っていいやつ?)


と躊躇いすら感じる椿。

だってそうだよ、前回なんて乗り込もうとした瞬間刺されて――


(いや、でも待てよ?)


周りが順調に電車に乗り込む中、椿は1人背後に目を向ける。

例のフード2人は列の中でも後ろの方にいた。

どう見ても、電車に乗り込む意思があるポジションじゃない。

椿に便乗して乗り込もうなどとは一切考えておらず、寧ろ椿の存在すら見失っていると見た。

これはつまり、


(完全勝利・・・?!)


椿が予知夢と呼ぶそれとは、明らかに違った展開。

椿は強く勝利を確信した。

そもそも今まで勝負というフィールド上にすらいなかったように思われるが、運命に打ち勝てたという事実はそこにある。

今度こそ、ほんとのほんとに。


椿は慎重に一歩踏み出し、動向を窺いながら人波に揉まれていく。

が、その油断した背に――


「ふぅ・・・」


なんて予想外の事も起きずして、車内の涼しい風を傍受する。

やっと踏み入れた車内は人でごった返している為、従来よりずっと暑かったが椿はさほど気にも留めない。


(やっと、やっと――この光景を拝めた・・・!)


電車に乗り込むだけでこれほど歓喜したのなんて、初めて新幹線に乗った時以来だ。

心底安堵した椿は、肩の力を抜きずるずると壁にもたれかかりたい気分だった。

長いようで短い格闘の末、椿は念願の目標を達成したことになる。


(でも、私の1日はまだ始まったばっかり・・・。

 とはいえ、今は無事死なずに乗り切ったことを喜ばないと!)


小去っていくホームに向かって心の中で勝利のガッツポーズを決め、椿を乗せた電車は加速していく。


第一目標、「死なずに電車に乗る」は達成できた。

椿にとってこれほど大きな進歩はないが、予想外のアクシデントはまだ潜んでいるかもしれない。

気を引き締めていこう。

この現状を打破し、再び平和な生活に戻るため――。





――と、すったもんだを乗り越え、椿は無事に目標を達成した。

しかし、この時椿は気づいていなかったのだ。


自分がどれほど大きな“何か”に火をつけたか。

どんな立場にいるのか、どんなどんな試練が待ち受けているのかも。

1つ確かなことがあるとすれば――その時、少女は渦中にいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る