探偵はなんでも知っている、だがそれゆえに

二八 鯉市(にはち りいち)

探偵はなんでも知っている、だがそれゆえに

 巨人が暴れているかのような暴風雨の夜だった。ステンドグラス越しの窓を、雨と風が同時に打ち付けている。

 そんな館の広間には、石塚家の人々が集まっている。


 石塚家の主人、そして石塚夫人、4人の息子と娘たち、そしてその恋人、執事、メイド、運転手、書生……そして、今回の『石塚家幻のサファイア窃盗事件』を担当している玉村警部。


 名探偵、摩路宮 晴まじみや はるは、ゆっくりと目を開いた。

「以上のことから―—今回の事件、すべてを企てたのは」

その目がぴたりと、書生の 金田 優人かねだ ゆうと氏に向けられた。誰からも「好青年」と称される青年は、ぴくりと反応した。

「金田 優人さん。あなたしか考えられませんね」

「くっ……」


 金田 優人は、静かに膝を折った。長女の瑠璃子が優人の肩を抱く。

「ウソよっ、違うわ探偵さん、優人さんがこんなことをするわけ」

「いいんです、お嬢様。ありがとうございます。あなたのそういう所が好きでした」

「優人さん……」


 優人は立ち上がった。

 その目に、いつも浮かべている凪の海のような穏やかさはなかった。年相応の苛烈な若竹の青年の瞳の炎が宿っていた。

「すべては、石塚家への復讐なんだ。それが果たされた今、僕にもう未練は無いのだから、もういいのだ」

「ふく、しゅう……!?」

探偵の摩路宮は、静かに言った。

「石塚氏のせいで全てを失い夢を諦めた兄……輝也さんのことですか」

「探偵さんは何でもご存じなんですね」


 優人は両手を広げて優雅に肩をすくめ、言った。

「僕と兄が生まれた村は、とても貧しい地域でね。……僕と兄は、幼少期の間、毎日ニンジン畑の世話ばかりさせられていた。それが唯一の収入源だったからだ」

「……」

探偵は頷く。優人は続けた。

「ニンジンは繊細な野菜だ。しかも僕たちが育てていたニンジンは僕たちの村の乾いた土でしか育たない特殊なニンジンでね。朝の4時に水をやる。これが冷たいんだ。井戸から水をくんでいたからね。その井戸というのも、くみ方にコツがあった。ある程度の所まで水を持ち上げたら、そこで数秒、間をあけるように手を止めるんだ。そうしないと、水が半分しかくめない。半分しかくめないと言えば、ニンジンを掘り出すためのシャベルの使い方にもコツがあってね。そのコツというのは、柄の握り方なんだ。柄をぎゅっと握ってしまうと、逆に土がこぼれてしまう。柄は優しく握らなければならない。なのに、優しく握りすぎると中々土を掘れない。僕は毎日工夫し続け、なんとかニンジンを育てていたよ」

優人が微笑む。探偵は――小さな咳払いをしてネクタイを正すと、優人に向かって頷く。余裕そうな探偵の表情を見て、優人は笑った。

「やはり、探偵さんは何でもご存じなんですね」

「いや、そこまでは存じてはいなかったが。続けたまえ」

「ありがとうございます。ニンジンの育成において大事なことは、朝の手入れ、それに加えて水のやり方、雑草の処理。また、畑にやってくる虫というのは、害だけに思えるけれど時には益もあって、これを上手く」

「おい待て」

「はい?」

探偵は言った。

「その故郷のニンジンを育てていた話、いつまで続く」

「え?」

「長いのか、そのニンジンの話」

「え、いや……長かったですか?」

探偵は周囲を見回した。石塚氏、婦人、子供達、執事、メイド、警部、それに刑事達。

「だいぶダレてる」

「え、そうですか?」

「ちょっと待ってください探偵さん。その故郷のニンジンの話、いずれ今回の事件に関わってくる要素なのでは」

玉村刑事が手を上げたが、探偵はきっぱりと首を振った。

「何の関係もないです」

「えぇ……」

優人はおずおず言った。

「では……ニンジンの干ばつの話から再開しましょうか」

「もういいんだよニンジンの話!」

探偵が目を見開く。

「ぶっちゃけ、兄が故郷を出て街で働き始めて宝石の事業で成功したように思えて石塚氏に株券の話を持ちかけられて詐欺られたところからが本番だろお前の今回の動機!」

「あ、そうですそうです」

優人は、口元に煙のような笑みを含ませた。

「探偵さんはなんでもごぞん」

「知ってるから焦れったいんだよ! こいついつまで故郷のニンジンの話するんだって思って!」

「分かりました。では……お話ししましょう、すべての始まりの、『あの日』について」

優人は、苛烈な瞳に光を灯し、石塚氏を睨み付けた。ちょっと手元の指輪で手遊びをしていた石塚氏も、慌てて姿勢を正した。

「すべてはあの日からでした」

優人は、桃色の唇を噛みしめた。

「ちょうどあの日——その石塚という人間の屑のような男と、兄が会った夜は……こんな嵐の夜でしたね。覚えていますか、『旦那様』」

「……知らんな」

石塚氏は、ふいっと視線をそらす。優人は冷たい目で彼を見た後、首を振った。

「いいでしょう。その日の夜は風が強かった。兄はそれでも、石塚さんと会わなければならないと言った。絶対に儲かる株の取引があるから、と」

探偵は頷く。

「株を買ってくれたら、海外の宝石商との関係を繋ぐ、とさえ言われたんだったな」

「あぁ。探偵さんは何でもご存じですね」

優人はどこか悲しげに頷くと、言った。

「僕は言ったんだ。そんな取引、行かなくていい、と。だってこんな雨の夜にわざわざ行かなくていいじゃないか。兄さん、せめて傘を持ってくれ、と」

「……」

探偵は頷く。

「だけれど、兄さんはどうしても傘を持ってくれなかった。僕は兄さんにすがった。ならばせめてカッパを持ってください、と。兄さんの腰にしがみついたんだ。ふふ。まるで駄々をこねる子供のようにね。だって、兄に風邪をひいてほしくなかったから」

「……」

「兄さんはね、兄さんは……風邪を引くと長引く方なんだ。僕だったら2日ぐらいでけろっと治ってしまう風邪もね、兄は2週間ぐらいずっと咳をしている。でもその咳もね、風邪気味のケホケホとかそういう咳じゃなくって、結構深い咳だから本当に気の毒なんだ。肺炎なのかなって思えども、医者につれていってもただの風邪の治りかけと言われてしまうからね。あ、そうそう。風邪にはネギって聞くからネギのおかゆを作ってあげたこともあるけど、なんだかあんまり効かなくてね。だから僕は何度も兄の為にショウガとニンジンのシロップを作ってあげたんだ。あ、ショウガとニンジンのシロップを作るときのコツはね、火加減を」


 「連れて行け!」

玉村警部が吠えた。彼の後ろに控えていた刑事達が、優人に飛びつく。

「ぐわぁっ」

優人が悲鳴をあげた。

「待ってくれっ! まだ僕は何も話せていないんだ! この事件の真実をォ」


 刑事たちに取り囲まれ、呆気なく連れていかれる優人。悲愴な顔でそれを見つめるものもいれば、ちょっと背伸びをして肩をポキポキ鳴らすものもいる。


 探偵、摩路宮は石塚氏に言った。

「あなたは金田 優人の兄に偽の株の取引を持ちかけ、全財産とサファイアを奪い取った。だから彼は、その身を書生と偽りあなたに近づいた。ついでに運転手に罪をなすりつけ、夫人の愛人を罠にはめ、長女の瑠璃子さんの好意も利用した。それがこの事件の顛末と真実です」


 長女の瑠璃子が、感嘆のため息とともに言った。

「さすが、探偵さんですわ」


 嵐はいつの間にか止んでいた。



<終>

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