1-3. 助けた者が、神なのだ
「時間切れだよ」
森の中から声が聞こえた瞬間、激しく反応したのは男達の方だった。
しかしその数秒後、私の中に芽生えた光は瞬く間にしぼんで消えた。
「っおいおい、びびったぜー。お前かよ」
「けっこう奥まで来たのに、どうやってここまで追ってきたんだか」
何のことはない。新参の男も盗賊だったのだ。
神などいない。救うものなど自分以外いないとさっき知ったはずなのに、すがろうとした自分を笑いたくなった。
しかし、時間切れとは何のことだろうか。
「あ? いや、今さっきなんつった?」
盗賊達も先ほどの言葉を反芻し、追ってきた男に問いかけた。
「時間切れだ、と言った」
「……どういう意味だそりゃ」
私は無理矢理首をひねり、何とか声のする方へ向けた。片側は土と頬ずりしているため片目のみで見えた姿は、落ち着き払った声とは裏腹に同い年くらいの少年に見えた。
「村長が頭領の要求に応じた。頭領もこれ以降村と、村の人間には手を出さない、出させないことを誓った」
「……」
それだけ言うと彼は私に近づいてきた。目が合う。興味の無い冷めた眼だった。
「そいつは村長の娘だろう」
「さぁ、どうだかね」
男の一人がしらばっくれる。私は頷くことも忘れて、他人事のようにこの状況を見つめている。
「別に一人くらい、いいじゃねぇかよ」
「そうそう、俺らは足もアレも早えぜ」
最後の言葉に3人はそろって笑ったが、少年の沈黙と共に笑い声は森に吸い込まれ、直後の舌打ちがやけに大きく響いた。
「ちっとは笑えよ、奴隷の分際で。手前が少しだけ見逃してりゃいい話だろ」
一転して凄んだ声が風に乗る。しかしそれも少年の心も髪の一房さえも揺らさなかった。
「奴隷だろうと団員だろうと、飼い主は一緒だろ」
「あ?」
感情の読めない声がひんやりとした風に乗る。
「お互い言いつけを守らなきゃ、折檻されるのは同じだ」
「おいおいおい、調子に乗るなよ。手前と俺たちが同じだって?」
一触即発の空気が流れた時、「ちょっとまて」と私の腕を押さえていた男がささやく。
「あいつ、『お互い』言いつけを、つっただろ」
「……それが?」
打っても響かない馬乗り男に舌打ちをくれて、ささやき男が少年へ訪ねた。
「お前、もしかして頭領から追うように言われたのか?」
私の上の男がハッとし、慌てて私から降りた。その事実に遅れて私も気付き、必死に体をひきずって距離をとる。
質問された当の少年はしかし、何も答えず小首をかしげた。持っていたナイフがチラチラと光る。
「……なんか言えよコラ」
「俺は与えられたことをやるだけだ」
奴隷なんでね、と茶化すように言ったがこの場は和みはしなかった。少年は頭を搔き、面倒そうに付け足した。
「団の
暗唱するように途中まで唱えた後、一度区切って、こちらを向いた。
「『指示が出れば必ず行え』。 ――『指示が守れないやつは、殴ってでも従わせろ』」
チャキリ、と音が鳴り、いつの間にかナイフが暗闇の中で浮かんだ。少年が構えたのだと気づいた時には、盗賊たちももはや私など眼中になく、中腰の臨戦態勢を維持していた。
「あんたたちは今、指示が出ているのにそれを無視しようとしている。なら俺は、殴って従わせる権利がある」
「……黙ってりゃバレねぇ、そう言ったぜ」
「そうだ。お互い、ケガしてもいいことねえだろう。馬鹿じゃなきゃわかるだろ?」
ここは盗賊団。頭領や幹部が如何に強かろうと陰で規則を守らない連中はいる。犯罪行為が当然の男たちにとって、規則は民家の垣根程度の障害でしかない。
3人の男たちも更に態勢を整える。じゃり、と土のにじる音が葉擦れの音に混じった。
しかし。
「確かに、ここで喧嘩して全員ケガするのも馬鹿らしい」
驚いたことに、少年のほうが譲歩するようなことを言い出した。さらに構えていたナイフを太もものホルダーにしまってしまう。3人のほうは依然構えを解いてはいないが、予想外な答えを聞いたという顔をしていた。
それを気にも留めず、少年はざくざくと音を立てて、あろうことか3人に普通に歩み寄ってきた。
「お、おい。止まれ」
「だから、一人ケガするだけで理解してくれると助かる」
「てめぇ! 止まれよ!」
静止の声にも耳を傾けず、少年は一番近い男まで1メートルほどになるまで簡単に近づいたところで、先頭の男が耐えられず先に剣を抜いて斬り払った。
悪くない剣筋。手加減とは違う、ケガをさせる目的で太ももを狙う。しかし少年は予備動作の無い動きで地面から足を離し剣閃を飛び越えるようにスレスレで躱した。そして剣を振り切った後の死角に着地すると同時、反動をつけたまま裏拳を顎に掠め当てる。骨がずれる音だけ残して、一言もしゃべる暇もなく男が膝から崩れ落ちた。
「どうする?」
一瞬だった。2人は無言で目を合わせる。同時に行けばあるいは、とも思ったが、たかがこの程度の場面でリスクを負うのは割に合わない。さらに規律を違反しようとしていたのは男ら。あまり良い立場とは思えなかった。
ちょうどのタイミングでひと際大きな音が鳴り夜の空が明るくなった。盗賊団本陣からの呼び出しの合図だった。男たちは方角を確認し、私のほうを一瞥した後、少年に背中を向けないよう後ずさりしながら森に消えようとした。
「いや、この男はあんたらが持ってけよ」
いつの間にかしゃがみこんでいた少年は、先ほど殴った右手で倒れた男の頭をごんごんと叩いて知らせると。一人が悪態を付きながら担ぎ、足音とともに今度こそこの場から去った。
そして今や2人だけが残った。私は放心状態で、あの状態から助かったことがいまだに信じられないままだった。
「あいつらが死ぬほど馬鹿じゃなくてよかったな」
しかしその声にハッとする。
「あいっ、あ、ありがとうございまっした……」
上手く回らない舌で何とか礼を言うが、返ってきたのは軽い溜息だった。
「感謝することじゃない。忘れてるみたいだけど、俺も盗賊団だ」
「――」
「お前らの村をめちゃくちゃにした1人だ。……あんたは助かったけど、間に合わなかった女だっているだろう」
「……ぅっ」
不意に吐き気がこみ上げる。男たちに追われながら森の中を逃げ惑った恐怖。男たちに馬乗りにされた恐怖。男たちに触られた恐怖。地面に頭を擦りつけられた恐怖。神などいないことを知った恐怖。
下を向いて
「それでも、あなたが助けてくれました!」
自分でも思った以上に大きな声が出た。
「絶望したんです。誰も助けてくれないって。毎日祈っても役に立たないって。自分を守れるのは自分しかいないって。でも、その自分だってけっきょく役に立たなくて」
止まっていた涙がこぼれた。
恐怖だけじゃない。突然現れた理不尽に対して、神に頼るのを止めて自分ひとりで何とかしようとしたところで、単純な力の前に何もできなかった。その理不尽さと、抗う力もない自分が悔しかった。
「助けるつもりじゃなくても、あなたのおかげで私は助かりました。本当に、ありがとうございました」
思い切り頭を下げた先で少年は立ち止まっているようだった。ややあって頭をかく音が聞こえる。彼の癖なのかもしれない。
それからぽつりとこぼした。
「最初は獣かと思ったよ」
言葉の意味が分からず、顔を上げると同時に「は?」という声が漏れた。
目が合うと逸らされた。歳は同じくらいだろうか。意外にも、と言ったら失礼だが、なんというか、盗賊団に属しているとは思えない品のある顔立ちだった。
「咆哮みたいな唸り声。あれ、あんただろ?」
「あ」
覚えがあった。腹の底から吹き出るような絶叫だったと自分でも思う。
言いながら少年は再び後ろを向く。
「あれがなきゃ、見つけるのは難しかった」
「……」
「俺はその声を頼りに奴らを見つけて小突いただけだ。あんたは、あんたが助けたんだよ」
―――
一言二言交わした後、村には一緒に帰らないほうがいい、と言い置いて少年は去っていった。きっと、乱暴された疑いがかけられるのを防ぐためだろうと少しの間を置いて思い至る。
村に戻れば、きっと恐ろしいことになっている。食料はなくなり、家も壊されているかもしれない。友達だった子は連れ去られているかもしれない。1人優しい少年がいたとしても、結局は盗賊団。犯罪者たちの集まりである。期待などしない。
ふぅぅー、と深く息を吐く。雑に扱われたはずなのに、幸運なことに服は破れていなかった。習慣で「神の御加護だ」と言いそうになったが、ぐっと飲みこんで「運がよかったな」と言い直した。
「……神は装置か」
少年が最後に言ったことを反芻する。
神は装置
祈るのは手段
祈りが安らぎに繋がるんなら、別に神も悪くない―
信じられない考えだった。盗賊団ゆえかと思ったが「母が教えてくれた」といった。「母が昔住んでいた場所は、無宗教だったらしい」とも。そんな国があるのだろうか。
ここらでは珍しい黒髪の少年を思い浮かべつつ、私は仕方なく弟を探しに森へ分け入った。
リヴ・スレイヴ・スレイプニル 寿屋 @kotobuki_ya
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