秋の訪れ

増田朋美

秋の訪れ

そろそろ涼しくなって、出かけても良いかなと思われる季節になってきた。日中は暑いけれど、朝晩はだいぶ涼しくなってきている。まあ確実に季節は動いてるんだなあということを感じさせる、そんな日々である。

その日、杉ちゃんと蘭は、買い物に出かけて、いつも通り大安売りで爆買いをして、車椅子の膝の部分にかごを置いて、だいぶ涼しくなったねえとか言いながら、車椅子で帰ってきたところ。

「すみません。あの、ちょっとお尋ねしたいのですが、このあたりに佐藤産婦人科という病院はありませんか?」

と、一人の女性が、杉ちゃんたちに向かって訪ねてきた。結構目が大きくて美しい感じの女性だった。どこか女優さんでにている人がいるかも知れない。

「はい。佐藤産婦人科はここから歩いて五分もかからないところだよ。何なら案内して上げましょうか?どうせ、すぐ着くところだから。」

と、杉ちゃんがいうと、その女性は、車椅子に乗っている蘭を見て、

「あれ?伊能蘭さんじゃない?車椅子に乗ってるからわかるわよ。小学生のときからずっと変わってないから、すぐわかっちゃった!」

と、言ったのであって、蘭は一瞬どこの誰だかわからないという顔をしたが、

「じゃあ、これを言えばわかるかな?あたし、あなたのことを、いのちゃんって呼んでた。」

と、その女性がいうので、

「いのちゃん、、、って言いますと、あ、もしかして、こうちゃん!香西智美さん?」

と蘭はやっと思い出していった。

「はい。その香西智美です。こうちゃんです。やっと思い出していただけた。思い出すのに何分かかったかしら。」

その女性、香西智美さんはそういったのであった。

「お前さんたち、知り合いだったのか?」

と杉ちゃんがいうと、

「はい。小学校1年生のときかな。同じクラスでした。いのちゃんは、ああ、伊能蘭さんは、あたしとは比べ物にならないほど優等生で、あたしは、なかなか手を出せずにいたけど、いのちゃんが割と気さくな性格で、すごく助かった思い出があります。」

と、香西さんは答えた。

「はあ、そうなんだねえ。それでは、幼馴染か。それなら、僕の家へ行って、お茶でもしない?まだ昔話したり無いでしょうし。」

杉ちゃんがそう言うので、蘭はそうすることにした。三人は、杉ちゃんのうちへ行って、とりあえず中へ入ってもらい、テーブルに座ってもらった。杉ちゃんがほらのみなと言ってお茶を渡すと、香西さんは、喉が乾いていたらしく、お茶を一気に飲んでしまった。

「なんか、車椅子の方だからもっと洋風な家に住んでいるのかなって思ったら、意外にそうでもないのねえ。桐たんすがおいてあるし、そこにある針箱もなんか和風の針箱だし。」

香西さんは、杉ちゃんの家にあるものを、観察しながら言った。

「まあ僕、名前は影山杉三。杉ちゃんって呼んでね。職業は、和裁屋だもんでね。着物を作る職人なんだよ。それでお前さんは何をしているの?」

「そういえば、一年生のときは新聞記者になるんだって宣言してましたね。」

杉ちゃんがそう言うと、蘭はすぐ付け加えた。

「ええ、まあね。新聞記者にはなったんだけど、富士ニュースっていう地方新聞の記者なんですよ。」

という香西さんであったが、

「いやあ、良いじゃないですか。子供の頃の夢を叶えるなんて、なかなかいないですよ。それで、佐藤産婦人科に行きたかったのは、なにか取材ですか?」

蘭は、彼女に聞いた。

「ええ。佐藤産婦人科で、新病棟ができたというものですから、その様子を取材してきたくて。それより、和裁屋ということだったら、ぜひ、着物を作るところを、取材させていただきたいものだわ。着物を作るなんて、今なかなかいないから。」

いきなり、香西さんはメモ用紙を出してしまった。

「僕をおだててもしょうがない。」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「いやあ珍しいことですよ。今どき着物なんてなかなか着る人もいないでしょう。ぜひ、取材させてちょうだいよ。着物を作ってるところとか、着物をこうすれば楽しめるとか、着物を後世に残すために、どうすればいいかとか、そういうことをお話聞かせてくれる?」

「香西さん、佐藤産婦人科よりも、杉ちゃんのほうが興味があるんですか?」

蘭は思わず言った。

「当たり前よ。今どき、和裁をして、着物を作って生活してるなんて、本当に珍しいでしょ。だから、お願いします。一言話を聞かせてください。」

「ははあ、ということは佐藤産婦人科の記者よりも、僕を取材して、すごいスクープを狙おうって言う魂胆だな。悪いけど、自分の名を上げたいがために、そういう活動しようと言う人は、お断りだ。誰か、狙いたいと思うんだったら、他のやつを狙え。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「まあそれは残念だわ。しかし、良くわかったわね。私の考えていることが。それでは、私の頼みには応じてくれないってことですか。残念だわ。せっかく、富士市の地方新聞を賑やかにさせてあげようと思ったのになあ。」

香西さんは、残念そうに、メモ用紙をしまった。

「まあ僕をおだててもしょうがないんだ。だって僕たちを取材したって、着物なんて人気のあるもんじゃないし、その効果は無いってことだよ。それならはじめから応じないほうが良い。それより、ちゃんと、佐藤産婦人科の新病棟を取材したほうが良いよ。」

杉ちゃんは、そう彼女に言った。

「ええ、言われなくてもそうするわ。あたしには、それしか取材するところが無いもの。じゃあ、今日はお茶までもらっちゃってありがとう。取材があるし、そろそろ御暇しようかな?」

香西さんがいうと、

「そうですか。佐藤産婦人科は、ここから5分もかかりませんから、連れて行って差し上げます。」

蘭は、車椅子を動かした。

「あら良いわよ蘭ちゃん。道順だけ教えてくれれば。」

香西さんはそう言うが、

「いえ、構いません。どうせバス停もありますから。じゃあいきましょう。言った通り、5分くらいでつきますからね。」

蘭はもう出かける支度をしている。

「ありがとうね。本当にその世話好きなところは、今も昔も変わってないわね。」

香西さんは、蘭に言ってカバンを持って立ち上がった。二人は、外へ出て、道路を歩き始めた。

「この道を、真っすぐ行って、あそこに駄菓子屋がありますよね?佐藤産婦人科は、その右に行った先です。一時間に一本しか走ってないけど、バスもあります。それに乗れば、富士駅まで帰れます。」

蘭は、そう説明した。

「そうなんだ。ありがとう!助かったわ。じゃあしっかり取材して帰るから。蘭ちゃんありがとう。」

そう言って香西さんは、急いで行こうとしたが、

「あのすみません。香西さん。」

蘭は、やっと口から出かかっていることを言った。

「実はお願いがありまして。もし、取材ができるようであれば、、、。」

それから数日経って。

「だいぶ涼しくなってきたわね。それでは、そろそろご飯にしましょうね。」

と、由紀子は、おかゆの入った皿を持って四畳半に入った。水穂さんは、よろよろと布団の上におきた。

「じゃあ、今日は、お米が取れる季節だから、お米で作った麺のゴマスープです。」

由紀子はそう言って、布団のサイドテーブルに、お皿を乗せた。

「今日もたくさん食べてください。米粉の麺だから、当たる心配はありませんよね。」

水穂さんは、由紀子から箸を受け取って、米粉の麺を食べ始めたが、口にいれることはできても、飲み込もうとして、えらく咳き込んでしまい、麺を吐き出してしまった。

「どうして食べられないの?飲み込めないの?」

由紀子は、思わずそう聞いてしまう。水穂さんはごめんなさいと言って、急いで米粉麺をもう一度口にいれるが、それでも吐き出してしまうのであった。吐き出すときは、同時に朱肉みたいな赤い液体が漏れてしまうので、由紀子は急いで口元をタオルで拭いた。

「本当に飲み込めないの?」

と、由紀子はちょっと語勢を強く言ってしまう。

「すみません。飲み込もうとすると、吐き気がして。」

水穂さんは弱々しく言った。

「それでは、飲み込めないわけじゃないのね。頑張って食べる努力をして頂戴。そうでないと、食べないと、栄養も取れないわよ。そうなったら困るでしょ。だから、頑張って食べなければ。」

由紀子は、水穂さんにそういったのであるが、水穂さんは咳き込んだままだった。一度、咳き込むと水穂さんは止まらなくなってしまうのである。背中を擦っても、叩いても意味がない。仕方なく、咳を止めるために、柳沢先生からもらった漢方薬を飲ませたのであるが、この薬は副作用が強く、眠気を催してしまうのである。水穂さんは飲んで数分で眠りだしてしまう。由紀子は、またご飯を食べないかと思って、大きなため息をついた。とりあえず、眠りだした水穂さんに布団をかけてやって、由紀子は、またがっかりしてしまった。

「失礼いたします。あの、富士ニュースの香西と申します。香西智美です。少し、取材をさせてください。」

と、いきなり、玄関の引き戸が開いて、女性の声がした。一体新聞記者が何のようだと思ったが、応答したのは、製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんだった。

「一体何でしょうかね。新聞記者さんが、何があったんでしょうか?」

ジョチさんは、変な顔で彼女に応じたが、

「ええ。あの、こちらの製鉄所という福祉施設が、とても良いところだって、皆さんから噂になっているものですから、それでは、ぜひ、取材をさせていただきたいと思ったんです。どんな施設なのかとか、運営に対する諸問題などを記事にさせてもらえませんか?」

と、香西さんは、そういったのであった。

「はあ、新聞にのるほど、うちはすごいところではありません。それに重度の病気の方もいらっしゃいますから、お引き取りください。」

ジョチさんはしたり顔で言った。

「そうでしょうか?私は、他の方のお話も聞きましたが、貴重な居場所を与えてくれるところだって、大評判の施設だと伺いましたよ。それに、こういう施設をもっと他の人に広めたいと思わないのですか?」

香西さんがそう言うと、

「それは必要ありません。僕たちは、取材などされると、かえって迷惑ですのでね。それに名前を広めようと思っている気持ちは毛頭ありませんから。」

ジョチさんはそういったのであるが、

「いいえ、ちょっと中を見せてくれるだけでも良いじゃありませんか。取材していくのはそれからでも良いでしょう。それに記事にするかは、まだ、わかっていないし。」

と、香西さんは、報道機関の女性らしくちょっと、媚びるような顔で言った。そして、これも報道関係の女性にありがちなのであるが、強引に、彼女は、製鉄所の中に入ってしまうのであった。

「へえ、なんかすごく和風の建物なんですね。なんか、日本風の旅館みたいじゃない。はあなるほど、ここが萩の間、ここは桃の間か。そういうふうに名前がつけられているのね。」

と、香西さんはカメラで写真を撮りながら言った。

「あれ、ここは、なにもないわ。」

香西さんは、ふすまの前に立って言った。由紀子は、報道関係者が、ふすまの前に来たのかとびっくりする。

「この部屋は何のためにあるんですか?」

「ええ。ご覧になったら。」

そう呆れているジョチさんに、香西さんは、ふすまを強引にあけてしまった。

「な、何!」

由紀子は思わず声を上げると、

「ず、ずいぶんきれいな人、、、。眠ってるの?」

香西さんは、驚いてそういったのであった。由紀子は、カメラを持って現れた香西さんを見て、報道関係者の女性は信用できないなと思った。香西さんは、水穂さんが吐いたときに撒き散らした血液と、食べ物の残骸を見て、

「な、なにか明治とか、大正とかそういう時代にタイムスリップしちゃったのかしら?」

と思わず言ってしまった。由紀子は、こう言われるのは一番嫌だった。いくら、治療可能な病気であると知れ渡っていても、水穂さんには無理であることをわかってくれる人は、ほんとうに一握りしかいないことも、由紀子は知っていた。

「どうしてここに来たの?取材ならお断りよ!」

香西さんは、その部屋にあるものを見て、真ん中にグランドピアノが置かれているのを見た。グランドピアノにはグロトリアンというロゴが貼ってあった。それはあのステインウェイアンドサンズの系列の会社というか元祖になった会社だということは、香西さんはなんとなく覚えていた。

「このピアノ、確か、ステインウェイの付属の会社だわ。そんなものが、ここにあるなんて。それに、ここにある楽譜って、みんなすごい難しいものばかりじゃない。子供の頃、ピアノ習った事あったけど、そこの先生だって怪我をするからやめろと言われた作曲家の作品ばかりだわ。」

驚いて香西さんはそう言ってしまう。確かに、すごい作曲家の作品であった。ジャワ組曲とか、ピアノソナタなどの大曲ばかりが、本箱にはぎっちりと入っていた。ピアノの先生でさえもあまりの難しさに、いち早く身を弾いてしまった作品ばかりおいてあった。

「もう、どういうことよ!」

と香西さんは思わず言ってしまう。ということは、新聞記者なのに同和問題のことは知らないということだろうか。由紀子は、それを、逆に利用してしまおうと思った。

「良いわ。それなら取材してもいいけれど、私が水穂さんの代わりに話を聞くわ。今、薬飲んで眠ったところだから、起こしてはいけないのよ。それを覚悟の上でなら取材していって頂戴。」

「だけど、何がなんだかよくわからないものがいっぱいある。この人は一体どういう経歴だったの?クラシックの大曲にしても、これは難しすぎるわよ。ゴドフスキーのジャワ組曲とか、女性は弾けないと言われている曲ばかりじゃないの!それにグロトリアンなんて、よほどマニアな人でなければ使わないピアノが平気で置かれてるわ。これはどういうことかしら!」

思わず、香西さんはそう言ってしまった。

「そういうことなら、この着物を見ればすべてわかるわ!」

由紀子は声を荒げて、タンスから一枚の着物を取り出した。間違いなく秩父銘仙の着物であり、青海波の柄を大きく入れてたものであった。香西さんは、慌ててタンスの中のものを調べてみると、中身は銘仙の着物しかなかった。

「もしかして、、、。」

そういう香西さんに、

「ええ、出身地はそういうところよ。だから、音楽の道へ進もうと思っても進めなくて、結局体まで損なったのよ!それが全てなのよ!」

と、由紀子は言ってしまったのであった。香西さんの顔は、非常に困った顔になり、険しい顔になり、そして、なんでこんなところへ来たんだろうという顔になったが、でも、考えを変えてくれたらしく、彼女の目はだんだん優しくなった。

「わかったわ。普通の人であれば、そんな人、って言ってしまうかもしれないけど、私はそうは思わないわ。そういうことなら、きちんとお医者さんに見てもらって体を治してもらってよ。それくらいなら、できるでしょ?」

香西さんはそういうのであるが、由紀子は首を振って、

「それもできないわ。それができるんだったら、とっくに治してるわよ。そういうことができるのが今だから。今できることをできないというのは、本当に特別な事情がある人でないとできないのよ。それをわかってくださらないと、やっぱり、解決には難しいものがあるんじゃないかしらね。」

と、静かに言ったのであった。いつの間にか、水穂さんは目が覚めてしまったらしい。由紀子は慌てて彼を支えようとしたが、なんとか水穂さんは、布団の上に座った。やはり着ているのは銘仙の着物である。

「以前、呉服屋さんを取材させてもらって、銘仙は貧しいものが着るものと教えられたことがあったわ。そういうことなのね。」

と、香西さんは、そう笑顔を作って言ったのであるが、

「僕は銘仙の着物しか着ることができない。」

と、水穂さんはそう静かに言った。由紀子は、水穂さんに、寝ていなくてはだめだといったが、水穂さんはお客さんが来ているんだからと座ったままであった。そうなると、男性には珍しく衣紋を抜いてきているように見えるのであった。通常男性の着物では衣紋を抜かないが、そうなっているということは、水穂さんがげっそりと痩せてしまっていることを示していた。

「水穂さんもう良いわ。横になりましょう。そうでないと疲れてまた血が出るわよ。それでは嫌でしょう。だから、」

由紀子はそういったのであるが、水穂さんは正座で座ったままであった。その態度が、明らかに自分より身分が低いということを示しているのだと感じた由紀子は、本当に辛かった。それと同時に、香西さんも、なにか考えてくれたようであった。

「本当に自分のことをだめな人間だと感じているようね。でもね、あなたは、生きなければだめよ。だって、あなたを心から心配してくれる人が、二人もいるのよ。あたしね、この仕事をやってきてわかるけど、一人の人間を動かせる人ってそうはいないから。それも家族以外の人をね。だからそこを忘れないで、生きてほしいな。銘仙の着物しか着ることができないとしてもよ。」

香西さんは、そう水穂さんを励ましてくれた。水穂さんは、そんな人はどこにという顔をしたが、

「そうしてくれる人は、眼の前にいるじゃないの。」

と香西さんが言った。水穂さんはええとだけ言ったが、やはり疲れていたようで、フラフラと倒れ込んでしまった。由紀子は、もう横になったほうが良いと言い、水穂さんをすぐに布団に横にならせた。

「本当はあなたのことを心配してくれる人は、いっぱいいると思うのよ。誰でも、永久欠番という歌もあるくらいだから。それに気がついてくれたら、あなたももう少し、幸せになれると思うな。」

香西さんは、にこやかな顔でそういった。そして、吐いたもので汚れてしまっているテーブルを、由紀子と一緒に掃除する作業を行ったのであった。

外は涼しい風が吹いていた。もう秋という季節がそこまで迫ってきているのだ。秋はどんな季節になるのか、また楽しみである。


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