綿菓子はどこへいったの
真衣 優夢
第1話
いつものように慌ただしい朝の支度をしていた私は、テレビの前で叫ぶ娘に目を向けた。
「これ、たべる!」
最近よく喋るようになった二歳の娘、安寿(あんじゅ)。
天使みたいに可愛くて、悪魔のように恐ろしい我が子。
一時期の超イヤイヤ状態では、食事を見せただけでひっくり返して大泣きし、私が泣きたくなったものだ。
「たべるぅーー」
ハイテンションで「食べる」を連呼している娘は、どうやらテレビで美味しそうなものを見たようだ。
食に興味が薄い娘が、こんなにも食べたがっているのは珍しい。
「安寿はなにを食べたいって?」
私と同じく、ばたばた出勤準備をしている夫が聞いてくる。
私だってテレビを見る余裕はないのだから、何の映像だったか知るよしもない。
「俊くん、今日は安寿の保育園、俊くんの番でしょ。
送る途中で、なんなのか聞き出してくれる?」
「ええ~…。
俺、まだ安寿の言ってること、半分くらいしかわかんないんだよなあ」
「そんなの私もよ」
安寿はよく喋る2歳児だ。
よく喋る、イコール意味が通じる、ではない。
猫に向かって「けなけな」と言ったり、公園の砂場を「じゃっぽぅ」と表現したり、独特過ぎる語彙はFBIでも解読できなさそう。
何度も言って通じないと、大声で泣き出してしまうから、私たち夫婦は毎回、娘の脳にしか答えのない難問に立ち向かう。
食べたい、の前に名詞がついたら、素早く理解して、食べさせてあげないと。
癇癪地獄が待っている…あああ、私の天使はマジ悪魔!!!
昼休み、夫からメッセージがきた。
『あんじゅは、大きくてもこもこしたものが食べたいらしいぞ』
大きくてもこもこ?
もこもこ…。
最初はパンかと思った。でも、安寿はパンという単語を知っている。
ご飯よりパンが好きな安寿は、パン屋さんの前を通ると指差して「パン!」と叫ぶ。
パンならパンと主張するはず…。
『それは大きいの?』
『ジェスチャーは大きい。丸く円を書くみたいな、大きい仕草を何度か。
それが、もこもこしてて、どうやら甘いらしい』
甘くてもこもこしていて大きい………
思い浮かんだのは、綿菓子だった。
縁日でよく売っていた綿菓子。雲みたいにふわふわで、子供の目線だととても大きく見えて、砂糖がキラキラして、食べると甘くて。
『たぶん綿菓子じゃないかしら』
『綿菓子、なるほどな。
なあ紀美子、綿菓子ってどこに売ってるんだ?』
私はフリーズした。
そういえば綿菓子って、縁日以外で見たことがない。
『駄菓子屋かしら』
『ねえよ駄菓子屋なんて』
『そうよね』
駄菓子屋自体を見かけない昨今だ。
必死で駄菓子屋を探しあてたのに綿菓子がなかったら、ショックで立ち直れない。
昼休みが終わりそうなのでそこでスマホを置き、私は明後日の会議資料に取りかかった。
退勤後、スーパーで買い物がてら、お菓子売り場を探してみる。
やっぱり、ない。
綿菓子って見ないものね…。
一縷の望みをかけてコンビニに寄ってみた。
ない。
コンビニのお菓子コーナーは小さいから、綿菓子なんて、あっても置かないわよね。売れなさそうだし。
夫からメッセージが来た。
『コンビニに、期間限定でキャラコラボ綿菓子があるらしいぞ』
『今コンビニだけど、ないよ』
『ごめん、地域による、って書いてあった』
『ここらの地域じゃないのね』
帰宅して、買い物袋をキッチンのテーブルに置くと、夫が安寿を抱っこして帰ってきた。
安寿は非常にご機嫌な様子で、「もっこもっこ、たべ~るぅ~♪」とオリジナルソングを歌っている。
ごめんね安寿…。もこもこ、探してるんだけどね。
こんなに難しいの!?綿菓子ゲットって!!
安寿はすっかりもこもこの虜になったようで、お風呂でももこもこの歌をワンマンライブした。
時折、きらきらした目で「もこもこ、いつたべる?」と聞いてくるのが怖い。
「もうすぐよ」と答えて誤魔化したが、安寿は聡い。
もうすぐ食べられる、ではなく、実は食べられない、と知ったら、どれだけ暴れまくるか…いやいやいや。
たかが綿菓子じゃない。
可愛い安寿がこんなに食べたがっているんだから、親として、見つけなければ!
ネットで検索すると、意外にも通販で買えるところが多かった。
どこも予算オーバーだった。
幼児を抱える一家の家計は厳しい。おやつに大金は出せない。
「紀美子!○○商品の店舗にあるらしいぞ、綿菓子!」
「ほんと?
明日は私が安寿を保育園に連れていくから、探索お願い!」
「おう、頑張ってくる!」
次の日、送迎の車の中でも、安寿はもこもこ食べたいソングを熱唱していた。
きっと保育園でも歌っているだろう。ちょっと恥ずかしい。
「安寿は、もこもこ食べたら、どんな気持ちになるかなあ?」
何気なく聞いてみると、安寿は満面の笑みを浮かべた。
「しあーせ!」
ああ……
可愛いよ、私の娘……
絶対に見つけて見せるからね!!!
夫から来たメッセージは、『ここらの店舗では取り扱ってないって言われた』という、悲壮感漂うものだった。
綿菓子。
たかが綿菓子。
されど綿菓子。
自分が子供の頃、ときめいたもこもこ。
甘くて口で溶ける、魔法のお菓子。
いったいどこにあるの。どうやったら手に入るの。
お祭りがあれば乗り込みたいけど、今の時期にこのへんではお祭りないのよ!
日曜日。
私と夫は、安寿を連れてデパートに出掛けた。
もこもこ食べたいソングの期待に応えられないストレスと、食べられないと気づいた安寿のショックを思うと、私たちも息抜きしないとやってられないのだ。
節約のため、ランチは車の中で、私が作ったお弁当。
家計が本当に厳しいから、外食は我慢、我慢。
目的もなくデパート内を歩いていると、改装中だった一角が、一時的にガチャガチャルームになっていた。
次の店が入るまで、スペースを無駄にしないのはさすがだと思う。
「き、紀美子」
「なあに?ガチャガチャしたいなら自分の小遣いでね」
「綿菓子、ある」
夫が指差すほうを高速で振り返る。
あった。
こんなところに。
硬貨を入れたら綿菓子を作ってくれる、子供向けの機械。
あああ!!神様ありがとうございます!!
「安寿、もこもこ、あったよ!
みんなで食べようね」
「うんっ」
安寿は天使の笑顔でうなずいた。
私は財布を取り出し、機械に小銭をいれた。
一回500円…ぼったくりだわ…。
機械が動き始め、棒のまわりに蜘蛛の糸のようなふわふわが形成されていく。
固定されている棒がくるくるまわって、それを絡めとっていく。
夫に抱き上げられてそれを眺める安寿は「ふわあ~!」と、感激の声をあげていた。
くるくる、ふわふわ、きらきら、もこもこ。
能天気な音楽が終わり、綿菓子が完成した。
取り出し口からゆっくり出して、安寿の前に見せる。
予想通りというか、安寿は綿菓子に両手でべたっと触った。
「あーーーー!」
「やったかーーー」
しばらくウエットティッシュと格闘してから、私がちぎって少しずつ食べさせることにした。
全部は安寿には多いから、三人でわけっこだ。
「安寿、どう?」
「ぺしゅー」
相変わらず意味不明だが、安寿なりの綿菓子の感想なのだろう。
「甘い?」
「あまー!」
安寿が笑う。
ああ、よかった。見つけられてよかった。
こんなに笑ってくれるんだから。
いろんなものが、一気に満たされた。よかった。嬉しい、よかった…。
帰ったらすぐ歯磨きさせなくっちゃ…。
「ママ。
つぎは、もこもこたべたい」
「………へ?」
私と夫は硬直した。
もこもこは。
綿菓子では。
なかった。
次の日曜日。
「安寿、待たせてごめんね。
今日こそお腹いっぱい食べようね」
「もこもこ!もこもこーー!!!」
安寿がジャンプしてテンションMAXを訴える。
安寿が待ちに待った日だ。
答えはとても身近にあった。
ママ友さんが教えてくれたのだ。
『あの日の朝の特集で、食べ物だったら、たぶん………』
材料は全部準備できた。
私が料理する間、夫は安寿が乱入しないよう、ホールド&遊びまくる。
罠はいくつもあった。
テレビの音声を、安寿は正しく聞き分けられていなかった。
食べてもいないものの味はわからないので、勝手に甘いと想像した。
安寿の頭の中には、答えがずっとあったのにね。
「さあ、作るぞ。ロコモコ丼!!」
綿菓子はどこへいったの 真衣 優夢 @yurayurahituji
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