月神の湖

十六夜 水明

月神の湖

『中秋の日。月、あやかしものの力を得る。その光、妖のみならず神ですら寄せ付ける』

 

 私は、幼い頃から村の言伝いいつたえがとても好きだった。目に見えない者達の話が好きだったのだ。

 中学に上がり、さすがに作り話だと分かりきっているが、やはりロマンがあるというものだ。

 こんなことを学校で声を大にして喋っていれば、頭がおかしい奴、というレッテルが貼られるのは分かりきっている。だから、この思いは胸の奥に閉まっておこう。

 そう思っていた矢先に事件は起こった。


すみれちゃん! 菫ちゃん! いるかい?!」

「お婆ちゃん、どうしたの?」

 また、何か無くしたの?  と菫は月に備える牡丹餅を縁側に備えながら返事をした。

 いつもは、ほんわかな雰囲気を出している祖母だが珍しく慌てているようだ。

かえでが……楓が目を離してる隙に、居なくなっちまった!」

「楓が? 庭にいないの?」

 楓は、菫の妹でまだ小学1年生。もう少しで七五三という年頃だ。

 祖母の気迫に、少し引きつつ情報を整理するためにいくつかの質問を繰り返す。

 どうやら、祖母と月を見ていていつの間にか楓が消えていたらしい。

「きっと、月の神様に連れていかれちまったんだ。まだ、7歳だから……」

 楓が居なくなったのがよほど堪えたのだろう、祖母は震えながらブツブツとなにやら呟いている。

「お婆ちゃん、大丈夫だよ。取り敢えず母さん達にこの事を伝えなきゃ」

 口では大丈夫、と言っているものの菫とて内心とても穏やかとは言えなかった。まだ、小学生になったばかりの妹がもう暗くなった外で消えたのだ。心配でたまらない。

 そこからは近所の人も巻き込んで村総出での捜索となった。

 幸い田んぼは稲刈りを終えていて、村全体の見張らしはかろうじで良かった。しかしもう、薄暗くて夜とも昼間とも取れない時分だ。

 もしかしたら、山に入っていったのかもしれない。数時間捜索は続きそんな声が聞こえ始まった。

「お婆ちゃん、楓が行きそうな所ってあるかな」

 家に戻った菫は、自身の祖母に問いかけた。

 家族の中で楓と最も仲が良いのは祖母だ。もしかしたら、前に祖母が連れて行った場所に行っているかもしれない。そんな淡い期待を持ちながら祖母に聞くが、心当りがないらしい。

「でも……、もしかしたら月神様の湖にいるかもしれないねぇ」

 震える声を絞り出すように祖母は続けた。

 。それは、数多く残るこの村の言伝えの一つだ。

『中秋の日。月の光に呼ばれたる妖、山頂の湖にて夜宴を催す。月神、降りてきたりて、それに加わる』

 実際、山の頂上に湖はない。が、あったとされる大きな窪みが存在する。いまもなお、妖怪達が集まって宴会を開くという伝説があるが本当かは誰も知らない。

「お婆ちゃん! それって、この田んぼ道を真っ直ぐ行った山の事だよね」

「あぁ、そうだよ」

 もう、一か八かだ。行ってみるしかない。

「あ、ちょっと……」

 何か言おうとした祖母を尻目に、菫は家を飛び出した。


 辺り一帯から、鈴虫の大合唱が聞こえる。街灯なんてない田舎の夜道は、月明かりが頼りだ。

 山の頂上に続く獣道を進むにつれ、菫の不安はどんどんと大きくなっていった。

 山の中にいなかったらどうしよう。この時期は、猪も出るし蛇も出る。万が一、襲われてたら……。想像するだけで菫の頭から血の気が引く感覚がした。

 道を進む足取りを早め、頂上を目指す。

 どうか無事でいて、楓! 心の中で叫ぶが、菫の顔は段々と暗くなっていった。


「す、すすき?」

 どうやら頂上に着いたのか辺り一面、薄で覆われていた。薄が月を反射して、息を飲む程美しく光輝く世界が広がっていた。

 とはいえ、そんな景色に見とれている暇はないのだ。いち早く、楓を探さなければ。そんな思いで辺りを見回していると、見慣れない真っ白な物体が足元にピョンピョンと跳ねてきた。

「……え?」

 兎のだった。真っ白な白兎だ。でも、一般的な赤い目のそれではなく金色の目をしている。

 “神の使い”。一瞬、そんな言葉が頭を過った。

 金の瞳を持つ者は神の使いである。そんな話をどこかで聞いたことがある気がする。

 そんなことをごちゃごちゃ思考している間に兎は、薄畑の奥の方へと跳び跳ねていった。

「待って!!」

 もしかしたら、この先に楓がいるかもしれない。そんなことを思いながら、兎を見失わないように追いかける。


 そして、開けた場所へと出た。


「……………はぁ?!」

 目を疑った。

 まるで、この世の景色とは思えない景色に菫は自らの目を疑った。

 深まった宵の色を集めたような湖に金の月が映る。色と大小が様々な魚たちが泳いでいる。

 そして、湖の周りには牛や鹿やらの動物に見える輩からきらきらと光をうっすら放つ者まで、これまた様々な妖怪や神と呼ばれる者達がいた。

 まさに、“月神様の湖”。言伝えそのものだった。


「これまた酔狂な、また人の子が迷い込んできおったよ」

「良いつまみになるかな」

「なに言ってるんだ、そんなことしたら月神様に我らが食われてしまうぞ」

 やんややんやと月やら人やらを酒のつまみにして、妖怪達は月明かりの下で宴会を開いていた。


 あまりの衝撃に、菫が立ち尽くしていると月ほどの大きさがあるんじゃないかと思える白銀の龍が空から舞い降りた。

「月神様だ!」

「月神様がきたぞ!!」

「我らの月神様だが舞い降りたぞ!」

 今まで湖岸で酒を飲んでいた者達は立ち上がり、より一層騒がしくなった。


 どうやら、この美しい龍が村の言伝えの月神様らしい。

「珍しいな、また人の子か。しかも、我々の姿をはっきりと見えているとは、面白い」

 なにを睨んでいるんだ、と声をかけられ菫は目を見開いた。

 なんたって夢だと思っていたのだ。向こうから話しかけられるなんて夢にも思ってなかった。

「妹が、いなくなっちゃって。祖母がきっと月神様が連れていったんだって言うんで、ここまで来たんです」

 何故か緊張でつっかえつっかえになる言葉をどうにか紡ぐ。

「ほぉ、それはこの者か?」

 少し笑みを含みながら、月神は自らの背に乗せている人物を菫に見せ問いかけた。

 それは、すやすやと気持ち良さそうに眠っている楓だった。

「か、楓!」

 返して下さい! と声を張り上げるが、月神は面白いものを見るかのように目を細める。

「ならば、代わりの供物を貰おうか? この娘は我が眷属達が連れてきた、まだ神に守られている美味なる供物だ」

 そう易々とは返せぬ、と月神は言い張る。

 このまま言い下がれば、楓は月神に食べられてしまう。何か、代わるものは……!

 ポケットの中を探り、供物になるものを探す。

「……ッあった!!」

 ポケットから出てきたのは、ラップに包まれた小さな牡丹餅だった。

 昼間作っていたものでおやつに食べようと、とってとおいたものだった。

「月神様、小さくて申し訳ないのですが、この牡丹餅を供物として楓と代えていただくことは出来ませんでしょうか?」

 菫はとにかく必死だった。牡丹餅を差し出す手が震えている。

「その供物、お主が作ったのか?」

 妖力が少し移っているぞ、と月神は驚いた様子で問い掛け、そして菫の答えを待たずして、いいだろう、と答えた。

「私が、こんな小さき事で幸せを感じるとは……」

 そして10匹ほどの金の瞳の白兎が月神の背から楓を背中に乗せてこちらに向かってきた。

「ありがとうございます……!」

 お礼を言いながら、もう一度月神に目を向けた菫は再び目を見開いた。

 月神や、妖怪達の姿が薄いベールのようにおぼろ気になっていたのだ。

「人の子よ、もうこちらの世界に迷い込むなよ」

 その一言を最後に、月神達は月の光の中に消えていった。

 さっきまで、爛々と月明かりを反射していた湖の水は無くなり、ただ窪地が残っていた。



 後々、家に戻って目を覚ました楓に事情を聞いたが彼女は何も覚えていなかった。

 そんな不思議な出来事があったせいか、中秋の名月の日にはあの楽しげな夜宴の様子をよく思い出す。あれは、私の価値観を大きく変えた出来事だった。

 本格的にそう言う言伝えや伝説を調べるようになり、大学では古典文学を先行してより詳しく妖怪達について調べている。

 きっと調べ続ければ、また縁があって彼らに会えるかもしれない。見ることが出来るかもしれない。

 そんな淡い期待を持って、今日も私は研究する。


 今日は、中秋の名月だ。また、彼らはあの湖を囲み、夜宴を開いているのだろうか。


〖終〗

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