11

 初めてこのカフェに来たのは一ヶ月前のことだ。

 息抜きに珍しく外出した瑛太。

 そういえば近所にカフェがあったな、と入ってみたのがきっかけだった。メニューはよく分からないので、いつもホットコーヒー。


 最初は気に留めなかったが、毎回、同じ女性が接客してくれていることに気付いた。

 全身黒い服装、とはいえ目を引く程のものでは無い。他人に興味の薄い瑛太は、コーヒーを受け取りさっさと広いソファー席に腰掛ける。しかしある日、改めてレジカウンター側の全景を眺めた瞬間、


 ……なんか、いる。


 そんな感覚に包まれた。いや、いるのは当然だ。レジカウンター内には店員がいるのだから。しかし、あの黒尽くめの女性店員だけは、浮いて見えると言うか、まるで空間にぽっかりと黒い穴が空いた様な、光を一切反射しない真っ黒なトリックアートのようだった。


 看板?


 カウンター内にそんな人型の看板が置いてあるようにも見える。しかし真っ黒。じっとレジに立ち客席の方を向いている、ように感じる。

 たまに別の店員が同じレジに立つと、重なって見えなくなる。ひとしきり会計が済み店員が離れると、まだ同じ姿勢でレジに立っているのだ。瑛太の目にはそれがどこか健気に見えてしまう。


 看板ちゃん、正直推せる。


 あれから一ヶ月。何をするわけでもない、瑛太の会計の後、看板ちゃんは看板の様にレジに立ち続けている。しかしそれだけで瑛太の何かが満たされる。こんなことだけでカフェに通っているのは瑛太自身どうかと思う。


 ああ、もっと課金してぇ~、フードとか買って帰ろうかな……いや、さすがにそれはキモいわ。


 さて、そろそろ帰ろう、と立ち上がってカップをゴミ箱へ。スマートフォンをポケットにねじ込みながら出口に向かった。

 背後で閉まるドア越しに「らぁっしゃいませ~」という店員の声を聞きながら、西日を浴びて帰路に着く。


 スマートフォンから、ヴーッ、と短い振動。

 リテイクだ。画面を見なくても連絡の内容がなぜか分かってしまう。こういうのは当たる。


 だる……


 ポケットからスマートフォンを取り出そうとした時、なにかがこぼれ落ちた。

 瞬間、焦って腰を捻りキャッチする。変な痛み。久しぶりに体を素早く動かす感覚。帰ってストレッチしよ。

 なにを掴んだのか手元を確認すると、さっきのカフェのレシートだった。


 ……これ、キャッチする必要あった?


 まあ、ポイ捨てになるよりは全然良いか。

 するとその時、レシートになにか違和感があることに気付く。


 なんだこれ……


 オーダーしたコーヒーなどの印字に、何かが重なっている。赤く、ぼんやりと。

 よくあるレシート切れのマークでは無いだろう。目が疲れてるのか、と軽くこすりレシートを両手で掴む。

 改めて見ると、どうやら裏面の何かが透けているようだった。


 文字かなにか書いてある?


 そう思い、ゆっくりと、レシートを裏返す。

 そこには赤い文字で、はっきりと、


 佐藤瑛太


 視界が歪む。うわんうわん、と音では無い何かが耳の周りを包み込む感覚。足元の感覚がおぼつかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ベンタブラック 狼貌 @chanlobo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ