中秋の名月と人狼と
藤泉都理
中秋の名月と人狼と
【何もせずに60分間、現代人はどれだけぼーっとできるのか。3連休初日の14日、JR小倉駅(北九州市)で「ぼーっとする大会」が開かれ、10~50代の27人が無に挑んだ。2014年、せわしない現代社会からの解放を目的に韓国で始まった。日本には昨年上陸し、九州では今回が初めて。スマホを見たり、眠ったりすると失格で、参加者はパジャマを着たり、虫捕り網を持ったりと思い思いにぼーっとした。勝負は心拍数の安定具合で判定。優勝は福岡県春日市の40代女性で、エプロン姿で防犯カメラを見つめ続け「自分のペースでぼーっとできた」(超短波(『西日本新聞(2024年9月15日)』より)
どこから持ち出したのか。
普段は全く読まない新聞記事を私の顔面に押し付けては、師匠は元気満々で言った。
よい修行を思いついた。と。
もう、嫌な予感しかしなかった。
九月十七日深更にて。
翌日に満月を控えての、中秋の名月。
台風や雨の多いこの時期にしては珍しく晴天を迎え、満月に近い形をしている月もまた、幾重もの光の輪を纏いながら、満ち満ちている幻想的な光を煌々と放っている。
地獄だ。
私の顔はげっそりと痩せこけて青白くなっていた。
一年の中で甚だ月の力が強くなる中秋の名月。
しかも、雲に遮られる事のなく、月の力が遺憾なく降り注げられるこの状況下に置いて、人狼の私が影響を受けない、なんて事は全くなく。
理性を捨て去って、ただ本能の赴くままに、駆け走りたかった。暴力を振るいたかった。吸血鬼を狩りたかった。
暴走する己を受け入れたかった。
無論、駆け走るのはいい。ただ、吸血鬼狩りは、吸血鬼との協定により禁止されているので、やってはいけない。暴力も振るってはいけない。ゆえに普段は、月の力を遮断する建物に身を隠すのが通例だった。
それを、このバカ師匠は、中秋の名月を存分に浴びながら、ぼーっとしようと言ってきやがったのだ。
心身共に月の力を欲しているのにそれを避けるなんて、身体によくない。
ぼーっとしていたら、暴走せずに済む。
これは修行だ。
ぼーっとして月の力を受けても暴走しないようにする修行。
(なーにが思う存分、ぼーっとしよう。だ。普段からぼーっとしているだろうが)
建物も木も岩もない拓けた野原で胡坐をかいていた私は、隣で寝そべっている師匠へと視線を向けた。
目は瞑っていないので、眠っていないはずだが、どうだろうか。
目を開けたまま眠る事など、お茶の子さいさいのような気がする。
(ぼーっとするなら、こんな辛い状況下ではなく、気持ちのいい日光の下でがよかった)
辛い、辛すぎる、もうじゃんじゃん月の力を与えられてこんなに高揚するのに、ぼこばこ人化を解くべく身体のあちこちで隆起しているのを必死に抑えているのに、ぼーっとなんかできるわけがない。
昂る己を抑えるべく、頭の中は忙しなく動き回り続けている。
せめて、スマホでも見て、気を紛らわせたかったが、本もスマホも見てはダメだと取り上げられた。
見るなら月にしなさい。なんて。
(見られるかあああ!もう、即暴走して終了だ!)
もう付き合いきれないシェルターに逃げ込んでやる。
そう。何度思ったか。
けれど、行動に移してはいない。
修行に耐えられなのかと、師匠から哀憫の目を向けられるのが屈辱だったので。
だが、それだけではない。
師匠の言うように、これから一生月の光を浴びない、月から逃げ続ける生き方をしたくはなかったからだ。
(見上げる事は、まだ、叶わなくても、)
「ああ、幸せだな」
恍惚とした声が聞こえた。
師匠の声に違いなかったのに、
どうしてか、
(何が、幸せなものか、今こんなにも、)
悔しくなった私は、寝そべっている師匠の髪の毛をぐっちゃんぐっちゃんにかき回してやった。
(2024.9.17)
中秋の名月と人狼と 藤泉都理 @fujitori
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