灰色の世界に僕はいた

takemot

灰色の世界に僕はいた

 灰色の世界に僕はいた。


 どうして何もしてないのに殴られるの? どうして声をかけても無視されるの? どうして笑っただけで軽蔑されるの? 


 分からなかった。本当に、分からなかった。


 誰かがきっと助けてくれる。そう思ったこともあったけど。


「お前はやっぱり出来損ないだな」


「高校? 行かせるわけないでしょ。それより働いて家にお金を入れなさい。役立たずらしく」


 両親の言葉は、僕の期待を粉々に打ち砕いた。


 世界の灰色はどんどん濃さを増す。怖くて、苦しくて、ただひたすらに気持ちが悪い。


 中学最後の夏休みが終わって数日後。僕は世界から逃げることを決めた。


 早朝。時折肌に触れる朝露の冷たさを煩わしく思いながら、林道を歩く。


「これなら、いいかな」


 目の前には大木。丈夫そうに見える枝。きっと、人間一人くらいの重さなら耐えてくれるに違いない。


 持ってきた小型の台を地面に置き、ゆっくりと登る。恐怖はない。胸を埋め尽くすのは、解放前の喜び。


 僕は、腕を伸ばして一番太い枝にロープをかけ……。







「ちょっと。邪魔なんだけど」







 背後から聞こえた声に、思わず振り返る。そこにいたのは、見知らぬ少女。おそらく年は同じくらい。僕を睨む彼女の手には、真っ黒なカメラが握られていた。


「せっかく早起きしてその花を撮りに来たのに。真上で自殺とかされるといい写真が撮れないじゃない」


 そう言って、彼女は僕の足元を指差す。目に映ったのは、数本の花。中心は黄色。花弁は白。どこにでもありそうな、平凡な花。


「これって」


「え? 何? 興味あるの?」


「別にそういうわけじゃ」


「ふむ。仕方ないから教えてあげる。シュウメイギクって言ってね。白露の時期に咲くの。朝露とセットで撮るのが私のおすすめ。あ。ちなみに花びらが紫のもあるわ。そっちもなかなか綺麗なのよ。まあ、個人的には白の方が好きなんだけどね」


 突然よく分からないことをベラベラと話し始める彼女。どんな反応をすればいいのかさっぱりだ。とりあえず、「はあ」と適当な相槌を繰り返す。


「おっと。あんまり話してたら時間がもったいないわね。まあとにかく。ここは今から撮影で使うから、自殺するなら別の場所でよろしく」


「そんな横暴な」


「……いや、違うわね。せっかくだから、あんたにも手伝ってもらおうかしら」


「え?」


「ほら。さっさとそこどいて。写真撮った後は別の場所に行くわよ」


「あの。ちょっと意味が分からないんですが」


「ふん。あんたどうせ自殺するんでしょ。それなら、最後は私の役に立ってから死になさい。これは決定事項。拒否権は無し」


 彼女は、無理矢理僕を押しのけ、足元にあった花の写真を撮り始める。


 もしかしてこれは夢なんじゃないか。繰り返されるカメラのシャッター音を聞きながら、僕はその場に呆然と立ち尽くしていた。


「よし。じゃあ行くわよ。付いてきなさい」


 呆然とし続ける僕の腕を、彼女は引っ張って歩く。


 何度も。


 何度も。


 僕は、引っ張られた。







「ああ。そこに立っちゃだめよ。変な影ができちゃうじゃない」


「よし、終わり。あ。せっかくだから、明日も手伝いなさい。自殺? 別に今日じゃなくてもいいでしょ」


「来週は隣の県で撮影よ。今が絶好の機会なんだから」


「は? あんたも撮ってみたいの? 仕方ないわねー。次はカメラもう一台持ってくるわ」


「そういえば、私たちってどうして撮影仲間になったんだっけ? まあいいわ。じゃあまた明日」







 灰色の世界に僕はいた。


 今でもそれは変わらない。


 けれどきっと、この世界はスカイグレー。


 あと少しで、晴れになる。

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