【後日譚】Isis


 ロバートは虚無の森で狩りをしていた。この森の魔獣はいいお金になる。

 しかし。

「はぁ。今日は一匹も魔獣と遭遇しなかったな。まあ、こんな日もあるさ」

 ロバートはトボトボと帰路に着いた。


 途中、視界の隅に青いドレスが飛び込んできた。

 森の中で派手なドレスを着たやつなんて見たことがない。

 近づいてみて、すぐに訳アリだと分かった。意識を失って倒れている女は、赤ん坊を大事そうに抱えていたのだ。

 おそらく、追っ手から逃れるために、虚無の森に入ったのだろう。


「もしもーし」

 ロバートは女の肩をゆさぶった。身体は暖かいし息もある。

 しかし、おくるみからのぞく赤ん坊の顔を見たロバートは、手をひっこめてのけぞった。

「うわっ! 魔獣じゃないか!」

 魔獣を抱えた女、この女やばすぎる。


「ハッ!」

 意識を取り戻した女は、ロバートを見て警戒心をあらわにした。

「近寄らないで!」

 赤ん坊を守りながら、じりじりと後ずさった。


 その声、どこかで聞いたことがある。

 ロバートの頭の中の回路が前世の記憶と繋がった。

「もしかして、Isisイシスさん?」

「ど、どこでその名前を!? あなたは誰なの?」

「あ、僕はロバートっていいます。しがない冒険者やってます。前世ではIsisイシスさん推しのオタクでした」

 女は警戒心を少し解いたようだ。


「あのー、よかったら罵ってもらえませんか? Isisさんの罵りの大ファンだったんです」

「あなた、マニアックなオタクだったのね」

「はい」

 ゴホンとひとつ咳をして、Isisは声を出した。

「こ、この、ブタ野郎!」

「ううっ、感激です。異世界でIsisさんに罵ってもらえるなんて。もう思い残すことはありません」

「ちょっと! 死んだらだめよ!」

「ははは。大丈夫ですよ。それよりIsisさん訳アリのようですけど、とりあえず家に来ます?」


 ロバートの住むシェアハウスに案内され、しばらくお世話になることになった。

 シェアハウスの持ち主は、背の高い、眉目秀麗な男性だった。

「フェルナシオンだ、シオンと呼んでくれ」

「シオンさんは貴族なの?」

「昔の話だ。もう貴族ではない」


 夕方になると二人の女性冒険者が帰って来た。

「ヘタレのロバートが女を連れ込んだって?」

「女に触ることも、口説くこともできなかったロバートが?」


「森の中で倒れていたから、連れて来ただけだよ。誰だってそうするだろ?」

「へーっ! へーっ!」

 女性冒険者たちはニヤニヤしてロバートの話を聞いていた。


「はじめまして、Isisです。しばらくお世話になります。よろしくお願いします」

「あ、ども」

「いいところのお嬢様なんだね」


 * * *


 Isisが再び虚無の森を訪れたのは三カ月後だった。


 シオンが先頭を歩き、真ん中にIsis、後方がロバートという隊列を組んで、森の中を進んだ。


 Isisの隣には、手をつないだ小さな魔獣の子供がいた。

 生後三か月だが、人間でいうと4歳児くらいの大きさだった。

「むこうに行っても元気に暮らすのよ」

「うん」

「もう隠れる必要も、警戒する必要もないから、のびのびできるわね」

「うん」

「そんな顔しないで。ときどき会いにいくわ。そのときは元気な姿を見せてね」

「うん」


 やがて開けた場所に出た一行は、シオンが合図をするのを静かに見つめていた。


 森の木々がざわざわと揺れ、木立の間からテッセルが現れた。

 首から下はほぼ人間と同じだが、頭部は獰猛な魔獣そのものだった。

 Isisは魔獣の子供の背中を押して、仲間がいる方へ送り出した。

 歩きながら、子供は何度も何度も振り返った。その様子にIsisは笑顔で手を振って応えた。


 子供を抱き上げたテッセルは、くるりと背を向けて、森の中に消えた。



 子供の姿が見えなくなると、Isisは地面に膝をつき、両手で顔を覆った。

「ううっ、ううーっ…」

 指の間から嗚咽が漏れ、ポタポタと涙が零れ落ちた。


 シオンがいつもの淡々とした口調で言った。 

「魔獣は人と一緒に暮らせない。首を切り落として、貴族のなぐさみものになるなら話は別だが」

「ええ、わかってる、わかってるわ…」


 Isisが泣き止むのを待って、三人は虚無の森を後にした。




【おわり】

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サイオシリス ~悲しきモブ令嬢が婚約すると幸せの鐘が鳴り響きました~ シュンスケ @Simaka-La

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